音楽はいつまでも。 映画リメンバー・ミー「音楽はいつまでも」スペイン語歌詞”El Latido de Mi Corazón”の和訳|もっと話せるスペイン語

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音楽はいつまでも

新型コロナウイルスの感染拡大で「休校期間」は延びており、先行きも不透明だ。 授業がないままで本当にいいのか。 Shutterstock 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、安倍首相が緊急事態宣言を出した7都道府県では、が、3月2日以来の休校を延長するなど「新学期が始まらない」4月を迎えている。 文部科学省のホームページには、休校期間中のICT教育のだけが並ぶが、公立校の多くは「オンライン授業の環境がなく、ただ休校」となっているのが現実だ。 新型コロナウイルスのパンデミックは、日本のICT教育の著しい遅れと、危機的な状況に、子どもの教育が放置される現実を浮き彫りにしている。 「家庭で丸つけしてください」 教科書一式と前学期の復習プリントを親がバラバラに取りに行くことから始まった新学期。 家庭任せな学習状況は春休み前から続いたままだ。 撮影:滝川麻衣子 「新学年も放置で始まるのかー」 東京都杉並区の公立小学校3年生の児童の母親(40代)は、4月7日の登校日前夜に届いた「明日の登校日中止」のお知らせメールを見てため息をついた。 政府要請による3月の一斉休校に続く4月の休校延長は、4月2日の時点で連絡が来た。 その時点のスケジュールでは「4月6日に始業、週1回は学習状況の確認のため短時間の登校日」のはずだった。 しかし、緊急事態宣言の発令が確実になったことから、事態は一転。 結局、6日の始業式はかろうじて登校したものの、緊急事態宣言の明ける5月6日まで全ての登校日が中止となった。 未曾有の危機とはいえ、3月の一斉休校では「教科書の残りをご家庭で読んでおいてください」と担任教師に言われただけで、学校からは課題も宿題も一切、出なかった。 3月はAmazonで学習用ワークを慌てて購入したが、新カリキュラムになる新年度は、教科書にしてもワークにしても前年の「3年生」とは違うものになる。 登校日も結局なくなり、4月は一体どうなるのか——。 「予測はしていましたが、新学期も家庭任せは同じでした」(前出の母親) 結局、登校日で配布されるはずだった教科書を、「ソーシャルディスタンス(社会的距離)」を心がけながらバラバラに親が学校まで取りにいくことに。 教科書一式と、前学年の復習プリントを、新担任から「丸つけをして(緊急事態宣言の期限明けである)5月7日に提出してください」とだけ言われ、手渡された。 実質、新学期は始まらない。 「宿題プリントこれだけなんだ……」 「オンライン授業やってほしいけど、今からICT教育やろうなんて無理だよね」 ママ友間のLINEグループでも、諦めモードが漂っている。 GettyImages 「もう学校は頼りにならないので、新学期から使うオンラインの教育サービスを調べています。 先生は何をしているんだろうと素朴に疑問です」 練馬区の小学4年生の母親(40代)は気持ちを「切り替えた」という。 2017年9月から全児童に1人1台タブレットが配布(通信費も区が負担)されている渋谷区の保護者(30代)も、 「タブレットに宿題プリントが送られては来ますが、それを家でやるのみ。 授業が行われているわけではない」 緊急事態宣言下で、基本は「各自で自宅学習」。 家庭で子どもの勉強を見るには、家庭ごとに状況も異なり、限界がある。 教材の購入やオンライン学習環境の整備も「各家庭の努力次第」となる以上、教育格差は開く一方だ。 すでにテクノロジーを用いた授業指針が進んでいる海外諸国では、今回の感染による外出自粛を受けてもオンラインでの授業が十分に行えている。 (写真はスペイン) REUTERS アメリカ、中国、イタリア、韓国など感染拡大した各国では、政府が早急に全面的なオンライン授業に切り替えた。 「休校」が意味するのは登校がなくなるだけで、授業は継続している。 せいぜいプリントを配って「ただの休校」とする日本の多くの公立校とは、かなりのギャップがある。 果たして緊急事態宣言の期限である5月6日に、新型コロナウイルスが抑えられ、学校再開ができるのかは未知数だ。 「賭け」のような状況で、ただの「休校」を続けていていいのか。 「教育を止めないで」激減する社会とのつながり 休校中、家に引きこもり不健康な生活を送ってしまいがちな子どもたち。 遊んだり、友達と交流する場でさえも奪われてしまうのだろうか。 Getty Images そんな「放置」状態の休校中も、小学校低学年を中心に、子どもたちの受け皿として機能してきたのが放課後や夏休みなどに子どもたちを受け入れる、学童保育。 家にいれば「子どもがYouTube漬けになる」「仕事中みてくれる人がいない」という親にとっても、手持ち無沙汰の子どもにとっても、頼みの綱だった。 3月以来の休校期間には特に、 「子どもにとっての社会との接点」や「知的好奇心を刺激する場」といった、学校の代替機能も一手に担ってきた面がある。 そんな数少ない子どもたちの居場所だった学童も、4月7日の緊急事態宣言下の都府県では閉鎖および、医療従事者や物流など特定業種の家庭の利用に制限する自治体が相次ぎ、 子どもたちの教育の機会や社会とのつながりは、かつてないレベルで激減している。 首都圏で複数拠点の学童保育を運営する「」も、宣言後は預かる子どもたちの数が半減。 同NPO事務局長の島村友紀さんは言う。 「この先、どれだけ休校が続くか分からない中で、地域によってはさらに子どもたちに閉塞感が生まれると思います。 とにかく、つながりを持ち続けることが大事です。 私たちはオンラインで学童の先生と子どもたちをつなぐ試行も始めています。 1日にわずかな時間でも、好きな先生とつながる時間があれば、それだけでも子どもたちは嬉しい。 学校の先生とも連携できれば」 家庭内に閉じこもる子どもたちのリスク 杉並区内で民間学童保育「みんなのがっこう」を運営する高橋和の助さんも、休校期間中について「学校から要請があれば、子どもたちの休校中の過ごし方について協力したい」と話す。 「こんな状況に学校も戸惑うのは分かります。 ただ、休校期間に何をしていいのか分からないのなら、学童に様子を見にきたり知見を交換したり、できると思います。 地域のリソースをもっと使って欲しいと、歯がゆい思いをしました。 同じ子どもをみているわけですから、連携した方がいいに決まっています」(高橋さん) さらに高橋さんは、教育にとどまらない点を強調する。 「 今後は家庭内でしか子どもの状態が分からなくなってしまうリスクもあります。 教育を止めない意味でも、子どもを守る意味でも、学校、民間、保護者が連携できるネットワークがこんな時こそ必要では」 休校で子どもが家庭のみに閉じこもることで、虐待や放置まで見えなくなる。 教育格差のみならず、「社会による子育ての機会」も失われる損失は、計り知れない。 この現実に文科省の回答は…… 文部科学大臣の萩生田光一氏。 今回の感染で、ICT教育の著しい遅れが浮き彫りになってしまった日本……これからの対応は? REUTERES 新型コロナウイルスの到来で、ICT教育の遅れや、学校と学童、地域や保護者とのネットワークの脆弱さが浮き彫りになった日本社会。 オンラインで学校とのコミュニケーションが継続されることは一つの解になり得るはずだが、 教育用コンピューターの普及率が児童生徒5. 6人で1台、教室の無線LAN整備率34%というのが日本の現実(2018年総務省調べ)だ。 即座のオンライン授業の実施のハードルはあまりに高い。 日本の児童生徒が「放置」される現実を文部科学省はどう見ているのだろうか。 文科省情報教育課の担当者は言う。 「ICT教育の遅れはもちろん認識しています。 ただ、日本の公教育で、まずはWifiなど環境の整っている家庭からオンライン教育をどんどん始める——といったことはできない。 まずは環境整備からと、インターネット環境のない家庭に(通信用の)モバイルルーターを配る予定です」 今変わらなければ、この先も変わらない 「1人1台端末」支給の前倒し措置を発表した文科省。 休校中に全国の家庭でオンライン授業ができる環境を整えられるのか、疑問を持つ親たちも多い。 撮影:伊藤有 文科省は新型コロナウイルスを受けたを4月7日に発表。 「1人1台端末」実現の前倒しや、家庭でつながる通信環境整備費用として、2020年度補正予算に2290億円を計上した。 ただ、それには全国の何家庭分のモバイルルーターが必要なのかという調査から始める必要があり、さらには休校期間中にその調達が可能かどうかも未知数だ。 「アメリカなど諸外国と比べて遅れは当然、認識している。 の紹介などはしているつもりだが……。 なかなか『文科省』で検索はしないですよね」(文科省担当者) 手をこまねいているのが現状だ。 都内の小学1年生の子どもをもつ、母親は言う。 「タブレットの全員配布がなくても、学校のホームページに動画をアップする、メルマガを配信するなど、 今からでもできることはあるのでは」 これで変わらなければ、この先も変われない。 学校とは教科書を持って教室に集まり一斉に授業するもの……というこれまでの「当たり前」を脱却する、最後のチャンスが来ている。 (文・滝川麻衣子).

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音楽はいつまでも

・においてパレードに参加するドラマー 音楽(おんがく、: music、:Musica)の定義には、「音による芸術」といったものから「音による時間の表現」といったものまで、様々なものがある。 西洋音楽では、(律動)、(旋律)、(和声)をもつものが音楽とされる。 そして、このような特性をもつを様々な方法で発したり、聴いたり、想像したり、楽しんだりする行為のことをも指す。 広くは人間が楽しめたり、意味を感じたりすることのできる音全体のことをさす場合もある。 音楽のは、有史以前まで遡ることが出来る()。 西洋音楽では、「音楽の要素は、、の三要素からなる」と考えられている()。 この場合における和声、ハーモニーとはメロディとの相対的な関係を構成しており、メロディをより際立たせる役割を持っている。 音楽は、ある音を選好し、ある音を選好しない、という人間の性質に依存する [ ]。 音楽には以下の3つの要件があるとされている [ ]。 材料に音を用いる。 音の性質を利用して組み合わせる。 時間の流れの中で材料(音)を組み合わせる。 音楽行為に関しては、現代では一般的に「」「」「」が基本として考えられている。 作曲とは、の心に感じた事を音によって表現することである。 演奏とは、再現芸術ともよばれ、作曲された音楽を実際に音として表現する行為であり、原曲を変え(=)つつ演奏したり、声楽曲を器楽曲に変える()等した上で演奏する行為も演奏行為とされる。 鑑賞とは音楽を聴いてそれを味わったり、価値を見極めたりすることである。 音楽には様式があり、それを「」と呼んでいる。 「」「」「」「」などといった名称で呼ばれているのがそれである()。 近年では人々の音楽を聴く行為を統計的に見ると、再生音楽が聴かれている割合が多くなっている()。 詳細は「」を参照 では「音による芸術」とした。 の、の『音楽論』では「musica est scientia bene modulandi(音楽とは音を良く整えるスキエンティア である)」とした。 ジョン・ブラッキングの書では「人間が組織づけた 」とされた。 は「音楽は音である。 コンサートホールの中と外とを問わず、われわれを取り巻く音である。 」と語った。 語源 [ ] 『』(紀元前239年に完成)に既に「音楽」という表現がみられる。 音楽の由来するものは遠し、度量に於いて生じ、太一に於いて本づく(『呂氏春秋』大楽) 英語の"Music"を始め、ヨーロッパの多くの言語においては、の mousike; 「のアート」の意 を語源とする。 ムーサはミューズの名でも知られる芸術や文化を司る女神である。 歴史 [ ] 詳細は「」および「」を参照 音楽は有史以前から行われていたとされるが、いつ、どのように始まったかは定かでない。 ただ、それはから始まったのではないかと考えられている。 では、の時代にはやによりや音楽に関するが始まっており、はやに伴う音楽が主であった。 これが後のに繋がっている。 ではまでらによって温故堂で講談された和学や、中国神話によると、縄の発明者の氏族が歌舞や楽器、楽譜を発明したとされる。 は、撚糸である縄やの発祥を日本列島から出土する土器やの網小屋に遺る有結網に捜し求めた研究成果をに編纂した。 縄、衣、名の発明者でもある。 魚釣り、結縄、魚網、鳥網、八卦の発明者でもある。 クラシック音楽の歴史 [ ] 詳細は「」を参照 クラシック音楽の音楽史においては、頃まで遡ることができる。 まず、この頃にの聖歌であるや、が生まれ()、これが発展し、にはのでが確立された。 には本格的な音楽の発達、の誕生が起こり、の音楽が栄えた()。 これ以前の音楽をとよぶことが多い。 その後半ばになると民衆にも音楽が広まり、とよばれる「形式」や「」に重点をおいた音楽に発展した。 またこの頃から一般的に音楽がとして見られるようになる。 には「表現」に重点を置いたに移行し、各国のなどを取り入れたも生まれる。 頃には「気分」や「雰囲気」で表現するや、和声およびの規制をなくした音楽などのが生まれ、さらに後はとよばれる自由な音楽に発展した。 邦楽の歴史 [ ] 詳細は「」および「」を参照 の歴史は頃、へのまで遡る。 本格的に移民が行われるようになると白人によるのような劇場音楽が盛んになった。 また、からの黒人により(スピリチュアル)、やが始まった。 19世紀末にはブルースが西洋音楽と融合し、や、が特徴的なに発展していった。 要素 [ ] 音の要素 音には、基本(音の高さ、)、含まれる周波数(、など)、大きさ()、周期性()、音源の方向などの要素がある。 西洋音楽における三要素の概念 上記の要素に関連して、いわゆるの世界では、一般に音楽は 、 、 の三要素からなる、と考えられている。 ただし、実際の楽曲では、それぞれが密接に結びついているので一つだけを明確に取り出せるわけではない。 また、音楽であるために三要素が絶対必要という意味ではない。 たとえば西洋音楽以外ではハーモニーは存在しないか希薄であることが多いし、逆に一部の要素がの常識ではありえないほど高度な進化を遂げた音楽も存在する。 このように、これら三要素の考え方は決して完全とは言えないが、音楽を理解したり習得しようとする時に実際に用いられ効果をあげている。 西洋音楽において和声が確立した音楽におけるメロディ (旋律)は特にの構成によってなされており、和音はのおよそ整数比率によって発生する。 音の発生方法 を発生する方法には、、手拍子、などがある。 西洋の伝統的な分類法においては楽器は息を吹き込む(の系統で、などのとなどのに分かれる)、弦を振動させることで音を出す(弦の使用法によって、弦をはじくなどの、弦をこするなどの、そして弦を打つに分かれる)、そして楽器そのものを打ったり振ったりして音を出す(など)の3つに分類される。 楽器は地域的な特色が強く出るものであり、西洋音楽の普及によって西洋期限の楽器が世界中に広まっていったのちも、世界各地にはその土地ならではの特徴的な楽器が多く存在し、同じ楽器でも使用する素材が異なることも珍しくない。 音楽行為 [ ] 作曲 [ ] 「」も参照 とは音楽を専門とする人のことである。 一般に、楽曲を作る音楽作家や音楽を再現する実演家を指す。 より細かく分けると以下のようなものがある。 音楽作家• 実演家• また一般には音楽家と呼ばれないが、音楽関連の職業には以下のようなものが挙げられる。 ジャンル [ ] 音楽の「」とは音楽の様式や形式のことである。 古来、音楽は多くの社会で、、などを通じ、生活に密接したものになっており、多くの特徴ある形式や様式を生み出してきた。 音楽のジャンルは、現在聞くことの出来る音楽の様式・形式であると同時に、発生した源、歴史の手がかりとなっている。 かつてジャンルの変化というのは比較的ゆっくりしたものだったが、等が流通するようになってからは、音楽家が地域や時代を超えてすばやく色々なジャンルの音楽を学べるようになったことにより、ジャンルの融合等の試みも生まれ、ジャンルは加速度的に分化されていった。 現代の音楽は、様々なジャンルの複雑な合成になっていることが多い。 ジャンルの例 [ ] 詳細は「」を参照• (、独奏曲、、など)• ()(、、、、 など) 楽器編成 [ ] 楽器の編成は演奏する音楽のジャンルによってある程度左右される。 例えば以下のようなものがある。 ビッグバンド()• 近年では人々の音楽を聴く行為を統計的に見ると、再生音楽が聴かれている時間・頻度が圧倒的に多くなっている。 生演奏と、そのパフォーミング・アート性 [ ] 生演奏される音楽は、 (パフォーミング・アート)の一種であり、(舞台上で生身の俳優によって行われる()や、生で踊られるなど、他のパフォーミング・アートと同様に)パフォーマーがパフォームするたびに、多かれ少なかれ、異なるという特徴がある。 その点、「非 パフォーミング・アート」であるとは異なっているのである。 などの場合、しばしばオリジナルの作品は1点で、そのオリジナルの作品を見るという場合、皆が同一の作品を鑑賞でき、別の日でも同一の作品を鑑賞できる、という特徴がある。 音楽の生演奏にはそれが無いのである。 そしてそれ(=演奏のたびに、聴き手に提示される、実際のありさま、質感、が異なること)が生演奏の醍醐味でもある。 記録と録音技術 [ ] 音楽の記録・伝達方法として最も古いものはであるが、やがていくつかの民族は音楽を記号の形にして記す、いわゆるを発明し使用するようになった。 各民族では様々なが開発されたが、11世紀初頭にイタリアのが譜線を利用した記譜法を開発し 、これが徐々に改良されて17世紀に入るとヨーロッパにおいてが発明された。 五線譜はすべての楽曲や楽器の表記に使用でき、さらに譜面上で作曲もできるほど完成度が高かったため、以後これが楽譜の主流となった。 楽譜はあくまでも音楽のデータを記号に変換して記すものにすぎなかったが、1877年にが蝋菅録音機を発明すると、音楽そのものの記録が可能となった。 のはその後も発達し続け、1960年代にはやの普及がポピュラー音楽の製作手法を根本的に変えた。 1990年代にはが普及し、音楽の加工の技術的な可能性が広がった。 配布・配信 [ ] 音楽を伝達するには様々なものが存在する。 記録媒体に音楽を保存するものとしては、、、、、、、、、、、、、、などが存在する。 こうした記録媒体の音楽は、などのをはじめとするによって再生され使用される。 また、音楽を配信する手段としては、などの放送や、などのメディアが存在するほか、最近では技術を活用して、経由のが盛んとなってきている。 音楽産業と大衆化 [ ] レコード 古くは王侯貴族や教会などが音楽家を保護し、そのなかで数々の名曲が生み出されていたが、18世紀頃よりヨーロッパにおいては市民の経済力が向上し、不特定多数の聴衆に向けての演奏会が盛んに行われるようになった。 この傾向は以後、上記の特権階級の消滅や市民階級の経済力向上に従ってさらに加速していった。 また、16世紀にはの発明によって楽譜も出版されるようになった。 印刷楽譜はそれまでの書写によるものより量産性・正確性・価格のすべてにおいて優れたものであり、音楽、とくに同一の曲の普及に大きな役割を果たした。 楽譜出版は、19世紀には商業モデルとして確立し、音楽産業の走りとなった。 19世紀末までは自分で演奏を行う以外は音楽を楽しむには基本的に音楽家が必要であったが、1877年にがを発明し、次いで1887年にがこれを円盤形に改良し、ここからが登場すると、音楽そのものの個人所有が可能となり、各個人が家庭で音楽を楽しむこともこれによって可能となった。 次いで、1920年代に放送が開始されマスメディアが音声を伝えることも可能になるとすぐに音楽番組が開始され、不特定多数の人々に一律の音楽を届けることが可能となり、音楽の化が進んだ。 そしてその基盤の上に、音楽の制作や流通、を生業とするが出現し、大規模な音楽産業が成立することとなった。 その後、などの新しいメディアの登場と普及、や1980年代のの登場など新しい媒体の出現、1979年に発売されたのようなの登場などで音楽愛好者はさらに増加し、音楽産業は隆盛の一途をたどった。 これが変化するのは、1990年代後半にが普及し初めてからである。 インターネットを介した音楽供給はそれまでのように音楽を保存した媒体をもはや必要とせず、物として音楽を所有する需要は減少の一途をたどった。 一方で、やはこの時期を通じて開催され続けており、ライブなどはむしろ隆盛を迎えているなど、音楽産業を巡る環境は変化し続けている。 音楽都市 [ ] 音楽都市と言えば、一般に、音楽文化が特に豊かな都市、音楽が住民の日常生活にすっかり溶け込んでいる都市、あるいは音楽産業が非常に栄えている都市、などのことを指す。 以下はその例である。 世界規模 [ ]• (参照)• (参照)• (参照)• (世界有数の音楽都市)• 日本国内規模 [ ]• (、参照)• (、参照)• (2008年3月24日に音楽都市宣言)• (参照)• (参照)• (、参照)• (・・参照)• (1983年に音楽都市宣言、津山国際総合音楽祭を開催) その他、音楽都市を標榜する市町村は全国各地に存在する。 音楽と脳 [ ] 詳細は「」を参照 音楽を、単なる「音」ではなく、また「言語」でもなく、「音楽」として認識するのメカニズムは、まだ詳しくわかっていない。 それどころか、ヒトが周囲の雑多な音の中からどうやって声や音を分離して聞き分けているのかなど、聴覚認知の基本的なしくみすら未解明なことが多い。 しかし、音楽と脳の関係について、以下のようないくつかの点はわかっている。 音楽に関係する脳:を電気刺激すると音楽を体験するなどの報告から、を含む側頭葉が関係していることは確かである。 音楽、とくにリズムと、身体を動かすことは関連している。 音楽には感情を増幅させる働きがある。 たとえば映画・演劇などで、見せ場に効果的に音楽を挟むことによって観客の涙を誘ったり、あるいは怪談話の最中におどろおどろしい音楽を挟むことにより観客の恐怖感を煽る、といったものである。 幼い頃から練習を始めた音楽家は、非音楽家とくらべて大脳の左右半球を結ぶ連絡路である「」の前部が大きい(Schlaugら、1995)。 楽器の演奏に必要な両手の協調運動や、リズム・和音・情感・楽譜の視覚刺激などといった様々な情報を左右の皮質の各部位で処理し、密接に左右連絡しあうことが関係している可能性がある。 :聴いた音の音階、基準になる音との比較なしに、努力せずに識別できる能力のことで、9 - 12歳程度を超えると身に付けることができないといわれている。 アジア系の人には絶対音感の持ち主が多いと言われているが正確なデータはなく、これが遺伝的、文化的要因のいずれによるのかも医学的な根拠は示されていない。 また、絶対音感を持っている人と持っていない人では、音高を判断しているときに血流が増加する脳の部位が異なる。 持っていない人では、音高をとして覚えることに関係する右の活性が弱いのに対し、持っている人では記憶との照合をする、背外側前頭前野の活性が強かったという。 また絶対音感保持者では側頭葉の左右非対称性(左>右)が強いという(Zattoreら、2003)。 :中世ヨーロッパで一般教養として体系化された「」では、音楽は数学的な学問の一つとして数えられている。 また、子供に音楽の練習をさせると数学の成績が伸びたという報告(Rauscherら、1997)もあり、音楽と数学の関連性を示唆する。 学術研究 [ ] 音楽を研究する学問としてがある。 に関するものとしては、がある。 ほかに音楽の歴史を研究する、各のを研究する、、、、などもある。 また、研究でも音楽との関連などが研究される。 研究者がを書くこともある。 文化 [ ] その文化的発展度を問わず、音楽はどの民族にも普遍的に存在しており、様々に利用されてきた。 の行軍や指揮に音楽はつきもので 、現代においても多くの国歌の軍はを所持している。 日々の労働にリズムをつけ効率を高めるためのもまた多くの民族に伝わっており、日本でも田植え歌やなどはこれにあたる。 のように、のために音楽を用いることも世界中に広く見られる。 魔術的・呪術的用途、さらには宗教的用途に音楽を使用することも多くの民族に共通しており、例えばヨーロッパにおいては教会が18世紀頃までは音楽の重要な担い手の一つだった。 ヨーロッパの中世大学教育におけるのひとつに音楽が含まれていたように、音楽は教養としても重視されることが多く 、やがて19世紀に入り近代教育がはじまると、音楽もからそのカリキュラムの中に組み込まれていった。 明治維新後の日本もこの考え方を踏襲したが、西洋音楽を扱える人材がほとんど存在しなかったため即時導入はできず、明治15年の「」の発行を皮切りに徐々に唱歌が導入されていくこととなった。 こうした一般教養としての音楽教育のほか、音楽のプロを育成するも世界各地に存在し、さまざまなを育成している。 音楽はしばしば、民族のアイデンティティと結びつきの発露をもたらす。 世界のほとんどの独立国がを制定しているのもこの用途によるものである。 国歌だけでなく、一般の音楽においてもこうしたつながりは珍しくない。 19世紀にはナショナリズムのうねりの中で、当時の音楽の中心地であるドイツ・フランス・イタリア以外のヨーロッパ諸国において、自民族の音楽の要素を取り入れたクラシック音楽の確立を目指すが現れ、多くの名作曲家が出現した。 民族音楽においてもナショナリズムとのつながりは一般的に強いものがあり、また、ポピュラー音楽でも、を越えてその国家内で愛唱される場合、の統合をもたらす場合がある。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• scientia スキエンティアは「知」で、しかもやや断片的な知、知識のこと。 はるか後の時代、19世紀になって「」()の語源となる語彙。 その結果、広告用の単なるコピーにすぎない(名)も氾濫するが、音楽的に大きな影響力を保ち続けるジャンルもある。 や映像記録化されたもの、放送で流されるもの、を含む。 その結果、レコード音楽への露出の多い作品や分野に人気が集まり、あまり取り上げられないジャンルや演奏家は省みられないといった弊害もある。 生演奏される音楽は、同じ演奏者が演奏する場合でも、(即興演奏を認めていない場合ですら)毎回少しずつ異なる。 またさらに、演奏者が異なる場合は、同じ楽譜を見て演奏する場合でも、しばしば演奏は大きく異なる。 複数の演奏者が関わる作品であればなおさらである。 例えば(あくまで例えばであるが)楽譜上の指示の解釈をどう実行するか、ということにも幅があり、複数の楽器を用いる場合どの楽器の音をどの程度大きくしどの楽器の音をひかえめにするか、各楽器ひとつとっても、ひとつの和音の構成音のうち、どの音を強く出しどの音を弱めに出すか、メロディーのどの部分を印象付けるか、ある音にビブラートはどの程度かけるか... 等々等々、ここでは書ききれないほど膨大な数の要素が、演奏者(たち)のその時々の判断や、ゆれうごく一種の「感覚」にゆだねられており、生演奏は演奏されるたびに異なり、特に複数の演奏者によって行われる生演奏は毎回、多かれ少なかれ異なった質感を聴き手に与えるのであり、毎回異なることによって、聴き手に一種の「驚き」や「意外性」や「新鮮味」を感じさせる可能性があるのである。 なお、音楽でも再生音楽(録音され、コピーされたものを再生する音楽)の場合は(同等の機器で再生すれば、ほぼ)同一のものを観賞することができる。 録音・再生音楽は(聴くたびに意外なものに出会う喜びは無いかわりに)高評価を得た特定の演奏を、何度でも繰り返し聴き、理解を深めたり、演奏を心に刻みつけることができる、というメリットがある。 出典 [ ]• アウグスティヌス著作集 第三巻• ジョン・ブラッキング 『人間の音楽性』岩波書店、1973年• 「138億年の音楽史」p72 浦久俊彦 講談社現代新書 2016年7月20日第1刷• 「図説 人類の歴史 別巻 古代の科学と技術 世界を創った70の大発明」p220 ブライアン・M・フェイガン編 西秋良宏監訳 朝倉書店 2012年5月30日初版第1刷• 「決定版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで」p11 音楽之友社 2017年9月30日第1刷• 「138億年の音楽史」p253-254 浦久俊彦 講談社現代新書 2016年7月20日第1刷• 「138億年の音楽史」p218-219 浦久俊彦 講談社現代新書 2016年7月20日第1刷• 「決定版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで」p12-13 音楽之友社 2017年9月30日第1刷• 「決定版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで」p132 音楽之友社 2017年9月30日第1刷• 「決定版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで」p132 音楽之友社 2017年9月30日第1刷• 「決定版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで」p42 音楽之友社 2017年9月30日第1刷• 「138億年の音楽史」p239-240 浦久俊彦 講談社現代新書 2016年7月20日第1刷• 「決定版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで」p40 音楽之友社 2017年9月30日第1刷• 「138億年の音楽史」p240 浦久俊彦 講談社現代新書 2016年7月20日第1刷• 「決定版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで」p132 音楽之友社 2017年9月30日第1刷• 「決定版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで」p132 音楽之友社 2017年9月30日第1刷• 「138億年の音楽史」p118-120 浦久俊彦 講談社現代新書 2016年7月20日第1刷• 「決定版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで」p8-9 音楽之友社 2017年9月30日第1刷• 「決定版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで」p96 音楽之友社 2017年9月30日第1刷• 「138億年の音楽史」p212-213 浦久俊彦 講談社現代新書 2016年7月20日第1刷• 「決定版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで」p147 音楽之友社 2017年9月30日第1刷• 「音楽のヨーロッパ史」p198-199 上尾信也 講談社 2000年4月20日第1刷• 「音楽のヨーロッパ史」p3-4 上尾信也 講談社 2000年4月20日第1刷• 「決定版 はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで」p103-104 音楽之友社 2017年9月30日第1刷• 「文化人類学キーワード」p196-197 山下晋司・船曳建夫編 有斐閣 1997年9月30日初版第1刷 参考文献 [ ]• 岩田誠 『脳と音楽』メディカルレビュー社• 『音楽嗜好症(ミュージコフィリア)』( )• リタ アイエロ 編 大串健吾 訳『音楽の認知心理学』誠信書房• Rauscher FH, Shaw GL, Levine LJ et al. , Music training causes long-term enhancement of preschool children's spatial-temporal reasoning. , Neurol Res. 2-8, 19, 1997. Schlaug G, Jancke L, Huang Y et al. , Increased corpus callosum size in musicians. , Neuropsychologia. 1047-1055, 33, 1995. Zattore R. , Absolute pitch: a model for understanding the influence of genes and development on neural and cognitive function. , Nature Neuroscience. 692-695, 6, 2003 関連項目 [ ]• (PA) 外部リンク [ ] で 「 音楽」に関する情報が検索できます。 ウィクショナリーの ウィキブックスの ウィキクォートの ウィキソースの コモンズで() ウィキニュースの ウィキバーシティの•

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音楽はいつまでも

研究の対象・方法 [ ] 音楽史は複数にわたる研究対象と方法がある、およびの領域の一つである。 研究対象として、歴史学的な時代区分に基づいたもの、また特定の地域における音楽史を扱ったもの、さらに特定のジャンルに限定したもの、演奏慣習や音楽理論など音楽学的な主題を扱ったものなどが挙げられる。 また記述の方法については音楽の形式、音楽の基盤にある音楽文化などが試みられている。 このような音楽史を扱う学問は音楽史学であり、これは一般的な歴史学と同様に資料批判を踏まえて史実を叙述するでありながらも、音楽というを扱うために美的な価値判断を伴う特徴がある。 を別として音楽史学の最も古い研究の一つはガルヴィジウスによる『音楽の起源の進歩について』 1600年 である。 ガルヴィジウスの後の音楽史学における業績にはマルティーニ神父による『音楽史』 1757-81 、ゲルベルトとクスマケールの中世音楽史の研究、ヤーン、ヴェストファール、ヘーヴァールトなどによる音楽史の研究、ヴィンターフェルトによる『ガブリエーリ時代の研究』などがあり、これらが音楽史学の学問的伝統を形成している。 全世界の音楽作品の系譜を音楽史として統一的に叙述することは極めて困難な作業である。 音楽史の起点とするべき音楽の起源にもいくつかの学説があるほか、多種多様な音楽が並存しており、それぞれの歴史体系も異なるからである。 ただし、その中から共通するものを見出そうとする試みはつづけられている。 なお、レコードなどにおける「音楽史」というジャンルは、以前の(いわゆる)を示す。 音楽の起源 [ ] 詳細は「」を参照 音楽の歴史は有史以前まで遡ることが出来る。 おそらく最初の音楽は歌声である。 音楽の起源に対しては、「言語起源説」「労働起源説」「模倣起源説」「呪術起源説」などがある。 音楽学者のは、自然民族における音楽現象を研究し、最も原初的な音楽様式として、以下の二つを挙げた。 「言語起源的」な様式(抑揚をつけて言葉を唱えることから始まった)• 「感情起源的」な様式(形にとらわれず感情をほとばしらせることから始まった) やがてこの二つは混ざり合い、• 「旋律起源的」な様式に発展したと言う。 あるいは手拍子を伴ったかもしれない。 原初のはであったと推測できる。 が生まれたが、と呼べるものを生みだすのは困難であっただろう。 確実に最古のと考えられているものは約36000年前のものであり、ドイツ近郊の洞窟から出てきた骨の笛をが使用したと考えられている。 また古い笛としては、およそ3000年前の地層から出土した骨を利用した笛があり、現代ののような形をしている。 古代人にとって、やや蜂を始めとする、また天災から身を守ることが毎日の生活の大きな課題であり、古代の音楽は、その課題を解決するために考案されてきたと考えられている。 巨大動物の威嚇音を模した は猛獣を追い払い、 は地を鳴らして蛇を驚かせ、また原初の鐘とされる は何個も同時に打ち鳴らすことで猛獣を退散させたと伝えられる。 このように生活の安全を守ってくれる音楽は、後に、や、あるいはやなどに用途を代えていった。 生物学的な音楽の起源 [ ] 音楽は共通のものであり、あらゆる文化において存在する。 さらには、生まれたばかりの赤ん坊であっても、音楽に対する関心を示すことから、という種は、音楽に対して何らかの的基盤を備えていると思われる。 一方、ヒト以外の動物には音楽がほとんど存在しない。 や海獣類のなかには、発声を応用した「歌う」種がわずかにあるばかりである。 また、これらのヒト以外の動物種による「歌う」行動は、音楽の一形態と解釈するよりは、別の機構から発現した類似の一形態と考える方が、多くの場合妥当である。 特にには、「歌う」種すら乏しく、ヒトの音楽の起源に関しては、独自の進化により獲得したものだと考えられる。 人類の音楽的能力が高いことに関しては、これまで幾つかの説が誕生している。 は、性的衝動の表現として動物の鳴き声があり、音楽の上手い個体が異性に好まれるため、音楽的資質の高い遺伝子が選択されたという「性選択説」を提唱している。 ただし、音楽の起源に関する遺伝的研究は未発展であり、全ての説がデータとして裏づけのない推察の上に成り立っており、仮説の域を出ていない。 またや、などは人間の言語に注目し、言語がもっている音韻から派生して初期の音楽である歌が生まれたと見ている。 この他にも音楽の起源をリズムとするヴァラシェク、労働という活動に起源を見出すビューヒャー、信号的要素を起源とするシュトゥンプフなどが主張を展開している。 最近では、人類の言語に対する認知能力が進化するにともない、それが副産物的な能力として人類の音楽的能力も高めたという「帰無仮説(null hypothsis 」も有力とされている。 は『言語』で言語の起源の一つに音楽をあげているが、言語の起源と同様に証明することは不可能である。 は対談で『』で出てきたの患者は音楽が鳴っている間は、ダンスをすることも歌うこともできるが、音楽が消えるととたんにその力も消えるという。 嗜好があるが、リズムとテンポという音楽のビート(拍子)の部分が重要で、ビートに反応する他の霊長類はないという。 西洋音楽史 [ ] ここでは、主にはを起源とする、特にの歴史を解説する。 楽譜の歴史については「」を、年表については「」を参照のこと。 古代西洋音楽 [ ] 詳細は「」および「」を参照 古代西洋音楽は以前のである。 記録が乏しく実態は推測の域を出ない。 しかし古代ギリシアの音楽理論や用語が現在まで残っており、特にが考案したとされるは、その後の西洋音楽の音階の基本となった。 1世紀まで [ ] シタールのためのニつの前奏曲と「」 2世紀 [ ] 、メソメデの「太陽への賛歌」「ネメシスへの賛歌」 3世紀 [ ] 「三位一体に捧ぐヒムヌス」 4世紀 [ ] 聖ヒラリオの「ヒムヌス」 5世紀 [ ] の「エンナラティオーネ・イン・プラス(詩編集)」 6世紀 [ ] (Cassiodorus Senator, 485年頃 - 585年頃) の「聖学ならびに世俗的諸学綱要」 中世西洋音楽 [ ] 詳細は「」を参照 中世西洋音楽は、頃からにかけての音楽の総称である。 9世紀頃にがで記録されるようになった。 1200年前後にによってが開拓された。 14世紀にはなどの高度なリズム技法によるのの音楽、優美な旋律を特徴とするのが栄えた。 また、(大道芸人)、・・(、宮廷歌人)などの世俗音楽も記録に残り始める。 和声は5度を基本としており、3度や6度は不協和音という扱いであった。 7世紀 [ ] が設立される。 9世紀 [ ] レアム、アウレリアヌスの「音楽論」 10世紀 [ ] フランス、フルリーでので「クエム・クエリティス」(最初の典礼劇) 11世紀 [ ] アレッツォ、グイドの「ミクロログス」 12世紀 [ ] ルカス がでポリフォニー(オルガヌス)を組織して活動。 13世紀 [ ] ケルンのフランコによる「計量音楽論」 14世紀 [ ] のミサ曲「ダヴィデのホケトゥス」(Hoquetus David) 、モテット「幸福なる乙女」 ルネサンス期の音楽 [ ] 詳細は「」を参照 ほぼ19世紀のヨーロッパを中心とする音楽。 古典主義が重視しなかった感情・感覚・直感などを重視するに基づく。 技法的には古典派の調性や和声を引き継ぎつつも、半音階や遠隔調への転調を多用し、より表情豊かな表現が追求された。 長大な作品も多いが、性格的な小品も多い。 多くのが生まれた。 表現の基礎としての詩情や、文学と音楽の混交も重視された。 音楽以外の芸術でのロマン主義運動は1780年代から1840年代までとされるが、ロマン派音楽は19世紀を通じて続いたとされる。 1850年代以降になると、ヨーロッパ各国でそれぞれの民族音楽や固有の言語と結びついた音楽様式がはっきりしてくる。 特にドイツ・オーストリアの、拡大・拡張路線を推し進めた音楽はヨーロッパ全土に広く影響を与え、「」と呼ばれる。 その他、ロシア・チェコ・北欧諸国などでも、各国の民族主義と結びついた形で各国の音楽様式が生み出され、「」と呼ばれる。 国民楽派 [ ] 詳細は「」および「」を参照 20世紀以降の音楽のうち、西洋の流れをくむものを指す。 実験的・前衛的な音楽としての形式を指す場合もある。 20世紀初頭から開始まではロマン派の最終段階と考え、近代音楽の開始をの初めとする例も多い。 また「近代音楽」と「現代音楽」の境界に関しても、・1950年・境界なしなど様々な考え方があり、この時代の音楽史の扱いに関して定説はないが、概ねどの考え方に従っても二度の大戦を基準に分けて考える場合が多い。 第一次世界大戦まで [ ] や、らが後期ロマン派音楽を継続する一方で、後期ロマン派音楽が表現の拡張を進めた結果、・・規則的リズムなどのそれ以前の西洋芸術音楽の語法の限界がより若い世代の作曲家達に意識され、様々な実験が始められた時代である。 はや平行和音やの復活や非西欧要素を導入し、はによるへと進み、は原始的リズムの音楽的価値を見なおし、は民族音楽に可能性を見出した。 またこの時代を通じて打楽器の種類が大幅に増え雑音(非楽音)を音楽の材料にする可能性を開いた。 両大戦間 [ ] 第一次世界大戦後、作曲家たちはよりラディカルにロマン派音楽の否定にかかった。 オリジナリティの否定は型の復活や過去の作品の引用・パッチワークとなり、ロマン的な感情の否定は機械的リズムの多用を生み、また演奏スタイルも変化した。 こうした傾向はやと呼ばれる。 一方、新ウィーン楽派は無調音楽の組織化のためにへと進んだ。 反面、部分的に近代的な語法や感覚を取り入れつつもロマン派音楽の延長線上にある音楽を書き続けた作曲家達も存在した。 1930年代に入ると、は前衛的芸術全般を「」と呼び弾圧し、では体制が「」を推進するなど、新しい音楽を追究する動きは苦境に立たされた。 第二次世界大戦後 [ ] は第一次世界大戦以上にヨーロッパに甚大な被害をもたらし、社会的・文化的な基盤を広範に破壊し、数多くのヨーロッパの音楽家がに亡命し、聴衆も作曲家も演奏家もそれまでになかったような物質的・精神的困難を抱え込んだ。 戦後の復興と共に、の闘志たちが活躍を始め、1950年代から、らによる、や直観音楽、による、による、1960年代かららによるなど、様々な実験、探求が行われたが、聴衆の関心は前衛音楽の新作から既存の曲の演奏や録音やポピュラー音楽に移って行った。 これらの実験が一通り終了した1970年代からの音楽は「」「」「」など様々な名称で呼ばれ、これらを音楽史としてどのように把握するのかは未だ定説があるわけではない。 現代音楽の代表的な作曲家には、ブーレーズ、シュトックハウゼン、ケージ、リゲティ、クセナキスなどがいる。 ポピュラー音楽史 [ ] 「」および「」も参照のこと。 ポピュラー音楽とは [ ] 世界の多くの民族は宗教音楽・宮廷音楽・古典芸能の音楽などエリート文化としての音楽と共に、大衆音楽・民俗音楽のような一般大衆の楽しみのための音楽を持っている。 音楽全体をクラシック(シリアス)とポピュラーに二分したり、クラシックとポピュラーと民俗音楽に三分したりするのは広く行われている。 ここでは、三分する際の考え方に従い、アメリカを中心に世界的な広がりを見せている近代的な商業音楽をポピュラー音楽とし、その歴史に関しての概要を記載する。 初期アメリカ音楽の状況 [ ] アメリカは「人種のるつぼ」「人種のサラダ」などといわれるほどの移民の国である。 のアメリカ上陸を発端とした移民は17世紀ごろより盛んとなり、ヨーロッパ各国から多くの移民が流入した。 主に奴隷として、カリブ海地域から北米に連れて来られた黒人もおり、時代が新しくなると中南米からの移民も増えてくる。 数は少ないがアジア系の移民もおり、アメリカではこうした異なるルーツを持つ人々がそれぞれ固有の文化を持ち込んで暮らしていた。 ヨーロッパでは資本主義の興隆とともに多量の労働者が都市に流入し、19世紀後半には余暇に音楽を楽しむようになっていた。 パーラー・ミュージック(応接間の音楽)と呼ばれる平易な伴奏による歌がホームパーティなどで中産階級女性によってピアノやギターで伴奏されて歌われ、現在では各国民謡として知られる。 (酒色を伴う男の憩いの場で行われる演劇)での歌や酒場・カフェで歌われるシャンソンも人気を集めていた。 コミック・オペラやなども、この頃に名作が数多く書かれ、人々の話題の種となっていた。 社交ダンスも盛んで、そのための音楽も良く演奏されていたようである。 こうしたヨーロッパの大衆音楽は、そのままアメリカの都市部に持ち込まれ、アメリカポピュラー音楽のルーツの一つとなっている。 アメリカの農村部では、ヨーロッパの民俗音楽がそのまま持ち込まれていた。 アメリカへの移民は、イギリス・ドイツ・アイルランド・イタリア・ポーランド・ロシア・ユダヤなど多くの民族にまたがっているが、当初は持ち込んだ自民族の音楽をそのまま行っていたようである。 こうしたヨーロッパ各国民謡も、アメリカポピュラー音楽のルーツとなっている。 北米の黒人奴隷の多くは、カリブ海地域から連れて来られており、アフリカを離れて100年ほど経っている。 彼らのルーツは西アフリカにあり、ポリリズムを多用したホットなリズムの感覚は西アフリカに端を発するが、環境の厳しいカリブ海地域で白人と協力しながら厳しい労働をするうち、白人と黒人の音楽は混交し、などカリブ海地域の魅力的なジャンルを生み出した。 南米でも同様に白人・黒人の音楽の混交が見られ、やが生まれている。 このような、黒人と白人の混交音楽も、アメリカポピュラー音楽のルーツの一つである。 ポピュラー音楽以前 [ ] こうした、バラバラに持ち込まれた様々な音楽が、アメリカと言う地で様々な混交と変化を遂げ、アメリカ音楽を形成し始める。 初期のアメリカオリジナル音楽 [ ] 当初はヨーロッパの音楽をそのまま行っていたアメリカだったが、1750年頃にアメリカ東海岸の讃美歌の世界でアマチュア作曲家がオリジナルのものを作る動きが出てくる。 この動きは一時下火になるが、やがてアメリカ南部へ伝わり、ゴスペルに良く似た覚えやすいリフレインを持つ賛美歌が誕生した。 有名な「」は1800年代初めのこの頃作られたものと言われている。 劇場音楽とミュージカル [ ] 都市部ではヨーロッパの大衆音楽がそのまま持ち込まれていたが、そのうちミュージックホールは(ミンステロールとも表記、白人が黒人を演じる差別的な喜劇)に姿を変え、旅周りの芸能グループがを仕立てて村から村へ、町から町へ巡業を行って人気を集めた。 貧しい白人新移民が、解放奴隷の黒人たちに対して持った不満が背景にあるとされる。 こうした中からが出て、魅力的なメロディと「フック」(印象的なサビ)が後の多くの作曲家に参考にされ、後にアメリカ音楽の父と呼ばれる。 民族を超えた混交の始まり [ ] 農村部では、アメリカ南東部のアパラチア山脈周辺でスコットランド民謡やアイルランド民謡などのがアメリカ民謡の下地となっていった。 これらは(ヴァイオリン)やギターで伴奏されていたが、やがて黒人音楽との接触からの感覚やというアフリカ起源の楽器を取り入れたり、スイスのやチェコのの要素を取り入れたりして、とかヒルビリーとかなどと呼ばれるジャンルのもとになっていく。 黒人たちには18世紀後半あたりからキリスト教が普及し、黒人たちも讃美歌で礼拝をおこなうようになったが、彼ら固有の音楽的な伝続からか、活気あるリズム・交互唱()・叫ぶような唱法など、相当荒々しい形で礼拝をおこなっていたようである。 1863年の奴隷解放以後には、そこからと呼ばれるジャンルが生まれるが、これは白人がリーダーになってヨーロッパの讃美歌風の和音をつけ、楽譜として売り出したものであり、多くの曲が知られているが純粋に黒人のものとは言えない。 それに対して黒人のリズム感や叫ぶような唱法を特徴とする歌はと呼ばれるようになる。 同じく奴隷解放後には、南部農業地帯の黒人たちが抑圧の中で味わった個人的感情を呟くように吐き出す歌としてブルースが発生し、ギターの伴奏を伴う中でヨーロッパの和声構造を身につけていった。 ポピュラー音楽の誕生 [ ] 「」も参照 には楽譜出版会社が集まり、パーラーミュージックを背景に利益を得ていたが、1880~90年代に音楽を商品化するノウハウを確立する。 この商品化のシステムでは、最初から流行しそうな曲を作詞家作曲家に書かせるための〈プロデュース〉と、それを多くの人に覚えてもらい流行させるための〈プロモーション〉という二つの作業が重要なポイントであった。 プロモーションがうまく行くよう、その曲を人気芸人に歌ってもらい、それに対して謝礼を支払うのを〈ペイオーラpayola〉と呼んだ。 こうした手口によって1880~90年代に商業活動の基盤を確立したアメリカの楽譜出版業界を〈Tin Pan Alley〉と言う。 直訳すれば「錫鍋小路」となり、それぞれの会社で プラッガー [ ]と呼ばれる人が実演を伴って販売を行っていたため大変にぎやかだったことからついた名前である。 後に有名になった歌手もプラッガーをやっていた人も居る。 このような形の音楽がポピュラー・ソングと呼ばれ、このティン・パン・アレーによって生産される音楽が「メイン・ストリーム」(主流)音楽として幅を利かせた。 このようなティン・パン・アレーとポピュラー・ソングの誕生を持って、今日言われるポピュラー音楽が誕生したと言うことができる。 ティン・パン・アレー流の商業主義路線はアメリカのポピュラー音楽の特徴で、ヨーロッパのように国民の大多数に共通の文化基盤が存在しないアメリカでは、自然発生的に何かの音楽が大流行と言うことは大変起こりにくく、楽譜会社・のちにはレコード会社が企画してはやらせる音楽がメインという状況が続いていく。 もちろん意図しないところから意図しない曲が大流行することはあり、またティン・パン・アレー側の企画も大外れする場合も多く、常にうまく行っているわけではなかったが、ニューヨークの音楽会社が商業的に流通させるのがアメリカのポピュラー音楽だ、と言う流れはこの頃に確立した。 時にはハワイや中南米から植民地型の混交音楽を輸入し、大衆に飽きられないように活力を得るなどのことも行われた。 実際、アルゼンチンタンゴの最盛期は1920~30年で、ティン・パン・アレーの最盛期と同じ時期である。 その頃、ミンストレルショーに代わってという小さな劇場が都会にできた。 ヴォードヴィルは日本語で「寄席」と訳されているが、日本の寄席とは少し違い、音楽はもちろん、に似た曲芸が行われたり、有名な元野球選手などが出演していたこともあり、日本の樽回し(横になって足で樽を回す曲芸)も出演していた。 ドアープライズ(入場のときもらえるおまけ)には、婦人服の型紙や驚くことに石炭一年分などがあった [ ]。 こうしたヴォードヴィルではティン・パン・アレーがつくったポピュラー・ソングが全米で巡業され、メイン・ストリームの音楽を大いにアメリカ中に流行らせた。 これらの家族で楽しめる娯楽場をアメリカで提供した一人に、トニー・パスター(。 ジャズバンドのトニー・バスターとは別人。 トニー・パスタとも表記。 )がいる。 ティン・パン・アレーは、1920~30年代に全盛期を迎えた。 当時のヒット曲はほとんどすべてニューヨークを本拠地とする一握りの作曲家と作詞家がつくりだしていた。 と、と、同じくロジャースとロレンス・ハートなど、作曲家と作詞家は多くの場合コンビを組んで活動した。 ヴォードヴィルにかわって大衆芸能の王座についたのほか、ダンス・オーケストラの専属歌手も、ティン・パン・アレーの歌の普及に貢献した。 先に挙げたロジャースやガーシュウィンも当然多くのミュージカルをのこしている。 ジャズの起こり [ ] 「」も参照 20世紀初めの10年ほど、黒人音楽の二つのスタイルであるラグタイムとブルースが商業的にヒットしていた。 ラグタイムはシンコペーションを大量に含む音楽であり、ミンストレル・ショーの歌を母体に発展してきた。 1900年前後に活躍していたという黒人ピアニストが、1899年に「メイプル・リーフ・ラグ」を発表し、1902年には「」を発表している。 彼はの王様と呼ばれるようになり、このラグタイムが一世を風靡した。 Irving Berlin のアレキサンダーズ・ラグタイムバンドという曲は(1911)ラグタイムではないが、ラグタイムを有名にしたといわれている。 19世紀末にアメリカで一番有名だった音楽家は、「行進曲王」の名で世界に知られただった。 アメリカの吹奏楽は南北戦争の頃に盛んになり、19世紀後半には博覧会場や公園などで演奏する商業バンドが発達した。 世界的に見ても19世紀末は吹奏楽熱が最高潮に達した時期である。 スーザはそうした中から現れて人気を博した。 アメリカの吹奏楽はアマチュアにまで流行を見せ、20世紀初頭にはダンス・バンドも大流行している。 1900年代には、ニューオーリンズの元奴隷の黒人たちが始めたブラスバンドが不思議とスウィングするリズムがあるとして評判になり、白人のバンドに真似されたり、そのままのスタイルでダンスホールに雇われたりするようになった。 これがジャズの誕生である。 ブルースとラグタイムの要素を含んでいるというのが良く言われるところである。 1910年代から1920年代にかけて、産業構造の変化により南部から北部への人口移動が起こり、ジャズメンの多くはシカゴに移住した。 こうした中から天才トランペット奏者のが台頭し、全てのジャズプレイヤーとアレンジャーに絶大な影響を与えた。 この期間をと呼んでいる。 ジャズはやがて白人に真似られるようになり、白人だけの楽団なども出てきたが、これはスウィング・ミュージックと別な名称で呼ばれた。 ビッグバンドスタイルが確立され、ティン・パン・アレーもジャズの取り込みにかかり、多くのレコードが人気を集め、ジャズとスウィング・ミュージックは第二次世界大戦前のメインのジャンルのひとつとなった。 ヒルビリー登場 [ ] 1920年代、レコード会社が「ヒルビリー」と言うレーベルで、南部の白人大衆向けにアメリカ民謡に起源のある音楽を売りだした。 アメリカ民謡に起源を持つメロディと、孤独、貧困、望郷など同時代のメイン・ストリームが取り上げないテーマを含んだ歌詞が共感を呼んだ。 映画の誕生後は西部劇でカウボーイ姿で歌って人気を得る者が多く出て、西部開拓時代への懐古と田舎の生活への郷愁がこのジャンルの特徴となり、第二次世界大戦前後の愛国心の高揚期にこの種の音楽は最盛期を迎えた。 ヒルビリーと言う語はもともと南東部山岳地帯出身者に対する蔑称だった ため、後にカントリー・アンド・ウエスタンとレーベル名を変えることになる。 新技術とポピュラー音楽 [ ] レコード [ ] 楽譜中心だった音楽を伝える媒体が、1877年にがを発明したことで変化した。 当時はレコードは平面の円盤ではなく、(トイレットペーパーの芯のような形態)であった。 当時の吹き込みは電気的なものでなく、大きなメガホーンに向かって音を吹き込むことによってなされた。 ミキサーもなかったため、音のバランスをとるために隣の部屋から演奏する楽器もあったようである。 エジソンはレコード会社を設立し、多くの歌手がヴォードヴィルで流行った昔の曲を吹き込んだ。 ラジオ [ ] 音楽媒体の次の大きな変化は、の誕生である。 は1906年12月24日に、アメリカ・マサチューセッツ州の自己の無線局から、自らのクリスマスの挨拶をラジオ放送。 この放送はあらかじめ無線電信によって予告されたもので「世界初のラジオ放送」だっただけでなく「最初のクリスマス特別番組」でもある。 また、フェッセンデンは「史上初のラジオアナウンサー・プロデューサー」とも言える [ ]。 それ以後、実験・試験的なラジオ放送が世界各地で行われるようになるが、最初の正式な公共放送(かつ商業放送)は、それから14年経った1920年11月2日にアメリカ・で放送開始されたKDKA局であった。 当時のラジオの出演はノーギャラだったが、歌手はラジオで歌えれば有名になるチャンスが与えられるので競って出演を望んだ。 またラジオの出現でパーラーコンサートにも微妙な変化が起こった。 ラジオから流れるビッグバンドの演奏で、家庭でもダンスを楽しむことができるようになったのである [ ]。 映画 [ ] 映画は19世紀末に発明され、サイレント映画の時期から生演奏をつけての上演は行われていたが、1927年のトーキー映画の登場により、映画に音楽をつけることが急に不可欠になり、映画音楽が探求され始めた。 アメリカのハリウッドでは当時音楽界の主流だった後期ロマン派音楽を映画音楽の中心に据え、シンフォニック・スコアが生まれた。 と同時に、も誕生し、不況や戦争で暗い庶民生活に夢を与えた。 パブリック・アドレス [ ] 「」を参照 第2次世界大戦後、ティン・パン・アレーは流行を先導することができなくなり、自発的な流行の後追いとなる。 戦時統制でビッグバンド編成が組めなくなったジャズは技巧的なソロを聴かせるに変化して行ったが、以前のような広がりを失っていった。 こうした中、ブルースにエレキ・ギターを導入してビートを強調しつつジャズとゴスペルの要素を取り入れたが黒人の間で生まれると、黒人のみならず白人の若者もこれを熱狂的に受け入れる現象が見られた。 こうしたリズム・アンド・ブルースをベースに、カントリー・ミュージックの要素、ポピュラー音楽の要素が融合された音楽が1950年代半ばに白人の間に生まれ、と呼ばれた。 後に短縮形であるも使われた。 最初期のロックの巨人としてがいる。 ロックは熱狂的に若者に受け入れられたが、人気ディスクジョッキーとレコード会社の癒着が明るみに出たことで、「結局は商売か」という失望を生み、1960年代に入ると急速に失速し、アメリカ民謡やカントリー・ミュージックに起源のあるの流行を見た。 しかしこうした中、イギリスのやが自作曲を武器に絶大な支持を得て、ロックは再び息を吹き返す。 ロックの流行の原動力は、アメリカ社会の持つ白人と黒人の対立構造、そして戦争後に訪れる対立解消への衝動だった。 白人の若者の欲求不満を解消できる文化要素は白人の文化の中にはすでになく、黒人底辺文化の価値観を白人若年層が大幅に取り入れたという、前例を見ない先鋭的な現象がロックの流行だった。 60年代は世界的に「怒れる若者」の時代であり、反戦と大人や社会への反抗が吹き荒れた時代であり、ロックの流行は、その先取りとも言えるものだった。 1960年代後半には、ロックは二度目の全盛期を迎え、様々なジャンルと融合の試みが行われた。 、、、、などはこの頃生まれたものである。 初めは白人貧困層の音楽だったロックはこの頃には知的な色合いも帯び、より広い社会的影響力を獲得していた。 、、、など、現在でも楽曲が良く使われる「ロックの古典」のようなグループはこの頃のものである。 こうしたロックは、世界中のポピュラー音楽に影響を与え、英米以外の各国でもロックの後追いのようなジャンルが生まれるに至った。 目立つものだと、フランスではそれまでのシャンソンとは明らかに異なる (、)が生まれ 、日本でもやが生まれている。 ただし東側諸国の多くはロックを西側の退廃音楽として弾圧したため、ロックの影響は地下化した。 しかし1970年代に入ると、オイルショックによる不況・アメリカの音楽産業の集中化・売れる歌手だけを売ろうとする方針などが組み合わさり、再度商業主義路線に回帰することとなる。 ディスコはその代表例。 商業主義に飽き足らなかった若者はを支持したが、の解散に伴いパンクも終焉を迎えた。 ハード・ロックからは、パンク・ロックからはニューウェーブが生まれ、それなりの支持を得てはいたが、レコード会社の意図通りに売れる曲を作るロックの路線は「産業ロック」と揶揄され、全体として音楽産業が大きく衰退する結果となった。 こうした中、1980年代には、「カリスマになれる能力のある歌手だけをを駆使して全面的に売り出す」と言う方針が確立され、、、などのカリスマが現れ、音楽産業は再び息を吹き返した。 もミュージック・テレビジョンの後押しを受けて幅広い社会階層から人気を集め、またの登場は音楽全般の需要を後押しした。 この傾向は90年代まで変わらず、80年代初めのの流行・80年代半ば以降のの台頭など、非白人文化の刺激は見られたものの、それ以降は新たなジャンルは見られず、ポピュラー音楽全体が統合・成熟の時期に入ったと言える。 80年代半ば以降は、東欧での民主化運動や冷戦崩壊・ソ連崩壊に伴い、東側陣営の音楽も聞かれるようになり、統合の対象が東側世界まで拡大した。 1990年代は空前のCDバブルから始まるが、95年のウインドウズ95発売に伴うインターネットの爆発的な普及やその後の携帯電話の普及は、それまでの音楽受容のあり方を激変させた。 音楽はインターネットや携帯電話と消費において競合するようになり、2000年代以降はCDの売り上げが世界的に激減した。 2008年にスウェーデンの企業・スポティファイ・テクノロジーが、音楽サービス『』を開始した。 背景には、海賊版や違法音楽データの横行があり、その問題を解決することが目的であった。 2011年にはアメリカ進出を果たし、2017年に全世界での有料会員数が5000万人、2019年には1億人を突破している。 東洋音楽史 [ ] 漢字古典籍に遺る音楽神話 [ ]• 縄、衣、名の発明者でもある。 魚釣り、結縄、魚網、鳥網、八卦の発明者でもある。 までらによって温故堂で講談された和学や、中国神話によると、縄の発明者の葛天氏の氏族が歌舞や楽器、楽譜を発明したとされる。 葛天氏の氏族の歌は千人で合唱して万人を和し、山を震動させて川を沸き立たせたと『』に記されている。 は、撚糸である縄や結縄の発祥を、日本列島から出土する土器やの網小屋に遺る有結網に捜し求めた研究成果をに編纂した。 は、『』によると、の臣下で楽官を司ったとされる ()が、の命令で大夏の西へ行き、嶰谿之谷の竹を取り、節を断ち落として三寸九分の管を吹き、の鳴き声を聞いて12の音律を定めたことが起源とされる。 日本音楽史 [ ] 日本音楽()は多くの種類の音楽が混在しており、多岐にわたる音楽の歴史を通史としてまとめることが難しい一面もある。 その中においても、それぞれの音楽のつながりや、通史としての日本音楽史の研究が進められている。 概略史 [ ] この節のが望まれています。 先史・古代における日本列島の楽器・音楽については『』『』などの文書のほか、的な考察によっても研究されている。 には、楽器として使用されたとみられる土製品やなどが存在したと考えられ、これらは装飾的なとともに祭祀に用いられていたとみられている。 には、青銅製のが存在し、埋納され祭祀の中心であったと考えられているほか、同時代のものとしてなどの楽器も出土している。 5世紀ごろから8世紀ごろにかけては、・などの外国から音楽が輸入された。 701年のにてが設立されたが、その人員配置は、設立当時の和楽(日本古来からあった音楽)中心から、徐々に・といった外来音楽中心へと変化しており、外来音楽が浸透していった一面を表している。 初期には朝鮮半島の国家制度が変わり、またが停止されたことにより、外国からの音楽輸入がほぼ途絶えた。 これと、平安朝に入って約50年ごろに行われた楽制改革などにより、外来音楽も日本古来の音楽とともに、当時の日本に合う形へと整理されていった。 日本式のが成立するのはこの時期である。 一方、・には古来からの日本音楽の流れを汲んだ音楽が主流になった。 この時代に大成したものの中に、、そしてそこから発展した・などがある。 以降、によるなどの形でが一部入り込んだものの、基本的にはの政策もあいまって、日本独自の音楽、いわゆる「」が進化を遂げた。 とも呼ばれる、、、などが発展する。 以降、頒布の後にが設立されるなど、国策として西洋音楽輸入がなされた。 この動きが始まった当時は、庶民を含めて邦楽が根付いていたが、徐々に、西洋音楽をたしなむ国民が多数を占めるようになった。 明治後期にはにより日本語のやピアノ曲が作曲され、日本人による西洋音楽の作曲が行われるようになった。 日本のポピュラー音楽・歌曲である・もつくられいく。 大正、昭和期にかけて、、、などの手で日本の民族性やの語法なども取り入れつつ、より本格的な西洋音楽が作曲されるようになった。 戦後にはやらがをはじめとしてを取り入れたほか、欧米のポップミュージックを導入しながら、の音階なども取り入れられたなども一世を博した。 日本の音楽史家 [ ]• - - その他の地域の音楽史 [ ]• 久保田慶一 他『はじめての音楽史』音楽の友社,1996年,p7• 平凡社『世界大百科事典』の「楽器」の項。 by Ian Cross, Ezra Zubrow and Frank Cowan• たとえばの場合、他の個体との情報交換の手段として「歌う」が、これを音楽としての認知能力を持っていると解釈できるわけではない。 ただし、動物における音楽の研究はほとんど進んでいない。 「歌う」ことや、さらに汎用的と考えられる音楽的素養である「リズム」を、種別でどう認知されているかは不明であり、音楽が動物としてより普遍的な素質であるのかどうかも不明である。 Josh McDermott, Nature, 453, 287-288, 2008• 『知の逆転』( )。 オクシリンコス(エジプト)では発掘されたパピルスから発見• セナトル(Senator)は名前の一部であり、役職ではない。 第二巻第五章が音楽の記述。 ポエティウス(524年以前)の「音楽教程」に次ぐ音楽理論書とされる。 彩色線を使用した記譜法、微分律的な旋法の排除、グイドによるソルミゼーションなどの変革がみられる。 当時、「大作曲家」の通称で知られる。 「ホケトゥス」は、各声部が旋律内で交互に歌う技巧的な声楽曲。 ウルリヒ・ミシェルス編『図解音楽事典』 日本語版監修、、1989年、 の401頁では、1890年から1914年の勃発までを「世紀末」とし、ロマン派の最終段階としている。 『西洋音楽史「クラシック」の黄昏』中央公論新社、199、200頁。 『世界大百科事典』の「ポピュラー音楽」の項。 『世界大百科事典』の「ポピュラー音楽」の項。 『ポピュラー音楽の世紀』から。 『世界大百科事典』の「ポピュラー音楽」の項。 『世界大百科事典』の「ジャズ」の項。 『ポピュラー音楽の世紀』から。 『Encarta2005』の「アメリカ音楽」の項。 『ポピュラー音楽の世紀』および『Encarta2005』の「ポピュラー音楽」の項。 『世界大百科事典』の「カントリー・ミュージック」の項、『Encarta2005』より「カントリー・アンド・ウエスタン」の項。 『世界大百科事典』の「黒人霊歌」の項。 『世界大百科事典』より「ゴスペル・ソング」の項。 『世界大百科事典』の「ブルース」の項。 この項は全般に『世界大百科事典』と『Encarta2005』の「ポピュラー音楽」の項による。 『ポピュラー音楽の世紀』より。 『Encarta2005』の「ボードビル」の項。 この項はその多くを『世界大百科事典』と『Encarta2005』の「ジャズ」の項に負っている。 そうでない記載について出典を示す。 『Encarta2005』の「アメリカ音楽」の項。 『Encarta2005』の「アメリカ音楽」の項。 『Encarta2005』の「吹奏楽」の項。 『世界大百科事典』の「吹奏楽」の項。 『世界大百科事典』の「吹奏楽」の項。 『世界大百科事典』の「カントリー・ミュージック」、『Encarta2005』の「カントリー・アンド・ウエスタン」の項より• 『世界大百科事典』の「ヒルビリー」の項• 『世界大百科事典』の「レコード」の項。 AM放送によるもの。 最初のニュースは大統領選挙の情報で、ハーディングの当選を伝えた。 『世界大百科事典』の「映画音楽」「ミュージカル映画」、『Encarta2005』の「映画音楽」の項より• 『Encarta2005』の「ポピュラー音楽」の項、『大百科事典』の「クルーナー」の項。 この項の多くを『世界大百科事典』『Encarta2005』の「ロック」の項に負う。 『世界大百科事典』の「ポピュラー音楽」の項。 『世界大百科事典』の「ジャズ」の項。 『Encarta2005』の「ユーロ・ポップ」の項。 『Encarta2005』の「日本の流行歌」の項。 History of Rock Music in Russia 、Beat and Rock Music in Hungary など• 『Encarta2005』の「ユーロ・ポップ」の項。 「聴葛天氏之歌、千人唱、万人和、山峰為之震動、川洛為之蕩波」 参考文献 [ ] 全般 [ ]• 他『はじめての音楽史』音楽之友社(初版1996年、増補改訂版2009年)。 『世界大百科事典 第2版』日立デジタル平凡社、1998年• 『Encarta2005 総合大百科』Microsoft, 2005年 西洋音楽史 [ ]• ポピュラー音楽史 [ ]• 『ポピュラー音楽の世紀』岩波新書、1999年。 『アメリカン・ミュージック・ヒーローズ ~米国ポピュラー音楽の歴史~』ショパン、2005年。 奥和弘『アメリカン・ルーツ・ミュージック』音楽の友社、2004年。 日本音楽史 [ ]• 『日本音楽の歴史』1965年、創元社。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• - (2004年5月6日アーカイブ分)• この項目は、に関連した です。

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