フォード エスコート rs。 フォード・エスコートRS 1800 Mk.2

フォード エスコート RS レプリカ 1600|ニュージーランドクラシック

フォード エスコート rs

1968年に誕生した欧州フォードのエントリーモデルであるエスコート。 当時の日本のカローラやサニーとサイズ的にも性格的にも近い大衆車で、1975年にフルモデルチェンジして2代目(Mk2)となった。 2ドア/4ドアセダンまたは3ドアワゴンボディーに1. 1リッター/1. 3リッター/1. 6リッターの直4 OHVエンジンを搭載し、後輪を駆動。 サスペンションは前がストラット/コイルの独立、後ろが半楕円(だえん)リーフのリジッドというコンベンショナルな設計だった。 遅れて登場したコンペティション向けのRS1800は、先代の1. 6リッターから1. 8リッターに排気量が拡大されたDOHC 16バルブのフォード・コスワースBDAユニットを搭載していた。 WRCには1975年から投入され、最終戦のRACラリーでは初優勝を飾るとともに表彰台を独占。 それから1979年までRACを5連覇し、1979年にはメイクス選手権、およびこの年から設けられたドライバーズ選手権のダブルタイトルに輝いた。 WRCにおけるフォードの初戴冠だったが、彼らが次にタイトル(メイクス)を獲得するのは、それから実に27年を経た2006年のことだった。

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フォード・エスコートRS1800…WRC参戦マシンのベース車特集

フォード エスコート rs

ルーフから伸びるウイングが特徴的なリヤビュー フォード・エスコートRSコスワース Ford Escort RS Cosworth は、がベースで開発した。 ネーミングが示すとおり、エンジン開発はが担当した。 小さなエンジンベイに縦置きに搭載されたコスワースYBTエンジンは排気量1993cc、直列4気筒の鋳鉄製ブロック。 これにコスワースが開発したDOHC4バルブヘッドと製大径ターボとの組み合わせによって、最高出力227馬力、最大トルク30. 4kgmを発生。 足回りはシエラ・RSコスワースと同様にフロントはマクファーソン・ストラット、リアはセミトレーリングアームを採用した。 市販モデルはにヨーロッパで発売され、グレードはサンルーフ、パワーウインドウなどを備えたラグジュアリーと、競技仕様のスタンダード(受注生産)の2タイプ。 ボディーカラーは白、黒、赤の他、メタリック系の紺、緑、灰の6タイプで、スタンダードはホワイトのみの設定であった。 また二段リアスポイラーはオプション。 その後、エンジンや装備の充実を図ったマイナーチェンジを受けると、(EU)の排ガス規制に適合させることが困難であることから、いっぱいで生産を終了した。 日本ではフォードによる正規輸入はないものの、1993年に日本人初のWRCワークスドライバーとしてトヨタからに出場したが運営するオートスポーツイワセなどによって直輸入された。 WRCでの成果 [ ] デビューイヤーの1993年は舗装路、未舗装路でも安定した成績を残し、特に舗装路では速さを見せたものの、翌1994年以降は目まぐるしく変わるチーム運営と開発力の低下も影響し、1996年までの参戦期間の中に7勝を挙げるに留まった。 特にチーフエンジニアがジョン・ウィラーからに変わって以降では、ドライバーが希望したセットアップで走れない事態が多々発生し、お役所体質と呼ばれたフォード・モータースポーツチーム(通称:ボアハム)は、マシン開発の停滞を招いた。 ランチアから移籍してきたや、スバルから移籍してきたらに、そうした運営を批判されている。

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127号 フォード・エスコートRSコスワース

フォード エスコート rs

RS1600に積まれるコスワース製16バルブエンジン 初代エスコートとなるMK1は1967年暮れにで登場、からはでも生産された。 ごく常識的なフロントエンジン FR方式 、の後輪固定軸のシャシーを持っていたが、強いて言えば方式のステアリングと、当時のの流行を感じさせるコークボトル・ラインのスタイリングが特徴と言えば言えなくもない。 「ケント・エンジン」と称されたエンジンは当初1100ccと1300ccであったが、輸出用には950ccの廉価版も少数作られた。 その後スポーティ版として1300GT、豪華版1300E、製1600ccエンジンを積んだツインカムが追加され、ツインカムは製BDA( Belt Drive A Series)エンジンのRS1600にバトンタッチした。 エスコートMk1は末から前半にカーとして大成功を収め、特にによる1970年のロンドン-メキシコ・ワールドカップ・ラリーでの優勝が名高く、これを記念してラリー仕様のエクステリアを持つ「メキシコ」が販売された。 また、モデル末期のには米国製 の2000ccエンジンをベースとしたRS2000も登場したが、性能的にはRS1600よりマイルドであった。 当時のにはディーラーの・ ・ 日光社等から1300GTやツインカムが少数輸入された。 MK2 Mk2モデルは先代より角ばったスタイルとなってにデビューした。 MK1は英国で開発されたが、MK2は英独共同開発となった。 機構的にはMk1とあまり変わらず、のボディシェルに至ってはMK1そのままでフロントエンドと内装だけが刷新されていた。 バリエーションは一般向けの"L" と"GL" 2または4ドアとワゴン 、 2ドアのみの"スポーツ"・ "メキシコ"・"RS2000"がスポーティー版、新設の「ギア」 2または4ドア が小型高級車を求める層に用意され、第一次後の不況を反映して最廉価の「ポピュラー」2ドアセダンも存在した。 この他に商用向けパネルバンが存在したのはMk1と同様であった。 Mk2もMk1同様人気車種となった。 にはマイナーチェンジが行われ、従来ギアとGLのみに与えられていた角型ヘッドライトが大半の車種に装備され、フロントのトレッドが拡大された。 ラリーフィールドでも先代同様に活躍し、コスワースBDAエンジンは拡張されてRS1800となり、最終的には2000cc 270馬力にまでチューンされ、からまでに連続優勝するなど、ハンヌ・ミッコラ、、ら当時のトップ・ラリーストの手で大活躍した。 MK2は日本には正式輸入されなかった。 これ以降の欧州版エスコートはいずれも正式輸入されていない。 MK3 三代目エスコートはプロジェクトチームリーダーErick A. Reickertの名前からコードネーム"エリカ"として開発され、にデビューした。 この代から北米でもエスコートが製造・販売されることになったが、設計チーム組織と米欧の諸規則の違いから、共通部分は限られることとなった。 グレード構成はポピュラー、L、GL、ギア、そしてスポーティなXR3であった。 しかし、英国の自動車ジャーナリズムによって、前輪にポジティブキャンバー、後輪にネガティブキャンバーを与えられたMK3のサスペンション設計が不整路面での荒い乗り心地と不安定な操縦性を招くと評されるようになり、にはサスペンション設計の手直しが行われた。 スポーティ版のXR3は当時人気が高かったVWゴルフGTIの対抗馬として登場、当初はエンジンも5段ギアボックスも持たなかったが、派手なスポイラーを持ち目立つ外観であったため、ボーイズ・レーサーとして人気を博した。 1983年には燃料噴射エンジンのXR3i、ホットモデルRS1600iが、にはRSターボが追加される。 またMK3から独フォード開発の1600cc版も登場した。 MK3になっても特に英国での販売は好調で、には に代わって販売台数ナンバーワンの座を獲得した。 エンジンは従来型を踏襲したが、ライバルの がにデビューさせたKシリーズエンジンと比較すると設計の古さが目立つようになっていた。 消極的なスタイリング、芳しくない品質などによってMK5エスコートは市場から予想外の不評で迎えられた。 事態が好転するのはに新設計Zetec16バルブ1800ccエンジンが投入され、XR3iも再登場してからである。 同年には150馬力のRS2000も登場した。 なおこの代になってエスコートにも、、集中ドアロック、等が広く装備可能になった。 なお、フォードの法人が、当時の現地法人であるとの合弁会社である「アウトラチーナ」(AutoLatina)を運営しており、同社ではマーク5のフォルクスワーゲン版である「ポインター」を生産していた。

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