おかめの館だるま。 民芸館‥京都府(1)

イトーヨーカドー 食品館ららぽーと湘南平塚店(神奈川県平塚市)

おかめの館だるま

里神楽 さとかぐら (民間の神楽)に使われる中年女性の道化面。 鼻が低く、額 ひたい やあごが平らで、ほおが丸く出っ張って下膨 しもぶく れにつくられ、俗に三平二満 さんぺいじまん ともいわれるが、意外に鼻だけが低い一平四満というべき作りもみられる。 目が細く、色白で、どこか色っぽいうえに愛想のよい福々しい顔相である。 江戸系の里神楽ではひょっとこやだるまなどのもどきの男役と対 つい で軽妙に脱線滑稽 こっけい を演ずるが、最後はたしなめ役に回ることが多い。 お多福 たふく ともよばれ、正月の縁起物の熊手 くまで などに飾り着けられたり、かつてはこの面をかぶったお福さんという門付 かどづけ がいたりしたが、『大言海』によれば、「おたハ乙御前 オトゴゼ 、……ふくハ頤 オトガヒ ノ脹 ハ レタル」ようすをいったものだとある。 形状的にも狂言面の「乙 おと 」との関係が考えられる。 また、人形浄瑠璃 じょうるり の首 かしら 「お福」も同様の面相である。 美女の相でないので、下膨れの醜女をお亀 かめ とかお多福といって侮蔑 ぶべつ することばともなった。 お亀の名は、室町時代末のある神社の巫女 みこ の亀女の名から出たともいう。 なお、おかめを天鈿女命 あめのうずめのみこと の面とすることもある。 [西角井正大] 出典 小学館 日本大百科全書 ニッポニカ 日本大百科全書 ニッポニカ について 世界大百科事典 内のおかめ の言及.

次の

イトーヨーカドー 食品館ららぽーと湘南平塚店(神奈川県平塚市)

おかめの館だるま

橋本広司民芸 我が家は一軒だけ離れた位置にあり、主に人型の張子を作っています。 歌舞伎や舞踊を題材にした物や雛人形・五月人形などの他にもカワイイ たぶん 干支の置物 や踊りに使うお面もあります 全部で約80種類。 家の中で黙って仕事をしてますが、気軽に仕事場を見ていただけたらと思います。 手作りの現場を間近に見ることができますし、気になる人形を見つけたらどうぞ手に取ってご覧になってください。 資料館には福島県の文化財に指定されている、各家の木型や江戸時代に作られた人形 が展示されています。 見学無料です。 もしかしたらひょっとこ踊りも見られるかもしれません。 近年では、元プロサッカー選手 中田英寿さん のREVALUE NIPPON PROJECT (日本の伝統工芸、ものづくりを活性化するプロジェクト)に参加し、 等身大の白クマの張り子を製作、高い評価を得ることが出来ました。 ・張り子の制作工程を自由に見学出来ます。 ・張り子の絵付け体験も人気受付中! ・大正6年生まれ、現役張り子職人 ミヨシおばあちゃん が人気者です。 ・大黒屋古民家には白クマのオブジェが展示、また各種イベント行っています。 店内には様々な骨董品が飾ってあり、築400年の趣のあるお店となっております。 発祥地で唯一、三春駒を木彫りから製造しており、工房を見学することができます。 三春駒や張子の12支・お面・だるまなど様々な民芸品を製作・販売しております。 そのほかに、絵付け体験などもできますので詳しくは下記の当店HPをご覧ください。 ここでしか販売していないオリジナル商品が有ります。 ・ホームページから通信販売しておいります! ・ホームページ内で21代当主のブログ・ツイッター・フェイスブックが見られます。 ・本家大黒屋の人気!絵付け体験受付もしています。 ・足が不自由な方のために、車いすの貸出もしています。 【名称】 大黒屋 物産館(ダイコクヤ ブッサンカン) 【住所】 〒963-0902 福島県郡山市西田町高柴字舘野163 【TEL】 024-981-1636 【FAX】 024-981-1637 【定休日】年中無休 【営業時間】9:00-17:00 【公式HP】 【E-Mail】.

次の

Good!Wood!津軽こけし館 通販拡大ブログ*その参 : こけし絵日記~津軽こけし館で出来るコト~

おかめの館だるま

だるまはなぜ赤いの? 赤色は、禅宗の開祖である達磨大師がまとっていた赤の法衣の色を表しています。 また、だるまの前面に描かれている金色の模様は袈裟を意味しています。 江戸時代赤い色は病を治すと言い伝えられ、疱瘡除けとして庶民に重宝されました。 また、だるまの手と足は座禅の最中はその法衣の中に隠れ見えないお姿となっています。 だるまの目はどちらから入れるの? 開眼のしかたは、まず、だるまさんに向かい合い、心を静め、願いを込めてだるまに向かって右側の目 だるまの左目 から願いをなぞるように墨で書き入れます。 そして、一年間無事に過ごせた時、あるいは願いごとが叶えられた時に感謝の心を込めてもう一方の目を入れます。 両目の入っただるまさんはどのように供養するの? 感謝を込めて両目の入っただるまさんは、お近くのお寺や神社などでお焚き上げ供養をしていただいて下さい。 しかし、納所を設けていない神社仏閣もありますので、その場合は、お買い求めになったお店に供養料と共にお送りください。 高崎だるまのお店では定期的にお焚き上げ供養を行っています。 高崎だるまの偉人紹介 高崎だるまの生みの親『山縣友五郎』 山縣友五郎は、1793年(寛政5年)に上豊岡村で生まれました。 山縣家は、武田信玄の二十四将の1人(山縣昌景)として活躍し、江戸時代には名主を務める家柄でした。 友五郎は若き日に人形職人を目指して、江戸や武州(埼玉県)の人形店に行き修行をしたとのことです。 当時江戸では疱瘡(天然痘)が流行り病となっていました。 病に苦しむ人達にだるまは疱瘡除けのお守りとして江戸庶民の傍らにありました。 友五郎はその江戸だるまに接し、郷里である上豊岡村に戻ると自らも工夫を重ね、人々の病除けを願いだるまを作り始めたとのことです。 これが、高崎だるまの起こりとなりました。 江戸時代の豊岡地域でだるまを作っていたのは、山縣友五郎家を中心とした親戚縁者だけでしたが、田町初市などの賑やかな街中でだるまを売り、脈々としてその技法が伝承されてきました。 友五郎は、生涯だるまを作り続け、1862年(文久2年)8月9日に69歳で亡くなりました。 今では、友五郎のふるさとは、全国を代表する「高崎だるま」の里と言われるようになりました。 木型彫り名人『葦名鉄十郎盛幸』 葦名鉄十郎盛幸は、通称「鉄つぁん」と呼ばれ、だるま木型彫りの名人でした。 奇しくも、山縣友五郎が亡くなった1862年(文久2年)に生まれました。 高崎だるまが今日日本一のだるまの産地に成り得たのも生涯を通じて何百体ものだるま木型を鉄つぁんが彫り続けてくれたからです。 そのおかげで、豊岡を中心として沢山のだるま職人が生まれました。 かつて一番多い時には88軒の家でだるま作りが行われていました。 金沢藩士(会津藩との説もある)の次男であった葦名鉄十郎盛幸は養子に行った先で折り合いが悪く家を出て、そのまま諸国を転々とした末に上豊岡村で病に倒れ、その後村人の快方など世話になり閻魔堂で生活をするようになりました。 やがて、持ち前の器用な腕で、のみや彫刻刀を振るい、だるまの型を作って見せます。 それが、だるまの大産地の礎となるだるま木型作りの始まりでした。 瞬く間に木型を彫る葦名鉄十郎盛幸の名は広まり、多くの人に頼まれるようになりました。 1軒の家で大から小まで50体~100体は作られたとして途方もない数の木型を生涯を通して彫ったことになります。 ゆえに、いつしか親しみを込めて、だるまの型彫り「鉄つぁん」と呼ばれるようになりました。 親子二代の木型彫り師「松本由松親子」 鉄つぁんの死後、常安寺前に住む松本由松が葦名鉄十郎盛幸の型を見ては、よりいっそう工夫して木型を彫り、顔の幅も広く、背中の張りもぐっと出た福々しい丸みのあるだるま型を作り出します。 由松の作った丸みのある型は、景気の良いものとして商売をしている人たちの間で商売繁盛に繋がると大変重宝がられるようになりました。 由松は、その後いくつかの座禅達磨を彫り、その一生も葦名鉄十郎盛幸と同じく木型彫りに掛けた生涯でした。 由松の次男も父同様に型彫りをしますが、若くして他界したため、型彫り師としては、あまり知られていません。 しかし、特に異色のお多福耳のだるま型を残しています。 この父子の作風は、福々しい作風として、だるま職人の多くから親しまれていました。 また、由松の残した最も貴重なものは、だるまの型の寸法書です。 小から大までだるまの大きさを細かく割り出した貴重な資料遺産となりました。 達磨大師とは 達磨大師は、五世紀後半から六世紀前半ごろ南インドの香至国という豊かで平和な国の第三王子として生まれました。 やがて出家し、お釈迦様からの教えを継ぎ、より多くの人々にこの教えを広めようと、幾多の困難にもめげず海路はるばる中国へ布教伝導に渡られました。 どのような逆境に立っても、決してへこたれず、現在の禅宗の基礎を築かれ、初祖達磨大師と言われるようになりました。 達磨大師の逸話は沢山ありますが、中国の嵩山少林寺での「面壁九年」は有名で、九年もの間ひたすら座禅を続けられました。 縁起だるまは、まさしく七転八起の不屈の精神がそのまま具わっていると言えます。 高崎だるまの起こり 高崎だるまは、今から200数十年前の文化・文政年間の1813年~1823年の間に碓氷郡上豊岡村の山縣友五郎によって生み出され今日まで作り継がれてまいりました。 その製法は山縣家の秘伝とされ受け継がれましたが、明治に入り木型名人の葦名鉄十郎盛幸が豊岡村に住み始め、だるまの木型を専門に彫り始めます。 これにより豊岡地域にだるま作りを目指す者が増え、大勢の人が作り始めるようになりました。 初めは、山縣友五郎が江戸で出会った江戸だるまのお姿が始まりでしたが、しだいにその特徴は鶴、亀、松の現在の形へと変わってきました。 高崎だるまは、養蚕の発達とともに、繭の形に似た縦長の繭型だるまに形が変わってきます。 上州は、昔から養蚕の盛んな地域で、蚕は繭を作るまでに4回脱皮しますが、蚕が古い殻を割って出てくることを「起きる」と言います。 この言葉にかけて、養蚕農家では七転び八起きのだるまを大切な守り神として奉り続けてきたのです。 養蚕の大当たりの願かけから、やがて一般家庭へと広まり、様々な願かけが行われるようになりました。 別名「縁起だるま」「福だるま」「祈願だるま」とも呼ばれる高崎だるまは、こうした時を経て郷土のみならず日本を代表する「かけがいのない」存在となりました。 だるまのできるまで 「だるま」が出来上がるまでには、何十工程もの流れが必要です。 繰り返し繰り返し丹精込めて作っていきます。 今では、一部機械化できたところもありますが、依然として伝統の手法を守り、一つ一つ手作りによって作られています。 1 へった作り 「へったというのは、だるまの底の部分のことです。 粘土質の土で屋根瓦の土と同じものを使っています。 へったの形に彫った木の型に土を入れて形を整えてゆきます。 」 2 張り子生地 だるま張り・型抜き 「だるまの形は、木型に濡らしただるま和紙を形に整えながら張ります。 其の張り方は熟練していかないと大変難しいものでした。 それを乾かし木型から抜き出したものが張り子生地です。 」 3 へった付け 「へったと張り子生地を貝の粉である胡粉で付け合わせます。 」 4 白塗り 「下塗りとして、だるま全体を胡粉の白色で塗ります。 5 赤塗り 「上塗りとして、赤色の塗料で全体を塗ります。 」 6 面胡粉塗り 「顔を薄い桃色で塗ります。 」 7 すりこみ 「目のまわりを何回も何回もすり込むようにたんがらで塗ります。 」 8 目 「きめ細かい胡粉の白色で目の部分を塗ります。 」 9 鼻まわし・口書き 「赤の塗料で鼻と口を書き入れます。 」 10 目まわし 「金粉を調合して目の周りを塗ります。 11 金書き 「両肩に商売繁盛や家内安全などの祈願文字や腹の部分に福入の文字を入れます。 」 12 ひげ書き 「最後の一筆となります。 高崎だるまの特徴である眉は鶴、髭は亀と松を形どって描きます。 」 山縣友五郎がだるまを作り始めた文化・文政年間から間もなく文政12年1829年の文献「高崎談図抄」に既に高崎の街中である高崎田町でだるまを販売する様子が版画と文章で載っています。 今までこの高崎談図抄の存在とこの中にだるまの販売の様子が載っていることは全く知られていませんでした。 しかし、研究者のご努力で高崎のだるまを知る上での重要な資料が発見され、ようやく高崎でのだるま市のルーツが見えてきました。 おそらく、これが最も古いだるま市で、高崎のだるま市の始まりとなります。 ここから、市内・県外へとだるま市が広がっていきます。 少なくとも、高崎談図抄の刊行された1829年から木戸忠太郎著「達磨とその諸相」が刊行された昭和7年(1932年)に記されている田町のだるま市の様子から考えると100年以上の間、高崎の街中である田町近辺(田町・本町・あら町)で六斎市(初市)でだるま市が行われていました。 今も、もし続いていれば、190年の歴史を持つ群馬県内で最も古いだるま市となったことでしょう。 そして、その思いを込めて、高崎の街の有志が蘇らせたのが、2017年1月1日・2日から始まった「高崎だるま市」です。 高崎だるまの日 江戸から明治に入り、市内・県内・県外とだるま市が方々で行われるようになり、高崎だるまは関東一円から全国に知られるようになりました。 この全国に類のない日本一のだるまの産地の生みの親は、江戸の昔、ただ一人郷里の上豊岡村でだるま作りを始めた山縣友五郎と言います。 2017年8月9日、その山縣友五郎の没後155年を迎え、私達だるま職人で作る群馬県達磨製造協同組合は、彼の偉業と功績を称え、菩提寺である常安寺で慰霊祭を行いました。 また同じく、高崎だるまを今日の大産地に導いた木型彫名人葦名鉄十郎盛幸や松本由松親子の功績も称え、高崎だるまを後世に伝える為、2018年8月9日からこの日を『高崎だるまの日』に制定する旨制定委員会に於いて決定をいたしました。 私たちは、8月9日を高崎だるまの日にすることで、これからも高崎だるまの先達の想いをしっかりと受け止め受け継いでいきたいと思います。 高崎だるまの商標登録 高崎だるまが全国に波及し、日本有数の産地になるにつれ、県・市を代表する特産品として郷土の生んだ伝統工芸品となりました。 その匠の高度な技術に対して平成11年度より「群馬県ふるさと伝統工芸士」が制定されました。 また、群馬県指定のふるさと伝統工芸品として平成5年に認定を受け、県内では第1号となる地域団体商標登録を第5003697号で「高崎だるま」として全国唯一だるまの地域ブランド登録を行っています。 高崎だるまは、まさに日本を代表するだるまと成長し、海外からも注目を得るようになりました。 その為、台湾(2015年2月1日)・中国(2015年2月21日)におきましても、商標登録を行っています。 全国のだるま 全国には、沢山のだるまの産地がありまして、青森県から沖縄県まで色々な形や色合いのものがあります。 顔の髭の描き方も多種多様です。 高崎だるまの様な祈願だるまは自分で願いを込めて目を入れますが、初めから目の描かれたものもあります。 女だるま、おかめだるま、姫だるま、などから三角だるま、鉢巻だるま、など産地ごとに特徴を持ちそれぞれの文化で描かれています。 それゆえ大変奥深くて面白いものです。 これを収集して並べてみると色々な日本文化に会えるとともに、その魅力にはまってしまいます。 また、だるまは、紙の張り子だけではなく、木、石、鉄、陶器、木目込み、など様々なもので作られるようになりました。 今やだるまは、日本以外でも人気が高く、欧米でもだるまを収集したり、研究をしている人が沢山います。 また、海外のだるまと云えば、中国、ミャンマーでは張り子が作られていますし、台湾、韓国、ベトナム等では木彫りが多く作られています。

次の