宮沢 賢治 春 と 修羅。 春と修羅

春と修羅

宮沢 賢治 春 と 修羅

SPレコード盤からの復刻録音で聴くCD。 宮沢賢治作品『春と修羅』に登場する〜宮沢賢治が聴いたクラシック〜 賢治にとって作品の中での音楽の役割は、即興で唄われる歌をはじめ、賢治が知っている曲を、目に映った対象の中に取り込む「パラフレーズ」と呼ばれる手法のためと考えられています。 即興の曲はともかく、読者には聴きなじみのない曲や曲名も多く、よほどの音楽通でさえその曲が作品の中でどんな意味づけがなされているかについて理解するのは難しいでしょう。 実際に作品に登場するそれらの曲を聴きながら、様々な想いを巡らせてみてはいかがでしょう。 (販売元情報) 【収録情報】 1. ロンド・カプリチョーソ Op. 14(メンデルスゾーン)/Vessella's Italian Band ・・・・・「小岩井農場」パート三(『春と修羅』/小岩井農場) 2. ・・・・・「マサニエロ」(『春と修羅』/東岩手火山) 3. ・・・・・「小岩井農場」パート七(『春と修羅』/小岩井農場) 4. エグモント序曲(ベートーヴェン)/ Victor Concert Orch. ・・・・・「風林」(『春と修羅』/無声慟哭) 5. of N. Y・・・・・ 「青森挽歌」(『春と修羅』/オホーツク挽歌) 6. ノクターン第2番変ホ長調 op. 9-2(ショパン)/Ignace Jan Paderewsky・・・・・ 「噴火港(ノクターン)」(『春と修羅』/オホーツク挽歌) 7. ピアノ・ソナタ第12番「葬送」 Op. 26〜第三楽章 Funeral March ベートーヴェン) /Vessella's Italian Band・・・・・ 「噴火港(ノクターン)」(『春と修羅』/オホーツク挽歌) 8. 夕べの歌 Op. セレナーデ(シューベルト)/ Vessella's Italian Band, Cornet solo by Rinaldi・・・・・「林学生」(「春と修羅 第二集」) 「小岩井農場」パート四(『春と修羅』/小岩井農場) 10. ロマンス ト長調(スヴェンセン)/Albert Sammons Vn ・・・・・・「一五五 〔温く含んだ南の風が〕」(「春と修羅 第二集」) 11. コル・ニドライ(ブルッフ)/Pablo Casals Vc ・・・・・「四〇一 氷質の冗談」(「春と修羅 第二集」) 12. 主よみもとに近づかん(メイソン)/John McCormack T ・・・・・「四〇九 〔きょうもまたしょうがないな〕」(「春と修羅 第二集」) 13. ミネトンカの湖畔にて(ルランス)/Frances Alda S ・・・・・「四〇九 冬 」(「春と修羅 第二集」) 14. ラルゴ(歌劇「セルセ」より)(ヘンデル)/Enrico Caruso(T) 15. ラルゴ(歌劇「セルセ」より)(ヘンデル)/ Sousa's Band・・・・・ 「三四五 〔Largo や青い雲? かげや流れ〕」(「春と修羅 第二集」).

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宮沢賢治 『春と修羅』

宮沢 賢治 春 と 修羅

宮沢賢治の作品は、詩集や童話を含めて数多く残されています。 しかし彼は早逝で、ほぼ全ての作品はその死後に出版されているのです。 生前出版されたのは、唯一2冊だけ。 童話では『注文の多い料理店』。 そして初の詩集となる本作、『春と修羅』なのです。 作者の原点ともいえる詩集で、後の宮沢作品や、それにともなう彼自身の心の内面が描かれており、宮沢賢治という人物の目次のような作品といえるかもしれません。 本作は世に出たとはいえ、ほぼ自費出版のようなもの。 世間からはまったく評価されておらず、わずかしか売れませんでした。 しかし、その豊かな個性が気づかれ始めてからは、宮沢賢治作品は時代も国境すらも越えて、人々を魅了し続けているのです。 あまりにも独特な世界観と描写に時代が追いつけなかったという意見があるとおり、本作の言葉の数々は、かなり異質で難解。 詩というのは絵画と似ていて、見る人や読む人によって受け取り方が違います。 そこから読み取れるものが1つではないのが特徴です。 そんな本作が象徴的に使われているのが、映画『シン・ゴジラ』の一場面。 この映画の冒頭、東京湾を漂流するボートが出てきます。 中は無人。 残されていたのはテーブルに置かれた『春と修羅』と、折鶴が1つだけです。 このボートに乗っていたのはゴジラ誕生に深く関わりのある人物ですが、揃えられた靴から、本人は自ら命を絶ったものと思われます。 意味深で不可思議なこの場面は、ゴジラがなぜ誕生したかという謎解きのヒントとして提示されているのです。 しかし、具体的な解釈は明確にされていません。 どんなふうに読み取るかを、観る側にまかせているような設定なのです。 『春と修羅』の「序」で、賢治は自分の存在を1つの現象として捉えています。 ゴジラの存在が何かの現象とするならば、そこに共通点を見出すこともできるかもしれません。 『春と修羅』のなかには、24歳で亡くなった妹「トシ」の死を悼む詩がいくつか見られます。 この「永訣の朝」もその1つで、もっとも有名なものといえるでしょう。 死にゆく妹がふいに「雨雪(みぞれ)がほしい」と言いました。 賢治は幼い頃から兄妹で使っていた椀を持ち、表に飛び出します。 わたくしのやさしいいもうとの さいごのたべものをもらつていかう わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ みなれたちやわんのこの藍のもやうにも もうけふおまへはわかれてしまふ (『春と修羅』より引用) 真っ白な雪の中の情景と、みぞれを見つめながら妹への思いを溢れさせた言葉が、あまりにも悲しく美しく連なっていきます。 ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ あぁあのとざされた病室の くらいびやうぶやかやのなかに やさしくあをじろく燃えてゐる わたくしのけなげないもうとよ この雪はどこをえらばうにも あんまりどこもまつしろなのだ あんなおそろしいみだれたそらから このうつくしい雪がきたのだ (『春と修羅』より引用) 「永訣の朝」のなかで有名なのが、 「(あめゆじゆとてちてけんじや)」という一節です。 「あめゆきをとってきてください」という妹の言葉なのですが、詩のなかで何度も象徴的に、効果的に使われています。 このなかの最後の「けんじや」という言葉が、「方言」の1つで意味のない言葉なのか、「賢治」に呼びかけている言葉なのかは、いまだに意見が別れるところのようです。 賢治のその後の世界観において、この妹の死は大きく関わっているといわれています。 「死」というモチーフやテーマが少なくない彼の作品を思うと、確かにかなりの影響を受けたのだと感じざるを得ません。 解説2「序」……「透明な幽霊」とは? わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です (『春と修羅』より引用) この一文から始まる『春と修羅』の冒頭「序」も、難解なものとして有名です。 さまざまな解釈や研究がなされてきましたが、説明してくれる当人がもういないのですから、推測するしかありません。 自分というものを「現象」としてとらえた宮沢賢治の世界観は、異質なものです。 熱心な仏教徒であったということもあるのでしょうが、自分という存在や命というものを、個々の物質として捉えていないように思えます。 風景やみんなといつしょに せはしくせはしく明滅しながら いかにもたしかにともりつづける 因果交流電燈の ひとつの青い照明です (『春と修羅』より引用) 自然の風景や人々との交流によって明滅する現象が、自分という存在なのだと言っているようです。 つまりそれを表しているのが「有機交流電燈」でしょうか。 単に序文として捉えることができないのが「序」の難解さと、作者特有の宇宙観を交えた世界観なのです。 解説3「春と修羅」 天山の雪の稜さへひかるのに (かげろふの波と白い偏光) まことのことばはうしなはれ 雲はちぎれてそらをとぶ ああかがやきの四月の底を はぎしり燃えてゆききする おれはひとりの修羅なのだ (『春と修羅』より引用) 詩集の表題となっている詩です。 有名なのが、何度か現れる 「おれはひとりの修羅なのだ」という一節。 春の穏やかで美しい背景と対比するように、激しく乱れる情景が並べられ、その後に 「おれはひとりの修羅なのだ」で締めくくられ、それが何度も波打つようにくり返されるのです。 「修羅」とは仏教の世界観で、六道の1つ。 激しい感情や怒り、争いなど、穏やかさや優しさと正反対の意味を持つ世界として使われています。 賢治は仏教徒だったので、阿修羅の持つ激しさと怒りと、それらの煩悩を制御することができない修羅の苦しみの部分も、よく理解していたのではないでしょうか。 心の乱れを表すように、詩を並べた文字列は、まるで波のようにうねうねとうねった形で書かれてい、る独特な詩になっています。 宮沢賢治が初めて小岩井農場を訪れたのは、中学2年の登山遠足の時になります。 以来、何度となくそこを訪れ、花巻農学校の教師になってからも生徒たちと一緒に遠足に行ったり、非常に関わりが深い場所です。 馬車がいちだいたつてゐる 馭者(ぎょしゃ)がひとことなにかいふ 黒塗りのすてきな馬車だ 光沢消(つやけ)しだ 馬も上等のハツクニー このひとはかすかにうなづき それからじぶんといふ小さな荷物を 載つけるといふ気軽(きがる)なふうで 馬車にのぼつてこしかける (『春と修羅』より引用) 難解な言葉が並ぶ本作のなかにおいて、「小岩井農場」はまるで童話を読んでいるように、穏やかな光景が浮かぶ描写が多い、長い詩です。 小岩井農場で見たり聞いたりしたものや体験が、創作にも少なからず影響を与えているのではないでしょうか。 当時、敷地から駅まで走っていた馬が引く列車など、小岩井農場の美しい光景や雰囲気を知ることもできます。 彼にとって、ここは特別な思い入れがある場所。 そのため、詩や童話のなかにも何度も登場しているのです。 解説5「無声慟哭」 (*おら おかないふうしてらべ) 何といふあきらめたやうな悲痛なわらひやうをしながら またわたくしのどんなちひさな表情も けつして見遁さないやうにしながら おまへはけなげに母に訊(き)くのだ (『春と修羅』より引用) 「私はおっかない顔になっているでしょ?」 諦めたような悲痛な笑顔で、私のどんな小さな表情も見逃さないようにしながら、おまえは健気に母に聞くのだ。 「無声慟哭」の一部分です。 「永訣の朝」とほぼ同じ時期に書かれた、妹トシの死の情景を詠んだ詩。 病床の中「自分はおっかない顔をしているか」「自分は臭くないか」と母親に聞きます。 その場にいながら声をかけてあげられない、賢治の心の中の声が聞こえてくるようです。 純粋な姿で死んでいく妹と、修羅の心を持ったままそこにいる自分を対とし、苦しい思いが表現されています。 宗教的な結びつきでも同胞であった妹との死別。 悲しみの極限を表す思いと同時に、自分自身の内面を見つめている詩でもあるようです。 妹が見つめる賢治の「ふたつのこころ」という描写に、そんな部分が表されているのかもしれません。 解説6「オホーツク挽歌」 賢治が教え子の就職のために出かけた、サハリンへの旅を詠んだ作品群です。 時期的にトシが亡くなった後のことなので、本来の用事とは別に、実質的にはトシの魂を求めての旅であったといわれています。 こんなやみよののはらのなかをゆくときは 客車のまどはみんな水族館の窓になる (乾いたでんしんばしらの列が せはしく遷つてゐるらしい きしやは銀河系の玲瓏(れいろう)レンズ 巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる) (『春と修羅』より引用) 後に発表される代表作『銀河鉄道の夜』に、この旅は大きく影響をおよぼしました。 『銀河鉄道の夜』のモデルは岩手軽便鉄道だといわれていますが、この詩を読むと、表現されたイメージや雰囲気が、銀河鉄道の描写を思いおこさせます。 物語の核となる内容が、慰霊の旅でもあったサハリンの旅と共通しているのではないでしょうか。 『春と修羅』の名言をネタバレ紹介!美しい言葉たち 雲の信号 あゝいゝな せいせいするな 風が吹くし 農具はぴかぴか光つてゐるし 山はぼんやり岩頸(がんけい)だつて岩鐘(がんしよう)だつて みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ そのとき雲の信号は もう青白い春の 禁慾のそら高く掲(かか)げられてゐた 山はぼんやり きつと四本杉には 今夜は雁もおりてくる (『春と修羅』より引用) 爽やかな風景が目の前に広がる、清々しい空気感の詩です。 宮座賢治の詩をテーマにした、黒井健のイラスト集の表題作にもなっています。 報告 さつき火事だとさわぎましたのは虹でございました もう一時間もつづいてりんと張つて居ります (『春と修羅』より引用) 最も短い詩の1つです。 鮮やかな虹が目に見えるよう。 いったい誰が誰に報告したのか、謎です。 電線工夫 でんしんばしらの気まぐれ碍子の修繕者 雲とあめとの下のあなたに忠告いたします それではあんまりアラビアンナイト型です からだをそんなに黒くかつきり鍵にまげ 外套の裾もぬれてあやしく垂れ ひどく手先を動かすでもないその修繕は あんまりアラビアンナイト型です あいつは悪魔のためにあの上に つけられたのだと云はれたとき どうあなたは弁解をするつもりです (『春と修羅』より引用) 電線を修理する工夫を見て連想したとされています。 「あんまりアラビアンナイト型です」など、賢治特有の、独特な表現や言葉が面白いです。 『春と修羅』をめくると、私たちを魅了する美しい言葉の数々と、独自の世界観が溢れだします。 この本以後、世に出るさまざまな物語や詩の原点が、そこかしこに散りばめられているようです。 決してハッピーエンドばかりとはいえない賢治の物語たちは、生きる苦しみを背負った彼の修羅そのものであるのかもしれません。

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宮沢賢治「春と修羅」などを読みながら、「華厳的生き方」を実践していこう!!

宮沢 賢治 春 と 修羅

宮沢賢治『春と修羅・序』の冒頭文〜わたくしといふ現象は〜 〈原著〉 わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です 概要 詩人の宮沢賢治は、生前二冊の本しか出版しておらず、一冊が『注文の多い料理店』、そしてもう一冊、唯一発表された詩集(宮沢賢治本人は「心象スケッチ」と呼んだ)が、『春と修羅』です。 この詩集は、1924年4月20日に出版(実際はほとんど自費出版のような形)され、正式なタイトルは『心象スケツチ 春と修羅』。 賢治自身は詩集と呼ばれるのを好まなかったようで、友人に宛てた手紙のなかで、次のように書いています。 前に私の自費で出した「春と修羅」も、亦それからあと只今まで書き付けてあるものも、これらはみんな到底詩ではありません。 私がこれから、何とかして完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事の仕度に、正統な勉強の許されない間、境遇の許す限り、機会のある度毎に、いろいろな条件の下で書き取って置く、ほんの粗硬な心象のスケッチでしかありません。 宮沢賢治の手紙 1925年(大正14年)2月9日 森佐一あて封書 収録された作品数は、全部で69編。 加えて「わたくしといふ現象は」という冒頭文で有名な「序」という構成となっています。 以下は、宮沢賢治『春と修羅・序』の全文です。 わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です (あらゆる透明な幽霊の複合体) 風景やみんなといつしよに せはしくせはしく明滅しながら いかにもたしかにともりつづける 因果交流電燈の ひとつの青い照明です (ひかりはたもち その電燈は失はれ) これらは二十二箇月の 過去とかんずる方角から 紙と鉱質インクをつらね (すべてわたくしと明滅し みんなが同時に感ずるもの) ここまでたもちつゞけられた かげとひかりのひとくさりづつ そのとほりの心象スケツチです これらについて人や銀河や修羅や海胆は 宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが それらも畢竟こゝろのひとつの風物です たゞたしかに記録されたこれらのけしきは 記録されたそのとほりのこのけしきで それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで ある程度まではみんなに共通いたします (すべてがわたくしの中のみんなであるやうに みんなのおのおののなかのすべてですから) けれどもこれら新生代沖積世の 巨大に明るい時間の集積のなかで 正しくうつされた筈のこれらのことばが わづかその一点にも均しい明暗のうちに (あるいは修羅の十億年) すでにはやくもその組立や質を変じ しかもわたくしも印刷者も それを変らないとして感ずることは 傾向としてはあり得ます けだしわれわれがわれわれの感官や 風景や人物をかんずるやうに そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに 記録や歴史 あるいは地史といふものも それのいろいろの 論料 データといつしよに (因果の時空的制約のもとに) われわれがかんじてゐるのに過ぎません おそらくこれから二千年もたつたころは それ相当のちがつた地質学が流用され 相当した証拠もまた次次過去から現出し みんなは二千年ぐらゐ前には 青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ 新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層 きらびやかな氷窒素のあたりから すてきな化石を発掘したり あるいは白堊紀砂岩の層面に 透明な人類の巨大な足跡を 発見するかもしれません すべてこれらの命題は 心象や時間それ自身の性質として 第四次延長のなかで主張されます 宮沢賢治『春と修羅』 それでは、果たしてこの序文にはどういった意味や解釈が考えられるでしょうか。 詩というものには様々な解釈が成り立ちますが、ここでは、『』のサイトにある解説を参考に紹介したいと思います。 冒頭、「わたくしといふ現象」とありますが、これは「私」というのが確固した存在ではないということを意味します。 西洋世界に由来する近代的な考え方は、明確な「私= I 」が存在すると考えられますが、これはあくまで一神教に由来する神と私の関係が根底にあります。 一方、日本では、一神教的で強固な神の存在はなく、固定的な「私」もありません(むしろ「私=我」をどのように薄めるか、といった方向に真実を探します)。 こうしたなかで宮沢賢治は、「私」を、「わたくしといふ現象」という風に表現します。 私たちというのは、青い照明のように風景やみんなと一緒に明滅を繰り返す「現象」なのだ、ということです。 では、私たちを明滅させる電気エネルギーのような力とは一体なにか。 それは具体的な「神」として存在するものというよりもっと別の何かなのではないか、と考えます。 賢治は、「わたくしといふ現象」を深く深く考えることは、この世、そして宇宙を司(つかさど)る何かの力と結びついていくことだと考えました。 心象をスケッチする、すなわち自分の心を言葉で書くということは、宇宙の真理を探求することにつながるのだということです。 自分の心の奥へ奥へと向かっていけば、広い宇宙へとつながるのです。 出典 : 宮沢賢治の「心象のスケッチ」とは そして、『春と修羅・序』は「第四次(元)」という言葉で締めくくられます。 すべてこれらの命題は 心象や時間それ自身の性質として 第四次延長のなかで主張されます 四次元の世界とは何か。 これは「時間」を指します。 賢治が賢治自身の内奥をもぐっていって描く心象風景は、今という世界のなかに限定されたものではなく、いつの時代にも常に新たに生まれるものとして、四次元の世界で生き残れる言葉である、ということを、「序」のなかで伝えたかったのではないでしょうか。

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