加藤 諦 三 人生 相談。 加藤諦三の名言 第2集

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加藤 諦 三 人生 相談

「毒親」という言葉をご存じでしょうか。 様々な定義がありますが、虐待や暴言、ネグレクト、過干渉などで、子どもを不幸にするような行動をする親のことを指します。 ここ数年、書籍やメディアなどでもよく目にするようになったこの言葉。 ただ、言葉は違っても「毒親」自体は、ずっと以前から存在したと言われています。 子育て真っ最中のDUAL読者のなかには、「毒親」に育てられた苦しみを抱えていたり、自らの子育てにおいて「私って毒親?」と心配になっていたりする人も、多くいると思います。 DUAL5月号では、そんな毒親について特集として取り上げ、「毒親」になってしまう理由や、その苦しみからの脱却方法などについて、考えていきます。 特集第2回は、毒親についての基礎知識を紹介します。 話を聞いたのは、心理学を専門とする加藤諦三教授。 現在、早稲田大学名誉教授/ハーバード大学ライシャワー研究所客員研究員である加藤先生は、心理学的側面から、より良い親子関係を築くヒントを説いた著作を、多数、発表しています。 毒親とは何なのか。 なぜ、毒親になってしまうのか。 その根本原理から、ひもといていきます。 また、ラジオの人生相談を約50年にもわたって務めており、数多くの人の親子関係・家族の悩みに耳を傾け、アドバイスをおくってきた。 加藤諦三氏 1938年、東京生まれ。 東京大学教養学部卒業、同大学院社会学研究科修士課程修了。 早稲田大学名誉教授。 現在、ハーバード大学ライシャワー研究所客員研究員。 2016年11月、瑞宝中綬章 受章。 ニッポン放送系列にて「テレフォン人生相談」パーソナリティーを半世紀近く務めている。 東京大学教養学部卒業、同大学院社会学研究科修士課程修了。 早稲田大学名誉教授。 現在、ハーバード大学ライシャワー研究所客員研究員。 2016年11月、瑞宝中綬章 受章。 ニッポン放送系列にて「テレフォン人生相談」パーソナリティーを半世紀近く務めている。 著書に『子どもにしがみつく心理 大人になれない親たち』(毎日新聞出版)、『なぜ、あの人は自分のことしか考えられないのか 「ナルシスト」という病』(三笠書房)など多数 そんな加藤先生は、毒親をこう定義する。 「毒親とは、自分の心の葛藤を、子どもを巻き込んで解決しようとする人のことです」 加藤先生によれば、子どもに対して毒親になる人は、必ず、自分自身の心の中に、何らかの葛藤や問題を抱えているのだという。 「例えば、子どもが心配でしょうがない、過干渉をやめられないという悩みを訴える親。 その人は、本当の悩みから逃避するために、別の悩みを作っているだけなんです。 本当は夫婦関係がうまくいっていないなど、別の問題を抱えているのに、そこから目を背けるために、子どもに意識を集中させている」 加藤先生が見てきた他の例では、娘の容姿を「学年一のブスだ」と言う母親がいた。 娘は精神科に通うほど深い傷を負ったが、母は、言ったこと自体を覚えていない。 この場合の母親は、自分の容姿に劣等感があり、その感情から自分を守るために、娘にひどい発言をするのだという。 あるいは、束縛欲が激しい親というのは、自分の心の葛藤の解消として「子どもから必要とされることを必要としている」ため、子どもの成長を拒否している状態だ。 また、ネグレクトも、一種のいじめであるため、いじめる快感によって、親が自分自身の欲求不満を晴らしているのだという。 毒親であることをやめられない状態を指す」と加藤先生は指摘する。

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加藤諦三の名言 第2集

加藤 諦 三 人生 相談

私は作家で社会学者の加藤諦三さんが嫌いです。 というか彼は心理学者を名乗るにはあまりにも不勉強が過ぎると思います。 発達障害が元で対人関係で苦しんでる人のことはぜんぜん考えていない。 むしろ臨床心理士や精神保健福祉士とか専門の資格を持っていないからあれだけ断定的というか紋切り型というか決めつけの多い文章を書けるんだと思う。 自分の考えを本に書くのは勝手だけど、それを『心理学』という言葉を使って正当化しないで欲しい。 むしろ自分の狭い人間観で人間全て分かったようなことを言わないで欲しい。 私の友人はある脳の先天的な障害が元で対人関係なとで長年、苦しんできました。 彼に最近まで障害の自覚はなく、 「自分のこの苦しみは一体どこから来るんだろう?」 「人と同じことができないのは何故なんだろう?」 「自分は他の人と比べて甘えているからいけないのかな」 と悩み苦しみ、自信をなくしとても苦しんでいました。 そんなときに読んだ加藤諦三氏の本は彼を余計に落ち込ませ、苦しめました。 彼の対人恐怖や自信のなさの本当の原因は違うところにあったのに…。 加藤諦三さんはそういった人のことをぜんぜん考えていない。 全ての人を一緒くたにして、 「出来ないのは甘えてるからだ」、「依存してるからだ」、「親離れできていないからだ」、「本気で生きていないからだ」 そういう言い方をする。 友人の苦しみの原因は別のとこにあったのに。 加藤さんは、そういった人達のことまで一緒くたにして決めつけた言い方をする。 臨床心理士や精神保険福祉士の資格を持っていないから、ああいうふうな無責任な発言や決めつけた言い方ができるんだと思う。 自分の発言に責任が持てないなら安易に本のタイトルに「心理学」とつけないでほしい。 「心理学」と本のタイトルについていれば 「これは心理学の理論なんだ!」 「学問的に言われてることだから、この加藤っていう人が言ってる知識は正しいことなんだっ!」と勘違いする人が絶対に出てくる。 でも実際の加藤諦三という人は心理学者でもなんでもないし、安易に著書に「心理学」というタイトルをつけないでほしい。 自分の発言に責任が持てないなら安易に「心理学」という言葉を使わないで欲しい。 加藤さんの無責任な発言のせいで友人がどれだけ振り回され、苦しんだのか分かってほしい。 僕の考えが間違っているのでしょうか? 僕は今、大学で心理学を学んでいますが、あなたの考えは間違っていないと思います。 これまで学んでみて分かった事は心理学という分野自体がまだ学問としては産まれて間もない分野だということです。 数学などの歴史と比べると臨床心理学なんて近代になってからです。 だけど、学問である以上、明確な定義があります。 ですが、こういう本は本を売る為に安易に心理学という言葉を乱用して人を騙していると思います。 心理学と言っても社会心理学と臨床心理学ではまったく扱う分野が違いますし、 本当の社会心理学者は例えばイジメ問題とか集団の中でどう捉えるかを考えます。 臨床心理学者は問題の当事者の家庭環境や背景も考えながらイジメをする子の問題行動 逸脱行動 を起こす心について考えます。 でもどちらでも習う事は、絶対に相手をステレオタイプで見てはいけないということです。 ステレオタイプに当てはめてみる癖がつけばそのものの本質を見誤るからです。 このことは人格心理学を学んだ時にも出てきました。 だから、本当の臨床心理学者が書いた本では人を何かに当てはめこじ付け否定するような事は書きません。 本当に心理学を専攻していたらありえないような事を平気で書いたり言ったりして人を無意識にだとは思うけれど傷つける自称専門家がいます。 そして、実際に僕自身がクライアントの立場から経験した事を振り返ってみても、本当に臨床心理士の資格を持っていても、やってはいけない事をやってしまっている人もいます。 例えば、クライアントに無闇に見立てを言ってはならないとか、質問攻めにして威圧感を与えるような事をしてはならないとか、結局、臨床心理士も聖人君主ではありませんから、フランスの本場でフロイトの著作の原文を読んで来たとか自慢話ばかりする困った臨床心理士もいます。 本当にきちんと学んでいる臨床心理学者であれば、発達障がいや精神疾患、脳腫瘍などによって様々な症状が出たり対人関係に不具合が生じる事は分かっています。 分かった上であえてそれを断定的に決め付けた言い方をしないし、糾弾したりはしません。 大人の世界は汚いので、理想を言えば心理学という言葉を乱用して本を売る事だけを考えるのは悪い事なのに、平気でそれをやって本が売れればいいというのもあると思います。 それが仕事だから加藤氏も無責任でも何でも辞められないだろうと思います。 思いやりや良心に従って辞めてくれたらいいんですけど現実は中々そうはいきません。 詐欺師がこの世から無くならないのと一緒です。 そういうのも大人の事情って奴なのだろうと思います。 だから、単に心理学という言葉を乱用しているだけの本は信じない方が良いと思います。 考えが間違っているというか、求めているものが違ったので怒られているのでしょう 加藤さんの発言が無責任に感じるのは「本」に何を求めるかによると思います。 いわゆる「本」の中にすぐに役立つ答えや今すぐ実践できるhow toを求めるなら それらのかかれていない加藤さんの本が役にたたなく感じると思います。 じゃあ何がかかれているの?というと、 ・甘えのある人は特効薬を求めるがそんなものは無い ・問題に対する「気付き」 ・自分を疑ってみること。 自分が自分についている嘘に気付くこと ・成人した人の多くが抱える問題の原因は子供の頃に作られる(分離不安とか) ・問題の原因は無意識のものが多い といった感じでしょうか 加藤さんは問題を解決するためには「気付き」が必要と考えていると思います。 人はまわりからガミガミ言われたところで何もかわらず、自分から変わろうと思ったときにはじめて変わるものですから、加藤さんは「気付け、気付け」と本の中で丁寧に繰り替えしておられるのだと思います。 ただ、なぜ気付きが必要なのか?気付きが重要なのか?はかかれていません^^; 苫米地英人さんの著書と合わせて読まれるとよいかもしれません 苫米地さんの方は問題に気付くことの重要さや問題に気付くことで人の脳がどうやってそれを解決してくれるかが書かれています。 こっちを読みながらあっちを読み、あっちを読みながらこっちを読みというふうに読まれると良いと思います。 加藤さんの本も苫米地さんの本も、「同じことの繰り返し」といわれるのを見かけますが、無意識の問題を人が認識するときには繰り返し少しずつ違うことばで自分を見つめていく必要があるのだと思います。 お二人の著書はそのための助けになるものだと思います。 スレタイには、まあ一応同意ですかね。 確かに「心理学」という言葉を本のタイトルに使っているのに、内容は専門書や教科書はおろか 副読本ですらなく、ただの人生訓みたいなものですからね。 専門書と勘違いしてしまって、本に書かれている 内容をそのまま学問的なものとして余所で書いたりすると恥ずかしい思いをしてしまう。 内容自体も、毒が強いというか、読み手の粗・欠点を責めるような言い方をしているものがかなり多く 、それを学問的に普遍的な事実であるかのように語ってしまっている点はマイナスでしょう。 まあ、そうはいっても、読み手がインパクトを受け内容が記憶に残るようにする為には、断定口調的に するほうが効果的という面はあります。 個人的には、あの人の本の大部分は著者自身に向けられているメッセージだと思います。 確か、著者の青年時代の日記をもとにしたものをそのまま本にしたものもあったようだし。 だから実際には自分自身の欠点を責めているのに、それが本として出版されてしまうと読み手を 責めているような感じになってしまうのです。 相手を否定したり責めたり、他罰的になったりするのがいけないという割には、断定口調で いちいち「~してはいけない」「~ではだめだ」とか押し付けたりするのは、ふつうにおかしいとは思います。 自分が過去に否定的な扱いをされたからって、それを他人にしてはいけませんよね。 でもさ。 それと質問者さんのいう、発達障害には当てはまらないからインチキだ、っていう物言いは また別じゃないでしょうか? 発達障害で人間関係を作るのが困難だというけど、例えばADHD自己正当化型とか、アスペルガー とか、調べてみればわかるけど、 周囲に対しての言動・振る舞いに問題があるわけでしょう?自分自身の考えとか行動の偏り、癖etc そういうものが周囲に対してしばしば加害的に振る舞われる結果、周囲から疎外されたとして、 その偏りを理解し合わせようとしない周囲が悪いのでしょうか? 発達障害は生まれつきの性格の偏りです。 疾患ではない。 それ単独では、精神を病んでいるとかの状態ではないのです。 人生訓とはいえ、加藤さんの 本は精神を病んで困っている人向けの著作では? 「発達障害」の人が生まれつきの性格特性によって周囲と軋轢を生じるからといって、 その責任とか対処の仕方まで求めるのはあまりに度が過ぎるのでは? 周囲の誰ひとりにも何一つ嫌な思い、迷惑をかけていないのにも関わらず理不尽な思いを しているというなら、同情くらいは得られるかもしれませんが、発達障害とはそういうもの じゃないでしょう? ご友人自身も自分が先天的である発達障害ということに気づかずに 健常者として加藤先生の本を読まれてたわけですよね。 それが調べてみると先天性の障害であった、 発達障害のことが書かれていないではないかと 読んだ本の筆者に不満を言うのは無理があると思います。 でも確かにそこの区別は難しい所があって本人の自覚がないような発達障害などもあり 人生相談の回答時にも加藤先生は発達障害かそうでないかははっきりさせておかないといけないと よく言っているのを聞きます。 加藤先生は先天的要因ではなく生まれて育ってきた環境による性格形成(後天的要因)について書かれています 先天的要因についてかかれていないからなんの知識もないと言うのは間違いです この質問で人と同じことができないのは何故なんだろうと悩んでいる人は 一度発達障害ではないかと疑うことも必要だと知ってもらえたらいいなと思いました 間違っている部分と間違ってない部分がある、でしょうか。 まず、心理学という言葉の捉え方が間違っているように思えます。 心理学は多種多様であり、臨床心理学だけが心理学ではないんですよ。 加藤諦三さんは社会学者ではないはずです。 社会心理学者、なんです。 社会学者と社会心理学者は微妙に違うはずです。 確か、社会全般として、人が主に集団でどのように反応するか、一般論を語るのが、社会心理学者だったかと、…。 つまり、普通の範囲に属する人が、普通の範囲内でする行動が、専門なんです。 問題は、社会心理学者なのに、臨床心理学者や精神医学の専門家のように錯覚させてしまう著作が多すぎる、 精神医学的知識が結構とぼしいという点ですよね。 弁護するというより事実として、まず、発達障害について、日本で知られるようになったのはごく最近であり、 加藤諦三さんの著作は、その知識がないうちに書かれたものが大半なんです。 その辺をよく考えて、冷静に判断すべきではないでしょうか。 人として一般論で書かれたものか主であり、 過大評価は決してしてはならないが、 一定の価値は確かにある、 その程度が適切な判断だと思いますよ。 臨床心理の専門家ではなくても、そんな話をする人は多いし、 精神科医を名乗っていても患者の気持ちがあまり理解できてない程度の癖にTVでコメントしてたりする、…。 それに比べりゃ、加藤諦三さんはまだ良心的なほうでしょうね。 ただ、ちゃんと抗議文を送っても、黙殺ですか、…。 まあ、その程度の御仁なんだと考えるべきでしょうね。 回答する義務はないんですよ。 逆に、回答が返る人が非凡なんです。 発達障害を持っていると、何でも徹底的になるというタイプは多いですよね。 私も大学在学中は心理学という名前がつく講義は軒並み取ってみたことがあります。 ただね、普通の人は色んなものを簡単に流せるんですよ。 自分に責任の一端があっても、「自分が悪いんじゃない」と自己弁護して、それを思い込んでしまう、…。 だから、「この人も、その程度でしかないな」と冷静に考えるべきではないでしょうか。 同じ発達障害を持つ者としては、気持ちもわかるけれど、…。 若い人は純粋ですが、 発達障害を持つと純粋すぎてしまう、…。 それでは、人も自分も身が持ちません。 だから、ほどほどを意識してほしいと思います。 間違ってはいないです。 加藤氏が本のタイトルに『~の心理学』を多用しているのが問題ということですよね。 本のタイトルが『心理学』でなく『方法』だったら全く問題なかったのではないでしょうか。 加藤氏が批判される原因は、自分個人の意見をあたかも心理学の理論であるかのように誤解される書き方をしてしまっていることだと思います。 もちろん心理学の理論も人間が作ったものなので全てが正しいとは思いません。 (同様に心理学者でないから心理学を語れないとも思いません)。 しかし、もし、病気や医療に関する本などであった場合、加藤氏のような本の書き方は完全にアウトです。 心理学の理論は実証と検証によって導き出されたものです。 事実とまだ証明されていない仮説とは明確に区別されるべきです。 若者向けの人生論や、普通の自己啓発本なとでしたら加藤氏のような話の進め方でも問題ないと思います。 あくまで個人の考えなので正しい、間違ってるというのもないと思います。 しかし、本のタイトルに「心理学」とつける以上は内容にそれなりに責任が伴ってくると思います。 一般の読者に誤解を与えないためにも加藤氏は「~の心理学」のバーゲンセールはやめるべきだと思います。 ただ本の内容自体についてはタイトルが『~の心理学』でなければ全く問題はないと思います。 加藤氏が自分の意見に説得力を持たせるために心理学の権威を借りているだけなのであれば、『~の心理学』というタイトルは絶対にやめるべきだと思います。 加藤諦三さんの本や発言に問題があると言われる理由はおそらく、自分独自の考えをあたかも、「それが心理学の理論である」というような書き方をしてしまっていることだと思います。 一般の人が気軽に編集できるインターネット上の百科事典ウィキペディアでは医学や医療関係の記事には必ず「ご自身の健康問題に関しては、専門の医療機関に相談してください」と書かれています。 加藤さんは精神病や神経症について多くの著作で触れていますが、それが心理学の理論なのか、自分独自の考えなのか、ということをはっきり明記すべきだと私は思います。 医者や専門家ではないのだし、間違った知識を安易に書くのは良くないことだと思います。 心理学は統計や文献研究などを用いたれっきとした確立された科学の一分野です。 個人的なエッセイとも取れる内容を何の区別もなく併記する加藤氏のやり方は問題があると思います。 A ベストアンサー 私も最近この人を知りました。 なので特定の分野で、どう評価されているかは知らないです。 ごめんなさい。 何冊か古本屋で購入して、全部読みました。 私の感想でよければ参考にしてください。 本の中での大体の主張ですが、 「相手に依存すると疲れるぞ!」 「自分を良く見せようとすると緊張する」 「人生に逃げ道は存在しない、だからこそ困難と闘うしかないのだ」などです。 まったくその通りだと感動しました。 でも、それができれば苦労しないんだけど・・とも思いました(笑) あと「イマイチ自分の力を出せないのは君の親に責任があるんだ」という事は、どの本にも共通して主張しています。 これはなんか欠かさず言ってます(笑) 彼の批判のような文章になってしまいましたが、そうではありません。 少なくとも自分の頑固な考え方を改めるのに、非常に役立ちました。 彼の本をまだお読みでないのなら是非薦めます。 どんなタイプの人にもオススメで、少なくともあなたのマイナスになるような事は書いてないと思います。 大体、古本屋で100円で売ってるからお財布も安心です Q 仲良くなった友達の事を、必ずといっていい程、嫌いになってしまいます。 そんな自分も嫌いです。 割と小さい頃からそうなのですが、始めは、この子(同姓)ともっと仲良くなりたいというところから 始まります。 とても好印象で、もっとこの子の事を知りたいと思い、こちらから話しかけるようにして、 徐々に友達になっていきます。 最初のうちはこの子と友達になれて良かったな、とかこの子といると楽しいなと思えます。 しかしだんだん、気持ちが変わってくるのです。 2,3ヶ月位経ってからだと思います。 その子のことをだんだんたくさん知っていくうちに、嫌いになってしまうのです。 人間誰でも悪い所は多少は持っているというのは理解しているつもりです。 その子の周りの評判は特別悪いというわけでもありません。 ですから、性格の悪い嫌なヤツというわけではないのです。 でも私はなぜかすごく嫌いになってしまいます。 これは私自身が器が小さく、性格が悪いということなのでしょうか。 また、同姓のみならず、彼氏に対しても同様だったりします。 今ちょうど付き合うようになって3ヶ月程が経ち、心の中でだんだん嫌いになってきているのを感じます。 良いところもたくさん知っているのですが… もしかすると、私は少しでも自分の思い通りに行かないようなことがあると許せないのかも知れません。 このように、仲良くなればなるほどその人を嫌いになってしまう、自分の性格を直したいと思っています。 このままだとこの先も、仲良くなっても徐々に嫌いになってしまうという事を繰り返してしまいそうで、怖いです。 どうしたらその人を嫌いにならず、受け入れることができるのでしょうか。 仲良くなった友達の事を、必ずといっていい程、嫌いになってしまいます。 そんな自分も嫌いです。 割と小さい頃からそうなのですが、始めは、この子(同姓)ともっと仲良くなりたいというところから 始まります。 とても好印象で、もっとこの子の事を知りたいと思い、こちらから話しかけるようにして、 徐々に友達になっていきます。 最初のうちはこの子と友達になれて良かったな、とかこの子といると楽しいなと思えます。 しかしだんだん、気持ちが変わってくるのです。 2,3ヶ月位経ってからだと思います... A ベストアンサー こんにちは。 私も昔から 今四十八歳ですが そういうところがあり、いろいろと社会心理学の本などを読んで勉強した時期もあります。 「加藤諦三」先生のご本を読むと、「親しくなると不機嫌になる人の心理」がくわしく載っています。 本当に笑ってしまうくらい、あなたや私の心理状態にぴったりなんですよ。 ネットで「加藤諦三」と入れて検索してみてください。 先生ご自身のサイトもあって、著書の題名などもたくさん載ってますから。 内容は・・・まず、人間は誰でも誰かと親しくなりたい欲求を持っている。 しかし、ある種の考え方をする人間は、「自分自身をさらけ出す 自分の欲求をそのまま表現するなど ことによって、相手に嫌われるのではないか」、と思い込んでいるので、自分自身の欲求を押さえ込み続けて、相手との関係を良好に保とうとする。 そしてそれを続けるうちに、それをさせている相手、親しくなりたい相手自身を憎いと思うようになってしまう。 「ある種の考え方をする人間」・・・これは、「自分はそのままでいてはいけない。 相手の要求するような自分でいなくてはいけない。 」と考えている人のこと、と先生の著書には書かれていることが多いです。 ・・・子供の頃から、親にいつも「子供らしく」「上機嫌でいる」ことを求められ続けたりした人に多いようなんですが。 私は初めて加藤先生のご本を読んだ時 二十三歳くらいでした 、大声で泣いてしまいました。 もし良かったら、読んでみて下さい。 もしも「私はちがうな」と思われたら、図書館で借りるのでも良いですから、いろんな 心理学とは限りません 本を読んでみることをお勧めします。 こんにちは。 私も昔から 今四十八歳ですが そういうところがあり、いろいろと社会心理学の本などを読んで勉強した時期もあります。 「加藤諦三」先生のご本を読むと、「親しくなると不機嫌になる人の心理」がくわしく載っています。 本当に笑ってしまうくらい、あなたや私の心理状態にぴったりなんですよ。 ネットで「加藤諦三」と入れて検索してみてください。 先生ご自身のサイトもあって、著書の題名などもたくさん載ってますから。 内容は・・・まず、人間は誰でも誰かと親しくなりたい欲求を持っ... A ベストアンサー 朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。 ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。 幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。 ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるということはほとんどなく、武士に言われるがままに任命していたわけですから、実権は武士の側にあったということになります。 wikipedia. ただ、今の天皇陛下も政治的な実権はまったくなくて象徴として存在しているわけなので、それとちょっと似ているというような説明は、できるかもしれませんね。 (今でも首相を任命するのは天皇と決まっています。 ただし天皇が首相を選ぶことはできず、国会が選んだ人を形式的に任命するだけです) 朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。 ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。 幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。 ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるという... Q こんにちは。 初めて質問させて頂きます。 唐突なのですが、愛情不足な環境で育った子供は大人になるとどんな傾向があるのでしょうか? 私は母子家庭で育ちました。 親には苦労こそかけましたが、特に愛情不足を感じたこともなく、 今も平和に平凡に暮らしています。 しかし以前、同じように母子家庭で育った友人(こちらの方がもっと複雑な家庭環境だと思われます)から、 「やっぱり、片親で育った人は変わってる。 あなたも変わってるもん」と言われたことがあります。 あまり深く突っ込まなかったので真意はわかりませんが、 自分と同じものを感じる、という意味の発言だったようです。 私は貞操観念や倫理観があまりない所があり、 彼女がいる男性のことを好きになることが多いのです。 先日ネットサーフィンをしていて、 『恋人がいる人を好きになり、相手が振り向くと途端に好きじゃなくなってしまうような人間は、 子供の頃十分な愛情を貰って育っていない可哀想な人間』 という記述を目にしました。 相手が振り向くと好きではなくなる、ということはあまりないのですが、 彼女がいる人を好きになる、そういう傾向があるのは確かです。 また、自分に恋人がいても他に好きな人を作ってしまったり、二股していたこともあります。 以前また違う友人(同じく母子家庭)には、 「心理学を勉強している人に言われたんだけど、 母子家庭みたいに男性がいない家庭で育つと、男性との距離感がつかみにくくなるらしい。 父なのか兄弟なのか友人なのか、区別がつかないから、すぐ好きになってしまうんだって」と言われました。 私もその友人も、すぐ人を好きになりやすいので、この話には非常に納得しました。 私は自分の貞操観念や倫理観があまりないこと、また恋愛に一途になれないことが 自分のウィークポイントだと思っています。 どうにか改善していきたいのですが、この今の状況が家庭環境に関係しているのかどうか判断して頂きたいのです。 (難しいとは思いますが・・) ちなみに22歳女です。 よろしくお願いいたします。 こんにちは。 初めて質問させて頂きます。 唐突なのですが、愛情不足な環境で育った子供は大人になるとどんな傾向があるのでしょうか? 私は母子家庭で育ちました。 親には苦労こそかけましたが、特に愛情不足を感じたこともなく、 今も平和に平凡に暮らしています。 しかし以前、同じように母子家庭で育った友人(こちらの方がもっと複雑な家庭環境だと思われます)から、 「やっぱり、片親で育った人は変わってる。 あなたも変わってるもん」と言われたことがあります。 あまり深く突っ込まなかった... A ベストアンサー 相変わらず長文です。 理想的な両親や母子家庭の場合で 両親がそろっている場合と、 片親だけの場合どのような、違いがあるのか? 考えてますと、以下のような違いがあると思います。 1)親が子どもを叱る 叱られる 場合や親と対立した場合の逃げ道 ・両親がいれば、片親が怒っても、もう片親が慰めてくれるとかの 怒りを緩衝してくれる働きや、子どもの避難場所に成ったりもします。 ・一方、片親だけの場合、緩衝的な役割がなく、直接怒りを受けます、 子どもにとっては、逃げ道がなく、対立したときには、 完全に対立したままか、不本意でも親の意見を受け入れざるを得なくなり 折衷案的な解決方法を経験しないままに大人になると思われます。 もしかすると、一か八か的な性格が形成されるのかも知れません。 2)もらえる愛情のバリエーションの多さ 二人分 ・余り説明の必要はないと思いますが、二人分のタイプの違う愛情をもらい 愛された経験ができます。 ) まだまだあるかと思います。 この辺が大きな差かなと思います。 3)そして、『倫理観』については、上の両親が居た場合と違って、 母親の性格的な部分に左右されてしまうことが大きいのです。 交流分析の理論では、倫理観は主に、父性的な性質をもち、両親が健在の場合 子どもは、どちらかというと父親側から倫理観を受け取ることになりますが、 母子家庭で、なおがつ母親がそういった父性的な厳しい部分が少ない場合、 子どもの倫理観は育たないまま大人になって行くことになります。 このことを心配して厳しく躾けた場合や、母親が倫理観に厳しい場合また別ですが… 兄弟関係だと、兄弟同士の相性問題や親の愛情の取り合いなども有り、 理想的な兄弟関係は、ちょっと考えられないです。 その為に、先ず自分を正確に知ることかも知れません。 案外好みと思っていたものが、幼い頃の 男性像の残骸なのかも知れません 笑 余談ながら、世間で言われる『自分探し』がもっとも自分を解らなくし 混乱を招く一番下手 上手? な方法だと私は思います。 最初の一歩はそれ自分の性格を自覚することから始まります、 人は、無意識・無自覚の好みや嗜好に引きずられて、 異性を求めていたりします。 無意識に理想の父親像を男性にみていないか? 子どもの頃どんな父親が欲しかったのか?ちょっと思い出して書出してみてください。 その理想の男性 父親 のイメージを、異性に投影していないか? 経験したことのない異性の行動を愛情と勘違いしていないか? いままでに、好きになった、つきあった男性達を通して共通項を探すのも方法です。 その人達は、無意識に引きずられて好きになったものではないのか? 検証してみる必要があるだろうと思います。 勿論、無意識が幸せに向かっているなら、問題ないでしょうが、しかし、 多くの場合、幼い無意識に支配された嗜好は、不幸な結果を招く事になります、 なんであのような酷い男性を好きになったのかと後悔する場合がとても多いのです。 その為、燃え上がった恋心が長続きしないのです。 私にも遠い昔 オイオイ! に経験がありますが、本格的に好きになる前の段階なら 理性的に、感情を抑え変えることも可能です。 最初の段階で徹底的に調べて 行くか止めるか決めると良いですよ。 大火事に成る前に消し止めるのが、 感情のコントロールの方法です。 感情は思考の結果生まれるものです。 考え方・受け取り方を変えれば、感じ方が変わります。 例えば、倫理観の薄い性格の場合、相手側にも倫理観の薄い人を選ぶ傾向があります、 その結果、不倫や犯罪の被害者や加害者になることさえあります。 「君子危うきに近寄らず」「無事これ名馬」世間で言い継がれて来た言葉は、 やはり、真実を含んでいると思います。 まして、貴方は女性です。 倫理観の薄い男は、薄い倫理観を正当化する為に、 自分勝手な倫理観や屁理屈を持っていることが多ようです。 そういった男達とつきあうのは、危険なことでもあります。 そして、科学的な実証はされていませんが、経験上、 江原氏や三輪氏の言う正負の法則は、やはり在るものと思います。 これは、むしろ逆だと思います、と言っても特定の男性ではなく男性の友人を 沢山作ってみてグループや大人数で沢山の男性と楽しく付き合ってみて下さい。 男性の友人を沢山作ると男性的な思考ややり方、行動、見方を学べますし 相談も出来ます、ひとりの男性に夢中になり他人が見えなくなるのが 最悪のパターンだと思います。 まだお若いのですから、誠実で人間として 良い男をとは?どんな行動をするのか?考えて観察して、 ひとりでは心許ないなら色んな友人の意見を取り入れて、 男性を選ぶ眼を養ってみたら如何でしょう。 故事曰く「己を知り、敵を知れば、百戦危うからず」と言うことです。 そこに元からなかった愛の不在を感じることは、普通にはあり得ません。 子どもに限らず 人間は愛が欲しい生き物です、 特に親の愛情は子どもの「心の栄養」と言われています、 欲しいときに親からの心の栄養が十分でないなら、幼い子どもは 「親が悪い 他罰的傾向 」や「自分が悪い=愛される資格がない 自罰的傾向 」の 傾向がつよくなります、心の栄養失調が余りに過ぎると、成長してから 「他人を信じられない」とか「自分を信じられない」とかの要素が強くなり、 (中には、両方の要素を強く持つ人も多くいます。 ) ここに倫理観の希薄さや誤った価値観が重なると、 前者では、最悪の場合「殺人者」後者では「自殺」という結果を引き起こします。 「他人を責めるまたは、自分を責める」このことが人間不信の正体と思います。 このふたつの考え方では、問題は解決しません、子どもの頃なら考えも幼いので この考えに逃げ込むしか生きる方法が無かったのですが、問題なのは、 大人になってもこの幼い解決方法を自動的に使い続けた結果、 孤独に成って行く可哀相な人達がいるということです。 1 の回答者さまの論は、何を意図してなのかは、私には判断できませんが、 「裏切り」と感じる為には、そこに何らかの約束や期待があっただろうと思います。 その「約束」は確約なのでしょうか?伝えてあるのでしょうか? 双方の了解事項なのでしょうか? 「人は皆、自分が基準です」しかし。 いつも「他人には他人の基準」があることを 無視したり忘れてしまっています。 「裏切り」と解釈する一歩前にもどって どのような「約束」を取り交わしたか、考えて見ては如何でしょうか? そして、信じる強さは、『相手に期待しない・依存しないで信じること』です。 これは、親の愛、母の愛によく似ていると思います。 検索しても色々なエゴグラムテストが出てきますが、参考URLを貼っておきます。 sinritest. html 相変わらず長文です。 理想的な両親や母子家庭の場合で 両親がそろっている場合と、 片親だけの場合どのような、違いがあるのか? 考えてますと、以下のような違いがあると思います。 1)親が子どもを叱る 叱られる 場合や親と対立した場合の逃げ道 ・両親がいれば、片親が怒っても、もう片親が慰めてくれるとかの 怒りを緩衝してくれる働きや、子どもの避難場所... A ベストアンサー 臨床心理士です。 認知行動療法のカウンセラーになりたいと思われた動機が分かりませんが、おそらく全くの民間の資格を取得されても、仕事として成り立つことは、相当難しいと思います。 心理系の資格にはいろいろなものが乱立状態ですが、少なくとも、臨床心理士、学校心理士、臨床発達心理士、特別支援教育士など、公的に認定された団体(臨床心理士は、文科省管轄の財団法人が認定)や、専門学会が連合して設立した団体(学校心理士以下にあげました資格)が、世間で認知され、心理職の募集の際にも、これらの資格を取得していること等が条件にあげられています。 また、これらの資格、とくに、最もよく認知されている臨床心理士の資格を取得された上で、さらにこうした認知行動療法のカウンセラー資格を取得されれば、かなり有望になるでしょう。 心理職の国家資格を作る動きも進んでいます。 ただ、国家資格になったとしても、「名称独占」の資格にしかならないと思いますので、民間の資格も排除される訳ではないでしょうが、実際には、国家資格を取得するということは、心理学の知識やそのスキルが一定基準に達しているということを国が保障することになりますから、事実上、民間資格は、「持っているだけ」という事態に陥るのではないでしょうか。 以上のような状況を考えますに、福岡から東京まで通われてまで認知行動療法のカウンセラー資格を取得されるのは、コストパフォーマンスが低すぎると、私は考えます。 臨床心理士の資格については、次のサイトをご覧ください。 fjcbcp. jsccp. 臨床心理士です。 認知行動療法のカウンセラーになりたいと思われた動機が分かりませんが、おそらく全くの民間の資格を取得されても、仕事として成り立つことは、相当難しいと思います。 心理系の資格にはいろいろなものが乱立状態ですが、少なくとも、臨床心理士、学校心理士、臨床発達心理士、特別支援教育士など、公的に認定された団体(臨床心理士は、文科省管轄の財団法人が認定)や、専門学会が連合して設立した団体(学校心理士以下にあげました資格)が、世間で認知され、心理職の募集の際にも、これら... A ベストアンサー 私の元旦那がそうでした。 私の元旦那は(離婚して 2年以上が経ちました 年子の妹さんがいますが 3歳くらいの時に お母さんが浮気して両親が離婚、父親に引き取られ 祖母と叔母に育てられたそうです。 父親は再婚すると 先妻の子は 放置で 後妻との生活をしていたそうです。 後妻との間に 2人子供ができました。 その後も 先妻の子と 後妻の子で ごく近所で 別居でした。 先妻の子 元旦那と妹さん は 祖母の家、父親と後妻、子供は ごく近所の家でした。 という環境で育った元旦那は「愛情を知らない」と言っていました。 でも、間違いなく 祖母、叔母 その他親戚には とても愛情を注がれたようでした。 でも、両親の愛情、特に母親の愛情は大きいもので 女性に対する「要求」が多かったです。 まずは主婦じゃなきゃいけない。 子供は 小さいうちは預けない、自分の思い通りに行かないと 怒りだす。 働かない、浪費、大変でした。 もちろん 束縛もすごかったです。 元旦那の恋愛において 相手に何を求めるのかは「揺るがない深い愛情」ですね。 絶対的な愛情、優しさ、です。 優しさは 我儘を言ったりして 確認するようです。 尻が軽そうな女性はダメみたいです。 惹かれるのは プライドが高い為 外見は こだわりがあるようです。 だからと言って絶世の美女と言うわけじゃないです。 あくまで好みです。 そんなこんなですが 私の今の彼は 幼少時代はわかりませんが 両親の愛情など バツ2で 2回とも浮気され、浮気して離婚したようです。 やはり 元の旦那のように 「絶対的な愛情」を求めているようです。 何より裏切られることに 怯え、人を信用できず でも、絶対的な愛が欲しい、んです。 保身のために 浮気する、みたいなこともあるようです。 今 私は彼のお母さん兼 彼女、みたいですよ。 彼の「お世話」をしてるような時もあります。 例えば お風呂上がりに 髪に 美容液をつけてあげたり 服を着たまま 寝たら 脱がしたり… 風邪をひけば 薬を飲ませたり。 もちろん 自分でしっかり できる人ですから 社会的には 立派な人です。 でも 愛情として求めるのに 「お母さん」のような 彼女を求めるようです。 できるけど してもらうことで愛情を確認してるような気がします。 彼が安心できるなら、と 私は してます。 だからと言って 彼は 偉そうにしたリしないので私は できるんですが。 私の元旦那がそうでした。 私の元旦那は(離婚して 2年以上が経ちました 年子の妹さんがいますが 3歳くらいの時に お母さんが浮気して両親が離婚、父親に引き取られ 祖母と叔母に育てられたそうです。 父親は再婚すると 先妻の子は 放置で 後妻との生活をしていたそうです。 後妻との間に 2人子供ができました。 その後も 先妻の子と 後妻の子で ごく近所で 別居でした。 先妻の子 元旦那と妹さん は 祖母の家、父親と後妻、子供は ごく近所の家でした。 という環境で育った元旦那は「愛情を... Q 誰かと会った後、誰かと話した後、誰かとメールした後、どんな時でも、いつでも自分の発言を後から何度も思い返して、こう思われてしまったのではないか、これ言っては不味かったかな、こういったほうが良かったかな、これ言わない方が良かったかな、など考えて、頭の中が常に一杯で悩んでしまいます。 特定の相手とかではなく、誰に対してもそうです。 毎回毎度、こうして自分の言葉や発言を思い返して悩むので、疲れ切ってしまいました・・・。 でも、考えないと、自分は大きな過ちを犯してないか、自分の発言で嫌われちゃうのではないか、と心配になります。 どうしたらこのループから抜け出せるでしょうか? 考えないようにすればいいと言うのは難しいです。 (それが出来たら悩まないので・・・汗) なので、どう考え方を持っていけばいいのかアドバイス頂けたらと思います。 宜しくお願いします。

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加藤諦三

加藤 諦 三 人生 相談

加藤諦三さんの心理学書って本当に信用できるのでしょうか? 加藤諦三さんの心理学書って本当に信用できるのでしょうか? 本屋の心理学のコーナーにいくと絶対、この人の本が置いてあるのを見かけるのですが、どうしても違和感を感じてしまいます。 私自身も3年前までは、この人の本にすごくはまっていて熱心に読んでいたのですが、最近になって読み返してみると、どうしても考え方が偏っているなぁと思ってしまいます。 (3年間でたくさんの人と会って経験を積んで、自分自身が変化したからかもしれません。 ) 確かに文章や内容はすごく分かりやすいし、もっともらしいことや一見、専門的っぽいことが書かれているのですが、よく読んでみると、「こういう人はこうだ」とかすごく断定的に書かれていて、なんだかすごく人の見方が狭い人だなぁと思ってしまいます。 今、思うと3年前の私は加藤さんの本にすごく影響を受けたけど、他人に対して必要以上に穿った見方をしてしまっ たり、無駄に悩んでしまうことも多かった気がします(全部を加藤さんのせいだと言うわけではないのですが、見当外れのことで悩むことも多かったなと思います)。 公式HPには専門分野を「心理学、精神衛生学、哲学」と書かれていますが、心理学を専門的に研究している人が専門分野を「心理学」とだけ大雑把に書くようなことって本当にあるのでしょうか? ネットで調べてみると悪い評判も多いし、この先生はいわゆるトンデモ先生なのでしょうか?心理学の分野で本当に信用できる人なのでしょうか? 一見もっともらしいことが書かれていて納得してしまいそうになるのですが、よく読んでみるとなんかおかしいなと思ってしまいます。 本が売れてるのは事実だけど、やたらめったら親が悪いって言ってたり、発達心理や精神分析の古い研究にすごいこだわってたり、本当に心理学の専門家なのかなと思えてしまうことが多いです。 よかったら皆さんの意見、お聞きしたいです、よろしくお願い致します。 投稿日時 - 2010-06-08 02:58:23 私も三年ほど前にこぞって読み、参考にしていました。 今日久々に本を手にし、 途中読むのを辞めようかと思いましたが 最後に何か得るものがあるのでは、身のためになるものがあるのでは、と期待し最後まで一気に読みました。 しかし、かなり人間を偏って見すぎだと思いました。 人を~主義者と枠に納めて自分の判断する価値で 自分の嫌いな分類にハマった人間を批判しすぎる。 具体的な例をあげ、人を批判する。 段々悪口を読んでるような気分になって かなり気分を害しました。 人を慰めたり深い心を読み取りアドバイスするのは、信頼関係があっての上だ。 と書いてあるのに、どんな相手が読むかも分からない本に特定の人物を書き、心を分かったようにズケズケとキツい言葉で分かったようなことを書く。 矛盾してると思ったし、それを書いたところで読み手はどうしたらいいのかと前を向けない書き方。 これを読んで心理学が大嫌いになりました。 この本は悩める人を作り悩ませ結果解決も分からまま、沼に埋めるようなものです。 それを書いたあんたが一番不味いんじゃないかと怒りを買いました。 投稿日時 - 2014-01-09 21:31:55 こんにちは、私も一人の著者の本を集中して読んでいたことが あったので回答しました。 結局本だけを参考にしても実際はそれまでの自分の経験でその本の内容 を読み砕く訳で、書いてある内容は新しいことだから完全に理解することは 難しいのではと 私も自己啓発書とかNLP等色々な本を読み自分なりに実践しました。 しかし、ある意味ただの常識はずれ人間になっただけでした。 よく考えて出た結果が、もともと常識があるのにそれを変えるということは 非常識になるわけです。 書籍をよんで行動を起こすことはかなり危険だと思いました。 ですので心理学等の本は一線置いて接した方が良いと思います。 一見もっともそうなことを書いてあり納得してしまいそうになると言う 質問者さまの一度疑って見る考えはとても大事だとおもいます。 本は小説等をよんで楽しむ程度でいいんですよね。 投稿日時 - 2010-07-04 18:25:07 個人的感想ですが、一応家にあったけっこう前に書かれた加藤先生の本をもう一度読んでみたのですが、かなり自己体験からの親離れの心理は説いているように思えました。 「父のおもりをしていた」「あまりにも恩着せがましい父親だった」「私が親離れのためにしたことは・・・」など自分の父親との感情葛藤からの自立のことがよく書かれていました。 ただ個人的に違和感を覚えるのは、自分の母親のことがあまり書かれていないことです。 (一般化としては書かれていますが) そして一般的に父親の問題と母親の問題が同列な扱いでつづられています。 父親の問題と母親の問題では子供にとっての扱いがたぶん大分違うと思うのですが、どうなのでしょうか?(特に男は) たとえば、「まず自分を大切にすることである」と本にありましたが、根源的に母親との関係が異常だった人はとても自分を大切になど思えないと思うのですが、そこをすらっと書けるのは、母親との関係が先生は安定していたからではないかと、勘ぐってしまいます。 人間の否定的側面とか母親の異常心理などにもそうとう長けている方だなとは思いますが、母親が異常だったときの対処法がいまいちピンときません。 ぜひ母親との問題、たとえば母親との共依存からどう脱却するかとか、(私自身のテーマですが)について、限定してまた書いていただきたい。 太宰治とかどうしても社会とうまくなじめず、精神的に苦しむ人たちの問題は、相当数母親との問題ではないかと思っています。 そして相当数自分の力で道を切り開けず悩んでいるのではないかと思います。 投稿日時 - 2010-06-25 00:32:03 2点。 どんな本も、人のアドバイスも、過剰に依存しすぎるといいことはありません。 いいと思えば取り入れる。 違和感があれば、やめる。 反対意見なら、反面教師とする。 そういう、是々非々の態度こそ健全ではないかと。 なので、個人をいいか、悪いかの議論は無意味です。 人によって違うからです。 専門家か専門家でないか?これを、大学を中心とした研究機関で、論文を書いたか?教授になったか?で判断するのは、古い権威主義です。 心理学とはなにか、について定義を述べられる方もおりますが、そんなものに、いちいち従う必要はないと思います。 専門家ではなくても、心理的なことについて、書いたり、話したり、カウンセリングをしたり、する人はいくらでもいます。 いいかわるいかは、やはり自分の判断が重要だと思いますよ。 私自身は、自分が落ち込んだ時、その整理をして、自分を客観視するには、よいアドバイスがたくさんあるが、ネガティブすぎたり、それを乗り越えてどう生きるかにつていの指南は少ない。 落ち込んだとき少し読んで、元気になったら忘れる。 その程度の認識です。 投稿日時 - 2010-06-16 09:35:37 自分は心理学のプロではないですし、素人の一読者として加藤諦三氏の書籍を読んだ意見を述べます。 まず著作を読んで、この人は自分で自分を傷つけてしまいやすい感受性を持っているのだと思いました。 著作の多くは人間なら誰しもが経験することをこの人独特の感受性で解釈し、それをこの社会にありふれた不幸とリンクさせているものが多いです。 その為、視野の狭い読者が読んだ場合、著者の理論はあくまで仮説であるということが見えにくくなり、著者と同調して他人や自分自身を責め傷つけてしまいたくなる。 彼の著作の多くがそういう構造になってしまっています。 加藤氏は、人間が自分の苦しみの原因を特定しそれを自覚することで不幸な境遇から脱することができると考えていますが、それは完全な仮説であり根拠のあるものではありません。 彼がそのような仮説に執着しているのは、恐らく自分の話を誰かに聞いてもらいたいという欠乏感から同じ様な内容の本を何度も書き連ねてそれを満たそうとしてしまうからなのでしょう。 著作には、自分や自分と同じ悩みをもつ誰かを救いたいと謳いながらも、恨みつらみのように自分の不幸の「原因」を書き連ねているものが非常に多いです。 本のラストページまで読み終えても精神論や根性論に終始し一向に具体的な解決策は述べられません。 実際に著者本人に他人を救いたいという意識はあるのでしょうが、このような行為は救いにはなり得ないと思います。 では何がこの加藤諦三氏と、その読者が求める救いになるのか? 私の場合は加藤氏の中にその答えを見出すことはありませんでしたが、自分の人生経験を通して分かったことがいくつかありますのでここに挙げたいと思います。 ・不幸の原因をこれ以上特定しても無意味だと知る。 ・自分だけが辛い、不幸、恵まれていないと思うことを止める。 ・他人に関心を持ち、理解しようとし、一方的な解釈による決め付けや批判をしない。 ・自分!自分!と自分の事ばかり考えず、自分の事は一旦「忘れて」他人の幸せを願い行動する。 人間は皆が皆平等に恵まれた条件を与えられて生きているわけではありません。 加藤氏のクセや人間心理に対する考察に対して批判したくなる気持ちもあるかもしれませんが、彼もまた条件に恵まれなかった一人であり、至らないところはありますから大目にみてあげて下さい。 3の方がおっしゃるように彼の本は心理学とタイトルがついてはいますが、内容は彼の訴える人生訓についてまとめたものがほとんどです。 いわば加藤さんが考え出した、加藤さんの中における"心理の学問" なのだ、的ニュアンスでしょうか。 心理学者の経歴がなくても、その人が自分の人生を振り返り、その体験談やら日頃の心がけやらを本にしたいと思い「経営の心理学」とか「成功の心理学」とか何とかいうタイトルで本を出すということはよくあります。 その考え方によって多数の人が感銘を受けるとか、今まで気づいていなかったことに気づくとか、 とにかくこの本は売れそうだとか思ったら出版社は出版します。 いわゆるその手の自己啓発本はすでにごまんとあります(内容に感銘を受けて、著者のプロフィールを見てみたら、心理学者でものなんでもなかったとか)。 質問者さまの指摘されているように心理学の専門家が自分の専門分野を「心理学」とだけ書くことはまずありません。 過去にも質問者さま以外の方が同じようなことを疑問に思い、質問しています。 投稿日時 - 2010-06-14 12:01:12 まず、心理学という学問上の問題においては記述には問題が多い点が多々散見されるのは事実です。 あくまでも彼の訴える人生訓と言ったものであるのが事実だということです。 心理学という学問上においても記述は正確ではありませんし、哲学という学問上においてもカテゴライズが難しい。 彼独自の体系というのが正確な把握だと思います。 内容的にはある程度の説得力があり。 ある程度の筋は通っています。 変に理屈っぽい部分が多いですが変に宗教じみてないし、とても前向きで比較的現実的な人生訓のようなものだと思います。 どのような学問体系でも絶対的に正しい学問体系というものは厳密に言えば現実にはありません。 とくに心理学、哲学といった人文学分野においては、千年単位での歴史があるのに未だに数学の体系のような、明確な方程式がみつかっていない状態です。 それは当たり前のことでしょう。 彼の言葉には彼の体系があり、彼なりの説得力を提示しています。 それでいてある程度の独自性もあります。 彼の本を読んで、同意したり、疑問に思ったり、勇気づけられたり、自分は異なった意見を持ったり。 そういったプロセスを経て、あなた自身の体系をあなたが作り上げるよう努力してみてはいかがでしょうか。 どんな本でも踏み台にして、糧にして行くべきでしょう。 加藤さんの本はいわゆる、自己が確立できない、自立が出来ない人が、それでいてうまく現実に適応出来ない人が、読んで、わかりやすく明快に書いていますし、いい本も多いと思います。 ある人の本をすべて正しいと思って盲信したり、部分的に精確で無いから全否定したりする態度ではどんな本を読んでも自身の成長は無いでしょう。 また、人が精確で無いと言うから適当に距離を置いて本を読む態度でも自身の成長は無いでしょう。 私も過去、多くのあまり良く無い本に騙されてきた経験がありますが、無駄では無かったと思います。 何故なら自分なりにいい本と悪い本を区別出来るようになったから。 信用するか否かはあなた次第です。 ただ、加藤さんの本は多くの方に支持を受けていますし、社会的評価もあるので、ある程度の信用はしても構わないとは思います。 私的には彼の本よりも論語を読んだ方がためになると思いますが。 投稿日時 - 2010-06-12 05:31:56 youtubeでこの人の人生相談の一つを聞いたことがある。 ある女性の相談。 自分が教師をしており、夫は調理師の免許を持っているが主夫をしており、一般の夫婦と役割が逆転している。 夫が息子を育て家庭を守り、自分が外で稼いできたそうです。 その相談者の話し方はどうも高飛車に感じていたら、やはりコメンテーターも「あなた いつもそういう喋りか方をするんですか」と聞くと「そうですよ」とそれが何か?といわんばかりだった。 本人はその喋り方が他人に不快感を与えていると気づかないでいるようだった。 相談は息子が家庭内暴力をし、家のものを破壊し、マンションを乗っ取って鍵をかけてしまい、入れなくなったので、息子からどうやったらマンションを取り戻せるのかという相談。 聞くと息子は主夫である夫に対して暴力をしていたそうです。 怒りだな と私は思った。 「父親は外で稼いで家で威厳を持っているもんだろう うちはそうじゃない。 頼れる強いリーダーが不在」ということで、父親に「しっかりしろ」と訴えたくて暴力をふるっていたのだと私は思った。 この家の強いリーダーはこの高飛車な喋り方をする外で生活費を稼いでくる母親。 普通じゃない、と 息子はいらだっていたのだと思う。 コメンテーターは「何が原因だと思います?」と相談者にそっと促す。 「母源病って言いたいんでしょう? 私は勉強しており加藤さんの本を沢山読んでいるから知ってます」と言った。 それを聞いて「んーー」と私は思った。 頭でいくら知識があり知っていても、それを身に取り入れないと、本当に知っているとはいえない。 テストで正解を書いてもやることがそれとは違っていたら、本当に知っているとは言えない と。 母源病とは違う原因。 役割の逆転、家庭が機能不全なのが原因、強い信頼できるボスが不在なのが原因で息子が凶暴化してしまったのだと思った。 で、この相談者は役所とか警察とか弁護士とかあらゆるところに相談してきたのだそうです。 困ったときは公的機関に相談するのが適切なやり方と教師であるわたししは知っており、あなたに言われなくても既にやっておられます わたくしは ってわけです。 んーーー もっとも重要なことはやらず、他のみやっている。 もっとも重要なこと それは夫を立てること。 家庭の機能を回復させること。 夫の役割を奪わないこと。 と思って聞いていたわけですが、、、この相談者 他人に意見は聞く耳持たずとばかりに、加藤さんを圧倒的威嚇をしたあげくにガチャンと電話を切った。 「他人とコミュニケーションを取れない人は」と加藤さんの一言コメントがその後流れた。 そう この相談者、他人の存在を許さない人、独善的 1人で全部やってみんなを支配してやろうとしている。 そのために他人とコミュニケーションを取る必要は無いと確信している。 なんでもかんでもやり、他人の分までやってしまうってのは愛じゃない、支配だ。 電話を切られなければ加藤さんは、「あなたには愛が無い」と言い切り、「どうしてですか 息子の望むものは買ってやってきたし、働かない夫にかわって文句もあまり言わず私が稼いできたのに、これが愛ではないとしたら、何が愛なんですか。 」となって「それは愛じゃない あなたは強奪者だ 支配者だ そんなところに愛は芽生えない、他の植物が生えることを許さない不毛の大地があなたなんですよ。 豊かな大地はいろいろな植物を育てるものです。 あなたが人を育てる、人の存在を許す大地になれば、あなたの家庭に愛は生えてきます」と言ったんじゃないかと。 加藤さんの場合、日本に少なくなった威厳ある父性だと思います。 その父性の存在を許さないと、集団から規律が消え混沌とした世界になっちゃいます。 そういう父性の消えた社会は、やがてこの相談者の家庭のようになってしまうと思います。 投稿日時 - 2010-06-10 08:10:05 私も貴方と同じ事を感じている一人です。 専門家ではありません、素人ですが、人間の心や精神や魂というものの一面のみから、全体を把握していると装っているように書いてありますが、本当の全体を把握していなくて、子供の時の体験が人間の全てを作っていると言う解釈している感じがします。 人間の心や精神や魂の問題の専門家を自分で言うならば、もっと自分自身や、人間の心をもっと、もっと深く掘り下げた考察が欲しいと感じています。 心の問題を扱う場合、精神分析という一面と、個人心理学という一面と、実存分析という哲学や宗教に近い方面からのアプローチをしない限りは『全体像』は把握できないと思っているものの一人です。 彼の視点には『人はパンのみにて生きるものにあらず』という視点と人間の生きる本当の動機というものと行動する人間の衝動性に付いても考察がかなり偏っていると憶測できます。 地位や名誉をどうして人間は求めるのか?地位や名誉だけで人間の心は本当に満たされるのか?そうして本当の幸せとは何であるのかという考察や視点を一切していないところが、読んでいても素人の私でも逆に日本の『心理学』の未熟さにユーモアさえ感じます。 あの人を舞台に上がらせて只本が売れてゆく事をよしとしているマスコミの幼稚さや、日本の精神衛生の暗い未来を危惧している一人です。 投稿日時 - 2010-06-08 07:51:41.

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