名古屋 から 新横浜 新幹線。 名古屋から新横浜 時刻表(JR東海道新幹線) / 新幹線チケット予約

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鉄道 [ ] 「のぞみ301号」の設定とそれをめぐる騒動 [ ] 「名古屋飛ばし」が大きな話題となった端緒は、(4年)にで運転を開始した「」の1日2往復のうち、の一番列車(「のぞみ301号」)で に停車してとを通過するが組まれることが、1991年(平成3年)11月に報じられたことである。 ただし京都駅の場合は、かつて東海道新幹線の建設計画時点で 京都駅自体を経由しない案に対する一悶着(を参照)と比較すると、将来的に全ての「のぞみ」が通過することへの不安は覗かせたものの、観光への影響が殆ど無い早朝の1本のみということで、実際には及び周辺の官民双方から、反発の声や抗議の動きは殆ど見られなかった。 新横浜駅を停車駅とした理由は、同駅周辺の乗客が早朝帯に方面へ出るのが難しかったためである。 「のぞみ301号」は、・周辺のビジネス・出張利用客が早朝に出発して、内近辺のオフィスへの出社時刻に間に合うように設定された。 しかし、当時は夜間の保線工事の後、地盤を固めるために、早朝の数本の列車については減速運転をしなければならない事情を抱えていた うえ、から大阪都心部までは距離がある。 そのため、「のぞみ301号」を新横浜・名古屋・京都の各駅に停車させると、登場当時の「のぞみ」の売り文句であった「東京 - 間2時間半運転」が不可能となり、朝の会議に間に合わなくなる恐れがある ため、 苦肉の策として名古屋・京都両駅を通過させることで対応しようとしたのである。 新大阪着8:30であれば「9:00の会議に間に合う」とアピール できるが、「名古屋着7:40」では、逆に早すぎてへのPR材料には余りならない。 また当時の「のぞみ」は、東京 - 新大阪間のみの運転であり、名古屋駅から沿線(・・方面)へ向かう利用者にとっても、スピードアップのメリットはあまり無かった。 従って「のぞみ301号」が名古屋駅を通過しても、当時の状況では利用者にさほど不便を強いるものではなかった。 逆に、同時に設定された他の「のぞみ」は、当時の最速「ひかり」と同じく名古屋・京都両駅に停車して新横浜駅は通過であった。 ダイヤ検討の会議で、営業本部の提案したこの名古屋、京都両駅通過案と「早朝に名古屋発で西に向かう『ひかり』がある。 利用客に実害はない」と、合理性を強調する意見に対し、JR東海社長(当時)のは「地元の反発はあるかもしれないが、丁寧に説明すれば分かってもらえる」と了承した。 同年の夏場にはダイヤが固まった。 JR東海は、名古屋駅と京都駅を利用する顧客には、前後の列車を使用してもらうことで、極力不便を与えないような配慮を講じることにしていた。 ところが、須田が地元に根回しを始める前に 、(平成3年)、この方針が(前記の事情を無視して、通過するという話だけが)明らかになると、愛知県、特に名古屋市を筆頭にの政財界から激しい反発が続出し 、など地元メディアも「名古屋飛ばし」として批判的な報道を行い、一カ月の間に国会議員や地方議員、知事、市長、財界団体や主要企業のトップら百人近くが、JR東海に足を運んだ。 議員たちは超党派で(議連)を作り、ダイヤ変更を求める動きを見せる。 須田は「ダイヤは精緻に編成してあり、修正は利かない。 議連ができたら困る」と焦りを隠さなかった。 中日新聞の「中日春秋」 や大学教授などの ・ ・読者投稿欄などでも反応があった。 愛知県知事は、JR東海の方針に対し「通過して結構だとは言えんわな」とやんわり指摘した。 また、の幹部は「本社のある所()に止まらないのはどういうことか」と発言した。 更にに対しても、須田は今枝が上京する際の名古屋駅ホームで、今枝を捕まえて「実害はないんです」と訴えた。 また、が退陣したことや、中部通商産業局(現経済産業局)長がの低落傾向が目立つことを報告しており 、鈴木知事は名古屋圏の地盤沈下を懸念するとともに 、地元選出のたちは将来のでの名古屋駅通過にも至ることを危惧した。 さらに「名古屋飛ばし」とは直接関係のない「名古屋学」講座の応募者数の増加 、騒音問題 を通じての「のぞみ」の問題視、政治家インタビューでも話題となった。 「早朝の1本だけ」というJR東海側の説明が功を奏して、次第に地元側にも理解が広がり 、当初反発していた地元選出の国会議員たちも「1本だけならと条件付きで容認」する議員が大勢となった。 地元駅通過がでは殆ど問題視されなかったのとは対照的に、で大きく問題視された背景について、(平成24年)に『』名古屋本社版夕刊の連載記事「のぞみ20年」を担当した記者の神田大介は、JR東海が地元に事前の根回しをしていなかったことと、「名古屋飛ばし」をスクープしたのが『』だったため、中京圏で圧倒的なシェアを誇る中日新聞をJR東海批判に走らせて、地元世論に影響したのではないかと分析している。 後の中日新聞のインタビューに対して、は、議員集会で「に議員が口を挟むべきではない」と主張したと明かしている。 懸念した議員連盟の結成には至らず、今枝ら強硬派も、将来のリニアで「名古屋飛ばし」がないように「今回のダイヤとリニアの停車駅は関係ない」との覚書をJR東海に出させ、矛を収める。 こうして、騒動の主たる中部地方の政財界とJR東海の対立は 1か月で終息した。 須田は一連の騒動について、後の中日新聞のインタビューに対し「名古屋飛ばしの批判は新幹線を大事にしてくれている裏返し。 民間会社として、地元がいかに大事かを痛感した」と振り返っている。 こうして(平成4年)に「のぞみ301号」が運転を開始した。 同列車が名古屋駅を通過する瞬間は、地元メディアを中心に大きく報じられた。 翌(平成5年)の「のぞみ」規格ダイヤ組込に合わせたダイヤ改正では、この列車に続行する「新横浜駅通過、名古屋・京都両駅停車」の「のぞみ1号」が設定された。 以後、名古屋駅と京都駅を通過する新幹線列車は存在していない。 に放送した『あなたが選ぶ! 当時の名古屋飛ばしの渦中で、JR東海の方針に対しに抗議していた鈴木礼治元愛知県知事は2006年の中日新聞のインタビューで今から考えれば、たかが一本。 過剰な反応にも見えるがなぜなのか? との問いに「いやあ、前々から心配しとったもんでねぇ…」と当時を語った。 鈴木の話は、遡る事10月1日の東京・新大阪間の東海道新幹線の開通である。 当時、4時間掛かっていた東京・名古屋間のが新幹線の開通で2時間半となり、名古屋市は新幹線の便利さを歓迎したが、その半年後のに週刊誌で衝撃的な記事が掲載された。 記事内容には当時調査役のの記事で「東京と大阪以外は商売はダメになる! 」の記事の冒頭で、東海道新幹線の開通でやがて名古屋は「空中分解の運命にある」、「新幹線で結ばれた東京・大阪の東西二大都市がますます高い山となり、名古屋はその「谷間」に沈む」と指摘されていた。 当時愛知県庁の企画課長であった鈴木にはその実感があり、佐貫利雄の著書を読み漁っていた。 「つばめの頃は名古屋が東京に取り込まれる感じは無かったが、新幹線が開通した途端、多くの企業や会社が名古屋の支店を東京に引き揚げたり、格下げにしたりされてね」と言い、その後も名古屋が飛ばされる事への不安が続いた為、のぞみ301号の名古屋駅通過で再び名古屋が飛ばされ、あの時と同じ事になるじゃないかと危機感があったと鈴木は語る。 「のぞみ301号」の経緯 [ ] 運行開始当日の下り一番列車(のぞみ301号)の発車案内 1992年3月14日• - JR東海が、における新設の速達列車(仮称:スーパーひかり)の東京発一番列車を、名古屋駅と京都駅を通過する方針とすることが明らかになり、『中日新聞』夕刊が「名古屋飛ばし」と1面トップで採り上げる。 - 『中日新聞』朝刊が「ナゴヤは怒ってます」の見出しでこの件を報道し、中部経済連合会会長・名古屋会頭・、その他各界の反応を伝えた。 - 愛知県知事と名古屋市長が定例会見でこの件について触れ、鈴木は「地域間競争の教訓としなければならない」と述べた。 - 名古屋圏の半径20kmの46市町村長の会合である名古屋市近隣市町村長懇談会で、「名古屋飛ばし」と地域振興についての話し合いが行われる。 - 超党派の国会議員により「スーパーひかりと東海地域を考える会」が発足。 がに面会し、12日の会合に出席するように要請。 - が会社側へ「名古屋飛ばし」反対を申し入れる。 - (愛知県・・)選出の超党派国会議員で結成された「スーパーひかりと東海地域を考える会」が会合を持った。 出席者は国会議員24人と代理出席9人、須田も参加した。 この中で「一本許せば、次々と名古屋飛ばしが出る」と旧の、が声を上げると、他の議員も「地元で応援しているのに、恩を仇(あだ)で返すのか」と追及した。 - 須田がを訪問。 名古屋市議会議長に「同時間帯には名古屋からの乗客がほとんどない」と経過を説明し、議会運営委員会理事会にも出席して理解を求めた。 これに対して地元側は「名古屋飛ばしは1本だけである」ことの確約を要求した。 - 愛知県知事・県議会議長、名古屋市長・同市議会議長の4人がJR東海へ要望書を送る。 - JR東海は「名古屋飛ばしは1本のみ」と回答。 - 「スーパーひかり」と仮称された列車名称が「のぞみ」に決定。 - 『』で、今年の流行語として「名古屋飛ばし」を『』編集長の深川章が解説。 - 「のぞみ」301号運転開始。 『』が朝7時40分の名古屋駅通過をし、同時間帯の『』でもが「まさか私の目の前で乗客がいる列車の名古屋駅通過の瞬間を見るのは初めてであり、これは長年名古屋に住んでいる私達への冒涜でありましょうか? 」とレポートした。 また同日朝8時30分から放送の『』も放送開始直後にに到着した「のぞみ301号」を生放送した。 - 「のぞみ301号」が続行の「のぞみ1号」に統合する形で廃止。 新幹線の「名古屋飛ばし」はこの日で消滅する。 その他 [ ] 一般的には、や地域で展開される一方で、名古屋では展開されない事例を指す事が多い。 (62年)のとの初訪日時ので、福岡公演や横浜公演がありながら、名古屋公演がなかったことが「名古屋飛ばし」として話題になった。 また、各種イベントで稼働率の高かったやが、代替施設無しで閉鎖された問題に当たっては、名古屋市や地元財界の態度は冷淡であり、これに伴っての名古屋公演を取り止め、従来からの利用者が、活動場所を名古屋市外への施設へ移すなどの動きが実際に見られると、名古屋市側は述べている。 で放送されていた『』でテーマにされた際にも、インタビューで断られた事例が多数あったと番組スタッフは語っている。 にからのが出された際に、対象地域に当初愛知県が含まれていなかったため 、「名古屋飛ばし」と言われることがあった。 関連項目 [ ]• 脚注 [ ] [] 注釈・出典 [ ]• 朝日新聞社(神田大介) 2012年3月4日. 2012年5月9日時点の [ ]よりアーカイブ。 2012年3月20日閲覧。 名古屋の謎だぎゃあ』大ナゴヤ人元気会編、・ワニ文庫、1992年、pp. 120-121• 当時、は答申すらされておらず(答申されたのはの)、東海道新幹線のホームも未開業であったため、新横浜駅から東京駅に向かうには少なくとも1、2回の乗り換えが必要であった上に所要時間も長かった。 「鉄道ファン」2014年7月号p. 113。 マイナビニュース 2012年3月17日. 2014年10月8日時点のよりアーカイブ。 2015年5月29日閲覧。 「中日春秋」『中日新聞』1991年11月6日付• 『中日新聞』1991年11月18日付夕刊。 によるコラム「スピードの支配」。 『中日新聞』1991年11月25日付。 社説「スーパーひかり騒動を考える」• 「びじねす時評」『中日新聞』1991年11月13日付• 『中日新聞』1991年11月23日付• 「名古屋とばしの騒音ごめん…」『中日新聞』1991年12月12日付• 通巻376号 鶴通孝 『のぞみ 東京から博多へ 心弾む4時間49分』 1998 p. 名古屋テレビ公式サイト内• 『中日新聞』1991年11月6日付• 『中日新聞』1991年11月7日付• 『中日新聞』1991年11月10日付• 『中日新聞』1991年11月14日付夕刊• 『中日新聞』1991年11月19日付• 『中日新聞』1991年11月28日付夕刊• 『中日新聞』1991年12月6日付• 『中日新聞』1992年1月4日付• 名古屋市 2012年4月12日. 2014年2月22日時点のよりアーカイブ。 2014年2月8日閲覧。 2012年11月20日. の2016年8月13日時点におけるアーカイブ。 2017年6月27日閲覧。 その後、愛知県は4月10日に独自の緊急事態宣言を出すとともに、法律に基づくを出すよう国に要請した。 岩尾真宏 2020年4月8日. 2020年4月8日閲覧。

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「きっぷが違う」という方がいらっしゃいましたので補足いたします。 普通列車や快速列車なんかにのるときに買う"いつものきっぷ"は「乗車券」といいます。 「乗車券」は、駅間を移動するためのきっぷで、新幹線や普通列車を含めどの列車に乗るにも必要です。 新幹線や在来線特急は「乗車券」のほかに「 新幹線 特急券」が必要です。 これは「乗車券」の全区間や一部区間で新幹線や特急に乗るためのオプション券です。 なぜこのように分けているかと言えば、「乗車券」の区間と「特急券」の区間は一致する必要がないからです。 実際には難しく考えなくとも、みどりの窓口や旅行会社カウンターで、自分の旅程を告げるだけで向こうさんが解釈してやってくれます。 名古屋駅が出発地の最寄り駅であり、新横浜が到着地の最寄り駅ですか? 上記例のように、新幹線前後でJRを利用する場合、新幹線の駅までのJRの乗車券を別途購入しようとする方がいらっしゃいますが、最終目的地の駅まで通しで購入することができますので、是非そのようになさってください。 >新幹線初心者です。 名古屋から新横浜に行きたいのですが新幹線に乗ったことがないので凄く不安です。 相手は、そんな質問に毎日、何度も答えていますから、的確に教えてくれますので、中途半端に迷ったり、変な方向に進むよりもロスが少なく安心して新幹線ホームに入れます。 乗車・降車、乗り換えに於いては、何から何へ、何時何分の列車にとか何番ホーム何号車に乗りたいと具体的に事前にメモに書いておき 緑の窓口や知人にで書いてもらうとか・・・)そのメモを示しながら尋ねると間違いが無いと思います。 駅の案内図はネット検索が出来ますし、時刻表にも記載ページがあり、何よりも道順や場所を聞くには改札・駅員・地元の人に、早め早めにお尋ねになるのが一番です。 名古屋駅 新横浜駅 hhmanamiee 様に於かれましては、好転に恵まれ、ご親切な案内でスムーズな旅でありますよう、心より祈念申し上げております。

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鉄道 [ ] 「のぞみ301号」の設定とそれをめぐる騒動 [ ] 「名古屋飛ばし」が大きな話題となった端緒は、(4年)にで運転を開始した「」の1日2往復のうち、の一番列車(「のぞみ301号」)で に停車してとを通過するが組まれることが、1991年(平成3年)11月に報じられたことである。 ただし京都駅の場合は、かつて東海道新幹線の建設計画時点で 京都駅自体を経由しない案に対する一悶着(を参照)と比較すると、将来的に全ての「のぞみ」が通過することへの不安は覗かせたものの、観光への影響が殆ど無い早朝の1本のみということで、実際には及び周辺の官民双方から、反発の声や抗議の動きは殆ど見られなかった。 新横浜駅を停車駅とした理由は、同駅周辺の乗客が早朝帯に方面へ出るのが難しかったためである。 「のぞみ301号」は、・周辺のビジネス・出張利用客が早朝に出発して、内近辺のオフィスへの出社時刻に間に合うように設定された。 しかし、当時は夜間の保線工事の後、地盤を固めるために、早朝の数本の列車については減速運転をしなければならない事情を抱えていた うえ、から大阪都心部までは距離がある。 そのため、「のぞみ301号」を新横浜・名古屋・京都の各駅に停車させると、登場当時の「のぞみ」の売り文句であった「東京 - 間2時間半運転」が不可能となり、朝の会議に間に合わなくなる恐れがある ため、 苦肉の策として名古屋・京都両駅を通過させることで対応しようとしたのである。 新大阪着8:30であれば「9:00の会議に間に合う」とアピール できるが、「名古屋着7:40」では、逆に早すぎてへのPR材料には余りならない。 また当時の「のぞみ」は、東京 - 新大阪間のみの運転であり、名古屋駅から沿線(・・方面)へ向かう利用者にとっても、スピードアップのメリットはあまり無かった。 従って「のぞみ301号」が名古屋駅を通過しても、当時の状況では利用者にさほど不便を強いるものではなかった。 逆に、同時に設定された他の「のぞみ」は、当時の最速「ひかり」と同じく名古屋・京都両駅に停車して新横浜駅は通過であった。 ダイヤ検討の会議で、営業本部の提案したこの名古屋、京都両駅通過案と「早朝に名古屋発で西に向かう『ひかり』がある。 利用客に実害はない」と、合理性を強調する意見に対し、JR東海社長(当時)のは「地元の反発はあるかもしれないが、丁寧に説明すれば分かってもらえる」と了承した。 同年の夏場にはダイヤが固まった。 JR東海は、名古屋駅と京都駅を利用する顧客には、前後の列車を使用してもらうことで、極力不便を与えないような配慮を講じることにしていた。 ところが、須田が地元に根回しを始める前に 、(平成3年)、この方針が(前記の事情を無視して、通過するという話だけが)明らかになると、愛知県、特に名古屋市を筆頭にの政財界から激しい反発が続出し 、など地元メディアも「名古屋飛ばし」として批判的な報道を行い、一カ月の間に国会議員や地方議員、知事、市長、財界団体や主要企業のトップら百人近くが、JR東海に足を運んだ。 議員たちは超党派で(議連)を作り、ダイヤ変更を求める動きを見せる。 須田は「ダイヤは精緻に編成してあり、修正は利かない。 議連ができたら困る」と焦りを隠さなかった。 中日新聞の「中日春秋」 や大学教授などの ・ ・読者投稿欄などでも反応があった。 愛知県知事は、JR東海の方針に対し「通過して結構だとは言えんわな」とやんわり指摘した。 また、の幹部は「本社のある所()に止まらないのはどういうことか」と発言した。 更にに対しても、須田は今枝が上京する際の名古屋駅ホームで、今枝を捕まえて「実害はないんです」と訴えた。 また、が退陣したことや、中部通商産業局(現経済産業局)長がの低落傾向が目立つことを報告しており 、鈴木知事は名古屋圏の地盤沈下を懸念するとともに 、地元選出のたちは将来のでの名古屋駅通過にも至ることを危惧した。 さらに「名古屋飛ばし」とは直接関係のない「名古屋学」講座の応募者数の増加 、騒音問題 を通じての「のぞみ」の問題視、政治家インタビューでも話題となった。 「早朝の1本だけ」というJR東海側の説明が功を奏して、次第に地元側にも理解が広がり 、当初反発していた地元選出の国会議員たちも「1本だけならと条件付きで容認」する議員が大勢となった。 地元駅通過がでは殆ど問題視されなかったのとは対照的に、で大きく問題視された背景について、(平成24年)に『』名古屋本社版夕刊の連載記事「のぞみ20年」を担当した記者の神田大介は、JR東海が地元に事前の根回しをしていなかったことと、「名古屋飛ばし」をスクープしたのが『』だったため、中京圏で圧倒的なシェアを誇る中日新聞をJR東海批判に走らせて、地元世論に影響したのではないかと分析している。 後の中日新聞のインタビューに対して、は、議員集会で「に議員が口を挟むべきではない」と主張したと明かしている。 懸念した議員連盟の結成には至らず、今枝ら強硬派も、将来のリニアで「名古屋飛ばし」がないように「今回のダイヤとリニアの停車駅は関係ない」との覚書をJR東海に出させ、矛を収める。 こうして、騒動の主たる中部地方の政財界とJR東海の対立は 1か月で終息した。 須田は一連の騒動について、後の中日新聞のインタビューに対し「名古屋飛ばしの批判は新幹線を大事にしてくれている裏返し。 民間会社として、地元がいかに大事かを痛感した」と振り返っている。 こうして(平成4年)に「のぞみ301号」が運転を開始した。 同列車が名古屋駅を通過する瞬間は、地元メディアを中心に大きく報じられた。 翌(平成5年)の「のぞみ」規格ダイヤ組込に合わせたダイヤ改正では、この列車に続行する「新横浜駅通過、名古屋・京都両駅停車」の「のぞみ1号」が設定された。 以後、名古屋駅と京都駅を通過する新幹線列車は存在していない。 に放送した『あなたが選ぶ! 当時の名古屋飛ばしの渦中で、JR東海の方針に対しに抗議していた鈴木礼治元愛知県知事は2006年の中日新聞のインタビューで今から考えれば、たかが一本。 過剰な反応にも見えるがなぜなのか? との問いに「いやあ、前々から心配しとったもんでねぇ…」と当時を語った。 鈴木の話は、遡る事10月1日の東京・新大阪間の東海道新幹線の開通である。 当時、4時間掛かっていた東京・名古屋間のが新幹線の開通で2時間半となり、名古屋市は新幹線の便利さを歓迎したが、その半年後のに週刊誌で衝撃的な記事が掲載された。 記事内容には当時調査役のの記事で「東京と大阪以外は商売はダメになる! 」の記事の冒頭で、東海道新幹線の開通でやがて名古屋は「空中分解の運命にある」、「新幹線で結ばれた東京・大阪の東西二大都市がますます高い山となり、名古屋はその「谷間」に沈む」と指摘されていた。 当時愛知県庁の企画課長であった鈴木にはその実感があり、佐貫利雄の著書を読み漁っていた。 「つばめの頃は名古屋が東京に取り込まれる感じは無かったが、新幹線が開通した途端、多くの企業や会社が名古屋の支店を東京に引き揚げたり、格下げにしたりされてね」と言い、その後も名古屋が飛ばされる事への不安が続いた為、のぞみ301号の名古屋駅通過で再び名古屋が飛ばされ、あの時と同じ事になるじゃないかと危機感があったと鈴木は語る。 「のぞみ301号」の経緯 [ ] 運行開始当日の下り一番列車(のぞみ301号)の発車案内 1992年3月14日• - JR東海が、における新設の速達列車(仮称:スーパーひかり)の東京発一番列車を、名古屋駅と京都駅を通過する方針とすることが明らかになり、『中日新聞』夕刊が「名古屋飛ばし」と1面トップで採り上げる。 - 『中日新聞』朝刊が「ナゴヤは怒ってます」の見出しでこの件を報道し、中部経済連合会会長・名古屋会頭・、その他各界の反応を伝えた。 - 愛知県知事と名古屋市長が定例会見でこの件について触れ、鈴木は「地域間競争の教訓としなければならない」と述べた。 - 名古屋圏の半径20kmの46市町村長の会合である名古屋市近隣市町村長懇談会で、「名古屋飛ばし」と地域振興についての話し合いが行われる。 - 超党派の国会議員により「スーパーひかりと東海地域を考える会」が発足。 がに面会し、12日の会合に出席するように要請。 - が会社側へ「名古屋飛ばし」反対を申し入れる。 - (愛知県・・)選出の超党派国会議員で結成された「スーパーひかりと東海地域を考える会」が会合を持った。 出席者は国会議員24人と代理出席9人、須田も参加した。 この中で「一本許せば、次々と名古屋飛ばしが出る」と旧の、が声を上げると、他の議員も「地元で応援しているのに、恩を仇(あだ)で返すのか」と追及した。 - 須田がを訪問。 名古屋市議会議長に「同時間帯には名古屋からの乗客がほとんどない」と経過を説明し、議会運営委員会理事会にも出席して理解を求めた。 これに対して地元側は「名古屋飛ばしは1本だけである」ことの確約を要求した。 - 愛知県知事・県議会議長、名古屋市長・同市議会議長の4人がJR東海へ要望書を送る。 - JR東海は「名古屋飛ばしは1本のみ」と回答。 - 「スーパーひかり」と仮称された列車名称が「のぞみ」に決定。 - 『』で、今年の流行語として「名古屋飛ばし」を『』編集長の深川章が解説。 - 「のぞみ」301号運転開始。 『』が朝7時40分の名古屋駅通過をし、同時間帯の『』でもが「まさか私の目の前で乗客がいる列車の名古屋駅通過の瞬間を見るのは初めてであり、これは長年名古屋に住んでいる私達への冒涜でありましょうか? 」とレポートした。 また同日朝8時30分から放送の『』も放送開始直後にに到着した「のぞみ301号」を生放送した。 - 「のぞみ301号」が続行の「のぞみ1号」に統合する形で廃止。 新幹線の「名古屋飛ばし」はこの日で消滅する。 その他 [ ] 一般的には、や地域で展開される一方で、名古屋では展開されない事例を指す事が多い。 (62年)のとの初訪日時ので、福岡公演や横浜公演がありながら、名古屋公演がなかったことが「名古屋飛ばし」として話題になった。 また、各種イベントで稼働率の高かったやが、代替施設無しで閉鎖された問題に当たっては、名古屋市や地元財界の態度は冷淡であり、これに伴っての名古屋公演を取り止め、従来からの利用者が、活動場所を名古屋市外への施設へ移すなどの動きが実際に見られると、名古屋市側は述べている。 で放送されていた『』でテーマにされた際にも、インタビューで断られた事例が多数あったと番組スタッフは語っている。 にからのが出された際に、対象地域に当初愛知県が含まれていなかったため 、「名古屋飛ばし」と言われることがあった。 関連項目 [ ]• 脚注 [ ] [] 注釈・出典 [ ]• 朝日新聞社(神田大介) 2012年3月4日. 2012年5月9日時点の [ ]よりアーカイブ。 2012年3月20日閲覧。 名古屋の謎だぎゃあ』大ナゴヤ人元気会編、・ワニ文庫、1992年、pp. 120-121• 当時、は答申すらされておらず(答申されたのはの)、東海道新幹線のホームも未開業であったため、新横浜駅から東京駅に向かうには少なくとも1、2回の乗り換えが必要であった上に所要時間も長かった。 「鉄道ファン」2014年7月号p. 113。 マイナビニュース 2012年3月17日. 2014年10月8日時点のよりアーカイブ。 2015年5月29日閲覧。 「中日春秋」『中日新聞』1991年11月6日付• 『中日新聞』1991年11月18日付夕刊。 によるコラム「スピードの支配」。 『中日新聞』1991年11月25日付。 社説「スーパーひかり騒動を考える」• 「びじねす時評」『中日新聞』1991年11月13日付• 『中日新聞』1991年11月23日付• 「名古屋とばしの騒音ごめん…」『中日新聞』1991年12月12日付• 通巻376号 鶴通孝 『のぞみ 東京から博多へ 心弾む4時間49分』 1998 p. 名古屋テレビ公式サイト内• 『中日新聞』1991年11月6日付• 『中日新聞』1991年11月7日付• 『中日新聞』1991年11月10日付• 『中日新聞』1991年11月14日付夕刊• 『中日新聞』1991年11月19日付• 『中日新聞』1991年11月28日付夕刊• 『中日新聞』1991年12月6日付• 『中日新聞』1992年1月4日付• 名古屋市 2012年4月12日. 2014年2月22日時点のよりアーカイブ。 2014年2月8日閲覧。 2012年11月20日. の2016年8月13日時点におけるアーカイブ。 2017年6月27日閲覧。 その後、愛知県は4月10日に独自の緊急事態宣言を出すとともに、法律に基づくを出すよう国に要請した。 岩尾真宏 2020年4月8日. 2020年4月8日閲覧。

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