フジコヘミング 下手。 フジコ・ヘミング名言集!リスト:ラ・カンパネラにまさかの下手評価?

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新レーベル誕生! DAGY LABEL (ダギーレーベル) いつもフジコ・ヘミングを応援頂き、ありがとうございます。 この度、フジコ・ヘミングが「自分のピアノ」へのこだわりを表現するため、自主レーベルを設立致しました。 自らの数奇な人生を経てたどり着いた豊潤なピアノの音色を世界の皆様にお届けしたいと思っています。 レーベル名になった「ダギー」はフジコがパリの自宅で可愛がっているフレンチブルドックの男の子です。 ちょっと食いしん坊でお節介。 フジコさんとのお散歩が大好きです。 DAGY LABELは、動物愛護への深い関心と動物を愛し支援を続けているフジコの心にかなった名前となりました。 In the pursuit of her unique world of piano music, Fuzjko decided to launch her own label. Fuzjko plans to release new albums containing her rich piano sounds to reach the global fans and audiences. The label name DAGY is the name of a French bulldog Fuzjko keeps with her in Paris. Dagy is a loving male dog, who loves to eat and take a stroll on the streets of Paris with Fuzjko. DAGY LABEL is a well-suited label name for Fuzjko, who continues to support animal protection causes with everlasting caring for cats and dogs herself.! CD・DVD情報• 2017年04月01日• 2015年04月18日• 2014年03月31日• 2013年03月27日.

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フジ子・ヘミング の生演奏を聞いた方

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フジコ・ヘミングアンチの偏執ぶりには、眼を見張るものがある。 いかに彼女が下手か、いかにフジコは楽曲を弾けていないのか、彼女を評価してしまっては、練習を頑張っている音大性・ピアニストの卵がかわいそうだとか、とうとうと悪口が止まらない。 嫌なら聞かなければ良いと一蹴すれば良さそうなものを、ブログや紙媒体でつらつらと酷評をする。 彼らの気持ちは分かる。 例えるなら、ビートたけしが最高の歌手だと言われて、玉置浩二が「声量があって、音程を外さないだけの歌手」と貶められている状況である。 日本のピアニスト界は。 フジコ・ヘミングのCDはよく売れる。 フルオーケストラ含め、一番「売れる」コンテンツではないだろうか? 誰も美空ひばりを、「音程を外さない機械的歌手」という人はいないのに、ピアニスト界だとそうなってしまうのか。 不思議である。 2 クラシック音楽のイデオロギーとメタル ロック・ミュージックにおける「メタル」のイデオロギーは、クラシックに近い。 どちらも速いパッセージや、メロディを重視する。 ドラムもタイトにガンガン鳴らす。 仮に、リズムもガタガタで、メロディの起伏もほとんどない平板な曲をやるバンドがいたとして、己等を「メタル」「メタルバンド」だと名乗っていれば「どこがメタルなんだ」とバッシングされるだろうが、「パンクバンドです」と名乗っていれば、誰も叩かない。 これは、 ジャンル・タグにはそれぞれ特徴以上のイデオロジカルな面があるからである。 イデオロギーは、イズム・思想・設計思想とも換言できる。 ピアノ独奏曲の演奏にしたって、テンポ・ルバートやリズムルバート、楽譜の改変・付加などは珍しくない。 バロック時代に至っては、改変・即興が前提で楽譜が組まれていた。 フジコヘミングの何がまずいのか。 本来技巧を披露するための曲なのに、テンポをゆっくりに設定して演奏すること• 逆に、ショパンのノクターンなど、本来はゆっくりのテンポに設定されている曲を、早目のテンポで演奏すること• ミスタッチが異様に多いこと。 そして、そのミスタッチすら許容される美的基準を設定されてしまっていること• 楽譜の難易度の高いパッセージを、省略すること• 曲の弾き直しを本番中にやること これらを見ると分かるのだが、ポピュラー音楽・ポップスなら本来問題視されないことがらが、フジコ・ヘミングに対する眼差し・批評において、問題視されていることが分かる。 玉置浩二などもよく既存曲のカバーをするが、テンポはルバートするし、メロディも頻繁に崩す。 なぜ玉置浩二は神のように崇められ、フジコ・ヘミングは蔑まれるのか? それは、 フジコが一度たりとも原曲に忠実な演奏をしていないからだ。 もし、仮にフジコがコンスタントに超絶技巧曲を技巧曲のままに演奏していたならば、クセの強いピアニストだとは思われても、下手くその烙印を押されることはなかったろう。 普段は楽譜通りに演奏できるピアニストなら、リストのラカンパネラのあのテンポは、ホロヴィッツ のトロイメライのように受け止められる。 (幼少期の思い出、穏やかなメロディ) パラレル世界におけるフジコ・ヘミングを想定する フジコ・ヘミングとは、いうなれば嫌われる要素の役満状態にいる人物だ。 この役満が、満貫止まりであったり、リーチのみの世界はあり得た。 想像もしやすい。 「私はクラシックのピアニストとは言えません」と宣言する 先述したように、フジコの演奏・解釈は、クラシックのイデオロギーに反している。 正確に言うなら、イデオロギー・イズムに由来するぼんやりした判定基準とレギュレーションに違反している。 なら、「私はクラシックのピアニストではありません」と宣言してしまえば、今彼女に向けられているヘイトは随分やわらぐことだろう。 自作曲を演奏するのも良い。 ただ、フジコを見に来るお客さんは「クラシックの懐メロ(?)を聞きたい」との思いからくる人も多いので、客足は減るかも知れないが……。 もうちょっと謙虚になる このに、「超絶技巧曲も、心をこめて惹かなければ薄っぺらい」だとか、「大家から称賛を得ているから、評論家から酷評されてもなんとも思わない」だとか、尊大な発言が目立つ。 面と向かって相手を批判する奴なんかなかなかいないし、そもそも中村紘子などからも批判はされている。 「これが私の演奏」と他の媒体で語っているわりに、他の演奏家からの評判も気にしたり、矛盾の多い人物であるが、私自身もダイエットを宣言しながらペヤングを食べているので、人のことは言えないだろう。 「フジコ・ヘミングのことを語ろうとすると、どうしても色眼鏡をかけてしまうので、語ることをやめた」という人がいる。 よくフジコは「無国籍だった」「一度聴覚を失ったが、回復した」などのストーリーを消費されているだけと批判されている。 だが、フジコへの批判は「演奏技術が低いのに、NHKがドキュメンタリーとして取り上げ、結果一般層に人気が出たピアニスト」であることを抜きに語れない。 演奏だけ見れば、ただの音のよく外れるテンポの遅い楽譜の改変が多い演奏である。 無視されこそはすれ、憎む対象ではない。 ここにジレンマがあって、「ストーリーを消費している」との批判も、純音楽だけにフォーカスした言説にならない。 クラシック音楽のイデオロギーとは、理想的には、作曲者・演奏者・演奏年代がそっくり別に入れ替わっても、評価が変わらないことである。

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フジ子・ヘミング

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フジコ・ヘミング女史の演奏が好きな方へ 貴方と私とは音楽の感性が違います。 これは認めなければならない事実です。 私はフジコ・ヘミングさんの演奏は下手だと思っていますし、好きではありません。 私は何百人ものクラシックのプロピアニストの演奏を聴いていますが、ヘミング女史ほど下手な人は聴いたことがありません。 音楽大学のピアノ科卒の方に聞いたところ「あんな自分勝手に編集した曲を、さも普通かのようにひけて、ある意味では天才です。 そういった意味では羨ましい。 」だそうです。 さらに「改悪版の譜面をごまかしの技術でそれらしく聴かせられるのはすごい。 」だそうです。 上記の意味においては「奇跡のピアニスト」と言っても良いでしょう。 ただし、最後にこのようなことをおっしゃいました。 「だけど、あれってクラシック音楽じゃなくてフジコ音楽なんだよね。 ああいう感じに弾きたいとは思わない。 」 まさに、そうだと思います。 フジコ音楽が好きな方はそれで良いと思います。 ヘタで自分勝手な演奏でも、それが好きなのであればそれはそれで良いとおもいます。 私はヘミングさんの演奏は嫌いです。 なぜなら、上手いと思わないから。 ヘミングさんの人生がどうのこうの言う方がおられますが、音楽に人生がどうのこうのは関係ありません。 耳が聞こえないとか聞こえにくいとかそんなのは関係ありません。 上手ければ上手い。 下手ならば下手。 そういうものです。 たぶん、フジコ音楽が好きな方は、このことすらも理解できないだろうと思います。 「曲に人生の深さが溢れている」とか言われる方がいます。 すくなくとも曲に対する練習時の努力が溢れているというのであれば理解できますが、人生の深さが溢れているって貴方にはヘミングさん人生の何がわかるのですか? 少なくとも、本当のプロピアニストの努力の仕方を本当に理解していれば、曲に対する練習時の努力が溢れているかどうかは分かります。 人生がどうのこうのという色眼鏡で見ない。 これが大切です。 そのことを知った上で自分の独断と偏見を書きました。 皆さんは大人ですから、音楽や音楽家や奏者の評価は様々だということを知っておられると思います。 なので、「下手な演奏を好むのは自由です。 」という意味合いのことを常々書いています。 音楽で評価されるにはコネと運も必要です。 それも重々に承知です。 勝手な自分の思いを綴ったブログですので、勝手な独断的スタンダードを定めております。 もちろん、ビジネスとして成功しているのはフジコ・ヘミング女史です。 ですので、フジコ・ヘミング女史はビジネスの上では尊敬しますし、正道なのだと思います。 クラシックの本道とは、オリジナルを良い意味でも悪い意味でも超えすぎないことだと思っています。 確かに、トレースさせるだけなら自動演奏をさせれば良いのです。 クラシックという雁字搦めの枠の中でも個性を出すのが、本道なのだろうと思います。 違ったカテゴリには、JAZZもあります。 クラシックという雁字搦めのカテゴリがダメなのであれば、他のカテゴリのピアニストになったほうが良いと独断的には思います。 好きな人を好きといい、嫌いな人を嫌いといえるのがブログの良いところなので、独断と偏見を書いています。 もちろん、誰がどんな人を好きかなどわかりませんので、当たり障りなく普通の文章を書いたら書いたになるのでしょうけれども、自分のブログで自分の意志と違うことを表明する意味があるのかと思ってしまいます。 誰がどんな人を好きになろうと自由です。 ですから、フジコ・ヘミング女史を好きになっても、別段問題はありません。 ですが、私はフジコ・ヘミング女史の「演奏は」嫌いです。 「演奏は」嫌いです。 人物を嫌っているわけではありません。 多分、理論的なhangetuさんなら「こういった考えもあるのか!仕方ないやつだな。 」と思ってくださるはずです。 上手い下手、好き嫌いの表明ならどうと思うこともありません。 しかしながら、特定の演奏家を名指しするだけなら見過ごしますが、 それを好む不特定の多数に向かっての言葉の向け方に違和感を覚えたまでのことです。 ブログだから何を書いてもよいとは思いますが、なんとはなしに日常の危うさが伺われ、老婆心ながらの雑文をしたためてみました。 日常生活の中で、その危うさが露見し、生きにくい場面を自ら招いていらっしゃりはしないかと、いらない心配をしてみたのです。 独断は多いに結構です。 私もブログで酷いことを結構書いていますので 笑 ただその言葉の裏にある気持ちは、確かな愛が在ることが必要なのではと思う次第です。 >クラシックの本道とは、オリジナルを良い意味でも悪い意味でも超えすぎないことだと思っています。 オリジナルの演奏を何ととらえるかですね。 リストやベートーベンの録音など残っていませんよね 笑 言うまでもありませんけど。 譜面を持ってそれというならば、仰るとおり機械任せに演奏させるのが正しいんでしょうね。 クラッシクの味わいが解らなくて言ってるわけではありません。 自分の中での理想を人の演奏に追い求める事を無益だとも思いません。 人より数多く聴き、人の知らない演奏を手に入れ、一人悦に入る愉しみも否定しません。 ただね、何となく危うい感じが気になっただけのことです。 思いつきの雑文です。 お気に障ればスルーで 笑 一番無難なのは、否定も肯定もしないことです。 心理学の授業で習いました。 社会全体の風潮からしたらそうすべきなのでしょうが、嫌われる勇気を持って情報を発信する覚悟があっても良いと思います。 それができないのであれば、言論弾圧以外の何物でもありません。 自分の人生は釈迦の言葉の通り苦しみの塊であり、忍土を生きております。 自分の正しいと思う道を示して生きにくい場面を歩いているのは大いに結構です。 私の言葉は愛情がないわけではありません。 私と感覚が違っても死ぬことはないし、違うので当然だということをみんなに再認識してほしいだけのことです。 愛情の裏返しから、こういった思想を生み出しているとも考えられます。 フジコ・ヘミング女史の音楽に留まらず、新たなる音楽の世界に飛び出してほしいという愛情を感じ取っていただきたく思うのです。 フジコ・ヘミング女史だけがすべてではないのだよと。 私が習ったクラシック音楽は楽譜をアナリーゼしてどういった構成にして演奏するかを決め、それに従って個人の解釈を加えつつ演奏するというものでした。 ですから、それを通常のクラシック音楽としてみてしまいます。 個人の解釈を加えつつということが重要で、機械にはできないことをしているわけです。 私の意見は確かに明らかに危うい思想でしょう。 学術論文なら非難轟々です。 専門家の中では、フジコ・ヘミング女史のことに関しては良くも悪くも言わないのが定説です。 なぜならば、それをいったらそれが好きな人を傷つけかねないから。 私は傷つけるために書いたのではなく、少しでも他の演奏を知って他の演奏の楽しみも共有できる人になってほしいからです。 強い言葉で非難しているように聞こえますが、通常の私ならこのぐらいは非難しているうちに入りません。 残念ながら、実際の私はもっとひどい言葉を使って部下を教練しています。 本当はそうすべきではないのでしょうけれど、性格というのは一生直らないようで、簡単に変えられるものでないようです。 正しい意見をありがとうございます。 hangetuさんが真っ当です。

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