僕 は 上手 に しゃべれ ない。 関西ウーマン

僕は上手にしゃべれない (teens’ best selections)

僕 は 上手 に しゃべれ ない

新入生として新しいクラスのみんなと顔合わせをした時、自己紹介の順番が回ってくる前に、体調が悪くなり保健室に行くことになった。 というのは表向きの話。 本当は体調は悪くなかった。 悠太は吃音に悩んでいるのだ。 自分の喋り方がみんなと違うと自覚したのは6歳の時。 小学校の学芸会のセリフがうまく言えなかったのだ。 その時のみんなの当惑した雰囲気、観客席のざわめきなどが今も忘れられない。 もう二度とあんな思いをしたくないと、極力人前で喋らないようにし、自宅でも自分の部屋に閉じこもりがちの悠太。 一方で、なんとか改善したいとも思っている悠太は、学校でもらった部活の勧誘チラシに心を揺らす。 『部員大募集中です。 例えば、吃音はおおまかにわけると、最初の言葉が出てこない、同じ音を何度も繰り返す、伸ばさないでも良い部分を伸ばして発音する、という三つに分類されるのだそうです。 この物語の主人公 悠太くんの場合は、最初の言葉が出てこない、同じ音を何度も繰り返す、の複合症状のようでした。 原因や治療法について、さまざまな見解があるものの、これといった決定打がないことを悠太くん自身が知っていて、自分の将来を悲観してしまうのが切ない。 自分のことで恐縮ですが、私はかつて赤面症でした。 授業で当てられたりすると、顔が真っ赤になるのです。 いえいえ、顔だけじゃありません。 耳まで真っ赤っかでした。 それを初めて自覚したのは小学2年生の時。 参観日に当てられて、真っ赤になった私を、後ろから見ていた父がかなり恥ずかしかったらしく、帰宅してから話しているのを聞いて、ショックを受けたのが記憶にあります。 以来、赤くなっちゃ嫌だ、と思うと余計に赤くなる。 自分の意思ではコントロールできないのです。 高校二年生の時には「トマトちゃん」と呼ばれていたこともありました。 不思議なことに、日本舞踊のお稽古や発表会で大勢の人に見られるのは平気でした。 箏曲部の発表会も大丈夫でした。 そんな自分を「引っ込み思案の目立ちたがりなんだな」と分析していたものです。 この小説の悠太くんと比べれば、微笑ましいくらいの症状だけど、このほっぺたをどうにかしたい!ずっとそう思っていました。 当時の私にとっては大問題だったのです。 おそらく悩みとは、ことの大小に関わらず、当人にとっては一大事なのでしょう。 私の場合、いったいいつ、どういうきっかけで治ったのか、覚えていないくらい自然に治りました。 今、しゃべることを仕事にしていて、教室の中で真っ赤かになって立っている自分の姿を、ほろ苦く懐かしく思い出します。 著者 椎野直弥さんはこの小説がデビュー作なのだそう。 第四回ポプラ社小説新人賞で最終選考に選ばれた時点でのタイトルは『僕は普通にしゃべれない』。 小説の中でも、普通に喋りたい、という表現が随所にあります。 「普通」について、いろいろと考えさせられました。 主人公の悠太くんと同年代の人向けに出版された本かもしれませんが、老若男女、どんなかたが読んでも何か感じるのではないかと思う小説でした。

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僕は上手にしゃべれない (teens’ best selections)

僕 は 上手 に しゃべれ ない

【あらすじ】 吃音の男子中学生が、入学してから弁論大会に出るまでの物語。 小学校では一人も友達ができなかった少年は、吃音という症状を抱えていた。 言葉がでなかったり、つっかえたりして、滑らかに話せない。 絶望的な気持ちでいる少年は、ふと放送部に興味をもった。 そして放送部を訪れて… 周囲の人の温かい気持ちに支えられ、少しずつ前進していく中学生の物語。 【感想】 作者自身が吃音を経験しているためか、吃音で悩む少年の気持ちや、状況が非常に生々しく伝わってくる。 入学してすぐ、クラスのみんなに自己紹介をする場面では、結局、人前で話すことができず、仮病を使って逃げてしまう少年。 その場面が、まるで読者の自分が少年になったかのような臨場感があり、心がいたく、吃音者の苦しみが感じられて、泣けてきた。 これは、物語だけども、吃音という困難を体験した気がした。 少年が「まともに自分の名前すらいえない人を雇う会社はない」と、自分の将来に絶望する場面などは、本当に苦しくて、読み進めるのがつらかった。 もし自分がそうだったら、将来を悲観してぐれたり、引きこもったりするだろう。 少年が言葉につまり、つっかえながら、自分の言いたい事を一生懸命に話すシーンが、ひとつひとう丁寧に描かれていて、私は読みながら、少年がさいごまで話し終えるのを、ずっと真剣に待っていた。 少年がバカにされて逃げ出すシーンでは、バカにしたやつらをぶん殴ってボコボコにしたい衝動にかられた。 読者という一歩引いた立場ではなく、思わず感情移入して、いろんな場面で登場人物と一心同体になって、「経験」してしまった。 吃音は障害と認められてもいいのではないか。 物語が終わった後、吃音の他にもたくさんある障害に思いを馳せた。 だれもが安心して勉強し、働き、暮らしていける社会が必要だ。

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僕 は 上手 に しゃべれ ない

なんとかしたい思いから、「誰でも上手に声が出せるようになります」という部活勧誘チラシの言葉にひかれ、放送部に入部する。 クラスメイトで同じ新入部員女子や、優しい先輩、姉など周囲の人に助けられ、途中くじけながらも少しずつ変わっていく悠太の、葛藤と成長の物語。 【あらすじ】 吃音の男子中学生が、入学してから弁論大会に出るまでの物語。 小学校では一人も友達ができなかった少年は、吃音という症状を抱えていた。 言葉がでなかったり、つっかえたりして、滑らかに話せない。 絶望的な気持ちでいる少年は、ふと放送部に興味をもった。 そして放送部を訪れて… 周囲の人の温かい気持ちに支えられ、少しずつ前進していく中学生の物語。 【感想】 作者自身が吃音を経験しているためか、吃音で悩む少年の気持ちや、状況が非常に生々しく伝わってくる。 入学してすぐ、クラスのみんなに自己紹介をする場面では、結局、人前で話すことができず、仮病を使って逃げてしまう少年。 その場面が、まるで読者の自分が少年になったかのような臨場感があり、心がいたく、吃音者の苦しみが感じられて、泣けてきた。 これは、物語だけども、吃音という困難を体験した気がした。 少年が「まともに自分の名前すらいえない人を雇う会社はない」と、自分の将来に絶望する場面などは、本当に苦しくて、読み進めるのがつらかった。 もし自分がそうだったら、将来を悲観してぐれたり、引きこもったりするだろう。 少年が言葉につまり、つっかえながら、自分の言いたい事を一生懸命に話すシーンが、ひとつひとう丁寧に描かれていて、私は読みながら、少年がさいごまで話し終えるのを、ずっと真剣に待っていた。 少年がバカにされて逃げ出すシーンでは、バカにしたやつらをぶん殴ってボコボコにしたい衝動にかられた。 読者という一歩引いた立場ではなく、思わず感情移入して、いろんな場面で登場人物と一心同体になって、「経験」してしまった。 吃音は障害と認められてもいいのではないか。 物語が終わった後、吃音の他にもたくさんある障害に思いを馳せた。 だれもが安心して勉強し、働き、暮らしていける社会が必要だ。 (渡辺諦さん 30代・その他の方 ).

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