ユカタン 半島 地図。 【メキシコ・ユカタン半島】マヤ遺跡おすすめ3選☆

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ユカタン 半島 地図

ユカタン半島 遺跡巡りの旅 カンクン ユカタン半島 遺跡巡りの旅 2012年1月31日〜2月24日 ユカタン半島周辺図と旅行ルート(遺跡マークをクリックするとその記事に飛びます) メキシコ南部、カリブ海に突き出したユカタン半島は、古代マヤ文明が栄えた遺跡の宝庫。 今回の遺跡巡りの旅は、メキシコ最大のリゾート地であるカンクンを起点に、ユカタン半島を時計回りに巡りました。 また、途中、未開のマヤ遺跡が数多く眠るベリーズを訪れました。 遺跡巡りの旅 目次 第1回 旅の起点 カンクン カンクンは、すでに日本でもかなり知られた、メキシコ最大のリゾート地です。 カンクンの魅力はいろいろとありますが、最大の魅力は約20キロもの長さがある美しいビーチでしょう。 ただし、この長いビーチのどこでも美しいかといえば、そうではありません。 カンクンのビーチは、大まかにいって外海に面したビーチと湾に近い形になっている部分に面したビーチに分けられます。 外海に面したビーチの海は波は高いのですが明るいブルー色でものすごく綺麗です。 ここにあるホテルはほとんどが高級で、オールインクルシブ・タイプのホテルも多いのです(下写真)。 オールインクルシブというのは、宿泊だけでなく、食事、飲み物、サービスがすべて込みの料金になっているもので、宿泊客はホテルにいる限りお金を持つ必要がないのです。 一方、湾に面したビーチも中海と外海をつなぐ川のような部分を境に、外海側とダウンタウン側に分けられます。 ダウンタウン側は波がほとんどなく、海藻がたくさん溜まるために海は黒っぽくてきれいではありません。 私が泊まったホテルは、このビーチの最もダウンタウン側に位置していましたが、ビーチは狭く、両隣にボートの係留場がありました(下写真)。 カンクンに泊まるなら、できるだけ外海側、あるいは外海に近い場所にあるホテルを選んだほうがいいわけです。 マヤの遺跡は、このカンクンにもあります。 外海ビーチに並ぶ高級ホテルに囲まれて、ひっそりと立つのが「Templo de Alacran(さそりの神殿)」です。 ビーチを見下ろす高台にあることから、監視所のような役割を持っていたと推測できます。 ちょっと見ると、ホテルの敷地内にある壊れた建物のように見えますが、ここは政府が管理している場所で、「ここに入って何かあってもホテルは責任を負わない」という注意書きがありました。 小さな遺跡ですが、ここから見るカンクンビーチの景色はなかなかいいので、カンクンに行く機会があれば立ち寄ってみてはいかがでしょうか。 カンクンのビーチを望む高台に建つマヤの遺跡「Templo de Alacran」 ユカタン半島一周の旅は、ここカンクンから始めます。 ルートとしては反時計回りを選ぶ人が多いと思います。 それは、カンクンの西にユカタンで最も有名な遺跡であるチチェンイツアや、遺跡巡りの基地として賑わうユカタンの主要都市メリダなどがあるからです。 しかし、今回、私はカンクンの南に位置する遺跡群を巡るのを主な目的としているため、時計回りを選びました。 まず、最初に訪ねるのはカンクンからバスで3時間ほど南下した場所にある「トゥルム遺跡」と、そこから東に約1時間程の所にある「コバ遺跡」です。 トゥルム遺跡の近くにあるトゥルムという街まで行くため、ダウンタウンにあるバスターミナルに向かいました。 ADOというバス会社が1等バスを運行しており、これを利用すると、早く、快適な旅ができるのです。 ADOのバスターミナル。 チケット売り場には行列ができていることが多い上に、多くの客が販売員と相談しながらチケットを買うため時間がかかる。 当日のチケットを買うなら早めに出かけたほうがいい。 Copyright 2019, K. Norizuki. all rights reserved.

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Contents• *メキシコ入国時パスポート:入国時点で残存有効期間が滞在日数以上必要。 *メキシコ入国は簡単で機内で配られる書類をパスポートに挟んで入国管理官のところへ。 *質問されたのは「観光できたのか?」だけだった。 *書類の半片を返してくれるので無くさないように。 *出国時にその半片の書類が必要。 *出国時のパスポートコントロールはなく手荷物検査の手前でその半片の書類とパスポート搭乗券のチェックのみ。 メキシコ両替事情 *日本からはUSドルを持参がベスト。 (一部の両替所以外は日本円の取り扱いはない) *メキシコシティーの空港で現地通過にある程度両替しておくことをお勧めする。 後で足りなくてトゥルムやメリダでも両替したがメキシコシティー の空港のレートが一番良かった。 メキシコシティー空港の到著ロビーに両替屋が並んでいる(写真下)。 私は早朝に到着したが既に両替所は沢山開いていた。 レートが表示されているので一番いいところで並んで両替を。 100ドル紙幣ならこのレートだが20ドルや10ドル紙幣なら少し悪いというのがあるらしいがとにかく空港のレートが一番いい。 <メキシコシティー空港の両替所> 筆者撮影 写真下は両替所のレート。 1ドルがいくらになるかが書いてあるので数字が多い方がレートがいい。 2種類あるのは売りと買いの値段。 <メキシコシティー空港の両替所> 筆者撮影 *地方都市はホテルでも両替え出来なかったしメキシコシティー空港のヒルトンホテルでさえも両替できなかった。 *ドルで受けてくれるところはレートが非常に悪かった。 ということで現金があった方が便利で通過価値も高いのである程度両替えして置きましょう。 *もちろんクレジットカードも使えますが小さなお店や露店は不可。 *クレジットカードでキャッシングする方法もいいと思う。 *クレジットカードを利用するのは大手ホテルなど信頼のあるところのみにした。 目安の料金を書いておく。 ホテルのメイドさんやレストランなどの人たちの収入が大変低くチップは彼らの生活の大きな一部なので払ってあげましょう。 *トイレットペーパーは流さない(ある程度のホテルの客室などは大丈夫だが横に大きなゴミ箱などがある場合はそちらへ。 管が細くつまってしまう。 *トイレットペーターを少し手元に持っておくといい=ユカタン半島のトイレ事情は悪くまず綺麗では無く便座がない、トイレットペーパーがない、手を洗う水が出ないもあった。 メキシコ旅行持ち物あったらいい物 *日除け帽子 *日焼け止め *虫除けスプレー *貴重品袋(腹巻型や首からかけるタイプ) *手の除菌アルコールの携帯用。 *リュックやポシェット型のバッグ(遺跡観光は両手が空く方が写真を撮ったりが便利) *バックパッカーならトイレットペーパーをロールごと少し持ってきてもいいかも。 旅の記録ーメキシコ・テオティワカンとユカタン半島の旅の記録 1日目メキシコシティーへ 私はマドリード発イベリア航空メキシコシティー 行き23:55分発. 12月24日の23時55分発のイベリア航空、キャンセルされないか本気で心配したけれど予定通り出発。 夜中は南米行きのフライトが中心だった。 筆写撮影 ラウンジで少し休憩眠ってしまわないようワインも少し控えめにした。 メキシコシティー 行きイベリア航空6409便は予定通り出発 機材はエアバス340、ビジネスクラスは窓側1列、中央2列で快適だった。 イベリア航空ビジネスクラスの機内ギブアウェイにスリッパなしでした。 筆写撮影 大西洋の上を飛び約12時間でメキシコシティー、ニューヨークの上空をかすめて南へ降っていった。 筆写撮影 メキシコシティー入国も出国も簡単だった メキシコシティーの入国も出国も非常に簡単だ。 メキシコシティーに到着して飛行機を降りたら人の流れに従い移動していく。 通路の上の警察のマークや荷物のマークに従って進んでいく。 (出発はパスポートコントロールさえ無かった) <メキシコシティー空港> 筆写撮影 メキシコシティーのパスポートコントロール=入国審査は外国人とメキシコ人に分かれていて外国人(日本人)はこれ=Extran jeros エクストランヘロの方に並ぶ。 <メキシコシティー空港ターミナル2到着> 筆写撮影 必要なのはパスポートと入国カードのみ。 半片を返してくれるので出国時に必要らしく大事に保管。 <メキシコシティー空港ターミナル2到着> 筆写撮影 荷物のところに行ったらもうすでにスーツケースは並んでいた。 <メキシコシティー空港ターミナル2到着> 筆写撮影 メキシコシティー到着してパスポート検査を受けて荷物のところへ人の流れのまま移動。 電車もバスもなく迷いようがない。 <メキシコシティー空港ターミナル2到着> 筆写撮影 税関は素通りで税関員と目も合わなかった。 そのまま到着ロビーの外へ出ていく。 *時によっては荷物をスキャンしたりスーツケースを開けることもあるようです。 <メキシコシティー空港ターミナル2到着> 筆写撮影 メキシコシティー空港「ヒルトンホテル」ヒルトン・エアーポート・メキシコシティー 合流するお客様が到着するまで私はホテルで休憩。 メキシコシティー空港ターミナル1にあるヒルトンホテル。 メキシコシティー空港のヒルトンホテルは空港ターミナル1の8番のゲート(写真下)横からエスカレーターで上に登る。 <メキシコシティー空港ターミナル2ヒルトンホテル> 筆者撮影 ホテルのHのマークの矢印(写真下)があるので目印にこのエスカレーターを上へ登る。 これさえ見逃さなければ簡単です。 <メキシコシティー空港ターミナル2ヒルトンホテル> 筆者撮影 エスカレーターを登るとヒルトンホテルのロゴが見えてきた。 <メキシコシティー空港ターミナル2ヒルトンホテル> 筆者撮影 エレベーターで3階で降りたらホテルロビー。 チェックインを済ませてお部屋へ。 両替はやっていません。 <メキシコシティー空港ターミナル2ヒルトンホテル> 筆者撮影 メキシコシティー空港ヒルトンホテル、ホテルはこのフロアーのみで写真下はホテル廊下。 <メキシコシティー空港ターミナル2ヒルトンホテル> 筆者撮影 部屋は質素だが充分快適で清潔。 コーヒーメーカーとアイロン、バスルームはバスタブはあるがお湯は貯められないようになっていた。 エコロジーか? <メキシコシティー空港ヒルトンホテルの部屋> 筆者撮影 コーヒーメーカーで早速いただきました。 <メキシコシティー空港ターミナル2ヒルトンホテル> 筆者撮影 洗面所は必要最小限のもののみ。 スリッパと歯ブラシは必要なら持ってきてくれる、と思う。 なんでもエコロジーで無駄なものはない。 日本の色々置いてあって全て使い捨てはやり過ぎなんだなと感じる。 筆者撮影 私は日本からのANAが着くまで休憩です。 2日目メキシコシティー市内観光 お客様と合流しメキシコシティーの観光へ出発。 空港から市内は約30分。 メキシコシティーの中心部はアステカ帝国の神殿があった重要な場所だった。 16世期にコルテスが征服後スペイン人たちが建てた建物が残る。 下写真は広場前で清めの儀式をする先住民。 20ペソだったので日本円で140円ほどでした。 モグサの様な香りの香でパタパタと身体中を清めて最後に螺貝で頭の後ろで音を出して終了でした。 <メキシコシティー、ソカロ広場> 筆写撮影 メトロポリタン大聖堂は1563年に着工し1681年完成。 スペイン人はどこにでも同じ物を建てるな、と思ったがそれは古代ローマ人も同じだった。 <メキシコシティー、メトロポリタン・カテドラル> 筆写撮影 内部はバロック装飾で飾られている テンプロマヨールはアステカ時代の都、ティノチティトランの中央神殿だった。 1913年カテドラルの裏側で地下へ続く階段が発見された。 さらに1979年に8トンある石像が発見される。 これをきっかけに発掘が始まりここがアステカ帝国のティノチティトランの中央神殿であることがわかった。 <メキシコシティー、テンプロマヨール> 筆写撮影 地下の遺跡は祝日で見学できず、残念。 メキシコシティー、シェラトンホテル・マリア・イサベル メキシコシティーの宿泊はシェラトン・マリアイサベル。 レフォルマ通り独立記念塔のすぐそばにあるアメリカンスタイルのホテル。 <メキシコシティー、シェラトン・マリアイサベルのロビー> 筆者撮影 部屋はツインのシングルユース。 <メキシコシティー、シェラトン・マリアイサベル部屋> 筆者撮影 メキシコはどうやらコーヒーメーカーやアイロン台などが標準でお部屋にあるみたいです。 部屋でゆっくりお茶を飲んだりできるのは嬉しい。 <メキシコシティー、シェラトン・マリアイサベル> 筆者撮影 ベッドサイドにはusb充電器が付いていた。 これはありがたい。 バスルームのバスタブはやはりお湯が溜められなくなっていた。 <メキシコシティー、シェラトン・マリアイサベル> 筆者撮影 今日はクリスマスでホテルのレストランは1カ所のみ営業、21時には閉まりますということでホテルの1階レストランで夕食。 働いている人がみんな陽気で親切で快適な滞在だった。 *今回一番心配したのがクリスマスや大晦日の食事事情だった。 旅行会社に問い合わせたがあまり明確な回答がなかった。 今日は12月25日だったのでレストランは1つだけ空いていて21時頃には閉まるとのこと。 これなら充分でした。 <メキシコシティー、シェラトン・マリアイサベル内レストラン> 筆者撮影 ワインはメキシコのワインを頼んだ。 なんと1597年創設されたワイナリーというカサ・マデロのワイン3V。 1597年ということはスペイン人が入植した頃に創設されたということ。 調べてみると南北アメリカで最古のワイナリーだそう。 <メキシコのワイン、カサ・マデロの3V> 筆写撮影 食後はホテルのバーでテキーラをいただくことに。 テキーラも色々種類があるらしくバーマンのお兄さんに勧められながら試した。 <メキシコシティー、シェラトン・マリアイサベルのバー> 筆者撮影 3日目テオティワカン遺跡と国立人類学博物館 メキシコシティーのシェラトンホテルの朝食。 朝7時からで朝食会場2カ所。 今日は2階のイタリアンレストランでいただきました。 <メキシコシティー、シェラトン・マリアイサベルの朝食レストラン> 筆写撮影 果物や野菜、メキシコ料理も揃ったビュッフェ <メキシコシティー、シェラトン・マリアイサベル朝食レストラン> 筆写撮影 果物が豊富なのは嬉しい、パパイヤは最高に美味しかった。 <メキシコシティー、シェラトン・マリアイサベル朝食レストラン> 筆写撮影 テオティワカン メキシコシティー から車で30分の距離にある遺跡。 テオティワカンは紀元前2世紀に建造されたメキシコ最大の宗教都市。 テオティワカンは謎の民族が作っていて8世紀に謎の滅亡をしている、アステカでもマヤでもない民族。 進んだ数学や天文学の知識を持っていた。 <メキシコ、テオティワカン> 筆写撮影 後にやってきたアステカ人たちは巨大なピラミッドを見て驚き「これは神が創ったに違い」ないと信じ彼らの神話の舞台にした。 アステカの言葉でテオティワカン=太陽の都市と呼ばれた、と言われていたが実は最近アステカの文字の解読が進みテオワカンと読むことがわかった。 テオワカンなら意味は神々の都市となるらしい。 <メキシコ・テオティワカン> 筆写撮影 写真下は月の神殿から太陽の神殿を眺める。 月の神殿の方が少し小高くなっていて雨が降ると水は向こうに流れ川に流れ込むようになっている。 真っ直ぐ南北に伸びる道路は東の方角に15度30分傾いている。 2017年に月のピラミッド前の広場から地下にトンネルがあることがわかっているがまだ内部には調査は入っていないという <メキシコ・テオティワカン> 筆写撮影 写真下は神官の住居跡でほぼ完璧に修復されている。 月の神殿で祭儀に携わった人物の家であろうといわれている。 <メキシコ・テオティワカン・ ケツァルパパトル宮殿> 筆者撮影 <メキシコ・テオティワカン・ケツァルパパトル宮殿> 筆者撮影 こちらはケッツアルコアトル神殿。 ケツァルコアトルは羽の生えた蛇を意味し。 *2003年の大雨でケツァルコアトル神殿の前の広場に穴が見つかりそこからつながるトンネルが発見された。 レーダーで調査をすると約20メートルの深さに100メートルほどの長さのトンネルがありケツァルコアトル神殿の真下まで繋がっていることがわかった。 そこから石像が見つかりさらに調査は進められ3つの部屋にヒスイや黒曜石トルコ石の奉納物がそして後ろ手に縛られた137体の人骨が見つかっている。 <メキシコ・テオティワカン・ケツァルコアトル神殿> 隠れたようにつくられたケツアルコアトル神殿は羽のある蛇の彫刻が周りに沢山あり神秘的な姿を間近に見えて独特なムード。 <メキシコ・テオティワカン・ケツァルコアトル神殿> *テオティワカン遺跡は広大でかなり歩きます。 日陰が少ないので帽子は必須 ランチはメキシコシティー市内のEl Fogoncito エルフォゴンシートは軽くメキシコ料理が食べられるチェーン店のようでこぢんまりとした店舗でタコスやスープがいただける。 タコスも色々な種類があった。 <メキシコシティーレストラン、エルフォゴンシート> 筆者撮影 前菜にソパデトルティージャをハーフポーションで <メキシコシティーエルフォゴンシート> タコスを2種類いただきました」。 <メキシコシティーエルフォゴンシート> ソルというビールは日本のビールに似た味だった。 <メキシコシティ、エルフォゴンシート> メキシコシティー国立民族学博物館 午後は国立民族学博物館へ。 メキシコシティーを訪れたら見逃せないポイントのひとつのモニュメント。 1964年に建設されたというから驚きだ。 メキシコ全土から集められた考古学的・民族史的な物で埋め尽くされた博物館はとても1日では堪能できない。 <メキシコシティー国立民族学博物館> 写真下はかつてのメキシコシティー 、アステカ帝国の首都の姿。 湖上に浮かぶティノチティトランから道が伸び街には市があり繁栄していた。 この上に今のメキシコシティー中心部、大聖堂などが造られている。 <メキシコシティー国立民族学博物館のティノチティトランの想像図> アステカカレンダーと呼ばれる巨大な円盤。 メキシコシティーの中心部の大聖堂の修復工事中に発見された。 <メキシコシティー、国立民族学博物館> マヤ室にはパレンケのパカル王の墓の複製。 墓自体は今もパレンケのピラミッドの地下に眠るがヒスイのマスクと副葬品はこちらが本物。 <メキシコシティー、国立民族学博物館> 発見された時はバラバラになっていた物を調査研究の末付け合わせた。 王の口の中にもヒスイ。 マヤではヒスイは最も高貴なマテリアルだった。 <メキシコシティー、国立民族学博物館。 この博物館にはトルテカ室やオアハカ室などに分かれていてそれぞれの文明の神殿や彫刻が展示されていて1週間くらいかけて回りたいと思った。 国立宮殿でディエゴ・リベラの壁画を見る メキシコシティーの歴史地区にある国立宮殿はアステカを滅ぼしたエルナンコルテスが自身の宮殿として作った建物。 コルテスはここにあったアステカの皇帝の居城を壊して建築した。 入場にパスポートなどの身分証明書が必要 <メキシコシティー、国立宮殿ディエゴリベラの壁画> 宮殿の正面階段壁面にディエゴリベラが10年をかけて描いたメキシコの歴史が描かれている。 <メキシコシティー、国立宮殿ディエゴリベラ壁画> 夜はホテル近くのショーがあるレストランへ。 マリアッチや踊りなどを楽しみながら食事をした。 ショーの料金は少額で食事代で楽しめ、見に来ていたのは地元のメキシコ人ばかりだった。 <メキシコシティーのショーレストラン> 4日目メキシコシティーからビジャエルモサ〜ラ・ベンタ野外博物館〜パレンケ 今日はユカタン半島へ移動。 メキシコシティー・ベニートファレス国際空港へ。 市内から空港は約30分ほどで到着。 アエロメヒコは空港ターミナル1から出発、チェックインを済ませ待合室へ。 <メキシコシティー空港ターミナル1> AM507、10:05発約1時間30分でビジャエルモサ空港到着。 機内サービスは無料の飲み物。 <ビジャエルモサ行きアエロメヒコの機材> ラ・ベンタ野外博物館 ここはタバスコ州、ビジャエルモッサ空港から20分ほどでラベンタ野外博物館に到着。 元々はメキシコ湾岸地帯で発見されたオルメカ文明の遺跡でそのあたりに油田が発見され破壊されていく遺跡を守るためにここに移動した。 <メキシコ、ユカタン半島ラ・ベンタ野外博物館> オルメカ文明は紀元前1200年頃から紀元前後に栄えた文明。 アメリカ大陸でも初期の文明。 への字の口が特徴だが人間とジャガーの融合だという。 ジャガー信仰や球技など後のマヤ文明に影響を与えているという。 <メキシコ、ユイカタン半島ラ・ベンタ野外博物館> オルメカというのはナワトル語で「ゴムの人」という意味。 巨石文明が有名だが沼地に巨大な石をどうやっては運んだんだろう。 写真下は猿、上空を見ているように見えるが実際は建物の上に水平に置かれていた。 <メキシコ、ユカタン半島ラ・ベンタ野外博物館> 軽く食事の後ビジャエルモサからパレンケは車で144キロ約1時間30分の距離。 到着後パレンケのホテルへ。 筆写作成 パレンケのホテル パレンケはブティックホテル・ピエドラ・デ・アグア、直訳すると「水の石」と言う名前。 小さなブティク・ホテルで森の中というかジャングルの中にある素敵なホテルだった。 <メキシコ・パレンケのホテル・ピエドラデアグア> 筆者撮影 まわりはジャングルで朝はどこからか動物の声が聞こえてくる。 ジャガーがいるのかもしれない雰囲気だった。 <メキシコ・パレンケのホテル・ピエドラデアグア> ホテルにレストランがないので夕食は歩いて2分の隣のレストランでピザで終了。 5日目パレンケの遺跡〜チカンナ ホテルの朝食は7時から。 果物とパンの簡単な朝食だったけどとっても美味しかった。 お手製のチョコのペーストやジャムどれもとても美味でした。 <メキシコ・パレンケのホテル・ピエドラデアグアの朝食> 筆者撮影 パレンケの遺跡へ ホテルからパレンケの遺跡は車で10分ほど。 ジャングルの中、チャパス州に位置するパレンケは7世紀に最盛期を迎えた都市の遺跡。 メキシコシティー国立人類学博物館で見たパカル王の墓はここから見つかった。 <メキシコ・パレンケの遺跡> 紀元前からあった都市らしいが最も栄えたのは7世紀頃のパカル王とその息子の時代。 写真下は碑文の神殿。 この中からマヤ文字が刻まれた石板が600個以上発見されたので碑文の神殿と呼ばれる。 <パレンケ碑文の神殿> 筆者撮影 碑文の神殿の床のくぼみから穴を発見したメキシコ人考古学者が約3年間かけて瓦礫を取り除きトンネルを下へ下へ掘っていきパカル王の墓を発見した。 <メキシコ・パレンケの遺跡> 隣にあるのが赤の女王の神殿で中から赤く塗られた女性のミイラが発見されている。 発見当初はパカル王の母ではないかと言われていたが近年のDNA調査の結果パカル王との血縁関係はないことがわかっている。 ならパカル王の妻か?パカル王の息子の墓が見つかればさらにDNA調査ができるが期待が膨らむのみだ。 <パレンケの赤の女王の墓> 筆者撮影 宮殿と呼ばれる建物にはお風呂や天文台があったようだ。 <メキシコ・パレンケの遺跡、宮殿> 筆者撮影 遺跡から降っていく道に住居跡や滝があって20分ほどの下の散策は探検隊になった気分で楽しかった。 <メキシコ・パレンケの遺跡> パレンケからチカンナは356キロ5時間ほどの距離。 <メキシコの地図、パレンケからチカンナ> 筆写作成 途中のドライブインで休憩。 ハマイカという飲み物を試した。 ハイビスカスのお茶に色々混ぜた飲み物で健康にいいという。 <メキシコ、ユカタン半島の旅、ハマイカという飲み物> 筆者撮影 チカンナ・エコ・ロッジ ここもジャングルの中に作られていて2階建てのバンガロータイプで自然の中にいる爽快さがうれしい。 <メキシコ、ユカタン半島チカンナエコロッジ> 筆者撮影 <メキシコ、ユカタン半島・チカンナ・エコロッジ> 筆者撮影 お部屋はシンプルだが快適でした。 バスルームはシャワーのみ、置いてある物はエコロジーな感じ。 <メキシコユカタン半島・チカンナ・エコロッジ> 筆者撮影 <メキシコユカタン半島・チカンナ・エコロッジ> 筆者撮影 ジャングルの中で周りに何もないのでロッジの中に一軒だけあるレストランで夕食。 お食事は期待していなかったけど美味しかった。 <メキシコユカタン半島・チカンナエコロッジ> 筆者撮影 サラダと海老の煮込み、ジャングルの中でこんなに美味しい物を頂けるとは思っていなかった。 <メキシコユカタン半島・チカンナ・エコロッジ> 筆者撮影 6日目チカンナ連泊ーバランク遺跡、チカンナ遺跡、べカン遺跡 朝食は7時から、いつも朝食は一番に行くので誰もいないのだが今日は既に待っている人たちがいた。 早い出発の人たちはどこまでいくんだろう。 <チカンナ・エコロッジ朝食> 筆者撮影 ヨーロッパ人のツアーなのか家族旅行なのか15人くらいのグループがいた。 朝食は毎日パパイヤなど果物が豊富で美味しい。 <チカンナ・エコロッジ・朝食> 筆者撮影 今日は小さな3つの遺跡バラムク遺跡、チカンナ遺跡、ベカン遺跡を回る。 バラムク遺跡 バラムクはマヤ後でジャガーの家を表すという。 <メキシコ、ユカタン半島バランク遺跡> 筆者撮影 この遺跡が有名になったのは1990年に発見された漆喰彫刻。 マヤの中でも最も綺麗に保存されている物という。 <メキシコユカタン半島、バランク遺跡> 筆者撮影 <メキシコユカタン半島、バランク遺跡> 筆者撮影 <メキシコユカタン半島、バランク遺跡> 筆者撮影 チカンナ遺跡 蛇の口の家という意味だそう。 小さな遺跡だった。 <メキシコユカタン半島、チカンナ遺跡> 筆写撮影 入り口からジャングルの中をしばらく歩いていく。 <メキシコユカタン半島、チカンナ遺跡> 筆者撮影 写真下はリオ・ベック様式の壁面装飾。 雨の神チャックがいる。 <メキシコユカタン半島、チカンナ遺跡> 筆者撮影 写真下は蛇が大きく口を開けているようなデザインの宮殿。 <メキシコユカタン半島、チカンナ遺跡> 筆者撮影 ベカン遺跡 <メキシコユカタン半島、べカン遺跡> 筆者撮影 べカンはカラクムルの衛星都市だった。 規模の大きいピラミッドがいくつかあるが小さな遺跡だ。 ここは周りに掘りがあり他に例がない。 最初の頃は防衛の為と思われていたが現在では雨季の水の氾濫をコントロールする治水の為と考えられている。 <メキシコユカタン半島、べカン遺跡> 筆者撮影 しばらくジャングルを歩いていくと建造物が見えてくる。 ここの建造物の特徴はリオベック様式。 <メキシコユカタン半島、べカン遺跡> 筆者撮影 7日目チカンナ〜カラクムル遺跡〜バカラルへ 昨日いたヨーロッパ人のグループは出発してしまったのか今日は静かな中の朝食。 やっぱりパパイヤをいただきます。 <メキシコユカタン半島・チカンナエコロッジ> 筆者撮影 カラクムル遺跡があるジャングルの保護地区まで車で15分、そこからまだ30分ほど車で移動して遺跡の入り口。 <メキシコ・ユカタン半島・からクムル遺跡> 筆者撮影 まだそこから30分ほど歩いてやっと遺跡が見えてきた。 チューインガムの会社がガムの木を探していてたまたま見つけたらしいがジャングルの中に巨大都市空間。 いまだに発掘されているのはほんの一部だけだ。 <メキシコ・ユカタン半島・カラクムル遺跡> 筆者撮影 ピラミッドに登ると遠くまでジャングルが見渡せて向こうにピラミッドが見える。 この中にジャガーが4000頭くらい生息するらしい。 <メキシコユカタン半島・カラクムル遺跡> 筆者撮影 ジャングルに飲み込まれている遺跡や埋もれたピラミッドがあちらこちらにある。 遺跡のマヤ文字や彫刻が削り取られていて痛々しい。 <メキシコユカタン半島・カラクムル遺跡> 筆者撮影 遺跡のすぐ外のホテルでランチ。 建物がマヤの民家風で素敵だった。 <メキシコユカタン半島・カラクムル遺跡> 筆者撮影 カラクムルからバカラルは241キロ、車で3時間50分。 バカラル到着。 このキンタナロー州は時差が1時間、途中で時計を進めた。 バカラルのホテルMBH MAYA バカラルの街から数キロ離れたところにある新しいホテル。 湖の前にあって建物は3カ所に分かれていた。 レセプシオンは掘立小屋で館内電話はなく用事があったら携帯からかけてきてくださいといわれちょっとびっくりした。 <メキシコユカタン半島、バカラルのホテルMBH MAYA> 筆者撮影 綺麗な湖の前、湖の色が変わっていくのがお部屋から見えた。 <メキシコユカタン半島・バカラルのホテルMBH MAYA> 筆者撮影 <メキシコユカタン半島・バカラルのホテル MBH マヤ> 筆者撮影 お部屋は湖の前に面していて建物が3つに分かれていた。 ここものんびり長期滞在すると良さがもっとわかるだろうなあ〜。 建物の最上階にジャグージの設備とバーがあった。 <メキシコユカタン半島・バカラルホテル MBH MAYA> 筆者撮影 ホテル近くには何もないというか歩いてはとてもどこにも行けないのでホテルのレストランで。 別棟の小さな小屋のテラス席のレストラン。 英国人風の家族が食事をしていた。 <メキシコユカタン半島、バカラルのホテルMBH MAYA> 筆者撮影 7日目バカラル〜トゥルム遺跡〜コバ遺跡〜バジャドリ 朝食は昨日の同じ敷地内の小屋レストラン。 <メキシコユカタン半島、バカラルのホテル> 丁寧に果物をカットして出してくれました。 ホテルの人たちみんなとっても感じよかった。 今日はトゥルム遺跡とコバ遺跡の見学。 トゥルム遺跡はバカラルから200キロほど北へ、車で2時間20分ほど。 筆写作成 珍しく海の近くにある遺跡だ。 海を久しぶりに見た、カリブ海。 カンクンに近いこともあってビーチ客で賑わっていた。 マヤ文明末期に栄えた都市。 <メキシコユカタン半島、トゥルム遺跡> 後に行くコバ遺跡の主要な港として用いられた。 遺跡の横で海に入れるようでビーチに沢山人がいた。 <メキシコユカタン半島・トゥルム遺跡> トゥルム遺跡からコバ遺跡は47キロ約40分。 筆写作成 <メキシコユカタン半島・コバ遺跡> コバは600年から900年頃栄えた都市。 写真下h42メートルあるピラミッド <メキシコユカタン半島、コバ遺跡> 筆写撮影 遺跡の面積は非常に大きいようだが開放されているのはほんの一部。 内部はレンタサイクルや自転車の人力車で観光できる。 <メキシコユカタン半島・コバ遺跡> コバから今日の宿泊地バジャドリへは60キロ、車で50分。 筆写作成 バジャドリのホテルColonteコロンテ バジャドリで宿泊したホテル・コロンテは外から見たら民家のような建物。 今もユカタン半島の村にある藁葺きの家のような外観で建築家を含む仲間で始めたホテルだという。 <メキシコユカタン半島・バジャドリのホテルコロンテ> お部屋は質素ですがとてもセンスが良く小さなお庭がついていた。 虫がいそうで外には出なかったが。 <メキシコユカタン半島・バジャドリのホテルコロンテ> 内装も木が沢山使われていて日本の古い家屋にいるような安心感。 <メキシコユカタン半島・バジャドリのホテルコロンテ> 部屋の中にハンモックがかけてあったので広げてみた。 ゆかたんの人は家でもハンモックで寝るという。 <メキシコユカタン半島・バジャドリのホテルコロンテ> 今日は12月31日、意外と街のレストランも普通に営業しているところがあったが私たちはホテルのレストランで夕食にした。 9日目バジャドリ〜チチェンイツァ〜メリダ 朝、バジャドリの街を少しお散歩。 中心部はコロニアル調=スペイン人が入植してきた時に故郷のような街を作った感じでヨーロッパ的。 <メキシコユカタン半島・バジャドリの街並> 教会は閉まっていて入れなかった、1月1日なので初詣でもできたらなあと思ったが叶わず。 <メキシコユカタン半島・バジャドリの街並> ホテルの朝食は果物と卵や野菜、質素だったが丁寧で美味しかった。 <メキシコユカタン半島、バジャドリのホテル・コロンテ> 筆者撮影 バジャドリからチチェンイツァへ バジャドリからチチェンイツァは42キロ車で45分の距離。 筆写作成 途中セノーテへ、洞窟の中の透明な水が綺麗だった。 泳げるらしくすでにカップルが泳いでいた。 冷たいのかな? この辺りはセノーテが沢山ありセノーテ同士も繋がっていたりするみたいだ。 マヤ文明は大河のないところにできた珍しい古代文明と言われるがセノーテが大河の代わりをしていたのかもしれない。 <セノーテ> チチェンイツァもカンクンから来れるので人気のある遺跡だ。 詳しくは様々なところに書かれているので省略。 そのうちマヤの遺跡や文明の詳しいページを作りたいと思う日々。 <メキシコユカタン半島・チチェンイツァ遺跡> メリダ、ホテル・ハイアットリージェンシー メリダの北部、アメリカンスタイルのホテルやショッピングセンターが近くにあり便利で環境がいいところだった。 <メキシコユカタン半島・メリダ、ホテル・ハイアットリージェンシー> ロビーも広々していて快適なホテルでした。 <メキシコユカタン半島、ホテル・ハイアットリージェンシー> <メキシコユカタン半島、メリダ、ホテル・ハイアットリージェンシー> 筆者撮影 充電関係も枕元にUSBがあって申し分なし。 10日目メリダ連泊 ウシュマル遺跡 久しぶりに大きな街に宿泊、ホテルもアメリカンで大きなハイアットリージェンシーなので朝食もしっかりビュッフェです。 これだけ大きなホテルでも両替はやっていませんと言われた。 ホテルの迎えに両替屋があったので明日行ってみよう。 <メリダ、ハイアットリージェンシーホテル朝食> 筆者撮影 インターナショナルな物以外にメキシコ料理も日替わりで数種類あった。 <メリダ、ハイアットリージェンシーホテル朝食> 筆者撮影 果物も豊富だったけれど今までに比べると固かったり熟してなかったりで残念。 <メリダ、ハイアットリージェンシーホテル朝食> 筆者撮影 今日は日帰りでカバー遺跡とウシュマル遺跡へ。 カバー遺跡は小さな遺跡であまり人がいなくて空気が荒れていないというかとても良かった。 カバーは後に行くウシュマルと主従関係にあったという。 水が少ないところなので水の神チャックの彫刻が壁中に施されていた。 <メキシコユカタン半島、カバー遺跡> 筆者撮影 チャックの後ろに人物像。 おそらくここの王や支配者かも。 独特の手の形でまるで宇宙船を操縦しているようだとも言われているらしい。 カバーはマヤ語で強い手の男。 <メキシコユカタン半島、カバー遺跡> 筆者撮影 ウシュマル遺跡へ ウシュマルは700年頃から1100年頃に栄えた。 文字が残されていない為あまりよくわかっていない。 写真下は魔法使いのピラミッド。 遺跡に入るとまず目に入る巨大なピラミッドだ。 今まで見てきたピラミッドと形が全く違って曲線がエレガントだ。 実はこれは後ろ姿。 <メキシコユカタン半島、ウシュマル遺跡> 正面の方に回るとチャック、雨の神が沢山彫刻されている。 雨の少ないところなので大切にされたのかもしれない。 <メキシコユカタン半島、ウシュマル遺跡> 鳥の彫刻が珍しい。 後で亀も出てきた。 <メキシコユカタン半島、ウシュマル遺跡> 筆写撮影 11日目メリダ〜メキシコシティー メリダの市内から空港は車で15分ほどの距離。 空港は思ったよりは立派でお店やカフェなどが沢山。 <メキシコ・ユカタン半島・メリダの空港> <メキシコシティー・ フリーダカロ美術館 食事の後はコヨアカン地区でフリーダカロ美術館へ。 フリーダが生まれて生活をしてここで生涯を終えた家がフリーダカロ美術館になっている。 <メキシコシティー・フリーダカロ美術館> 筆者撮影 初期の作品やフリーダの子供の頃の写真、部屋や道具、衣装や寝室などが展示されていた。 ここでフリーダは病気になったり夫に裏切られたり立ち直ったりした。 <メキシコシティー、フリーダカロ美術館> フリーダカロの実際に使っていた道具が並ぶアトリエ。 <メキシコシティー、フリーダカロ美術館> 筆者撮影 ディエゴリベラの壁画館 ディエゴリベラのアラメダ公演の日曜の午後の夢という作品。 もともとこの作品はホテルのロビーに描かれていたものだが1985年の地震でホテルが壊れ壁画だけを守るためにここへ展示場を作り移動させた。 <メキシコシティー、リベラの壁画> 巨大な作品のなかにメキシコの著名人たちが登場しリベラやフリーダカロ、シケイロスなどが登場する。 <メキシコシティー、リベラの壁画> リベラの壁画博物館近くでは地元のセニョールたちがチェスをうっていた。 この辺の名物らしい。 穏やかな雰囲気の中でセニョールたちも話しかけてきたり写真を撮らせてくれたりしてしばらく交流したいムードだった。 あっちでもこっちでもチェスを打っている、人だかりができているところは接戦なのか友達なのか。 ホテルへ移動 夕刻、初日に宿泊したシェラトンホテルに移動して夜まで休憩。 ほんの数時間だけれどもシャワーを浴びてベッドで休みます。 初日に食事をしたレストランに戻ったら同じスタッフがいて何だか嬉しかった。 帰ってきたっていうか居場所があるって嬉しいものだ。 <メキシコシティーシェラトンホテル、レストラン> 夜中のANAのフライトに合わせて空港へ行きチェックイン。 ANAはフライトは夜中の01時出発で空港に22時頃に移動。 空港まで行けばANAの日本人スタッフがアテンドしてくれここからもう日本です。 その後私は再び空港のヒルトンホテルへ移動して休みます。 朝はホテルで朝食後空港へ、徒歩で移動できるのはありがたい。 イベリア航空のチェックインをしてマドリードへ。 チェックインの時に初日に返却された書類が搭乗券に付けられて保安検査でチェックを受けるのみ。 出国は至って簡単でびっくり。 飛行機が出発してから高い山が見えてきた。 メキシコシティー近くに5000メートル級の山があると聞いていた。 雪が積もっているみたい。 大西洋を再び超えてスペインへ帰っていきます。 メキシコとユカタン半島のマヤ遺跡の旅のまとめ 実はこの記事を書け上げるのにほぼ1ヶ月かかった。 マヤの遺跡は不明なところが多く調べようと思うと深みに入ってしまい最後にもうやめようかと思ったが自分の忘備録になるので書き上げることにした。 一度に沢山見たので記憶があやふやな部分もかなりあり是非もう一度ゆっくりいきたいなと思うこの頃。

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ユカタン半島の観光スポット9選【メキシコのリゾート地】

ユカタン 半島 地図

世界史選択の人!古代アメリカって勉強してますか?? おそらくほと〜んどの人が「え?古代っていえばメソポタミアじゃね?」「いや、中国っしょ」な感じだと思います そりゃそうですよね、古代アメリカなんて試験でもまったく.... いや、、、出るのです!!! 古代アメリカはセンター試験の2017年度、2016年度ともにでてきてます これで点数も4点、6点と差がついてしまうと足元をすくわれる、なんてもことも 今回は2018年度の試験でも問われてもおかしくない2つの文明を整理して、必ず結果にコミットさせる世界史をお伝えします その2つの文明とは• 「アステカ文明」• 「インカ文明」 これら2つです。 特にセンター試験では、もうええんじゃないか?ってほど各文明の特徴をミックスさせた正誤問題が毎年のように出題されてます 今一度各文明について、じっくりみていきましょーか! 世界史全般については以前にも書いてるので参照ください 関連: スポンサーリンク• アステカ文明とアステカ帝国 アステカ文明の場所:ユカタン半島 アステカ文明、明日テカーー!って無理やりおぼえておきましょう そして、場所は女の子の名前みたいな、ゆかたん!な半島が発祥の地です 以下の地図はアメリカ文明のすべてを握るといっても過言ではないくらい重要なもので、これと同じような地図がそっくりそのまま一昨年のセンター試験にでて、アステカとインカの場所の違いについて問われました アステカ文明は上!アステカ文明は上!!って唱えまくる! もう一度、アステカ上!アステカ上!アステカ上! はい、これで覚えられました、 アステカ文明の前のストーリー:マヤ文明 その前には巨人顔面の像で有名なオルメカ文明、太陽のピラミッドで有名なテオティワカン文明が栄えましたが、一応目を通しておこう!くらいで試験の出現頻度はそこまでは高くはありません 栄枯盛衰が謎に包まれてるテオティワカン文明が消滅した後、マヤ文明が興隆をみせました アステカ文明が栄えたユカタン半島に生きたマヤ人がすごいんです だって地球滅亡説のマヤ暦とかって・・占星術も栄えた証だってことですが、話は戻ってこのマヤ文明の特徴はというと... 二十進法• ピラミッド状の神殿• 精密な暦• 絵文字 があげられ、特に二十進法は前々回のセンター試験で出題されたので、 もうすぐむかえるセンター試験では暦や絵文字が狙われそうですね〜 アステカ帝国の都:テノチティトラン 北方から来たアステカ人にマヤ文明の存在はとってかわられ、 このアステカ人の都がすんごくよく出てきます・・それはテノチティトラン! どこかのRPGのモンスターにありそうな名前ですが、ぜんぜん街ですww 今のメキシコシティなので、難関大学受験する人は覚えておきましょう! アステカ帝国を滅ぼした人:コルテス スペインは大航海時代に繁栄し、新大陸のアメリカ大陸へ進出しました ちなみにこの時に、あのパイナップルが発見されました 関連: とまあ、新大陸の野菜(とうもろこし、じゃがいも、とまとなど)が見つかるわ、ポトシ銀山でわんさか銀がとれるわで、スペインの征服者(コンキスタドール)が乗り出しした 1521年、スペインの コルテスという人物とその遠征軍がアステカ帝国の都テノチティトランに進撃し、 都を落としてアステカ帝国が滅亡しました その時の残忍な虐殺の有様をスペイン人宣教師のラス・カサスが書とめ、『インディアスの破壊についての簡潔な報告書』として残っていますが、試験にも頻出ですし、真実をありのままに伝えるジャーナリズムの精神は大きな教訓でしょう スポンサーリンク インカ文明とインカ帝国 さあ一方で南の大陸、南米のインカ帝国にせまります アステカ帝国と必ず対になって問われるので、最後にまとめて整理しますね インカ文明の場所:ペルー アステカ文明のユカタン半島ではなく、今のペルーにインカ文明は栄えました 縦になが〜〜いところで、アンデス山脈が連なってることろですね、アルパカ! 必ずアステカ帝国との組み合わせで出題されるので、 インカ下!インカ下!! 引火したあああ!!! って覚えると、アステカ帝国はおのずと上になるので、まちがえません 二度見て確認すれば記憶の定着を促されるのでもう一度! 引火(インカ)した南米大陸!明日鉄火(アステカ)くうぞ魚べいで、いや北米で! これでもう忘れません、北はアステカ・南のインカです インカ文明の前のストーリー:チャビン文明 紀元前1000年、北部アンデス高地に、南米大陸最古の文明とされるチャビン文化が栄えていました これはインカ文明とは全く出自が異るもので、地下の神殿、石造建築物、彫刻、宗教施設的なものが確認されました 確認できる文明ではチャビンが最も有名ですが、南米大陸には小国家や小さな集落が無数にあったとされ、栄枯盛衰を繰り返していたとされます。 その中でもナスカの地上絵で有名なナスカ文明やティアワナコ文明などがチャビン文明の次に名が通ってます 、まあほぼ出題されません! インカ帝国の都:クスコ 今のペルーの南部の観光都市の クスコにインカ帝国の都がおかれました 注意点は、アステカの都のテノチティトランは今のメキシコの首都のメキシコシティですが、クスコはペルーの首都ではないという点! いや〜なひっかけ問題で出題されることもあるので、要注意! 出題者の性格よろしくないですな インカ帝国は太陽信仰の国で、皇帝は太陽の化身ともされてました あのチョコレートの原料のカカオもインカ帝国では神様の飲み物だでしたね 関連: インカ帝国の特徴いえば・・• 文字ではなく、キープ(結縄)の使用• クスコを中心とした東西南北への道路網• 皇帝、貴族が中心のピラミッド社会 なところでして、出題頻度でいえばキープがダントツでトップです インカ帝国といえばキープで覚えておけば問題なしです インカ帝国を滅ぼした人:ピサロ 滅ぼした人もミックスで出題されるのでアステカ帝国との違いを明確にしましょう いん 1533年、同じくスペインのコンキスタドールの ピサロによって滅ぼされました インカ帝国最後の皇帝アタウワルパの即位直後、ピサロとその遠征軍がインカ帝国に上陸し、ピサロは平和使節団と名乗る一方で皇帝のアタウワルパは警戒し監視し続けました そして、宣教師が皇帝へキリスト教へ改宗せよと命令を下して聖書を差し出しましたが、皇帝はブチ切れて聖書を切ってしまうことに。 そのタイミングと同時に武装したスペインの遠征軍は急襲し、皇帝を捕虜としました そして間もなく皇帝は処刑され、インカ帝国の滅亡となりました スポンサーリンク 最後にこのまとめだけは覚えよう センター試験では必ずミックスさせた正誤問題で登場します 最後にこれさえ覚えておけば2点は救われるってメモをのこします それはすご〜くシンプルで... アステカ帝国・北米・マヤ文明・テノチティトラン・コルテス インカ帝国・南米・チャビン文明・クスコ・ピサロ というもので、 帝国名・場所・古代文明・都・征服者の一致不一致を完全マスターしましょう 以上、地味にさり気なーく毎回登場するこの範囲。 試験直前にでもさくっと覚えれば数点確保の、おいしいプレゼントですおっおっ makoto-endo.

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