イブラヒム に じ さん じ。 エルサレムの安宿、イブラヒムおじさんの家

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イブラヒム に じ さん じ

自分自身に「やってみたらどうか」と言ってみたんです エジプトに生まれ、アレクサンドリア大学の医学部を卒業し、医師になったオサマ・イブラヒムさん。 当地で1年間の初期研修を終え、日本に来た。 誰も歩いていない道だから、面白いことがたくさんあるはずだ。 そう思ってチャレンジしたという。 オサマ 日本でアラブの人が医師になったという話を、私は聞いたことがありません。 それだからこそ、チャレンジしたいと思ったんです。 子どもの頃から空手を習っていましたから。 師範はよく、私たち弟子に日本という国がどんなところかを話してくれて、いつしか「日本に行きたい!」と思うようになりました。 エジプト南部のエドフ神殿にて(写真提供=オサマ・イブラヒム) 大学4年生のときでした。 イタリアのパレルモ大学に短期留学する機会を得たんです。 行ってみると、26カ国の医学生が100人集まっていて、そこに日本人がいたんですね。 すぐに仲良くなって、私が「日本に行きたいんです」と伝えると、その人は「日本に来たら、いろいろと案内しますから、ぜひ来てください」と言ってくれました。 これは行くしかないと思い、しばらくして本当に行きました。 観光で2週間ぐらい。 もう一つの目的は、この国で医療や医学の最先端を学ぶことができるか、働くこともできるか、私なりに調査することでした。 私はそれまで、医師免許を取ったら米国に行こうと思っていました。 それが、この旅行で考えが大きく変わりました。 日本は、米国よりも良いかもしれない。 医療技術に関しては、最先端のものがあふれている。 医学の研究も盛んだ。 治安もいい。 これは素晴らしい。 しかし、一つだけ大きな障壁がある。 それは、日本語でした。 この国では、日本語ができないとつらい目に遭うことになると思いました。 さらに医師になるのであれば、日本語を完璧に身に付ける必要がある。 本当にできるのか。 自信はゼロ。 でも、日本語をマスターできれば、必ず道は開け、きっと良いものをたくさん受け取れるだろうと思ったんです。 そう思って決断しました。 この国で医師になる。 誰も歩いたことのない道だから、大変だけど、きっと面白いはず。 自分自身に「やってみたらどうか」と言ってみたんです。 新聞記事をテキストに「スカイプ」で会話 エジプトで眼科医になった後、来日して慶應義塾大学大学院の医学研究科に進学したオサマさん。 日本では、日本語の勉強をしながら、眼の病気に関わる研究をしながら、まずは博士号の取得を目指した。 通常は4年かかるところを、3年で修了。 また、日本語能力試験で一番難しいN1にも認定された。 実は、オサマさんの日本語学習を支えた日本人がいた。 オサマ 私がいたアレクサンドリアで日本語を学べるところはありませんでした。 カイロにはありましたが、そこまで行くなら、日本で勉強した方が効率が良いと思ったんです。 少しでも早く日本に行って、必然的に日本語を話さなくてはならない状況の中で学んだ方が早く身に付けられると考えました。 でも、来日して、大学院の勉強をしながら日本語を学ぶのは大変でした。 学習時間は1日2時間ぐらい。 日本語学校に通ったこともありましたが、生徒が複数いて、私の話す時間はあまりない。 効率がよくありませんでした。 外国語を学ぶとき、一番大事なのはアウトプットです。 言葉を覚えたら、無理にでも使う状況を作り出して、すぐに日本人と話した方がいい。 これを毎日やると、学習の効率性がとても上がるんです。 何か良い方法はないか。 いろいろと調べていると、区役所のボランティアセンターで日本語を教えてくれる方を紹介してくれると聞いたんです。 さっそく行ってみると、当時68歳の女性が私の担当になってくれることになりました。 米田さんという方で、とても優秀で、日本語の教え方もとても上手でした。 この出会いが、大きな変化を生み出したんです。 私が、日本で医師になりたいことを伝えると、日本語の学習時間を増やす必要があると言われました。 ただ、お互いに忙しく、毎日会うのが難しかった。 どうしようかと一緒に考えて、それぞれが自宅のパソコンで「スカイプ」という無料サービスを使って、テレビ電話の会話をしようということになったんです。 米田さんはこのために、パソコンを初めて買って操作を覚えてくれました。 私は今でも彼女に本当に感謝しています。 これで毎日、日本人とコミュニケーションをとりながら日本語の勉強ができるようになりました。 毎回、新聞の記事をテキストにしました。 「天声人語」などの1面のコラムや、医療や医学に関わる記事を読みました。 読み方を間違えれば、そのたびに彼女が指摘してくれました。 難しい言葉は、米田さんが分かりやすく説明してくれました。 彼女も「この日本語の意味は私も分からない、調べておくね」と、一緒に勉強できることが楽しそうでした。 一対一のやり方がとても効率的で、日本語の能力がどんどん上がっていきました。 米田さんのおかげで、私は日本語能力試験のN1の認定を受けることができました。 「ムズムズ」が分からなかった医師国家試験 博士号を取得したオサマさんは、そのまま大学院に研究者として残り、次は日本の医師免許の取得を目指した。 しかし、エジプトの医師免許は日本では認められないので、改めて日本の試験を受け直さなくてはならない。 しかも、その試験の受験資格を得るために、まず日本の厚生労働省に大量の書類を提出し、そこでの面接試験をパスする必要もある。 オサマさんは、約1年間かけて、これらのハードルを全て越えた。 そして、医師国家試験に挑むことになった。 オサマ 日本の医師国家試験は大変でしたね。 3日かけてやるんです。 朝の9時から夕方の5時まで。 砂漠で走り続けているような気持ちになりました。 本当に難しかった。 一番つらかったのは、やはり日本語でした。 問題文を読むのに時間がかかる。 知識があっても考える時間が足りなくなるのです。 私は3回目のチャレンジで合格したのですが、最初に試しに受けたときは、すっかりお手上げの状態。 問題文の中に「患者は足がムズムズすると訴えている」というような文章があったんです。 ムズムズ? 意味がさっぱり分からず、思わず笑い出しそうになりました。 「ムズムズ」とか「タラタラ」などのオノマトペは、外国人には想像もできない。 でも、面白いじゃないかと思ったんです。 こんな表現がある日本語ってすごいなって。 そのときは不合格だったけど、日本人でも落ちる人がたくさんいるから、私は諦めなかった。 それで3回目で合格。 つらかったけれど、面白かった。 患者さんが信頼してくれる 日本では、医師免許を取ると2年間の研修期間がある。 オサマさんは、研修先として東京大学医学部附属病院を選んだ。 トップクラスの病院だ。 今はここで、医師として働いている。 オサマ 日本の医師免許を持って働くので、外国人ではなく、一人の医師と見られます。 以前は、専門用語の漢字が読めなくても、普通に話せれば「日本語が上手ですね」と褒められましたが、今は「なぜ読めないの?」という感じで見られます。 ただ、これは逆に、差別されていないということ。 患者さんも、私が丁寧な日本語を話し、治療をきちんとすれば、とても信頼してくれます。 患者さんの中には、「他の先生よりオサマ先生の方が話しやすい」と言う方もいました。 ちょっとうれしかったですね。 この国では、日本語を丁寧に話し、仕事をしっかりやれば、評価されます。 今後は、眼科医として、多くの手術をやって腕を磨きたいと思っています。 一緒に働く同僚の医師たち。 「彼が外国人であるとは意識しないですね。 他の医師と同じ。 日本人でもいろいろな人がいますからね。 彼も、そのいろいろな人の中の一人です」(星和宏医師)。 「オサマ先生は、良い意味で空気を読まない。 思っていることをはっきり言ってくれるところが、とても良いと思います」(原千尋医師)。 私には夢があるんです。 日本で学んだことを生かして、眼の病気で苦しむ中東の人を助けたい。 患者さんを集めてもらい、1週間ほど中東に行ってバンバン手術する。 そんなことができるといいですね。 チャレンジ精神と楽しむ気持ちがあればいろいろなことができる オサマさんにとって、日本はどんな国なのだろうか? オサマ 私は、日本に来てから、毎日が面白いんです。 毎日がディスカバリー。 毎日が前例のないチャレンジ。 日本はとても楽しいところです。 今の米国を見ていると、日本を選んで良かったと思います。 この国で差別を感じたことは、ありません。 この国では、チャレンジ精神と楽しむ気持ちがあればいろいろな可能性があると思います。 私は、大学院で学んでいたとき、学費を稼ぐ必要がありましたから、いろいろなアルバイトをしました。 その中で、NHKの国際放送局でキャスターの仕事もやりました。 アラビア語と日本語ができるので選ばれたんです。 もし米国だったら、アラブ人が多いので、このような機会は得られなかったと思います。 その後、NHKの教育テレビで放映するアラビア語講座にも出演するようになりました。 日本語の壁を乗り越えれば、面白いことがたくさんある。 日本人は、日本語をしっかり勉強して、相手のことを考えて丁寧に話そうとする外国人がとても好きです。 最後の最後まで頑張れば、必ず道は開けます。 取材・文=宇津木 聡史 撮影=コデラ ケイ.

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イブラヒムおじさんとコーランの花たち : 作品情報

イブラヒム に じ さん じ

後、による人類救済の出発点として選ばれ祝福された最初の。 「信仰の父」とも呼ばれる。 の教義では全てのの、またの教義では、ユダヤ人に加えて全てのの系譜上の祖とされ、神の祝福も()も彼から始まる。 キリスト教のにおいては アウラアムと称され、に列せられている。 カビル族と呼ばれるヘブル人の先祖たちの一人である。 アブラハムの名は、ユダヤ教、キリスト教などを支持する人々の間では世界的に、非常によく男性の名として使われている。 イスラエルに住むユダヤ教徒でその名を持つ人は非常に多い。 また、イスラム教社会でも、イブラーヒームの名で男性の名前としては一般的な存在となっている。 ヨーロッパで専らだけが布教されていた時代には、その名はあまり使われていなかった。 が生じてからは、カトリックの聖人と同じ名になることを避けて旧約聖書の人名を用いることが多くなり、近世になりアブラハムと名付けられた人はいくらか増加した。 においては、ユダヤ人の数も多く 、また元々人種的にはユダヤ系でありながら現在はプロテスタント系の中でも特に旧約聖書とイスラエルを重視する教会に所属している人、あるいは人種的にはユダヤ人とは関係ないがプロテスタント教会に属する人、などが入り乱れており、結果としてその名をつけている人はかなり多い。 第16代のファーストネームもアブラハム(Abraham:英語読みでは)である。 英語における短縮形は「エイブ」。 聖書におけるアブラハム [ ] 詳細は冒頭のの12章から25章にかけて、大洪水やノアの箱舟の物語とバベルの塔の話のあとに描かれている。 アブラハムは伝説と歴史の間に生きている。 この項では、元の名のアブラムを基本に、記述を進める。 の子アブラムは、文明が発祥した地方のにおいて裕福な遊牧民の家に生まれたと学者らによって考えられている。 カルデアのウル はメソポタミア北部と南部の説があり、どちらなのかは確定していない。 テラは、その息子アブラムと、孫でアブラムの甥に当たる、およびアブラムの妻でアブラムの異母妹に当たるサライ(のちの)と共にの地(ヨルダン川西岸。 現在の)に移り住むことを目指し、ウルから出発した。 しかし、途中のにテラ一行は住み着いた。 アブラム75歳の時のことである。 以下は、その時の神の啓示である。 あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。 — 『創世記』12:7、日本聖書刊行会の新改訳聖書より と預言された。 アブラムは、自分のために現れてくださった神のため最初のをシェケムに築いた。 その後、アブラム一行は更に南下してとアイの間(エルサレムの北方約20km)に移り住んだ。 そしてここにも神のための祭壇を築き、神の御名によって祈った。 その後、地方(南部の高原性乾燥地帯)が飢饉に襲われたため、アブラム一行は揃ってへ避難した。 見目麗しい妻サライが原因で自分が殺害されることを恐れたアブラムは、妻サライに自分の妹とだけ称させることにした (実際、サライは、アブラムの異母妹であった)。 そのサライがエジプト王の宮廷に召し抱えられたため、アブラムは一大財産を築いた。 神は、アブラムの妻サライがエジプト王の妻とされたことでエジプト王および王家を災害で痛めつける。 エジプト王は、神がアブラム側に立っている事態を理解したので、アブラム一行を彼らの全ての所有物と共にカナンの地へ送り出した。 アブラム一行は、ベテルとアイの間の祭壇まで戻り、神の御名によって祈った。 アブラム一行は既に家畜も奴隷も金銀財産も十分持ち過ぎていたので、アブラムがカナン地方(ヨルダン川西岸)を、ロトがヨルダンの低地全体を選び取って住み分け、ロトは、のちに東方、ヨルダン川東岸に移動した。 なお、ロトがヨルダンの低地を選び、移り住んだ時点では、そこにはまだが存在しており、これらの都市は神の怒りによって滅ぼされる直前であった。 アブラムとロトとが分かれた後、アブラムに神から以下のような預言が下された。 「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。 わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。 わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。 もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。 立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。 わたしがあなたに、その地を与えるのだから。 そのため、これらの宗教は「」とも呼ばれる。 「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。 」「あなたの子孫はこのようになる。 にあるアブラハムの墓廟 アブラムのはの西岸地区にあり、ユダヤ教とイスラム教のとして尊崇されている。 祖先としてのアブラハムの位置付け [ ] ユダヤ人はイサクの子(ヤアコブ)を共通の祖先としてイスラエル12部族が派生したとし、アブラハムを「父」として崇め、また「アブラハムのすえ」を称する。 一方でイサクの異母兄に、妾から生まれた一子(イシュマイール)や後妻ケトゥラから生まれた異母弟たちがいて、旧約聖書の伝承では彼らがアラブ人の先祖となったとされる(創世記21章・25章など)。 また、すべてのの男子はアブラハムと神との契約により、生後8日にを受ける定めとされる。 これ以外に大元の出典の名前並びに内容の真偽は不詳だが、『マカバイ記』1巻第12章20-23節に出てくるスパルタ王アレイオスからユダヤの大祭司オニアスに来た手紙には「 ある文献によると、スパルタ人とユダヤ人は兄弟で、(スパルタ人も)アブラハムの子孫であると書いてある。 」という記述がある。 イスラム教におけるイブラーヒーム [ ] この項では、発音のイブラーヒームの名を基本に、記述を進める。 イスラム教では、旧約聖書の伝承について、改竄にもとづく誤りを含みつつも神の言葉を伝えた啓典であると考えてはいるが、イブラーヒームについて同様に考えており、アラブ人はイブラーヒームとイスマーイール(イシュマエル)を先祖とみなしている。 イスラム教の立場では、イブラーヒームとはユダヤ教もキリスト教も存在しない時代に唯一神を信じ帰依した完全に純粋な一神教徒であり、イスラム教とはユダヤ教とキリスト教がいずれもイブラーヒームの信仰から逸脱して不完全な一神教に落ちた後の時代にイブラーヒームの純粋な一神教を再興した教えである、と考えられた。 これに関し、のには次のような意味の節がある。 「 "イブラーヒームはユダヤ教徒でもキリスト教徒でもなかった。 しかしかれは純正なムスリムであり、多神教徒の仲間ではなかったのである。 " [ ] 」 トルコのの伝承では、『』にある預言者イブラーヒームがに向けて出発した「ウル」(カルデアのウル)とはのことであるとし、これはの立場であるからも支持されていた。 の伝統ではイブラーヒームの誕生した場所はウルファであるとされており、これを記念するモスクも建てられている。 (ムスリム)も生後7日目から12歳までの間に割礼を行うが、ユダヤ教とは違って特にイブラーヒームに由来する法とは考えられておらず、イブラーヒームととの契約に基づいた宗教的義務ではなく共同体の慣習に過ぎないとみなす法学派が有力である。 脚注 [ ] []• 『』773ページ• 関根正雄 『旧約聖書 創世記』 株式会社岩波書店、2007年第78刷(第1刷は1956年、1967年第17刷と1999年第69刷で改版あり)。 、P39本文・207註釈。 『口語訳旧約新約聖書』、バロバーデル・コル訳、ドン・ボスコ社、1976年第8版(初版は1964年)、P32註釈5。 アメリカ合衆国におけるユダヤ人の人数は、5,300,000~5,671,000人とされており、イスラエルにおける人数とほぼ同数である(Wikipedia英語版2007年7月27日より)。 ケトラは元々イシュマエルの妻だったという説がある(ホルチンガー172)。 彼女の子供はみなイシュマエルの子孫と同様にアラビアの諸民族の祖とされる。 関根正雄 『旧約聖書 創世記』 株式会社岩波書店、2007年第78刷(第1刷は1956年、1967年第17刷と1999年第69刷で改版あり)。 、P215註釈。 2019年3月4日閲覧。 「ウルファ」という地名が実際に確認されるのは時代以降である。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 、:アブラハムを由来とする人名.

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イブラヒムの前世(中の人)はみさわ船長?石油王?画伯も!

イブラヒム に じ さん じ

解説 家族の愛を知らずに育ったユダヤ人少年が年老いたトルコ商人の老人と出逢い、親子のような関係を築くヒューマン・ドラマ。 エリック=エマニュエル・シュミットが、コーランと実在した祖父の思い出を元に描いたベストセラーを、「うつくしい人生」のフランソワ・デュペロン監督が映像化。 イブラヒムを演じるのは、名作「アラビアのロレンス」以降40年以上にわたって国際派スターとして活躍するオマー・シャリフ。 2003年のヴェネチア映画祭でシャリフは特別功労賞を受賞した。 2003年製作/95分/フランス 原題:Monsieur Ibrahim et let fleurs du Coran 配給:ギャガ ストーリー 1960年代初頭のパリ。 モモ(ピエール・ブーランジェ)は、ブルー通りのアパルトマンで父(ジルベール・メルキ)と暮らす13歳のユダヤ人の少年。 母は、モモが生まれてすぐ兄のポポルを連れて家を出て以来、まったくの音信不通。 その寂しさもさることながら、優等生だったというポポルと比べられ、父から小言を言われることが、モモにはうっとうしくて仕方がない。 そんなモモの目下の最大の関心事は、はやく初体験をすませること。 毎日、アパルトマンの窓から娼婦たちの姿を眺めながら、誘い方の練習に励むモモ。 「今日こそは」と意を決した彼は、貯金箱の小銭を持って、通りの向こうにあるトルコ移民の老人の食料品店へ両替に行った。 店主のイブラヒム(オマー・シャリフ)には、両替の目的はお見通し。 だが彼は、黙ってモモに札を手渡した。 その35フランを握りしめ、通りに戻ったモモは、16歳だと年齢をごまかして娼婦を誘うことに成功。 晴れてオトナの仲間入りを果たす。 それからしばらくして、ブルー通りに映画の撮影隊がやって来た。 近所の人たちや娼婦に交じって、モモも撮影を見学。 イブラヒムの店では、女優(イザベル・アジャーニ)が買い物をした。 イブラヒムが水を5フランで売りさばくのを見て、「ぼったくりだね」と声をかけるモモ。 するとイブラヒムは、「君がくすねた分を取り返さなくちゃ」と言った。 彼は、モモが毎日のおつかいのついでに、缶詰を万引きしているのを知っていたのだ。 「ちゃんと弁償するから」と、しどろもどろになるモモに、「弁償しなくていい。 でも、盗みを続けるならうちの店でやってくれ」と答えるイブラヒム。 モモ宅の家計の苦しさを知っている彼は、余ったパンをあぶって食べる方法や、コーヒーにチコリを混ぜる方法、ティーバッグを乾かして再利用する方法をモモに教える。 そんなイブラヒムに、モモは、父親からは得られない大きな愛情を感じるのだった。 モモがイブラヒムに教えてもらったことのなかで最も役に立ったのは、笑顔で幸せをつかむ方法だった。 数学の授業で問題が解けなくて困ったとき、いくら誘っても相手にしてくれなかった娼婦を口説くとき、笑顔はとても役に立った。 だが、父にこの手は通用せず、笑顔を向けても「歯列矯正が必要だ」と言うばかり。 ガッカリしたモモは、「僕がポポルならパパに愛されたのに。 ポポルはママに笑い方を教わったはずだ」と、イブラヒムに寂しい胸中を打ち明ける。 そんなモモを、「ポポルよりも100倍、君のことが好きだ」と言ってなぐさめたイブラヒムは、「足は取り替えることができないから」と、モモに靴を買ってくれた。 そんなある日、失業したモモの父親が、わずかな持ち金と置き手紙を残し、家を出て行った。 父に捨てられた悲しさと、束縛から解き放たれたうれしさが入り交じった複雑な思いにかられるモモ。 彼は、同じアパルトマンに住むミリアム(ローラ・ナイマルク)という少女と交際を始めるが、まもなく彼女の気持ちは別の少年に移っていった。 生まれて初めての失恋を体験したモモに、イブラヒムは、「彼女への愛は、永遠に君のものだ」と優しく言葉をかける。 まもなく、モモの家に悲しい知らせを持って警官がやって来た。 父が、マルセイユ郊外で鉄道自殺をはかったのだ。 数日後、ひとりの女性がモモの家を訪ねてくる。 彼女は、モモが生まれてから一度も顔を見たことのない母親(イザベル・ルノー)だった。 「迎えに来た」と言う母に、「自分は留守番のモハメッドだ」と答えるモモ。 そのとき初めて、彼は、自分が母の不倫によって生まれた子供であること、そして、ポポルという兄などいないことを知る。 母が去っていったあと、イブラヒムの店を訪ねたモモは、「僕を養子にして」と頼む。 この申し出に、イブラヒムは大喜び。 そんなふたりの前には、人種と血縁の壁が立ちはだかったが、それをなんとか乗り越えて、晴れてモモはイブラヒムの息子になった。 しばらくして、赤いスポーツカーと運転免許を手に入れたイブラヒムは、モモを連れて故郷のトルコへ帰ろうと決意する。 フランスからスイス、アルバニア、ギリシャをめぐる旅を通じて、本物の親子のように心を通わせていくふたり。 モモを自慢の息子だと人々に紹介するイブラヒムは、「幸せだよ、モモがいてコーランの教えがある」と言いながら、特上の笑みを浮かべる。 やがてトルコに到着したふたりは、イブラヒムの故郷の村をめざすが……。 愛は人種・宗教を超えたか?!面白いエピソードと小ネタの集合体のような映画で、軽快なテンポ、笑える台詞で引っ張ってくれる心温まる話なのに、何か物足りない・・・ ブタの貯金箱を割ってまでして、娼婦に相手をしてもらいたかったモモ。 イメージ映像でまた貯金箱からコインを・・・映像美で攻めてくるかと思いきや、いきなり笑わせてくれる。 しかも、『オーシャン・オブ・ファイアー』では存在自体で笑ってしまった、前歯の欠けたオマー・シャリフが主人公なのである。 もはやアラブの英雄だった頃の面影がない・・・ 中盤からはかなりシリアスになり、父の自殺、母親の登場、優秀だった兄ポポルの謎等、モモの何かがはじけ飛ぶかのように、複雑な心理を親しき人のもとへと走らせる・・・行き場を失ったモモ少年の「養子にしてほしい」の言葉に快諾するイブラヒムがしぶかった。 ここからは『アラビアのロレンス』も真っ青になるくらい勇ましいイブラヒム。 運転免許もないのにキャッシュで車を買い、『ジンギス・カン』のように颯爽と車を走らせロード・ムービーへと変化していくのです。 パリの下町が舞台になってるこじんまりとした世界観の映画だと思っていたら大間違い。 落ちも中々良かった。 父親との葛藤、兄の謎、娼婦の今後などをもう少し描いてほしかった・・・ ネタバレ! クリックして本文を読む 京都シネマ名画リレーにて鑑賞。 名画リレーにラインナップされなければ、見ることはなかったであろう今作。 だって知らなかったものー。 映画ファンであれば、オマーシャリフが出ているって所に 食いつくのでしょうが、名前しか知らないものー。 それもドラマ・アリーマイラブにて、アリーが相手もいないのに避妊ゼリーを欲した理由として、 「夢の中でオマーシャリフにさそわれた」っていうせりふで知ってるだけだものー。 2003年に製作されたという事は、9. 11の後の世界を知った上での 話なんですね。 イスラム教への無知からくる恐怖に世界が震え始めた頃のお話です。 主人公モモの本名モイーズはユダヤ教でいうところのモーゼの事らしいです。 救世主と名づけられた寂しい男の子が、異教徒の父を得た話です。 モモの家族はパパだけで、モモ曰く「ユダヤ人だから」いつも憂鬱をわずらうパパです。 ママはもっと前に出て行ったらしい。 モモの兄を連れて。 パパは何かにつけてできのよかった兄を持ち出し、モモは兄は母に愛されているはずと 手に入るべきだったものへの恨みをつのらせています。 実際には兄はパパの想像の産物で、実在しない人なのですが、 その事を知るのはパパが自殺してからの事。 モモは本当に一人ぼっちになります。 モモとパパが暮らす家に近い食料品店は、パパ曰くアラブ人の店で、 その店でモモは毎日の食料を調達しつつ万引きもしています。 で、その店の店主がイブラヒム オマーシャリフ でして、 アラブ人と思われているけれど、トルコ人で、 スーフィー イスラム神秘主義 なんです。 今で言うところのネグレクトにあっているモモと、 行き着けのお店の店主としてそっと寄り添うイブラヒムとが、人種や宗教をこえたところで結びついてゆき、寄り添うのです。 トルコの描写がよかったです。 カトリックも正教会もイスラム寺院もあって、スーフィーの踊りもある。 違うものから見える同じ願いみたいなものにグッときました。 違う考えや、違う習慣を持つ他人の中に自分を見出せれば、もっと私たちは寛容になれるのではないかと思いました。 ラストでなんでイブラヒムを死なすねんとは思いましたが。 いい映画だなと思いました。 赤いオープンカーを売る店員の男性にものすっごい見覚えがあるのですが、不機嫌なママにメルシィの主人公ギョームの人ちゃいますか?そんな気がするよ?真偽を確かめようがないのが悔しいけども。 「ドクター・ドリトル」 C 2019 Universal Pictures. All Rights Reserved. 「ホーンテッド 世界一怖いお化け屋敷」 C 2018 Danger House Holding Co. , LLC. All rights reserved. 「ANNA アナ」 C 2019 SUMMIT ENTERTAINMENT,LLC. ALL RIGHTS RESERVED. 「ハリエット」 C 2019 Focus Features LLC.

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