明石家 さんま。 明石家さんまの『つらすぎる生い立ち』 あの笑顔からはとても想像できない…

明石家さんまの歌詞一覧リスト

明石家 さんま

ビートたけしさん、タモリさんと並んでお笑いBIG3と称される明石家さんまさん。 長年お笑い業界の第一線を走る彼はいつだってみんなの人気者だ。 一般的に人は偉くなればなるほどおごった態度を取るものだが、さんまさんには全くそんなところがない。 今回はそんなさんまさんがめちゃめちゃいい人であることが良くわかるエピソードを17個紹介しよう。 どこで声をかけても一緒に写真を撮ってくれる。 さんまさんに遭遇して写真をお願いすると嫌な顔一つせずに応じてくれる。 芸能人に写真をお願いしても断られるのが普通である中、さんまさんは「神対応」で応じてくれるのだ。 色紙とペンを持っていけばいつでもサインしてくれる。 また、一般人が「サインお願いします!」と言ってペンと色紙を持っていくといつでもサインをしてくれる。 この素晴らしい対応にファンからは「すごい!」「尊敬する!」といった声があがっている。 信号待ちのときに中学生に後ろから蹴られてもにこにこしながら「ナイスキック!」と言って立ち去った ある日信号待ちをしていたときに、中学生に後ろから騒がれてお尻を蹴られたそうだ。 普通なら怒り出すところだが、さんまさんは落ち着き払って「ナイスキック!」と言って立ち去り、その場にいた人たちは全員大爆笑したという。 千原兄弟の「レギュラーがほしい」という切実な願いをひっそりかなえてあげた バイク事故で入院していた千原ジュニア。 退院後テレビ局の廊下でばったりさんまさんに出会い、何がほしいかと聞かれて「レギュラーがほしいです」と言ったところ本当に千原兄弟のもとにTBSのレギュラーが舞い込んできた。 この話に感動した千原ジュニアは「一生この人には頭が上がらない」と思ったという。 街中で見知らぬ黒人に「さんまだ、さんまだ」と騒がれたとき、「おーボブー!」と言ってハグしに行った 後輩芸人と道を歩いていたとき、突然黒人から片言の日本語で「サンマ、サンマ」と騒がれた。 後輩芸人はやばいと思っていたが、さんまさんはなんと「おー、ボブー!」と言って黒人男性に自らハグしに行き、事なきを得たそうだ。 土田晃之にすさまじい額のご祝儀をあげたことがある 土田晃之に子供が生まれた際、冗談で「ご祝儀くださいよ~」と言ったらポケットに入っていた万札何十枚かをすべてあげたという。 さんまさんの太っ腹加減が窺えるエピソードだ。 島田紳助との強いきずな 吉本興業で同期の島田紳助さんとは非常に強い絆で結ばれている。 紳助さんが落ち込んでさんまさんに電話をかけたものの結局そのことについて言えなかったときは、いつも察してあとから電話をかけてきてくれたそうだ。 さんまさんは本当に仲間思いなのである。 カメラを向けたら絶対笑顔で笑ってくれる さんまさんのすごいところは不躾にカメラを向けても絶対に笑顔で振りむいてくれるところだろう。 このサービス精神はきっと芸能界随一のはずだ。 暗い過去を背負っているのにいつも明るく笑っている 実母を3歳のときに亡くして以来、波瀾万丈な人生を送ってきたさんまさん。 継母にいじめられ、弟を火事で亡くし、それでも笑顔でテレビ番組に出演して私たちに笑いを届けてくれる。 いつだって底抜けに明るく見えるが、実はとても暗い過去を背負っているのだ。 大竹しのぶの連れ子にも非常にやさしい 現在は離婚しているが、昔は結婚生活を共にしていた大竹しのぶさんとさんまさん。 当時大竹しのぶさんには連れ子の「ニチカ」がおり、さんまさんはニチカにとても気を遣っていて実子であるイマルと同じぐらいかそれ以上に大切に育てていたという。 「生きているだけで丸儲け」という名言を残している さまざまな大変な経験をしてきたさんまさんの名言といえば「生きてるだけで丸儲け」だろう。 この言葉には、彼がどれだけ苦労してきたのかということがよく表されているのではないだろうか。 この言葉に共感し、ファンになったという人は多い。 後輩のライブ出演時には絶対ギャラをもらわない 後輩のライブに出ることは滅多にないが、出るときは絶対にノーギャラであると話していたさんまさん。 後輩思いであることがよくわかるエピソードである。 東日本大震災の際に配達員の一言に涙したことがある 東日本大震災後のある日、とある配達員に「さんまさん頼むよ!はやく日本を元気にして!」と声をかけられ、「あいよ~!」と返したさんまさん。 しかしそのあと信号待ちの際に泣いてしまったという。 滅多に泣かないさんまさんが涙したということで彼がいかに東日本大震災に心を痛めていたかということがわかるだろう。 その話をSMAPの木村拓哉さんにした後、二人は東日本大震災への支援について真剣に話し合ったそうだ。 60歳で潔く引退することを宣言している 人は、偉い位置にいけばいくほどそこにしがみついて離れないのが普通だ。 しかしさんまさんは60歳で潔く引退するとずいぶん前から宣言している。 権力に対する執着心がないところも彼のいいところだろう。 矢口真里の復帰を手助けしようとしている あの騒動でテレビから一切消えてしまった矢口真里さんを心配して幾度となく復帰のオファーをかけているそうだ。 さんまさんの番組に彼女が出演する日も近いかもしれない。 小学2年生発案のギャグ「アホちゃいまんねん、パーでんねん」をあっさり採用し、伝説のギャグにしてしまった 1980年代に流行ったさんまさんのギャグ「アホちゃいまんねん、パーでんねん」は、実は落語家の月亭八光さんが小学2年生のときにさんまさんに提案したもの。 八光さんはそれについて「小学2年生の意見をあっさり採用し、伝説のギャグにまでしてしまったのだからすさまじい人物である」と語っている。 スタッフに対して死ぬほどやさしい あるテレビ局の女性ADが男性上司からのパワハラと厳しい仕事内容からもう局を辞めたいと悩んでいた。 そんなときさんまさんが「今辞めたくなる気持ちもわかるけど、いつか出世したら君の番組に出てみたい。 」と声をかけたそうだ。 彼女はその一言で仕事を続けることを決意、今は立派なディレクターとなって局で活躍している。 さんまさんがめちゃめちゃいい人であることが分かるエピソードは表に出ているだけでもこんなにあるのだから、きっと私たちの知らない部分でもっとたくさんの素敵な話があるに違いない。 どれだけ落ち込んでいてもさんまさんの番組を見ていると不思議と笑いがこみ上げてきて元気をもらえるのは、きっと彼がとても素敵な人物だからだろう。 60で引退するなんていわずに、これからもテレビで活躍する姿を私たちに見せて欲しいものだ。

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明石家さんまの「怒らない」名言が感動、年収5億を生む歯は矯正?|エンタメや事件のあおてん

明石家 さんま

お笑い界のトップを走り続ける明石家さんまさん。 テンションがとにかく高く、ひょうきんに笑う姿からはいつも元気をもらえます。 そんなさんまさんですが、笑いを取るその姿からは想像できない壮絶な過去をお持ちだということをご存じでしょうか。 お笑いの天才の笑顔に隠された、悲しい過去をご紹介します。 明石家さんまの壮絶な過去 弟ができた喜びと、新しい母との溝 和歌山県で生を受けたさんまさんは、お兄さんである正樹さんと二人兄弟。 さんまさんが3歳の時に、お母さんが病気で亡くなってしまいます。 そして小学校高学年のとき、お父さんが再婚。 継母には連れ子がおり、歳の離れた弟ができたと、さんまさんは大喜びだったそうです。 しかし新しいお母さんには遠慮もあり、お母さんも実の子どもである弟ばかり可愛がったそうで、新しい親子の間には大きな溝がありました。 新しいお母さんに心を開いてもらおうと、さんまさんは毎日毎日必死で面白いことを考えたそうです。 この経験が、お笑いの道へ進むきっかけになったのだとか。 それでもお母さんとの溝はなかなか埋まらず、兄である正樹さんが語ったところによると、.

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おバカタレントではなくホントに頭が悪い芸能人3人!「明石家さんま」という文字すら読めない!?

明石家 さんま

スポンサーリンク 継母の連れ子が弟になる 再婚相手、 継母にあたる方には連れ子の男の子がいました。 やはり 実子のほうが可愛がられ、そんな状況を少しでも改善できるようにと明石家さんまさんは、 継母を笑わせることに必死になったそうです。 なんだか切ない話ですね・・・ しかし明石家さんまさんは、その頃の経験が自分にお笑いの力をつけてくれたと当時を振り返っています。 (兄と)二人でよう二段ベッドで泣きましたわ…。 どんなに頑張っても同等には見てもらえない。 仕方のないことなのかも知れません・・・しかし子供には受け入れがたい辛い現実ですね。 弟に対する嫉妬心が芽生えてもおかしくないのに、明石家さんまさんは連れ子の弟を嫌うどころか、 年の離れた弟ができたことをとても喜び、本当の兄弟のように可愛がっていたとの事です。 MEMO 1983年、弟は19歳という若さで実家の火事が原因で亡くなります。 マスコミは過剰に反応し、取材を試みます。 華麗なマスコミ対応で有名な明石家さんまさんも、流石にこの時は耐えられなかったようで、あまりのショックに 芸人をやめようかと本気で考えたと当時を語っています。 その時さんまさんを支えたのは オール巨人さんです。 芸人は親の死であっても笑いに変えなければいけません。 世間から「可哀想」と同情のレッテルを貼られてしまってはお笑い芸人としての道は終わりですよね。 その名も 【カラオケバーさんま】・・・って、弟の力借りまくりの店名です笑 さんまさんにそっくりですが、穏やかで優しいお顔をされてます^^ 複雑な家庭環境を共に乗り越えた兄弟ですから、自然と深い絆が生まれたのではないでしょうか。 さて、 人生において大切な人を2人も失い明石家さんまさんの人生に影響しないわけがありません。 それはその後、結婚し家庭を持った明石家さんまさんの行動から伺い知ることができます。 明石家さんま、大竹しのぶと結婚して同じ境遇になる 幾度の辛い経験をした明石家さんまさんまさんは、1998年、女優大竹しのぶさんと結婚されます。 これまでの経緯から、明石家さんまさんが「結婚」にかける想いは人一倍強いものがあったと想像します。 大竹さんには 前夫である演出家・服部晴治さんの間に大竹二千翔(にちか)さんという息子がいます。 その後さんまさんとの間にも 二人の子であるIMALU(イマル)ちゃんが生まれますね。 さんまさんが 自分が育った環境と重ね合わせないはずがありません。 連れ子である二千翔さんに自分と同じ思いをさせてはいけない。 そう考えたと容易に想像がつきます。 大竹しのぶさんの言葉• 二千翔さんにIMALUちゃんと変わらない愛情を注いでくれていた。 離婚後の大竹しのぶさんが言っているので間違いないでしょう。 さんまさん自身は【お父さん】と呼ばせる自信が無かったと言っていますが、大竹さんが語るには、 二千翔さんが自分の事を【お父さん】と呼びにくいと考えたと・・・ だから 実子であるIMALUちゃんにも【ボス】と呼ばせる様にしたそうな。 離婚の際、二千翔さんは「ボスの方へ行く!」と言い張ったそうですから、どれほどしっかり愛情を注いでいたかが分かりますね。 この画像は、 2019年の長男・二千翔さんの34歳のお誕生日をお祝いしたときのものだそうです。 さんまさんのコメントには「娘が居なかったのかちょっと残念でしたが、楽しい夜になりました」とありました。 IMALUさんは体調を崩してしまったそうで、たしかに残念ではありますが、皆さん素晴らしい笑顔でなんとも心温まるお写真です。 離婚という形になっても子どもたちはしっかりと愛情を感じ、大竹さんが今も頼りにしていると分かります。 それもこれも明石家さんまさんのお人柄ゆえですね。 スポンサーリンク 明石家さんま・継母の現在 さて気になる 明石家さんまさんの継母の現在についてですが・・・ 実は全く語られていないのです。 恐らく疎遠になっているのではないでしょうか。 実の息子を亡くしてから、一緒に居る意味を見いだせなくなったのかもしれませんね。 ご年齢的にはすでに他界している可能性もありますが、明石家さんまさんの事ですから、現在も関係があればこの様なエピソードを公開しないような気がします。 以上になりますが、如何でしたでしょうか。 明石家さんまさんの生い立ちは想像を絶する過酷なものでした。 人の心の痛みが分かるからこそ、本気で笑わせれるのかもしれませんね。 最後までお読み頂き有難うございました!.

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