郵政5チャンネル。 郵政省失政録≪前編≫官僚制弊害 Uターン 東京12チャンネル キャプテン 文字多重 CATV|放送制度・官僚論|MAMO's

郵政で契約社員が正社員登用を目指す際に知りたいその実態

郵政5チャンネル

系列としてテレビと一体化する新聞も同じだ。 その郵政省は、これまでテレビをどうしてきたか? テレビが今日の隆盛を見ているのは、本当に郵政省のお陰だろうか? 郵政省のテレビ政策は、ほとんど失政の繰り返しではないのか? 発表当時の1992年、電通のみなさんがコピーを郵政省内で配りまくったこの原稿、いまでも立派に通用する。 そこでハイビジョンをどのようにあつかうかも決まる。 だが、それにしてはこの国の放送システムをめぐる議論は、情けないほど不十分といわざるをえない。 とりわけ免許を下ろす郵政省の顔色をうかがって、新聞テレビなど巨大マスコミ、あるいは新規参入を目指すグループは何もいわない。 目先の免許や利権が気になって、長期的な視野からわが国の放送をどうすべきなのか、郵政省のやり方は現在のままでよいのか、という議論が全然出てこない。 しかし、多メディア・多チャンネル化の現状を見れば、郵政省の舵取りが、お世辞にも褒《ほ》められたものではないことは明白である。 ゴリ押しに失敗したBS調達問題、存続の危機にあるミューズ方式のハイビジョン、JSB(後のWOWOW)やSt.GIGAの危機的状況、お先真っ暗のCS、露骨に行政介入した東京第六局……。 これらは、放送行政局を「全とっかえ」(92年6月の人事)したくらいではすまない国家的な大失策の結果ではないのか。 そして、現在の放送をめぐる不透明な状況を見るにつけ思うのは、これは「いつか来た道」ではないかという感慨である。 Uターン騒動、東京12チャンネルをめぐる混乱、鳴り物入りで登場したキャプテン、伸び悩むCATV、忘れられた文字多重放送……。 郵政省は、こうした過去の失策から何ひとつ学んでこなかったのでは、という疑念である。 いま、わが国では硬直化した官僚制の弊害を危惧する声が非常に強い。 かつての「省益あって国益なし」が、いまは「局益あって省益なし」だ。 この状況を打破しようという動きも急である。 たとえば、PKOや憲法を取り上げた自民党の小沢(一郎)調査会は、官僚を一切排除して開かれた。 通例この種の調査会は、官僚が資料を出したりヒアリング対象者のリストを作ったりいろいろお膳立てするのだが、小沢一郎は「役人に考えられる問題ではない」といって呼ばなかったのだ。 日本に官僚制の限界を打ち破る新しい政策志向のシンクタンクをつくるべきだとの声も強く、実際その動きもある。 そして、郵政省もその例外ではない。 いや、郵政は、外務、通産、大蔵などのように国際化していないから、いっそう硬直化が深刻な状況なのだ。 そこで、今号と次号では「郵政省失政録」を綴《つづ》り、過去の事例に共通する郵政省の問題を抽出していきたい。 それは同時にわが国の放送制度がかかえる問題である。 もちろん、それは放送にかかわる企業や人間の問題でもあり、なによりも国民全体の問題なのだ。 降ってわく全面移行に関係者は右往左往 1968〜 テレビに使用されている電波は、周波数によってVHF、UHF、SHFに分かれる。 この順で周波数が高く、波長が短くなり、電波は光の性質に近づいていく。 NHKや民放キー局はじめVHF局は50局、地方ローカルなどUHF局は69局ある。 BSからの電波はSHFである。 ところが、郵政省はかつて、テレビ放送のVHFからUHFへの全面移行を打ち出した。 これがいわゆる「Uターン」である。 そして、この郵政省による「電波行政上かつてなかった大革命」(当時のNHK会長・前田義徳)によって、NHK、民放、メーカーは、期待に胸をふくらませるものあり、憤慨するものあり、動揺するものありという悲喜劇を演じることになった。 世にいう「Uターン騒動」だ。 なぜ、こんな馬鹿馬鹿しいことが起こったのか。 郵政は騒動から何を学ぶべきだったのか。 まず、花火打ち上げ師となった小林武治郵政大臣(当時)が昭和43年(1968年)9月に発表した談話をから見ていこう。 小林談話は、郵政官僚がつくった「テレビジョン放送のVHF帯からUHF帯への移行について」なる文書に残っている。 趣旨は、(1)公共的な重要無線通信のために伝播《でんぱ》特性の優れたVHF帯の電波が必要、(2)VHF帯には新たな割当の余地がなくテレビ放送用をすべてUHF帯に移行することが必要、(3)テレビ用としてはVとUに優劣はないからテレビはUHFで統一すべき、(4)今後10年をメドに全面的な移行を考える、というものだった。 公共的な重要無線とは主として警察無線や軍事無線(米軍、自衛隊)、あるいは電電公社のポケベルや船舶電話も意味するなどといわれたが、郵政省は具体的な使途を明らかにしたわけではない。 それがテレビより本当に重要なのかという疑問から小林談話の狙いは別のところにあるという憶測もなされた。 たとえば、UHF新局への援護射撃説、総選挙のための献金吸い上げ説。 70年安保対策説とでもいうべきか、全学連がテレビ局を占拠した場合、到達距離の短いUのほうがVよりも影響が少ないという珍説まであった。 放送局は、既存VHF局が機器の更新で莫大なカネがかかるとして反対。 できたてのUHF新局は賛成。 メーカーはU対応の新しいテレビが売れるから賛成、小林談話が出た直後から家電メーカーの株価は急騰した。 だが、民放は反対意見が大勢だったとはいえ、年が明けて2月末に民放連が郵政大臣(すでに小林から河本敏夫に代わっていた)宛に出した要望書は「放送行政に対するお願い」と題する情けないものだった。 さて、以上のような騒動にもかかわらず、現在のテレビ局はVHF局とUHF局が混在している。 警察無線はテレビ電波を浸蝕することなく、伝送路の2ルート化や傍受不可能なPCM化を着々と進めた。 郵政省の失政の典型例である。 ここで指摘すべきことは、国際的な取り決めによってわが国に分配された電波を国内でどのように使うかが、郵政省の勝手な裁量で決まるという事実である。 どう使うかは「周波数の業務別分配計画」で決まるが、これに関する行政当局の権限は法律で明確には規定されていない。 そこで、計画の策定や修正は郵政大臣の恣意にゆだねられる。 そして、業務別分配計画に基づいて「放送用周波数割当計画」(チャンネル・プラン)が決まるのだが、これも誰がどのように決めるか法律上の根拠がないままに郵政省が決めている。 しかし、法律に規定がなく郵政の行政裁量になっていることからただちに、郵政大臣あるいは郵政省が好き勝手にやりたい放題やっていい、ということにはならない。 話は逆で、郵政の恣意的な裁量権に属するからこそ、広く国民や関係者の意見を聞きながら処理しなければならない。 Uターン騒動を引き起こした小林談話の前に、郵政省が放送局や有識者に意見を聞いたという事実はないのである。 郵政のUターン方針は、単なる思いつき、机上の空論にすぎなかったため、関係者がてんてこ舞いした以上に深刻な実害はなかったというべきかもしれない。 しかし、郵政省が過去に恣意的な裁量権を振りかざして、UHF局への全面移行という空理空論を打ち出した事実は、長く記憶されるべきであろう。 同時に、それにまともな反論ひとつできなかった新聞やテレビの責任も忘れてはならない。 当時は公共無線のため「テレビはどけ」といわれたが、現在は携帯はじめモバイル通信のため「テレビはどけ」といわれている。 UとVは優劣がなかったが、デジタルとアナログは優劣がある。 問題の第1は、技術的な優劣だけが語られ、視聴者にとっての優劣(おもしろいか、役に立つか、安く手に入るか)が一切語られないことだ。 第2は、Uターンは机上の空論に終わったが、デジタル化は兆単位のカネを投じて「視聴者に一切相談なく」進んでいることである。 密室談合の出来レースは最高裁敗訴 1962〜 郵政省の恣意的な行政は、最高裁判所まで持ち込まれた挙句《あげく》に否定されたことがある。 現在のテレビ東京の前身、東京12チャンネルの免許に関する行政訴訟においてだ。 当時の河本敏夫郵政相は「判決は『これまでの電波行政は間違っていた』ことを指摘されたと解釈すべき。 謙虚に反省する必要がある」(昭和44年1月18日付「電波新聞」)と述べた。 最高裁の判断が出ない限り反省しないという役所にも困ったものだが、ことの次第はこうである。 東京12チャンネルの使う電波は、もともと米軍がレーダー用に使っていたもの。 これが戦後17年も経過した昭和37年(1962年)、ようやく返還されることになった。 そして東京で最後のVHFの波だというので、財界がつくった日本科学技術振興財団はじめ、前田久吉の日本電波塔、鮎川義介の千代田テレビ、故河野一郎が社長だったラジオ関東、私労連と毎日放送連合の中央教育放送、以上5社が免許を競った。 しかし37年11月、郵政省は日本科学技術振興財団に予備免許を与えてしまう。 この財団、日立が創立60周年の記念事業として昭和35年につくったもので、テレビを持たなければならない必然性などなかった。 「財界テレビ」を持とうとした財界がこれは使えると目をつけたのだ、といわれている。 米側とのチャンネル返還交渉に望んだ津野田知重は、同財団の専務理事で後の12チャンネルテレビ事業本部長。 津野田をバックアップしたのは、当時財界の青年将校で信越化学社長の小坂徳三郎だったともいう。 いずれにせよ、チャンネル返還交渉の当事者がいる財団に予備免許が下り、その人物がテレビ事業本部長におさまるという構図はおかしい。 米軍基地の返還交渉をした民間人に、その土地を優先的に払い下げることがおかしいのと同じだ。 返還交渉の当事者は政府、電波の場合は郵政省でなければならない。 ところが郵政省には当事者能力がなかったことが、そもそもの不幸だった。 そして、当事者能力が欠如していたので民間人に政府間交渉の協力方《きょうりょくかた》依頼したが、それと免許は別だというなら、他の4団体をさておき日本科学技術振興財団に予備免許を与えた正当な理由を説明しなければならない。 郵政省は納得できる説明をしていないし、公聴会や関係者からのヒアリングもしていない。 すべては密室で処理されたのである。 この「出来レース」免許に対して、各社は異議を申し立てたが却下された。 そこで中央教育放送が郵政大臣を相手取り「異議申し立て棄却決定取り消し請求」の行政訴訟を起こす。 40年6月に出た東京高裁の判決は、中央教育放送の主張をほぼ全面的に認め、「電波管理審議会が各社の優劣を判断して結論を出す場合の基礎となる具体的な事実を示さなければならない」との判断を示した。 郵政省はこれを不服として上告したが、43年12月最高裁は上告棄却の判断を下したのだった。 こうして、郵政省は中央教育放送の異議申し立ての審議をやり直さなければならなかった。 一方、「財界ある限り、このテレビ局は存続する」といわれた東京12チャンネルは、39年4月から本放送を開始した。 しかしその直後、わが国は四十年不況に突入する。 テレビ広告費がマイナス成長になったのは、当時と現在(平成バブル不況)の2回だけなのだ。 当然、財界からのカネは滞る。 財界は協力会費として毎月1億円を集めるという話だったが、よくてその10分の1という月が続いた。 12チャンネルが映らないというテレビ受像機がたくさんあったことも響いた。 東京12チャンネルをめぐっては、準国立移管構想やNHKから資金援助を受ける秘密工作など、怪しげな噂が立ってはまた消え、結局、日本経済新聞社に身売りされることになる。 次号に詳しく書くが、以上からJSBやSt.GIGA、あるいは東京第六局を連想しない人は、よほど脳天気な人である。 このように利権に走る政財界の尻馬に乗り、十分な審議を尽くさずに強引に免許を下ろした郵政省のやり方は、厳しく批判されなくてはならない。 放送に関する法律の不備から郵政省の恣意的な裁量がまかり通るわが国放送システムの致命的な欠陥を、Uターンと同様ここでも指摘しなければならない。 なにしろ中央教育放送が行政訴訟に訴えなければ、郵政省のやり方がその後もまかり通っていたかもしれないのだ。 郵政省に対するチェック機能を郵政省自身に望むのはもちろん無理としても、それがマスコミにまったく期待できず、残る頼みは裁判所だけという事態は大変不幸なことである。 つまり、政財界の利権漁り、密室談合免許、郵政官僚天下り、初期の経営不在、倒産一歩手前の経営不振、民間による再建などにおいて、まったく同じ道を歩んでいる。 多かれ少なかれ放送局の免許は密室の談合によって下されるが、名前をあげたような典型的な会社を見つけるには、会長・社長の出自(財界代表・郵政OBのデタラメコンビ)、出資比率(横並びで少しずつ出し合う呉越同舟《ごえつどうしゅう》)、赤字額(設立そのものが利権だから、まともな経営がなされず必ず赤字になる)などを調べればよい。 普及予測がハズれた新システムの末路 1984〜 郵政省OBでフジテレビ常務の富田徹郎は「役所が新しいことに旗を振りたがるのは仕方ない。 重要なのはニーズをきちんと予測することだ。 その予測に基づいてあるべき政策を打ち出さなければ」と述べている。 郵政省の過去を振り返るとき、恣意的な裁量権を振りかざして何か仕出かしてしまう事例と並んで目に着くのが、未来予測がきわめていい加減というケース。 好例がキャプテンだろう。 「キャプテン・システム」は、郵政省、電電公社などが協力して開発した日本版ビデオテックス。 ホストコンピュータと家庭用端末を電話回線で結び、商品やサービスを注文したり、情報を検索する公衆サービスだ。 1979年から83年まで2期の実験をへて84年11月、東京と京阪神で商用サービスが始まった。 スタート当時、郵政省や電電、あるいは広告会社、セミナー屋などが口にしていたのは、「当面の目標端末数は100万台で、おそらく数年以内に達成可能」という皮算用だった。 だが現実は厳しい。 スタートから丸8年たった92年11月現在、契約者数は約13万人に過ぎない。 郵政省その他が見込んだ数値のほぼ10分の1規模なのだ。 本の出た3年目には、端末の価格が高い、機器の使い勝手が悪い、流通業者が情報提供を敬遠し続けている、強敵の文字放送も放送中、ファミコンで類似のホームトレードサービスができる(88年7月から開始)といった悪材料は出そろっていた。 その時点で4年先を予測し、現実の4倍というハズレぶり……。 こんな目先の利かない人びとに政策を委ねなくてはならないこの国の大衆は、つくづく不運であると思う。 郵政の予測数値づくりには専門家が手を貸している。 予測をそのまま流したのは不見識なマスコミだ。 これらの責任もまた重大である。 そう、これは現在インターネットでおこなわれていることに瓜二つなのだ。 だから、システムそのものの発想は悪くないといえるが、それとシステムが普及するかどうかはまったく別。 官僚や技術者は、それがまったくわからない。 そこで、主催者側の勝手な思い込みでありもしないニーズをはじき、おかしな予測数値を出して、普及を推進する。 人びとは、不便で高いものは買わないから、普及には当然失敗するわけだ。 BSデジタルや地上波デジタルは、同じ道を歩みつつある。 なお、富田徹郎はこの原稿について後に「私がキャプテンを担当していたと知ってのうえで、書いたのか」と筆者に聞いた。 筆者は「もちろん知ってのうえで書きました」と答えた。 大ゲサ数字にメーカーも消費者もうんざり 1985〜 文字放送も、郵政省の普及予測がまったくいい加減だった例のひとつである。 郵政省が1987年(昭和62年)3月30日に出した「文字放送の普及予測」によると、昭和61年度末に約3.5万だった文字放送受信世帯数は62年末の約83万からほぼ一直線に右肩上がりの伸びを示し、昭和66(1991)年度末には約671万になるというのだ。 予測根拠は音声多重(内蔵型)テレビの普及実績で、条件は「六二年度前半に数社以上のメーカーが内蔵型を発売すること。 その場合、買い替え需要に対応できる価格であること」などと、もっともらしい但し書きまでついている。 62年度前半にはちょっと遅れたが、62年12月のボーナス商戦では7社が文字放送内蔵テレビを発売していたから、予測の前提条件はほぼ満たされていたといえる。 しかし、92年3月に文字放送受信世帯が600万などというのは、まったく大嘘だった。 現在でも100万の大台に乗っていない。 予測数値をまとめた電通審の委員会では「いくらなんでも過大に見込み過ぎだ」との意見も出された。 結局「業界を元気づける意味で割り切ろう」となったのだが、こんないい加減な数字でカラ元気をつけられたメーカーこそいい迷惑である。 そしてそれを買った消費者は、もっと迷惑かもしれないのだ。 審議会の専門家たちは、こんな数値にお墨付きを与えた不明を恥じるべきである。 さて、普及予測がいい加減ということは、郵政省は文字放送のメディアとしての力を過大に評価していたわけだ。 過大評価を前提として政策を立てるから、それはすべて的外れになる。 そして役所は「大過ないままポストを少しずつ上げていく」ことを至上命題とする人間たちの共同体だから、的外れの政策をなかなか軌道修正しない。 修正すると誤りを認めたことになり担当者が傷つくからだ。 そこで、およそ2年に1度くらいの割で、少しずつ控え目に軌道修正していく。 文字放送にあってはマスコミ集中排除原則を厳格に適用し、走査線4本のうち3本は第三者機関にしか放送させないという方針がこれ。 NHKや民放各社が反対したにもかかわらず、この方針によって本体の中に、本体からの出向者からなる文字放送会社ができた。 テレモ日本、アクセス4、東京データビジョン、朝日レタービジョン、日経テレプレスなどだ。 開発のため先行投資をしたNHKも一部民放も、直接には果実を収穫する権利がないとされたのである。 たとえばNHK系のテレモ日本は、85年11月26日に設立され12月16日から放送を開始している。 母屋《おもや》が庇《ひさし》を使えないという異常な状態は、「角を矯めて牛を殺す」結果しかもたらさなかった。 郵政省が方針を修正したのはようやく87年のことである。 マスコミ集中排除にみられる参入規制だけではない。 弱いメディアは規制を緩めなければ育たない。 虚弱体質の子供に健康優良児とまったく同じ条件でマラソンしろといっても無理。 虚弱体質の子は距離を短くしてリレーさせるとか、いっそのことマラソンはやめてお遊戯にするとか、工夫が必要だった。 これも思うように普及が進まないのを見て、ようやく規制緩和したのである。 文字放送では省間戦争も垣間みえた。 文字放送各社が作った「文字放送PR委員会」が普及促進イベントを計画したときである。 協賛金を募って家電メーカーを回り、元締めの通産省にも行って後援として名を連ねてもらうことにしたら、郵政省が強行に反対。 結局「大人の通産省が黙って引き下がり」(関係者)、代わりに日本電子機械工業会が入った。 厚生省も後援しているが、これは競合関係にないから構わないのだ。 郵政にとって、文字放送の普及が大事なのか、縄張り争いに勝つことが大事なのか。 話があまり低次元でうんざりする。 これでスタート)への乗換えとともに、現在のハイビジョンをめぐる動きを連想させずにはおかない。 何を予測の根拠にしようが勝手で、好きなように操作できる。 たとえば「学習塾は増える」と予測したければ、人口急増地域で5年間の学習塾の推移を調べ(増加と決まっている)、その増加率と塾の現在数をかけ算すればよい。 「学習塾は減る」と予測したければ、子どもの将来人口の推移を調べ(減少と決まっている)、その減少率と塾の現在数をかけ算すればよい。 役所が出す予測数値をあつかうときの第1の前提は、それが役所に都合がよいように操作された数値だということである。 あまり勝手な予測を出すと、ふつうは責任を問われる。 学者が論文で書いた予測数値がハズレれば恥をかくし、コンサルタントが出した予測数値に従った企業が投資に失敗すれば、そのコンサルタントは信用をなくす。 だが、役所の場合は、審議会や諮問委員会などが事務局である官僚のシナリオ通りに数値を出すのが一般的。 すると、委員たち一人ひとりは、責任を問われることがない。 事務局官僚も、表に出ず、何年かたてば部署が代わることもあって、責任を問われることがない。 役所が出す予測数値をあつかうときの第2の前提は、それがハズレても何ら責任を問われない人びとの手になるものだということである。 以上のことは、郵政省に限った話ではなく、財務省でも国土交通省でも話は同じだ。 しかし、予測数値を報道するマスコミは、そんなカラクリは報道しないし、勉強不足だから数値がおかしいと指摘する材料も持たない。 結果としていつも、デマにも等しい馬鹿げた「公式予測数値」が出回る。 ビジョン欠く「場あたり行政」の被害者 1968〜 長いことニューメディアの旗手のようにいわれてきたCATV。 双方向機能があり、自主放送が5チャンネル以上、10000端子以上を持ついわゆる「都市型CATV」(難視聴解消ではなく多チャンネル・サービスを目的とするCATV)は、現在施設数が128。 加入世帯は93年3月に100万を超える見込みだ。 これも郵政の用いている予測数値を紹介しておくと、89年の64万世帯が、90年116万世帯、91年186万世帯、92年299万世帯と順調に増え、97年には1000万の大台に乗り、2001年には1323万世帯(普及率41%)に達するはずだ。 現時点では予測の5分の1にも満たない。 CATVに関わる郵政の姿勢で指摘すべき最大の問題は、規制緩和の遅れである。 CATVは「有線テレビ」と呼ばれた時代から規制緩和が最大最重要のテーマ。 しかも、一方で厳しい規制の網をかけておきながら、その場限りの「恣意」「裁量」あるいは「政治的判断」によって行政方針は必ずしも一貫していないのが、わが国のCATV行政なのだ。 東京に初めて本格的な都市型CATV計画が登場したのは1968年のことである。 新宿を拠点とした日本ケーブルビジョン放送網の計画がそれ。 実はこの頃、CATVを規制する法律はいわゆる「有線」(飲み屋や農家の)を対象とするものしかなく、しかも届出制だった。 そこで郵政省は「有線テレビ規制法案」の制定に動くとともに、行政指導によって日本ケーブルテレビジョンを公益法人化する。 ところが直後の70年、甲府で日本ネットワークサービスという会社が名乗りを上げると、「大都市では公益法人だが、地方では株式会社でもよい」という妙な理屈をでっち上げ、同社の届出申請を受理してしまう。 郵政省は、甲府も東京と同じ公益法人化を進めようとしたが、利害が一致した地元マスコミや代議士からの強力な働きかけに筋を曲げたのである。 そこで、われもわれもとばかり全国各地でCATV構想が次々に打ち出された。 これを第一次CATVブームと呼ぶ人もある。 しかし、72年に成立した「有線テレビジョン放送法」は、揺れ動く郵政の裁量とは打って変わって規制色の強いものとなった。 CATV局は許可制となり、番組内容も放送法と同じ規制がかけられた。 中には郵政省職員の立ち入り検査をみとめる(第27条)という、放送法にも例のない項目すら紛《まぎ》れ込ませてあった。 こうして、わが国の都市型CATVの芽は郵政省によって摘み採られていたが、80年になって大きな転機が訪れる。 郵政省が規制緩和へと政策を大転換しはじめたのである。 80年から3か年計画で続いた「都市の大規模有線テレビジョン放送施設に関する開発調査研究」がその契機となった。 ここに第二次CATVブームが起こったのである。 だがその後、難視聴解消モア・チャンネル型CATVは増えたものの、都市型CATVは苦戦を続けている。 衛星がCATVの発展に寄与する場面がないままに、BS、CSによる多チャンネルがCATVの競合相手となる状況に突入してしまった。 もちろん、現在CATVに加入するとBSやCSは割安なベーシック・サービスとしてついてくる。 すべて個別受信するなら、CATVに加入したほうが得だともいわれる。 だが、それにもまして加入料が十数万円という価格の問題、電柱の使用や道路の地下埋設の手間、マンションや古い住宅密集地での工事の難しさなどが深刻で、加入率は遅々として伸びない。 まだまだ残っている厳しい規制、たとえば道の向こう側の世帯は加入できるがこちら側ではダメといった杓子定規な地域制限も、伸びを鈍らせる原因になっている。 だから、都市型CATV業者の口癖は「10年、20年という長い目で見てほしい」となる。 けれども、あまりレンジを広げると、次はNTTの広帯域ISDN(総合デジタル通信網)の時代。 既存のCATVなどすべて吹っ飛ぶ可能性すらある。 そこまで視野に入れたCATVのビジョンを立てることこそ、郵政省という役所の負った使命のはずなのである。 これは、現在ADSLに押されつつあるISDN(ISDN規格による「INSネット64」サービス)ではなく、光ファイバーを使うISDN規格による広帯域デジタル通信網を指す。 なお、その後CATVは、アメリカの圧力による規制緩和が進んだこと、自治体による情報化投資の対象となったこと、山がちの日本は難視聴地域が広く難視聴解消型CATVと都市型CATVの区別がハッキリしないことなどから、郵政省の予測には及ばないながら普及が進んでいる。 この原稿は、そうなる前の状況下に執筆したものである。

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日本郵政がゆうちょ銀株で巨額減損リスク、過去最大の2兆9000億円規模

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事件の発端は市島 秀樹 人事部長が長年の仲間である三人の職員を不当に解雇しようとしたことにある。 元々、上田 浩一 事務局長、安藤 誠 事務長、田中 謙二 事務次長、市島 秀樹 人事部長の四人は四人で名戸ヶ谷病院の事務の中心を担っていた。 ところが、市島 秀樹 人事部長は上田 浩一 事務局長の怠惰怠慢事例をかき集め、高野 清豪 理事長に上田 浩一 事務局長の退職の許可を取り、 上田 浩一 事務局長に退職を迫った。 上田 浩一 事務局長は焦って高橋 一昭 副理事長に助けを求め、退職は免れる。 市島 秀樹 人事部長は同様の手段で高野 清豪 理事長の許可を得て、安藤 誠 事務長、田中 謙二 事務次長にも退職を迫る。 安藤 誠 事務長、田中 謙二 事務次長はいずれも高橋 一昭 副理事長に助けを求め、いずれも退職を免れる。 退職を迫られた三人の怒りは市島 秀樹 人事部長に向かい、高橋 一昭 副理事長は怒って市島 秀樹 人事部長に退職勧告を行い、 市島 秀樹 人事部長はこれを承認する。 この一件で高橋 一昭 副理事長と高野 清豪 理事長との間に亀裂が入り、この二人の関係も悪化している。 高橋 一昭 副理事長は 高野 清豪 理事長の管理能力を問題視している。 市島 秀樹 事部長は名戸ヶ谷病院人事部長と社会福祉法人清泉会(アネシス)の理事の両方の退職金を受け取ろうと画策中。 ここにきて、さらに郵政のコンプライアンスを問う呆れた実態が発覚した。 郵政社員を自称するパワー・ハラスメント啓蒙家の男性(静岡県)が、Twitterやインターネット掲示板で郵政の内部資料を流出させているのだ。 問題の男性は「郵政仮面」を名乗り Twitterに内部資料の画像を添付。 氏名や住所といった個人情報は消されているが、郵政内部の者でないと見られない資料ばかりで、関係者を脅すような文面や告発とみられる書き込みもみられる。 流出させているのは、社員の営業成績や顧客の注文状況、パワハラを行っている社員がいるとされる支部局などの情報や資料類。 問題の男性はほかにも大型掲示板・2ちゃんねるや その他ネット掲示板にも書き込みしており、郵政のパワハラを啓蒙する目的で活動していると自称。 いまのところ郵政は問題の男性の行動を把握していないとみられる。

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郵政5チャンネル

系列としてテレビと一体化する新聞も同じだ。 その郵政省は、これまでテレビをどうしてきたか? テレビが今日の隆盛を見ているのは、本当に郵政省のお陰だろうか? 郵政省のテレビ政策は、ほとんど失政の繰り返しではないのか? 発表当時の1992年、電通のみなさんがコピーを郵政省内で配りまくったこの原稿、いまでも立派に通用する。 そこでハイビジョンをどのようにあつかうかも決まる。 だが、それにしてはこの国の放送システムをめぐる議論は、情けないほど不十分といわざるをえない。 とりわけ免許を下ろす郵政省の顔色をうかがって、新聞テレビなど巨大マスコミ、あるいは新規参入を目指すグループは何もいわない。 目先の免許や利権が気になって、長期的な視野からわが国の放送をどうすべきなのか、郵政省のやり方は現在のままでよいのか、という議論が全然出てこない。 しかし、多メディア・多チャンネル化の現状を見れば、郵政省の舵取りが、お世辞にも褒《ほ》められたものではないことは明白である。 ゴリ押しに失敗したBS調達問題、存続の危機にあるミューズ方式のハイビジョン、JSB(後のWOWOW)やSt.GIGAの危機的状況、お先真っ暗のCS、露骨に行政介入した東京第六局……。 これらは、放送行政局を「全とっかえ」(92年6月の人事)したくらいではすまない国家的な大失策の結果ではないのか。 そして、現在の放送をめぐる不透明な状況を見るにつけ思うのは、これは「いつか来た道」ではないかという感慨である。 Uターン騒動、東京12チャンネルをめぐる混乱、鳴り物入りで登場したキャプテン、伸び悩むCATV、忘れられた文字多重放送……。 郵政省は、こうした過去の失策から何ひとつ学んでこなかったのでは、という疑念である。 いま、わが国では硬直化した官僚制の弊害を危惧する声が非常に強い。 かつての「省益あって国益なし」が、いまは「局益あって省益なし」だ。 この状況を打破しようという動きも急である。 たとえば、PKOや憲法を取り上げた自民党の小沢(一郎)調査会は、官僚を一切排除して開かれた。 通例この種の調査会は、官僚が資料を出したりヒアリング対象者のリストを作ったりいろいろお膳立てするのだが、小沢一郎は「役人に考えられる問題ではない」といって呼ばなかったのだ。 日本に官僚制の限界を打ち破る新しい政策志向のシンクタンクをつくるべきだとの声も強く、実際その動きもある。 そして、郵政省もその例外ではない。 いや、郵政は、外務、通産、大蔵などのように国際化していないから、いっそう硬直化が深刻な状況なのだ。 そこで、今号と次号では「郵政省失政録」を綴《つづ》り、過去の事例に共通する郵政省の問題を抽出していきたい。 それは同時にわが国の放送制度がかかえる問題である。 もちろん、それは放送にかかわる企業や人間の問題でもあり、なによりも国民全体の問題なのだ。 降ってわく全面移行に関係者は右往左往 1968〜 テレビに使用されている電波は、周波数によってVHF、UHF、SHFに分かれる。 この順で周波数が高く、波長が短くなり、電波は光の性質に近づいていく。 NHKや民放キー局はじめVHF局は50局、地方ローカルなどUHF局は69局ある。 BSからの電波はSHFである。 ところが、郵政省はかつて、テレビ放送のVHFからUHFへの全面移行を打ち出した。 これがいわゆる「Uターン」である。 そして、この郵政省による「電波行政上かつてなかった大革命」(当時のNHK会長・前田義徳)によって、NHK、民放、メーカーは、期待に胸をふくらませるものあり、憤慨するものあり、動揺するものありという悲喜劇を演じることになった。 世にいう「Uターン騒動」だ。 なぜ、こんな馬鹿馬鹿しいことが起こったのか。 郵政は騒動から何を学ぶべきだったのか。 まず、花火打ち上げ師となった小林武治郵政大臣(当時)が昭和43年(1968年)9月に発表した談話をから見ていこう。 小林談話は、郵政官僚がつくった「テレビジョン放送のVHF帯からUHF帯への移行について」なる文書に残っている。 趣旨は、(1)公共的な重要無線通信のために伝播《でんぱ》特性の優れたVHF帯の電波が必要、(2)VHF帯には新たな割当の余地がなくテレビ放送用をすべてUHF帯に移行することが必要、(3)テレビ用としてはVとUに優劣はないからテレビはUHFで統一すべき、(4)今後10年をメドに全面的な移行を考える、というものだった。 公共的な重要無線とは主として警察無線や軍事無線(米軍、自衛隊)、あるいは電電公社のポケベルや船舶電話も意味するなどといわれたが、郵政省は具体的な使途を明らかにしたわけではない。 それがテレビより本当に重要なのかという疑問から小林談話の狙いは別のところにあるという憶測もなされた。 たとえば、UHF新局への援護射撃説、総選挙のための献金吸い上げ説。 70年安保対策説とでもいうべきか、全学連がテレビ局を占拠した場合、到達距離の短いUのほうがVよりも影響が少ないという珍説まであった。 放送局は、既存VHF局が機器の更新で莫大なカネがかかるとして反対。 できたてのUHF新局は賛成。 メーカーはU対応の新しいテレビが売れるから賛成、小林談話が出た直後から家電メーカーの株価は急騰した。 だが、民放は反対意見が大勢だったとはいえ、年が明けて2月末に民放連が郵政大臣(すでに小林から河本敏夫に代わっていた)宛に出した要望書は「放送行政に対するお願い」と題する情けないものだった。 さて、以上のような騒動にもかかわらず、現在のテレビ局はVHF局とUHF局が混在している。 警察無線はテレビ電波を浸蝕することなく、伝送路の2ルート化や傍受不可能なPCM化を着々と進めた。 郵政省の失政の典型例である。 ここで指摘すべきことは、国際的な取り決めによってわが国に分配された電波を国内でどのように使うかが、郵政省の勝手な裁量で決まるという事実である。 どう使うかは「周波数の業務別分配計画」で決まるが、これに関する行政当局の権限は法律で明確には規定されていない。 そこで、計画の策定や修正は郵政大臣の恣意にゆだねられる。 そして、業務別分配計画に基づいて「放送用周波数割当計画」(チャンネル・プラン)が決まるのだが、これも誰がどのように決めるか法律上の根拠がないままに郵政省が決めている。 しかし、法律に規定がなく郵政の行政裁量になっていることからただちに、郵政大臣あるいは郵政省が好き勝手にやりたい放題やっていい、ということにはならない。 話は逆で、郵政の恣意的な裁量権に属するからこそ、広く国民や関係者の意見を聞きながら処理しなければならない。 Uターン騒動を引き起こした小林談話の前に、郵政省が放送局や有識者に意見を聞いたという事実はないのである。 郵政のUターン方針は、単なる思いつき、机上の空論にすぎなかったため、関係者がてんてこ舞いした以上に深刻な実害はなかったというべきかもしれない。 しかし、郵政省が過去に恣意的な裁量権を振りかざして、UHF局への全面移行という空理空論を打ち出した事実は、長く記憶されるべきであろう。 同時に、それにまともな反論ひとつできなかった新聞やテレビの責任も忘れてはならない。 当時は公共無線のため「テレビはどけ」といわれたが、現在は携帯はじめモバイル通信のため「テレビはどけ」といわれている。 UとVは優劣がなかったが、デジタルとアナログは優劣がある。 問題の第1は、技術的な優劣だけが語られ、視聴者にとっての優劣(おもしろいか、役に立つか、安く手に入るか)が一切語られないことだ。 第2は、Uターンは机上の空論に終わったが、デジタル化は兆単位のカネを投じて「視聴者に一切相談なく」進んでいることである。 密室談合の出来レースは最高裁敗訴 1962〜 郵政省の恣意的な行政は、最高裁判所まで持ち込まれた挙句《あげく》に否定されたことがある。 現在のテレビ東京の前身、東京12チャンネルの免許に関する行政訴訟においてだ。 当時の河本敏夫郵政相は「判決は『これまでの電波行政は間違っていた』ことを指摘されたと解釈すべき。 謙虚に反省する必要がある」(昭和44年1月18日付「電波新聞」)と述べた。 最高裁の判断が出ない限り反省しないという役所にも困ったものだが、ことの次第はこうである。 東京12チャンネルの使う電波は、もともと米軍がレーダー用に使っていたもの。 これが戦後17年も経過した昭和37年(1962年)、ようやく返還されることになった。 そして東京で最後のVHFの波だというので、財界がつくった日本科学技術振興財団はじめ、前田久吉の日本電波塔、鮎川義介の千代田テレビ、故河野一郎が社長だったラジオ関東、私労連と毎日放送連合の中央教育放送、以上5社が免許を競った。 しかし37年11月、郵政省は日本科学技術振興財団に予備免許を与えてしまう。 この財団、日立が創立60周年の記念事業として昭和35年につくったもので、テレビを持たなければならない必然性などなかった。 「財界テレビ」を持とうとした財界がこれは使えると目をつけたのだ、といわれている。 米側とのチャンネル返還交渉に望んだ津野田知重は、同財団の専務理事で後の12チャンネルテレビ事業本部長。 津野田をバックアップしたのは、当時財界の青年将校で信越化学社長の小坂徳三郎だったともいう。 いずれにせよ、チャンネル返還交渉の当事者がいる財団に予備免許が下り、その人物がテレビ事業本部長におさまるという構図はおかしい。 米軍基地の返還交渉をした民間人に、その土地を優先的に払い下げることがおかしいのと同じだ。 返還交渉の当事者は政府、電波の場合は郵政省でなければならない。 ところが郵政省には当事者能力がなかったことが、そもそもの不幸だった。 そして、当事者能力が欠如していたので民間人に政府間交渉の協力方《きょうりょくかた》依頼したが、それと免許は別だというなら、他の4団体をさておき日本科学技術振興財団に予備免許を与えた正当な理由を説明しなければならない。 郵政省は納得できる説明をしていないし、公聴会や関係者からのヒアリングもしていない。 すべては密室で処理されたのである。 この「出来レース」免許に対して、各社は異議を申し立てたが却下された。 そこで中央教育放送が郵政大臣を相手取り「異議申し立て棄却決定取り消し請求」の行政訴訟を起こす。 40年6月に出た東京高裁の判決は、中央教育放送の主張をほぼ全面的に認め、「電波管理審議会が各社の優劣を判断して結論を出す場合の基礎となる具体的な事実を示さなければならない」との判断を示した。 郵政省はこれを不服として上告したが、43年12月最高裁は上告棄却の判断を下したのだった。 こうして、郵政省は中央教育放送の異議申し立ての審議をやり直さなければならなかった。 一方、「財界ある限り、このテレビ局は存続する」といわれた東京12チャンネルは、39年4月から本放送を開始した。 しかしその直後、わが国は四十年不況に突入する。 テレビ広告費がマイナス成長になったのは、当時と現在(平成バブル不況)の2回だけなのだ。 当然、財界からのカネは滞る。 財界は協力会費として毎月1億円を集めるという話だったが、よくてその10分の1という月が続いた。 12チャンネルが映らないというテレビ受像機がたくさんあったことも響いた。 東京12チャンネルをめぐっては、準国立移管構想やNHKから資金援助を受ける秘密工作など、怪しげな噂が立ってはまた消え、結局、日本経済新聞社に身売りされることになる。 次号に詳しく書くが、以上からJSBやSt.GIGA、あるいは東京第六局を連想しない人は、よほど脳天気な人である。 このように利権に走る政財界の尻馬に乗り、十分な審議を尽くさずに強引に免許を下ろした郵政省のやり方は、厳しく批判されなくてはならない。 放送に関する法律の不備から郵政省の恣意的な裁量がまかり通るわが国放送システムの致命的な欠陥を、Uターンと同様ここでも指摘しなければならない。 なにしろ中央教育放送が行政訴訟に訴えなければ、郵政省のやり方がその後もまかり通っていたかもしれないのだ。 郵政省に対するチェック機能を郵政省自身に望むのはもちろん無理としても、それがマスコミにまったく期待できず、残る頼みは裁判所だけという事態は大変不幸なことである。 つまり、政財界の利権漁り、密室談合免許、郵政官僚天下り、初期の経営不在、倒産一歩手前の経営不振、民間による再建などにおいて、まったく同じ道を歩んでいる。 多かれ少なかれ放送局の免許は密室の談合によって下されるが、名前をあげたような典型的な会社を見つけるには、会長・社長の出自(財界代表・郵政OBのデタラメコンビ)、出資比率(横並びで少しずつ出し合う呉越同舟《ごえつどうしゅう》)、赤字額(設立そのものが利権だから、まともな経営がなされず必ず赤字になる)などを調べればよい。 普及予測がハズれた新システムの末路 1984〜 郵政省OBでフジテレビ常務の富田徹郎は「役所が新しいことに旗を振りたがるのは仕方ない。 重要なのはニーズをきちんと予測することだ。 その予測に基づいてあるべき政策を打ち出さなければ」と述べている。 郵政省の過去を振り返るとき、恣意的な裁量権を振りかざして何か仕出かしてしまう事例と並んで目に着くのが、未来予測がきわめていい加減というケース。 好例がキャプテンだろう。 「キャプテン・システム」は、郵政省、電電公社などが協力して開発した日本版ビデオテックス。 ホストコンピュータと家庭用端末を電話回線で結び、商品やサービスを注文したり、情報を検索する公衆サービスだ。 1979年から83年まで2期の実験をへて84年11月、東京と京阪神で商用サービスが始まった。 スタート当時、郵政省や電電、あるいは広告会社、セミナー屋などが口にしていたのは、「当面の目標端末数は100万台で、おそらく数年以内に達成可能」という皮算用だった。 だが現実は厳しい。 スタートから丸8年たった92年11月現在、契約者数は約13万人に過ぎない。 郵政省その他が見込んだ数値のほぼ10分の1規模なのだ。 本の出た3年目には、端末の価格が高い、機器の使い勝手が悪い、流通業者が情報提供を敬遠し続けている、強敵の文字放送も放送中、ファミコンで類似のホームトレードサービスができる(88年7月から開始)といった悪材料は出そろっていた。 その時点で4年先を予測し、現実の4倍というハズレぶり……。 こんな目先の利かない人びとに政策を委ねなくてはならないこの国の大衆は、つくづく不運であると思う。 郵政の予測数値づくりには専門家が手を貸している。 予測をそのまま流したのは不見識なマスコミだ。 これらの責任もまた重大である。 そう、これは現在インターネットでおこなわれていることに瓜二つなのだ。 だから、システムそのものの発想は悪くないといえるが、それとシステムが普及するかどうかはまったく別。 官僚や技術者は、それがまったくわからない。 そこで、主催者側の勝手な思い込みでありもしないニーズをはじき、おかしな予測数値を出して、普及を推進する。 人びとは、不便で高いものは買わないから、普及には当然失敗するわけだ。 BSデジタルや地上波デジタルは、同じ道を歩みつつある。 なお、富田徹郎はこの原稿について後に「私がキャプテンを担当していたと知ってのうえで、書いたのか」と筆者に聞いた。 筆者は「もちろん知ってのうえで書きました」と答えた。 大ゲサ数字にメーカーも消費者もうんざり 1985〜 文字放送も、郵政省の普及予測がまったくいい加減だった例のひとつである。 郵政省が1987年(昭和62年)3月30日に出した「文字放送の普及予測」によると、昭和61年度末に約3.5万だった文字放送受信世帯数は62年末の約83万からほぼ一直線に右肩上がりの伸びを示し、昭和66(1991)年度末には約671万になるというのだ。 予測根拠は音声多重(内蔵型)テレビの普及実績で、条件は「六二年度前半に数社以上のメーカーが内蔵型を発売すること。 その場合、買い替え需要に対応できる価格であること」などと、もっともらしい但し書きまでついている。 62年度前半にはちょっと遅れたが、62年12月のボーナス商戦では7社が文字放送内蔵テレビを発売していたから、予測の前提条件はほぼ満たされていたといえる。 しかし、92年3月に文字放送受信世帯が600万などというのは、まったく大嘘だった。 現在でも100万の大台に乗っていない。 予測数値をまとめた電通審の委員会では「いくらなんでも過大に見込み過ぎだ」との意見も出された。 結局「業界を元気づける意味で割り切ろう」となったのだが、こんないい加減な数字でカラ元気をつけられたメーカーこそいい迷惑である。 そしてそれを買った消費者は、もっと迷惑かもしれないのだ。 審議会の専門家たちは、こんな数値にお墨付きを与えた不明を恥じるべきである。 さて、普及予測がいい加減ということは、郵政省は文字放送のメディアとしての力を過大に評価していたわけだ。 過大評価を前提として政策を立てるから、それはすべて的外れになる。 そして役所は「大過ないままポストを少しずつ上げていく」ことを至上命題とする人間たちの共同体だから、的外れの政策をなかなか軌道修正しない。 修正すると誤りを認めたことになり担当者が傷つくからだ。 そこで、およそ2年に1度くらいの割で、少しずつ控え目に軌道修正していく。 文字放送にあってはマスコミ集中排除原則を厳格に適用し、走査線4本のうち3本は第三者機関にしか放送させないという方針がこれ。 NHKや民放各社が反対したにもかかわらず、この方針によって本体の中に、本体からの出向者からなる文字放送会社ができた。 テレモ日本、アクセス4、東京データビジョン、朝日レタービジョン、日経テレプレスなどだ。 開発のため先行投資をしたNHKも一部民放も、直接には果実を収穫する権利がないとされたのである。 たとえばNHK系のテレモ日本は、85年11月26日に設立され12月16日から放送を開始している。 母屋《おもや》が庇《ひさし》を使えないという異常な状態は、「角を矯めて牛を殺す」結果しかもたらさなかった。 郵政省が方針を修正したのはようやく87年のことである。 マスコミ集中排除にみられる参入規制だけではない。 弱いメディアは規制を緩めなければ育たない。 虚弱体質の子供に健康優良児とまったく同じ条件でマラソンしろといっても無理。 虚弱体質の子は距離を短くしてリレーさせるとか、いっそのことマラソンはやめてお遊戯にするとか、工夫が必要だった。 これも思うように普及が進まないのを見て、ようやく規制緩和したのである。 文字放送では省間戦争も垣間みえた。 文字放送各社が作った「文字放送PR委員会」が普及促進イベントを計画したときである。 協賛金を募って家電メーカーを回り、元締めの通産省にも行って後援として名を連ねてもらうことにしたら、郵政省が強行に反対。 結局「大人の通産省が黙って引き下がり」(関係者)、代わりに日本電子機械工業会が入った。 厚生省も後援しているが、これは競合関係にないから構わないのだ。 郵政にとって、文字放送の普及が大事なのか、縄張り争いに勝つことが大事なのか。 話があまり低次元でうんざりする。 これでスタート)への乗換えとともに、現在のハイビジョンをめぐる動きを連想させずにはおかない。 何を予測の根拠にしようが勝手で、好きなように操作できる。 たとえば「学習塾は増える」と予測したければ、人口急増地域で5年間の学習塾の推移を調べ(増加と決まっている)、その増加率と塾の現在数をかけ算すればよい。 「学習塾は減る」と予測したければ、子どもの将来人口の推移を調べ(減少と決まっている)、その減少率と塾の現在数をかけ算すればよい。 役所が出す予測数値をあつかうときの第1の前提は、それが役所に都合がよいように操作された数値だということである。 あまり勝手な予測を出すと、ふつうは責任を問われる。 学者が論文で書いた予測数値がハズレれば恥をかくし、コンサルタントが出した予測数値に従った企業が投資に失敗すれば、そのコンサルタントは信用をなくす。 だが、役所の場合は、審議会や諮問委員会などが事務局である官僚のシナリオ通りに数値を出すのが一般的。 すると、委員たち一人ひとりは、責任を問われることがない。 事務局官僚も、表に出ず、何年かたてば部署が代わることもあって、責任を問われることがない。 役所が出す予測数値をあつかうときの第2の前提は、それがハズレても何ら責任を問われない人びとの手になるものだということである。 以上のことは、郵政省に限った話ではなく、財務省でも国土交通省でも話は同じだ。 しかし、予測数値を報道するマスコミは、そんなカラクリは報道しないし、勉強不足だから数値がおかしいと指摘する材料も持たない。 結果としていつも、デマにも等しい馬鹿げた「公式予測数値」が出回る。 ビジョン欠く「場あたり行政」の被害者 1968〜 長いことニューメディアの旗手のようにいわれてきたCATV。 双方向機能があり、自主放送が5チャンネル以上、10000端子以上を持ついわゆる「都市型CATV」(難視聴解消ではなく多チャンネル・サービスを目的とするCATV)は、現在施設数が128。 加入世帯は93年3月に100万を超える見込みだ。 これも郵政の用いている予測数値を紹介しておくと、89年の64万世帯が、90年116万世帯、91年186万世帯、92年299万世帯と順調に増え、97年には1000万の大台に乗り、2001年には1323万世帯(普及率41%)に達するはずだ。 現時点では予測の5分の1にも満たない。 CATVに関わる郵政の姿勢で指摘すべき最大の問題は、規制緩和の遅れである。 CATVは「有線テレビ」と呼ばれた時代から規制緩和が最大最重要のテーマ。 しかも、一方で厳しい規制の網をかけておきながら、その場限りの「恣意」「裁量」あるいは「政治的判断」によって行政方針は必ずしも一貫していないのが、わが国のCATV行政なのだ。 東京に初めて本格的な都市型CATV計画が登場したのは1968年のことである。 新宿を拠点とした日本ケーブルビジョン放送網の計画がそれ。 実はこの頃、CATVを規制する法律はいわゆる「有線」(飲み屋や農家の)を対象とするものしかなく、しかも届出制だった。 そこで郵政省は「有線テレビ規制法案」の制定に動くとともに、行政指導によって日本ケーブルテレビジョンを公益法人化する。 ところが直後の70年、甲府で日本ネットワークサービスという会社が名乗りを上げると、「大都市では公益法人だが、地方では株式会社でもよい」という妙な理屈をでっち上げ、同社の届出申請を受理してしまう。 郵政省は、甲府も東京と同じ公益法人化を進めようとしたが、利害が一致した地元マスコミや代議士からの強力な働きかけに筋を曲げたのである。 そこで、われもわれもとばかり全国各地でCATV構想が次々に打ち出された。 これを第一次CATVブームと呼ぶ人もある。 しかし、72年に成立した「有線テレビジョン放送法」は、揺れ動く郵政の裁量とは打って変わって規制色の強いものとなった。 CATV局は許可制となり、番組内容も放送法と同じ規制がかけられた。 中には郵政省職員の立ち入り検査をみとめる(第27条)という、放送法にも例のない項目すら紛《まぎ》れ込ませてあった。 こうして、わが国の都市型CATVの芽は郵政省によって摘み採られていたが、80年になって大きな転機が訪れる。 郵政省が規制緩和へと政策を大転換しはじめたのである。 80年から3か年計画で続いた「都市の大規模有線テレビジョン放送施設に関する開発調査研究」がその契機となった。 ここに第二次CATVブームが起こったのである。 だがその後、難視聴解消モア・チャンネル型CATVは増えたものの、都市型CATVは苦戦を続けている。 衛星がCATVの発展に寄与する場面がないままに、BS、CSによる多チャンネルがCATVの競合相手となる状況に突入してしまった。 もちろん、現在CATVに加入するとBSやCSは割安なベーシック・サービスとしてついてくる。 すべて個別受信するなら、CATVに加入したほうが得だともいわれる。 だが、それにもまして加入料が十数万円という価格の問題、電柱の使用や道路の地下埋設の手間、マンションや古い住宅密集地での工事の難しさなどが深刻で、加入率は遅々として伸びない。 まだまだ残っている厳しい規制、たとえば道の向こう側の世帯は加入できるがこちら側ではダメといった杓子定規な地域制限も、伸びを鈍らせる原因になっている。 だから、都市型CATV業者の口癖は「10年、20年という長い目で見てほしい」となる。 けれども、あまりレンジを広げると、次はNTTの広帯域ISDN(総合デジタル通信網)の時代。 既存のCATVなどすべて吹っ飛ぶ可能性すらある。 そこまで視野に入れたCATVのビジョンを立てることこそ、郵政省という役所の負った使命のはずなのである。 これは、現在ADSLに押されつつあるISDN(ISDN規格による「INSネット64」サービス)ではなく、光ファイバーを使うISDN規格による広帯域デジタル通信網を指す。 なお、その後CATVは、アメリカの圧力による規制緩和が進んだこと、自治体による情報化投資の対象となったこと、山がちの日本は難視聴地域が広く難視聴解消型CATVと都市型CATVの区別がハッキリしないことなどから、郵政省の予測には及ばないながら普及が進んでいる。 この原稿は、そうなる前の状況下に執筆したものである。

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