関西国際空港 バッタ。 バッタ大量発生の現在地はどこ?日本に来る?怖い・ヤバイという声多数!

第2回 サバクトビバッタとは何者か

関西国際空港 バッタ

環大阪湾地域の各空港。 内沖5kmの埋立地(・・にまたがる )にある世界で初めての完全人工島からなるである(を参照)。 通称・略称は、 関西空港(かんさいくうこう)あるいは 関空(かんくう)、KIXから「キックス」と呼ばれることもある。 上のであり、、、とともに日本を代表する国際空港として のひとつと位置づけられている。 とともに大都市圏にある国際線専用空港という傾向が強い。 「西日本を中心とする国際拠点空港であり、近畿圏の国内線の基幹空港 」と位置づけられており、関西地方の空港で唯一、定期国際線が就航している。 また、上のに指定されており、(IATA)が混雑度レベル2に指定している。 本空港建造事業はを授与されており、また、日本国外からも様々な評価を受けている(を参照)。 日本初の会社管理空港として、国・・民間が共同出資する政府指定「(関空会社/英・Kansai International Airport Co. , Ltd. 、英略称:KIAC)」が管理・経営行っていたが、経営改善が求められるに至った。 その後、完全民営化 が推進され、での運営権が売却を経て 、純民間企業の「 」が本空港と大阪国際空港、神戸空港との三空港一体運営行っている。 2016年3月期にはを上回る460億円の営業収益をあげるなど、「日本一稼げる空港」に転身するに至った。 (を参照) 利用状況 [ ] 2018年度 2018年4月 - 2019年3月 の発着回数、旅客数、貨物取扱量 は下記のとおり。 日本の空港の中では、旅客数と着陸回数は第3位、国際線だけで見ると成田国際空港に次ぐ第2位で、国際線の旅客数・着陸回数が国内線より多い空港は、当空港と成田国際空港だけとなっている(いずれも2017年度実績 )。 2012年以降、LCC()の拡大と大阪や京都への訪日外国人客の増加に伴って、発着回数・旅客数ともに拡大している。 航空機発着回数 航空旅客数 航空貨物取扱量 国際線 14万3,092回 2289万6,449人 79万7,436トン 国内線 4万6,566回 651万2,689人 1万3,782トン 合計 18万9,658回 2940万9,138人 81万1,218トン 発着回数 開港以来年間10万回の発着数を下回ることはなく、特にいわゆる「LCC元年(2012年)」より伸びをみせている。 ・との関係については、を参照 開港まで [ ] に、やなどの大型かつ騒音も大きいジェット旅客機の就航が相次いだうえに、に行われた海外旅行の自由化などで航空需要の拡大が想定されていたなか、拡張余地が乏しく運営時間(発着可能な時間)の制約が大きいのみでは将来の需要に対処できないとの想定から「関西第二空港」の建設が提起された。 また、1963年、総理府内近畿圏整備本部から提出された「大阪国際空港拡張整備と第2国際空港建設」計画が閣議了承された。 その後1968年に運輸省が関西第二空港建設へ向けての基本調査を開始。 そのため、「関西第二空港」の建設にあたっては、これらの要素も考慮に入れる必要が出てきた。 「関西第二空港」は、沖・神戸沖・沖・・泉州沖などが候補地に挙げられ、泉州沖が建設地に選定された。 、515 haの人工島を造成して旅客ターミナルビル1棟や滑走路1本などを建設する第一期工事が着工された。 この空港計画の構想から開港までの時期には、「関西新空港」の呼称も用いられた。 空港島の建設予定地が大水深かつ軟弱な地盤であることは当時から認識されていたが、同規模・同様の環境での埋立を短期間に造成した事例はなく 、のに対してその対策に大きな懸念があった。 関西国際空港の建設費は、下記の要因により当初の想定を大幅に上回るものとなった。 騒音対策のため沿岸から5km離れた水深の深い海の埋め立てとなったこと。 近年の航空機の騒音の程度を勘案すると、海岸から3km程度の距離で十分であるという指摘もあったが 、1974年に決定された空港の位置(沖合い5km)で建設した。 一期島工事のみならず、後述の二期工事においても、より安価に済む陸地に近い側を埋め立てる案(航空アナリストの杉浦一機ら一部の航空関係者が指摘)は採用されなかった。 物価の上昇の見誤り、予想を上回る建設中の沈下による追加工事と完成遅延に伴う金利負担、土砂購入先の吟味不足など、建設費用の管理が甘かったこと。 地元などへの「漁業既得権」への補償額が当初想定を大幅に上回ったこと。 漁業補償(補償金・協力金・見舞金・生活安定対策費とも)として、大阪府漁連に454億円、兵庫県漁連に323億円、和歌山県漁連に212億円、泉佐野漁協に8億円が支払われた(金額には漁業補償などとは別途に支払われた漁業振興基金などを含む)。 加えて、大阪府漁連は「操業権」なるこれまで認められたことのない権利を主張した。 空港工事が進むにつれ、地元漁民の要求はエスカレートしていき、当初用意していた関西国際空港株式会社の資金は底をつき、やがて"漁業"なる漁協関係者たちが関西国際空港株式会社に出入りするようになった。 地元漁民は、関西国際空港株式会社との交渉が行き詰まると、漁船で工事海域を走り回り、空港関係者に嫌がらせを行ったという。 算定方法により諸説あるが、の議員は1期工事の最終的な建設費を「1兆5000億円」としている。 世界的にみると、滑走路が1本の空港を作るのに1兆円以上をかけるのは異例である。 建設費が高騰したため、高額な着陸料や賃料などを設定することとなった。 空港1期島造成工事は1991年に完了し、1994年9月4日に開港した。 開港を記念して、3種類の80円が1994年9月2日に、として500円白銅貨が1994年8月23日に発行された。 関西国際空港開港記念500円白銅貨幣、表(左)と裏 開港から二期工事着手まで [ ] 業績 にはが発生。 震源からは離れていたものの空港ターミナルビル・・エリアにて建物の損傷が確認された。 しかし、両空港ともに、航空機の運航等に影響は出なかった。 旅客数・発着回数などの業績は開港当初の予想を下回った。 当初は、開港からまで国際線利用者数が毎年増加を続ける一方で、大阪国際空港と競合する国内線の利用者数は伸びず、度には度の約半分まで落ち込んだ。 この事態を重く見たは、関西国際空港に配慮して 、大阪国際空港の騒音対策を徹底するために 、大阪国際空港への発着規制(長距離便の規制・運用航空便の小型化など)をしたこともあり、関西国際空港の航空便・旅客が増えた。 また、航空会社から不満の強かった高額な着陸料を2005年などに値下げすることで増便を図った(詳細はを参照)。 その後、航空需要の拡大と着陸料の値下げなどの効果もあり、2005年度から国内線は増加に転じ、2007年度まで増加を続けた。 2005年11月15日には、利用客の累計が2億人の大台を突破した。 1994年9月の開港から4,091日目(約11年2か月)での達成で、約14年9か月を要したのみならず、日本国内のどの空港よりも速かった。 また、1億人に到達したのは開港から1,961日目(約5年5か月)であり、これも国内最速である。 ただし、関西国際空港は成田国際空港より20年近くあとに開港しており、国際化の進展や、1990年代後半以降の極端な円高やの登場による海外旅行の一般化、主要な利用者であるやの経済発展などにより、成田空港が開港した当時より航空需要が旺盛である事には留意する必要がある。 業績を見ると、度をピークに一時は発着回数・利用者数共に減少していたが、度以降は回復して度まで増加を続けた。 2006年夏ダイヤでは、後に大阪便を撤退していたが大阪国際空港時代から数えて32年ぶりに大阪に就航し、2007年夏ダイヤでは国際線が週776便と過去最高を更新し、通年でも2007年度の発着回数は過去最高となった。 発着回数が中国や韓国などのアジア路線を中心に増加を続けるほか、などの物販施設の充実などにより収益が増加したことから、2007年には8億円の黒字 となった。 ただし関西国際空港株式会社は、二期島の残りの埋め立て工事237ha分を、完成直前で中断していた。 これは完成後にはがかかるほか、完成前は別勘定の借入金の利子のために現状では同社の決算が赤字になることも関係していると見られている。 二期工事着工 二期工事中の衛星写真(2001年)。 1996年からの第7次空港整備五箇年計画では、大都市圏における拠点空港の整備が最優先課題とされた。 同計画の見積もりでは、関西空港は滑走路1本で年間16万回発着可能 としたうえで、「2003年には年間離着陸回数が16万回に達し、滑走路1本では処理能力の限界に達する」と予測していた。 当時の発着実績からは約4万回の「余力」がある状態であった が、1999年に二期工事として528 ha の二期空港島の造成と4,000 mの第2滑走路などの建設に着手した。 この事業は成田平行滑走路、羽田沖合い展開、中部圏新空港、首都圏新空港と並び、最優先課題とされた。 もっとも、この予測は大きく下方に外れることになる (参照)。 また、当時は二期工事推進の名目として、2008年の招致が掲げられていた。 しかし、大阪オリンピック招致は失敗に終わり、建設目標とされたオリンピックは、や第9回世界華商大会にとって変わられる事となった。 その後、二期工事は関西国際空港株式会社の経営状況を考慮し、事業費の圧縮を図りつつ建設が進められることになった。 当面は「二期限定供用」として滑走路と最小限ののみを先行整備し、周辺施設は順次整備することとした。 また、2005 - 2006年度の2年間の施設整備事業費として国が400億円、民間が200億円の資金を出す予定だったが、費用削減効果 により2006年度の政府予算案が300億円から171億円に圧縮された。 このため、施設整備事業費の3分の1となっている民間からの出資金も削減されることになる見通しである。 このようにして進められてきた二期工事は、関西国際空港株式会社や地元自治体に望まれる一方で、の推進本部長も・と並ぶ「20世紀末の三大バカ事業」であると酷評するなど、否定的な見解もなされた。 B滑走路供用開始後 [ ] 2007年度 当時建設中であった滑走路・誘導路(8月)。 2007年8月2日に二期工事(限定供用部分)291 ha が完了し、4,000 mのB滑走路とその平行誘導路、第一期空港島との間の南側連絡誘導路などが供用された。 完成時期は当初2007年10月を予定していたが、2007年8月2日に前倒して供用された。 B滑走路は、原則として着陸機用として使用されているが、点検・整備や事故などによるA滑走路の閉鎖時には離陸にも使用される。 また、、、クラスなどの大きい長距離便の大型機は長い離陸滑走を必要とするため、機長からの要請に応じてB滑走路を離陸に用いることもある ただしA滑走路の3500mでも十分な長さがあるため、要請するパイロットは稀である。 当初の供用予定を前倒ししたため、8月2日にはシステムの工事が間に合わず、以降も夜間に引き続いて工事を行うことになり、完全24時間化は結局9月1日となった。 限定供用部分の工事が完了した後も二期島の未供用部分の造成工事は完了しておらず、関西空港会社は利用の見通しがまだ立っていないとして造成を一時中断していた。 以降の建設計画に関しては、旅客施設(B滑走路の傍に建設が計画されている旅客ターミナルビル別棟など)よりも、近年飛躍的に伸びている国際貨物路線の増強を図るため、関西空港会社は貨物施設の早期着工を求めている。 同社は、一期島には既に建設余地がなく、貨物施設は逼迫した状況となっているとしている。 これらの第二期工事費用の予算を認める条件として、関西国際空港では「2007年度の年間発着回数13万回程度の達成」をから求められていた。 13万回という数字はA滑走路1本で処理できる発着回数として算出され、「13万回程度」とは、関西国際空港株式会社と財務省の合意では 129,000回以上をもって目標達成とみなすことになっていた。 関西国際空港株式会社の村山敦社長は「12万5000回と13万回の真ん中より上をいけば『程度』と言えるのではないか」(2007年2月21日の記者会見より)として127,500回をもって達成とする考えを示す一方、10月24日の記者会見では「関空会社としての需要予測は12万9000回」「結果的に500回や1,000回下回ったとしても、原油高の影響を考慮すればほぼ予測通り」「発着回数の論議はもう終わりにしたい」と発言しており、129,000回を下回ることも示唆していた。 2008年2月18日より3月31日までの期間、(既に廃業)が関西国際空港を離着陸する遊覧飛行を実施した。 この遊覧飛行は、1日最大12回(24発着)程度行われ、3月末までに1,000回程度の発着実績を上げた。 この件に関して遊覧飛行は露骨な数合わせで発着回数の水増しであるとの指摘もある が、関西国際空港株式会社と阪急航空は発着回数達成が目的であることを否定した。 4月18日、関西国際空港会社は、2007年度の発着回数を 128,943回 と発表した。 12万9000回には57回及ばなかったものの、関西国際空港会社は「ほぼ条件をクリアした」との見解を示した。 2008年度 国が課した発着回数のノルマ達成に翻弄された2007年度であったが、翌年の2008年度は地元自治体との関係に苦心している。 2008年4月、当時の大阪府知事だった直轄の改革プロジェクトチームが検討している「財政再建試案」で、2009年度から関空利用促進(関西国際空港ゲートウェイ機能強化促進事業)に当てられていた分配金を廃止する方針が打ち出された。 これに対し関西国際空港株式会社は、「国が関空会社の経営安定のため毎年90億円の補給金を出している中で、地元のが予算を切ったらが承知しない」と難色を示した。 結局、関西国際空港株式会社の指摘通り、国からの負担打ち切りを恐れた橋下知事が折れる形で地元負担の継続を打ち出した。 さらに、地元である泉佐野市ともの売却による税源・通行料をめぐり両者間で議論となっている。 原油高による航空会社の経営難(国内主要三社が路線廃止・減便あるいは撤退を現在検討している )も重なり、関西国際空港は正念場を迎えることとなった。 7月には国内3社の関西国際空港からの相次ぐ撤退・減便の打診を受け、これを重く見た橋下知事は、大阪国際空港の廃止を含めた関西三空港の在り方を抜本的に見直すべきだとの考えを表明し、物議を醸した。 特にであるは強い反発を示している。 一方で、B滑走路供用開始と前後して国際貨物便が増便され、主要路線であるアジア方面の便を利用した「アジアと日本国内各地をつなぐ際内」としての機能に加え、「国際貨物ハブ空港」として拡充を目指している。 現在の就航状況の詳細については、の項目を参照のこと。 二期事業では一期島との連絡誘導路を南北の2箇所に設ける計画だったが、現在は二期限定供用として南側の連絡誘導路のみ供用されている。 二期島の貨物施設と新旅客ターミナルビルの建設計画もこの時点では未定だった。 これらの設備の予算獲得の条件として国から「2008年度の発着回数は13万5,000回程度」と提示されていた。 しかし、不振の結果、関西国際空港株式会社はこの目標の達成を年度の中途で断念し、2008年度は前年度と同じく12万9,000回を目標とした。 それでも目標の達成は厳しく、2008年度の発着回数は約12万8,000回と前年度を下回った。 陸地から遠く離れた海上空港であるが、騒音問題と無縁というわけではない。 2008年には住民団体「淡路の空を守る会」との間で関西国際空港の騒音問題が顕在化した。 6月20日、騒音基準値を超す航空機に対して改善を求めるよう促す要望がとに出されている。 2009年度 「」および「」も参照 2009年12月1日、当時の大阪府知事だったは日米両国で揺れるの普天間基地の移設問題に関連して、「沖縄の負担軽減につながるような議論を国から持ちかけられたら、全力を尽くしてこの問題を考えないといけない」と発言した。 橋下知事は国から提案があれば、関西でも基地負担の軽減策を議論すべきだ という考えを示し、この中で「関西空港で基地の機能をすぐさま受け入れるとは言っていないが、沖縄の基地負担を軽減するための議論は絶対にしなければいけない」と発言し、さらに「米軍基地は沖縄だけに負担させる問題ではないという認識を国民が持たないといけない。 基地の機能を沖縄以外のどこかが受け入れないといけないというメッセージを政治家として発していきたい」との見解を示した。 そのうえで「知事会で発言できる場があれば、この問題を提案したい」と述べ、全国知事会でも沖縄の負担軽減策について問題提起したいという考えを示した。 関西三空港問題 [ ] 2006年の神戸空港の開港以来は、の主要空港として関西国際空港、大阪国際空港および神戸空港のいわゆる「」が併存・運用されている。 2012年度頃には、着陸料値下げなどの効果もあり単年度決算では黒字を計上するようになる ものの、多額の建設費負債が影響し経営の抜本改善には至らず、1株5万円で発行された株の株価が1円という事態になった。 また、2012年6月25日には、完成直前で中断していた二期空港島の造成工事が竣工し、大阪府に認可された(10月28日に第2旅客ターミナルビル開業。 2期島貨物地区の建設開始等の計画始動)。 この造成が完了したことで、2013年度から年6億円相当の固定資産税が新たに課税されることとなった。 このような経営環境・問題の抜本解決のために、大阪国際空港との経営統合や関西国際空港運営の上下分離が議論がなされるようになった。 たとえば、2010年5月17日にの成長戦略会議がまとめた報告 においては、根本的にのを改善し、貨物ハブ化や LCC の拠点化に向かう空港経営戦略が提示されていた。 2010年7月10日には、首相(当時)が「ハブ空港は、できれば関東と関西の二つに造るのが経済発展のためのお金の使い方だ」と述べ、と同時に関西国際空港の機能強化を重点的に進める考えも示していた。 「」および「」も参照 その後、関西三空港のあり方の議論が進み、2011年にはが成立し、2012年7月1日にによる関西国際空港と大阪国際空港の経営統合が実施された。 その際、関西国際空港株式会社が抱えていた約1兆2千億円の負債のうち、約4000億円が新関西国際空港株式会社に引き継がれた。 関西国際空港株式会社は として、名前及び位置付けが変更された。 土地保有株式会社の経営スキームは、残りの8000億円の債務を継続保持したうえで、新関西国際空港株式会社へ当空港の土地を貸与し、その賃貸料で負債を返済するというものである。 この経営統合・組織改編は次節に示す運営権売却への布石となり、その後の本空港を含む関西三空港の経営環境が変化していくこととなった。 運営権売却 [ ] 2012年10月、新関西国際空港株式会社は、大阪国際空港と関西国際空港のによる運営権売却を柱とした中期経営計画を策定した。 2014年7月には、民間公募による関西国際空港と大阪国際空港の45年間の一体運営の実施方針を発表し 、同年11月には事業者の募集要項 を発表した。 これに対する応募は3者からあり、翌に3者のなかからとのコンソーシアムのみが第一次審査を通過した。 オリックス、ヴァンシ・エアポートコンソーシアムは第二次審査も通過し、に優先交渉権者に選定され 、に基本協定書を締結した。 には、オリックスとヴァンシ・エアポートが折半で出資して関西エアポート株式会社を設立。 その後、第三者割当増資を行い、や、、他26社が出資した。 同社は、に新関西国際空港株式会社から空港運営を引き継ぎ、2060年3月31日までの44年間 、以降、関西国際空港と大阪国際空港の運営を一体的に行っている。 なお、2018年より神戸空港においても同グループによる経営が開始され、関西三空港は関西エアポートグループによる一体運営体制となっている。 2018年台風21号による被害 [ ] 2018年9月4日 、関西国際空港はに接近・上陸したで以下に示す甚大な被害を被った。 が護岸を乗り越えることはなかったものの、護岸からの越波により1期島のほぼ全域が冠水した他、浸水に伴う停電が空港内で発生した。 ガラス等破損による負傷者を出し、同日正午にはA滑走路とB滑走路のいずれもが閉鎖された。 が保有しが運航するタンカー『宝運丸』(2,591トン)は前日9月3日に関西国際空港にを荷揚げしたのち、連絡橋の南方約2キロメートルの空港沖に停泊していた。 宝運丸側は、航空燃料を再び大阪湾内で積む指示を運航会社から受けていたことに加え、停泊地は投錨に適した海床であることや、紀伊山地や関空島によって風や波が防がれることを期待されることなどを考慮して選択したと主張している。 宝運丸は荷揚げした航空燃料の代わりに海水をタンクに詰めて重しにしていたが、4日の13時過ぎ、を下ろし船首を風上に向けスクリューを駆動していたにもかかわらず、走錨が起こり船体が後ろ向き(北方)に流され始めた。 乗組員らはエンジンを全速運転にして回避を試みたが、宝運丸は止まらずに2. 2キロメートルに亘って漂流し、およそ40分後の13時40分ごろ、に時速11. 4キロで衝突した。 連絡橋の上下3車線道路のうち下り線が橋桁ごと大規模にずれ、上下線の中間を通っている線路橋にも衝突し支障をきたした。 このとき、気象庁によると関空島では13時38分に観測史上最大の最大瞬間風速58. 1メートルが記録され、同海域では73. 8メートルを記録した船も存在し、民間の計測値ながら大阪湾内甲子園浜においては82. 4メートルを観測している。 大阪湾錨泊51隻中76%にあたる39隻もの船が走錨した事が後に判明しており宝運丸以外にも橋脚への衝突、防波堤への乗揚げ、座礁等の事故に至った船が数隻存在する。 また連絡橋がすでに通行止めにされていたことや、宝運丸の乗組員らが衝突直前にから退避したことで、死傷者は発生しなかった。 同海域では過去も船が流されており、関西空港海上保安航空基地は2011年から台風接近時や警報レベルの強風時には島から原則3マイル(約5. 5キロ)離れて停泊するようホームページ上で推奨していたが、強制力はなく、関空代理店・運航会社・船主・船長・乗組員に周知されていなかった。 また5. 5キロ以内同海域には宝運丸以外にも10数隻錨泊しており、台風20号時は海上保安庁の船も5. 5キロ以内の紀伊山地・関空島に囲まれた海域に錨泊していた。 宝運丸は船長の判断で約2. 4キロの地点で停泊していた。 海保は船長を業務上過失往来危険容疑で書類送検したが大阪地検は嫌疑不十分で不起訴処分の判断を下した。 これらの被害を受け、9月5日 ・9月6日 の両日、関西国際空港は閉鎖され、全ての航空便が欠航となった。 (ただし、5日の21時11分頃にの回送便がB滑走路着陸している。 )また、すべての通常アクセス手段が遮断されたため、島内に旅客・従業員が孤立した。 5日早朝より、空港内から出られなくなった人を対象に、 または までの輸送が開始され、同日中に希望者約7,800名全員は島外に脱出した。 9月6日には、空港運営者であるが記者会見を開き、上記状況報告を行うとともに、比較的被害が少なかったB滑走路と第2ターミナルを利用して翌9月7日より暫定的に空港運用を再開する意向を発表した。 暫定再開では、と が合わせて19便を運航した。 空港の交通アクセスについては、上記の航空便運用再開にあわせて、リムジンバスの一部路線が運転再開した。 9月8日からは、鉄道の橋梁部不通を補うため、JR及び南海電鉄泉佐野駅からの日根野駅・泉佐野駅 - 間の電車の運転再開にあわせて、りんくうタウン駅から空港島までの無料シャトルバスが運行された。 連絡橋の道路部は、被害を受けなかった上り線を対面通行にして、通行可能な状態に復旧した。 ただし、この時点では、橋の交通容量が限られるため、空港駐車場からの出庫を除くマイカーおよびレンタカーの通行は制限されていた。 9月7日には、国交省の専門チームが、空港復旧に向けた対策プランを策定、発表 したほか、関西エアポートからは、Peach Aviation便を中心とした国際旅客便 、及びによる貨物専用便が 再開されることが発表され、翌9月8日から運航された。 その後およそ1週間、第2ターミナルのみでの空港運用が続いていたが、9月14日より第1ターミナルの国内線エリア並びに国際線南ウィング側の供用が再開された。 には鉄道が関西空港駅までの運転を再開した。 には、第1ターミナル北ウィング側も復旧し、営業を再開した。 は、関空の早期復旧を、において現地にボランティアとして出向いた自らの経験を踏まえて、関係省庁がでタスクフォースを作って対応にあたったことによるものとしている。 この対応には多くの空港従業員の奔走することとなった。 これらの被害を受け、翌年の(台風19号)接近時には、が空港島周辺3海里以内の100トン以上の一般船舶の航行を禁止するという措置を行ったり 、関西エアポートが台風の進路や被害に応じて航空会社や自治体など31機関の担当者を対策本部に招集し、対応策を検討するという決定を下すなどの動きが見られた。 防災強化 [ ] 上記の台風21号被害を受けて、関西エアポートは10月3日付けで災害対策を目的としたタスクフォースを設置した。 国交省が設置している別の委員会や、別途設置する第三者委員会などと連携し、特に被害拡大の要因となった護岸や地下の電気設備などについて詳細に分析し、今後の対策強化や危機管理体制の見直しを進めるとしている。 その後、近畿地方に接近したへの対策では、土嚢の積み増しや外国語対応スタッフの増員 を実施した。 台風21号の際に空港内に多数の滞留者が出たことを踏まえ、事前に滑走路を閉鎖し安全確保を図る方策 を実施し、台風24号が最接近した9月30日には19時間にわたって空港を閉鎖した。 台風24号では大きな被害は免れ、台風通過後翌日より速やかに運用再開がなされた。 一方で、一部の航空会社からは空港閉鎖の判断プロセスに疑義も上がり、混乱を避けるため、関西エアポートでは計画閉鎖の際の明確なガイドラインを策定をすすめている。 また、2019年1月31日には、国土交通省が当空港の滑走路を嵩上げする方針を決定。 3年の工期で、およそ1mの嵩上げがなされる予定となっている。 今後の構想等 [ ] 本節では関西国際空港設備の拡張計画・構想についての動向を紹介する。 北側連絡誘導路は1期島と2期島を結ぶ連絡誘導路の新造構想である。 初期の第二期工事計画では、新造する二期島との間に2か所の連絡誘導路を設ける青写真が用意されていた が、2期島の供用開始(2007年)時点で両島の中央部をつなぐ1本の連絡誘導路のみが限定供用され 、現在に至っている。 C滑走路構想は当初の全体構想において計画されていた横風対策用滑走路である。 B滑走路の北端付近を東西に横切るような形で3,500 mの滑走路の新造する計画であった。 仮に、この滑走路新造に伴う埋め立てが行われ、当初の全体構想が実現した場合、当空港全体の敷地面積は約1,300 ha規模に達する。 第4ターミナル構想は、現在のT1とT2(国内線)、T2(国際線)に続く「第四の空港ターミナルビル」の建造構想である。 関西エアポートが格安航空会社向けのターミナルを構想している ほか、フルサービスキャリア用ターミナルビルが必要との空港関係者の考えも報道されている。 また、関西エアポートは、大阪万博開催やさらなる外国人観光客の増加を見込み、第1ターミナルビルの改修計画を発表している。 関西国際空港の中核を成す大阪湾内泉州沖5 kmに造られた人工島は、「関空島」(かんくうじま、かんくうとう)とも称されている。 もともと一切陸地等のない海域を埋立てて造られた完全な人工島群であり、陸地と近接しない人工島にある空港としては世界初の例 である。 1994年供用開始の一期島(東側、515 ha)と2007年供用開始の二期島(西側、545 ha)の二島がある。 この2つの空港島は上述の両島間を埋め立てて造られた陸地で架橋されている。 各人工島には3500m超級のが1本ずつ配置され ており、総敷地面積1060haはの空港として最大である。 この騒音の影響が少ない海上人工島という立地によって、旅客と航空貨物の両方について日本で初の24時間運用 を実現した。 空港島の町名にはいずれも「泉州空港」が用いられ、泉州空港北・泉州空港中・泉州空港南となっている。 前述の通り、空港島の建設・維持は地盤沈下との闘いであり、安定な地盤を造るために様々な技術が投入された。 その結果、開港当時は年に50 cmほどであった沈下量は、現在は年に7 cm程度に収束している。 沈下について、関西国際空港株式会社は「慎重に監視していきたい」とコメントを発表している。 の航空専門家は、空港建設時にの影響を考慮していないのであれば、50年後には空港島が水没する可能性もあると述べている。 による浸水の危険性も関係当局により公表されており、2013年の巨大地震に関する大阪府防災会議では、南海トラフで9級の巨大地震が発生したケースの想定において、地震にともなう津波により1期島の国際貨物地区には最大で1メートル、その他の地区には最大で3メートルの浸水予測が「想定される被害」として報告されていた。 2018年9月4日には、との影響により、大規模な冠水が発生し 、空港機能が停止する事態となり、より徹底した出水対策に動き出すに至っている(関連節、を参照のこと)。 滑走路・誘導路 [ ] A滑走路。 主な滑走路・誘導路として、一期島には3,500 mのA滑走路と2本の並行誘導路が、二期島には4,000 mのB滑走路と1本の並行誘導路が、それぞれ設置・供用されている。 2007年供用開始の4,000 mのB滑走路により、やといった超大型機が1万 kmを超える長距離飛行のために燃料を多く積載した状態であっても、従来以上に安定した離陸滑走を行えることとなっている。 これらの2つの滑走路は両島間をつなぐ陸域部(1か所)を通る一対の誘導路で結ばれている。 の2本の3,500 m超級の滑走路を有し、その双方・両側に合計4つの(ILS)が整備されている。 これは、B滑走路が1期島にあるターミナルビルから約4 kmと遠く、地上走行時間が長くなるため、燃料の消費を抑えたい航空会社と時間を節約したい旅客がB滑走路の利用を嫌うことから、着陸の場合であっても極力A滑走路を使うようにしているためである。 そのため、現在B滑走路の使用は、午前中をはじめとする混雑時の着陸機と、第2ターミナルに到着する便の着陸機、A滑走路閉鎖時の離着陸機が主となっている。 本空港は24時間運用がなされているが、保守作業のため滑走路や誘導路は定期的に閉鎖され、その間はその滑走路では離着陸はできない。 しかしながら、B滑走路の供用開始とそれに伴う管制システム工事をもって、2007年9月1日より B滑走路の夜間運用が可能になり、24時間運用可能な滑走路の複数本整備が完了した。 これにより、一方の滑走路の保守点検中であっても、もう一方の滑走路がほぼ常に利用可能な状態が維持できるようになり 、本空港は全滑走路閉鎖状態が(原則として)存在しないという意味で「真の24時間空港」となった。 以下に、滑走路閉鎖時間帯の変遷をまとめている(時刻はいずれも日本標準時)。 B滑走路の夜間運用開始後は、1994年の開港以来十分なメンテナンス時間がとれず舗装状態が悪化していたA滑走路の全面改良を行うための滑走路閉鎖スケジュールが組まれた。 その後は、1週のうち5日間にどちらかの滑走路の閉鎖・保守時間を夜間に設けるスケジュールとなっている。 B滑走路供用開始前( - 2007年8月1日)• A滑走路 火曜日(2時5分-4時30分)、土曜日・日曜日(2時00分-5時00分) B滑走路供用開始直後(2007年8月2日 - 8月31日)• A滑走路 火曜日(2時5分-4時30分)、土曜日・日曜日(2時00分-5時00分)• B滑走路 毎日 (21時00分 - 翌7時00分 ) A滑走路の全面改良期間(同年10月 - 翌年8月頃)• A滑走路 日曜日・火曜日・水曜日・金曜日・土曜日(23時10分-翌日6時40分)• B滑走路 月曜日・木曜日(21時00分-翌日6時40分 ) A滑走路全面改良後の2013年以降• A滑走路 水曜日・木曜日・土曜日(0時0分-6時30分)• B滑走路 月曜日・木曜日(21時0分-翌日6時30分) 着陸料等 [ ] 空港建設に多額の費用を要したため、開港当初から、仁川国際空港、上海浦東国際空港などアジアの主要空港と比べては高額なものとなった。 その水準は、国際的に高額な成田国際空港と同等かそれ以上で、高コスト体質で巨額の赤字を抱える関空の象徴としてしばしば取り上げられた。 空港の国際競争力の強化や、就航便数と利用者の増加をめざす関西国際空港にとって、着陸料の引き下げは課題とされてきた。 これは、ボーイング747の着陸料が約91万円から約83万円となる値下げだったが、同時期の仁川国際空港は約33万円、香港国際空港は約39万円、上海浦東国際空港は約66万円であり、依然として割高だった。 2005年3月27日からは、増量割引を見直し、国際線を対象にオフピーク時間帯の増量割引を実施。 第1ターミナルビル [ ] 国内線搭乗エリア。 第1ターミナルビル(T1)は、の結果、ののが設計を担当し、構造設計にはが携わった。 開港当初の名称は「旅客ターミナルビル」だったが、第2ターミナルビル(LCC専用ターミナル)の開業に伴い、2012年10月28日に、「第1」を冠した現在の名称に変更された。 地上4階建ての本館、および、南北に677mずつ伸びるウイングで構成されている。 内外装はガラスが多く使われ、屋根は飛行機の翼をイメージした緩やかな円弧状のカーブを描く形であり、上空から見ると本ターミナルは「翼を休める鳥」を模した形になっている。 1棟の建造物であるが、国際線と国内線の両方の運航に対応しており、年間の旅客処理能力は2,500万人(国際線1,200万人、国内線1,300万人)である。 本館は下表の階層構造となっていて、垂直方向の移動だけで国内線と国際線を乗り継ぎできる動線が採用されている。 国際線旅客の動線にあわせて、及びフェリーの船着き場との間を結ぶバスの降り場は4階に、乗り場は1階に設けられている。 また、国内線出発・到着フロア(カウンター、保安検査場、手荷物引渡場、搭乗口あり)の2階は、、、立体駐車場(P1、P2)とで直結し、各旅客のストレスの少ない動線を実現している。 国際線の制限区域内は、到着旅客と出発旅客の動線が分離されており、それぞれの旅客を混在させないよう目的施設に誘導できる設計となっている。 一部の搭乗口は検査場から距離があるため、が設置されている。 上記の通り国際線用と国内線用の施設・搭乗口を有しているが、搭乗口のうち2箇所は国際線と共用である。 ターミナルビル館内を含む空港内の商業施設に関しては、一部店舗のみで24時間営業が実施されている。 第1ターミナル内には、や、土産物店や、や、やなどの他に、ネットカフェと融合したラウンジの「KIXエアポートラウンジ」、や、やなどの航空会社の、やなどのリラクゼーション施設やなどがある。 2階北側のエリアである「関空ほっと空間Area24」は、かつて航空会社のカウンターがあった場所を活用し、24時間空港の利便性を発揮するため作られた場所であり、24時間営業店舗や交番などが位置している。 1階の国際線到着口前には、2006年12月に103インチの(パナソニック製)を使った「ウェルカムボード」が設置され、15カ国語での歓迎メッセージや京都、奈良などの観光映像、団体利用客向けの歓迎メッセージなどが上映されている。 国際線到着動線の一部を除く館内全エリアでは、無料スポットが整備されている。 また、「かんくうアイパル」と呼ばれる案内係が各案内カウンターなどで案内を行っている。 2010年4月1日から、夜間巡回警備用に3台が導入され、22時から翌7時まで、立体駐車場やの警備に用いられている。 第1ターミナルビルの概要• 延床面積 303,443• 全長 1,672 m• ゲート数 41カ所(国際北15カ所、国内8カ所、国際南16カ所、内際共用2カ所) KIX AIRPORT LOUNGE。 本館 ウイング(南・北) 一般区域 制限区域• リムジンバス おりば• タクシー・自家用車 おりば 4階 国際線出発フロア• 国際線チェックインカウンター• 団体カウンター• 国際線出発口(1 - 3)• 保安検査場 3階 レストラン・ショップフロア• 航空会社ラウンジ KALラウンジ• カードメンバーズラウンジ 比叡• ビジネスラウンジ• JAL貴賓室• 出国審査場 国際線ゲートエリア• KIX AIRSIDE AVENUE (免税店)• 航空会社ラウンジ KIXエアサイドラウンジ KIXノースラウンジ• 本館駅• ウイングシャトル 中間駅・先端駅• ・ 駐車場・ 連絡通路 2階 国内線出発・到着フロア• 国内線チェックインカウンター• 国内線出発口(南・北)• 国内線到着口• ダイニングコート町家小路• グルメアベニュー煉瓦灯路• 関西空港出張所• 泉佐野郵便局関西空港分室• KIXエアポートラウンジ• 総合案内所案内センター• 国内線ゲートエリア• 保安検査場• 手荷物引渡場• 航空会社ラウンジ• 国内線搭乗口(16 - 25番,201 - 202番,211 - 212番) 国際線ゲートエリア• 免税店• 航空会社ラウンジ サクララウンジ ANAラウンジ 飛鳥 ラウンジパシフィック ロイヤルオーキッドラウンジ• カードメンバーズラウンジ 六甲 金剛 アネックス六甲• 国際線搭乗口(1 - 16番,25 - 41番,101 - 103番,111 - 113番)• リムジンバス のりば• タクシー・自家用車 のりば 1階 国際線到着フロア• 国際線到着口(南・北)• 関西ツーリスト インフォメーション センター 関西国際空港• 検疫・入国審査場• 手荷物引渡場• 税関検査場 大規模改修 [ ] 関西エアポートは、2019年12月12日に、万博開幕を見据えた 、2020年度から25年春までにかけて出発エリアの商業施設の拡充を中心とした、総投資額にの被害 を受けた防災対策 の約300億円を含め約1000億円を見込んだ大規模な改修を予定していることを発表した。 改修内容 [ ] 現状30万4000平方メートルあるうち約8万9000平方メートルを改修し、また新たに約1万6000平方メートル増築することで、総面積は32万2000平方メートルに増加する予定である。 国際線出発エリアを現行の3~4階から2~4階へと変更する。 保安検査場に関しては、スマートレーン16台から22台へ設置台数を増やし、増床の上長さを15mから20mへのばすことで混雑の解消を狙う。 3階には、出国検査場が1箇所に集約され、国際線ラウンジも設置予定である。 到着エリアに関しては、ウオークスルー型免税店を設置する予定である。 現状としては、国際線の駐機場はターミナルの南北両端に分かれており、現状は国内線専用のものを7スポット、内際共用のものを2スポット設けているが、国際線駐機場を中央部に集約し、国内線専用のものを5スポット、内際共用のものを4スポットとしたうえで国際線の使用可能スポットを5箇所増やして39スポットとすることで国際線の駐機能力の向上を狙う。 またマルチスポットも設置する。 訪日客の利便性確保を狙っている。 国内線の出発・到着エリアに関しては、南側に集約される。 保安検査場の統一、20メートルのスマートレーンの6台設置、出発エリアへの店舗拡充などを実施予定である。 これらの改修によって、国際線の受け入れ可能人数は約4000万人まで増加する見込みである。 改修の背景 [ ] 1994年の関西国際空港の開港当初期は、大阪国際空港の廃港も視野に国内線と国際線の旅客がほぼ同数である国際線1200万人、国内線1300万人と見込み、ターミナルが構想・設計・建造された。 1994年の利用客数のうち国際線が占める割合は48%だった。 しかしながら、2014年以降のインバウンド需要増加で国際線旅客の受入れ能力が逼迫し、受け入れ能力に限界を迎えた一方、国内線は計画ほど利用客数は増加はみられなかった。 日本の玄関口として役割を果たし、航空需要を取り込むためには、国際線の拡大は急務であった。 この状況に対応するためや、2025年に万博が開催され、IRの誘致が有力視されている中で、さらにインバウンド需要が増加すると見込んだことから、ターミナルの想定旅客構成の変更に舵を切る改修計画となった。 アジアの他のハブ空港との競争にも備え、施設の大幅増強を図る。 関西エアポートの山谷佳之社長は、政府が目標に掲げる2030年に訪日外国人6千万人が実現した場合も、受け入れ可能になると話している。 第2ターミナルビル [ ] 第2ターミナルビル(国内線)内部。 第2ターミナルビル(T2)は、二期空港島の連絡誘導路北側に建造された格安航空会社(LCC)専用旅客ターミナルビルである。 「第2ターミナルビル(国内線)」(約30,000m 2)および「第2ターミナルビル(国際線)」、「チェックイン棟」(約36,000m 2)から構成される。 建物は鉄骨造の平屋建て(一部2階建て) で、天井の天窓から外光を取り入れるなどコスト削減を意識した設計となっている。 年間835万人(国内線550万人、国際線285万人)の旅客処理能力があり、日本で初めてスマートセキュリティーシステムやウォークスルー型の免税店などが設けられた。 店舗面積のうち66. また、館内全エリアで無料公衆無線LANが整備されている。 が観光情報プラザ「」(カテゴリー3の)を開設しているほか、「第2ターミナルビル(国内線)」の一角では専用の旅客取扱い施設「Premium Gate 玉響 たまゆら 」が整備され、玉響専用の保安検査場やCIQ施設、待合ラウンジなどが24時間体制で稼働している。 第2ターミナルの場所は、貨物地区とする計画 であったが、LCCの拠点化を目指してLCC専用ターミナルビルを建造する方針に変更・整備された経緯がある。 2012年10月28日に「第2ターミナルビル」として供用開始した。 本ターミナルの整備費は、第1ターミナルビルが約1,500億円であったのに対し、総額約85億円(建物物が約37億円、駐機場などが約47億円)に抑えられた。 その後、さらなるLCC需要の拡大に対応するため、新たな専用ターミナルの整備が進められ 、2017年1月28日に「第2ターミナルビル」に隣接する形で、国際線用の新たなLCC専用ターミナルビル「第2ターミナルビル 国際線 」 が総工費約130億円 をかけて建造 、供用開始された。 免税店の面積を増やすなどの計画の一部変更があったものの、当初予定の3月開業を前倒ししての供用開始であった。 これにともない、既存の「第2ターミナル」であった部分は「第2ターミナルビル(国内線)」と改称された。 、 、 が主に使用している。 も第2ターミナルビルの使用を空港会社に依頼しているが、混雑を理由に実現されていない。 (利用航空会社の詳細はおよびの各節を参照) 空港駅等の第1ターミナルビルから第2ターミナルビルへの移動手段として、エアロプラザから無料連絡バス が24時間運行している。 また、徒歩にて島間連絡道を渡り、KIXそらぱーくを経由してアクセスすることも可能である。 第2ターミナルビル開設当時は、一部路線のリムジンバスのみが第2ターミナルビルまで乗り入れていた(他は第1ターミナル止め)。 しかしながら2017年1月28日より、全路線において第2ターミナルまでの乗り入れが実現している。 第2ターミナルビルの概要• 面積:約66,000m 2• 開館時間:24時間• 専用駐機場:21カ所(国内線9カ所、国際線6カ所、内際共用6カ所。 小型機の場合) 旅客サービス施設使用料等 [ ]• 旅客サービス施設使用料(PSFC) 開港当初から、第1ターミナルビルを利用して国際線で出発する旅客を対象に旅客サービス施設使用料(PSFC)を徴収し 、第2ターミナルビルについても国内線の旅客を対象にPSFCが設けられた。 2017年6月1日発券分からは、新たに乗り継ぎ旅客を対象にしたPSFCが設けられた。 旅客保安サービス料(PSSC) 2013年6月1日出発分からは、両ターミナルビルの国際線出発旅客を対象に、新たに旅客保安サービス料(PSSC)が導入された。 国際線 国内線 出発 乗継 到着 出発 乗継 到着 旅客サービス 施設使用料 (PSFC) 第1 ターミナル 大人 2,780円 560円 - 440円 - 440円 子供 1,390円 280円 - 220円 - 220円 第2ターミナル 1,250円 260円 - 420円 - 370円 旅客保安サービス料(PSSC) 320円 - - - - いずれも消費税を含む。 貨物地区 [ ] のボーイング777F 1期空港島の南西部分37. 2 haには、1期国際貨物地区などが存在する。 同地区には、施設、、熱供給施設、工場、関係官庁の庁舎、、飛行機の格納庫、下水浄化プラント、廃棄物処分施設の他に、18棟・延床合計面積21. 2 haの国際貨物施設がある。 また1期空港島の北側には、4. 5 haの国内貨物地区がある。 2期空港島の南東部分にある11. 4 haの貨物地区は、2014年4月1日から、フェデックスが北アジア各地から集約した貨物を、北アメリカ向けに発送する拠点「北太平洋地区ハブ」として利用している。 以下に、貨物地区の主なを示す。 関西国際空港ゲートウェイ(延床面積 1万100 m 2、貨物仕分能力-1時間当たり7,500個、書類仕分能力-同2,000通)• (延床面積 6,200 m 2)• (延床面積 9,400 m 2)• 日本航空(延床面積 6,200 m 2)• フェデックス北太平洋地区ハブ(2期空港島、延床面積 2万5,000 m 2 オフィス棟を含めた総面積 3万9,500 m 2 、貨物仕分能力-1時間当たり約9,000個)• (延床面積 6,230 m 2)• 航空集配サービス(延床面積 3,500 m 2(空港関連施設としては国内最大級の定温温庫)• (延床面積 4,000 m 2) 管制施設 [ ]。 国土交通省関西空港事務所が航空管制をおこなう。 管制塔は、管制官の目線の高さが約80 mとなる高さで建設されている。 関西国際空港の周辺には、が提供される関西管制圏、を行う航空機にTCAアドバイザリー業務が提供される関西ターミナルコントロールエリア (TCA)、ターミナルレーダー管制業務が提供される関西進入管制区、関西特別管制区(PCA)が設定されている。 関西進入管制区には、関西国際空港のほか、大阪国際空港、神戸空港、、、、、が存在し、日本で初めて付近の空港の進入管制業務を一括して行なう一元管制が行なわれている。 開港当時は進入管制区内には大阪国際空港・関西国際空港・八尾空港の3空港だったが、2006年に神戸空港が開港し、2011年6月2日に高知空港周辺の高知進入管制区と統合され 、2012年5月31日に高松空港周辺の高松進入管制区と統合されて現在の体制となった。 (IFR)で関西国際空港に離着陸するルートは、地上への騒音被害を抑えるために極力海上(・・大阪湾・)を飛行するように設定されている。 さらに、大阪国際空港・神戸空港などと近接し飛行ルートが錯綜するため、関西国際空港の東側や北側から到着する航空機にとっては大周りの到着経路となっている。 また、神戸空港開港後は、摩耶埠頭近辺の空域が神戸空港離着陸機に割り当てられたため、関西国際空港の空域を制限することになっており、関西国際空港・神戸空港双方の便に負担を強いている。 なお、国土交通省は、大阪国際空港の運用が終わり空域が空く夜21時以降に限って「陸上ルート」を認め、2007年9月27日より運用を開始した。 これにより、から関西国際空港に向かう便は、これまでの和歌山市付近を通過するルートではなく、東から飛来して関西国際空港上空を西向きに突っ切ることで最短ルートで大阪湾に出て、小回りして降下し着陸できる。 従来のを辿る方法と比較して、空港の南側からランウェイ06に着陸する場合5分、北側からランウェイ24に着陸する場合10分の時間短縮が見込まれるという。 なお、出発便に関しては、ちょうどこのルートを逆にたどるかたちの出発ルート(、SID; Standard Instrument Departure)が、東京方面便などに対して設定されていた。 今回はより高度の低い着陸経路でも騒音が問題とならずに飛行できるかが可否の争点となっていた。 エアロプラザ [ ] 開港翌日に飛来したのコンコルド。 1994年9月5日 関空展望ホールスカイビューは1期島にある、展望デッキを中心とする施設である。 1994年完成の メインホールと1996年完成の エントランスホールで構成される。 展望デッキである スカイデッキからは滑走路を離着陸する飛行機を間近で見学することができ、またイベントも随時行われていることから、家族連れやらが平日1000人、土日で2500人訪れるなど賑わっている。 キャラクターは スカイキッズ ブービィ。 や撮影も行われる。 館内にはやレストラン、土産物店、カフェ、公園などが点在している。 2011年8月にリニューアルが実施された。 2015年にのCertificate of Excellence エクセレンス認証 を受賞した。 当施設はターミナルビルから離れた、A滑走路から約320メートルの距離に設置されており、他の多くの空港の展望デッキがターミナル屋上にあることと比べると対象的である。 スカイデッキは前述のリニューアルで屋上公園が設置され 、プレイエリアやレストエリアに遊具が設置されている。 館内でかつて営業していたレストランは、のが本港の開港翌日に最後の来日飛来を行ったことを記念に レジェンド・オブ・コンコルドと名付けられており、店内のイメージもコンコルド風だった。 関西空港を発着する航空会社に機内食を提供するケータリング会社が運営していたことから 、やなどのも食べることができたという点が特徴的である。 当レストランや、軽食やスイーツ、ドリンクを提供している スカイビューカフェからは滑走路や駐機場を眺めることができた。 これら2施設は2019年12月25日をもって閉店した。 4階の スカイショップタウンは、エアライングッズを販売する店として日本最大級の面積を誇る。 オリジナルグッズも販売されている。 3階の スカイミュージアムは、5つのエリアに分かれた体験型の学習施設となっておりでの利用も多い。 全長30メートルで72分の1スケールの関空第1ターミナルのジオラマも設置されているが、これは日本最大のスケールである。 「空と空港の仕事を知るエリア」ではさまざまな航空に関する職業を体験することができるようになっており、中でも操縦席ルームのシミュレーターを用いたパイロット体験が人気である。 ここを拠点に一部の日に運行される、「わくわく関空見学プラン」は好評で、保安地区に入ることもできる1時間の見学バスツアー「 新・関空の裏側探検コース」と「 機内食工場見学コース」の2種類が存在している。 ただ、後者に関しては2019年12月14日をもって終了予定である。 当施設へは、第1ターミナルビル前から10-20分毎に発車している無料連絡バスで約6分。 基本的に入場無料。 2015年10月からはシャトルバスの車内放送が多言語対応になり、日、英、中、韓4か国語対応の自動放送が搭載された。 また、との間を結ぶバスもあるほか、駐車場も設けられている。 KIXそらぱーく [ ] 第2ターミナルオープンと同時に、2期島の第2ターミナル隣接地に開設された公園。 空と海が同時に楽しめる公園をコンセプトとしており、農園も併設される。 第1・第2のいずれのターミナルからも徒歩でのアクセスが可能で、両ターミナルを徒歩で連絡するためのバイパスの役目も担っている。 なお、この公園は当初「KIXエコパーク(仮)」と名乗っており、2012年9月25日から14日間にわたり名前の公募を行った結果、「KIXそらぱーく」と命名された。 その他施設 [ ] 関西空港駅。 空港運営に必要な諸インフラ設備のほか、以下の組織・施設が設置されている。 泉佐野消防署空港分署(旧りんくう消防署空港分署。 泉州南消防組合が発足する以前から、空港島のうち泉南市・田尻町の区域も管轄している。 消防所本所・1期分署・2期分署(新関西国際空港株式会社が設置するの施設。 子会社の関西国際空港セキュリティ株式会社の消防部が担当。 ) 事故に備えて化学消防車5台が配備されている。 夜間の視認性を見込んで黄色塗装されており、黄色塗装の消防車はここだけである。 5台の内訳は、ローゼンバウアー社(オーストリア)製のパンターが1台、Sides社(フランス)製が4台となっている。 性能は、5台ともに、1分間あたりの水又は薬剤放射量が6,000リットル、水タンク容量が12,500リットル、薬液タンク容量が800リットルとなっている。 関西空港事務所(航空庁舎 - 管制塔に隣接。 庁舎内にはも設置)• 関西空港海上保安航空基地(関西国際空港の対岸には、海上保安庁の(SST)が配備された基地(庁舎)があり、有事の際には関西空港海上保安航空基地から全国の航空基地に展開する。 航空基地にはが2機、が2機配備されている。 また、も配備されている。 (国際郵便交換業務を行っている。 関西空港地方合同庁舎(合同庁舎)• 関西空港税関支署• 関西空港• 動物検疫所関西空港支所• 大阪税関大阪外郵出張所(大阪国際郵便局内で国際郵便物の通関手続を行っている。 (による)• 施設(容量12,000キロリットルの燃料タンクを10基備える。 空港島には、が3隻接岸できるタンカーバースがあり、油送パイプで燃料タンクに備蓄される。 (JR西日本)関西空港駅• 新関西国際空港会社• 航空会社事務室(南北にビル2か所)• 排水処理施設(下水処理のほか、再利用処理を行う。 ) 空港外の施設 [ ] ・・の各項を参照 空港島と直結した対岸には、空港関連施設の広大な地域があり、、、、、物流倉庫などが立地している。 当初は、大阪府や地元の泉佐野市が買収した用地を民間企業に分譲することで利益を上げる予定だったが、進出する企業が少なく、から一部の処分方法を企業負担の少ない方式に切り替え、企業の進出を促した結果、などの大規模商業施設や企業、医療施設などが進出し、企業数は100社を超えた。 こうした空港周辺の企業進出を促進するための整備においては、(60年)12月に当時のが「関西国際空港関連施設整備大綱」を決定し、、網、などの整備が図られた。 水道に関してはからの取水が検討され、当時建設省が計画していたからの分水(大阪分水)に依存することとしたが、を有するが反発し交渉妥結まで2年を費やした。 拠点空港、焦点空港としている航空会社 [ ] 旅客便で5社、貨物便で1社が関西国際空港を、として指定している。 (JAL)• (ANA)• (APJ)• (JJP)• (CQH) 貨物• (FDX) - 北太平洋地区ハブとして運用。 しかしには、による不況と原油価格高騰による路線再編に伴い、関西国際空港発着路線においても運休・減便が行われることとなった。 その後、当空港を拠点にする(2012年3月1日就航)や(同年7月9日就航)などの(LCC)や、(同年3月25日就航)の就航により、関西国際空港の国内線便数は増加に転じた。 のちに、ジェットスター・ジャパンが当空港を拠点化し 、やも続けて就航し、便数を伸ばした。 しかし、が不採算などを理由に2013年3月31日に 、も乗り継ぎ客需要の低迷を理由に2017年夏ダイヤで 、それぞれ運休となった。 また、ジェットスター・ジャパンは、第2ターミナルへの移転ができない状況が公正な競争環境でないと意見表明し、これを理由に当空港発着路線の拡張を見合わせている。 このような状況のため、当空港の発着便数は停滞傾向に至っていた。 冬スケジュールでは、国際線が開港以来初めて週1,400便を超えた。 旅客数に着目すると、2017年は出入国者数が2,090万人(速報値)に達し、2000万人の大台を超えた。 格安航空会社の占める割合は年々増加しており、2015年冬スケジュールで週358便が就航し、全旅客便の3割を超えた。 冬スケジュールでは国際旅客便のLCCは週517便となり、国際旅客便の4割をLCC便が占めた。 このような日本国外の航空会社とは対照的に、日本の航空会社(日本航空、全日本空輸等)による運航は中長距離路線で伸び悩んでおり、空港運営会社であるは「特にフルサービスキャリアである日本航空の路線展開について、主戦場としているビジネスクラスの需要が課題となっており、別の形態の運航が必要だ」との見解を示している。 就航地域別概況 方面との運航は、当空港の旅客便の約9割を占めている。 特に近隣の(とを含む)と、の旅客が多い。 東南アジア方面に関しては、バンコク線や線、クアラルンプール線ほかで、便数と座席供給数の拡大傾向にある。 および方面は、や線、線や線の運休等がみられる一方で、冬スケジュールでが線に大型機を投入 するなど、復調の兆しも見えている。 方面については、線や線、線、線において、新規就航・増便・復便が見られた。 また、関西財界が長らく要望していた線は、2019年夏ダイヤよりにより運航が再開された(1998年以来およそ20年ぶり)。 2018年9月25日会見で関西エアポート社は、欧州方面の路線誘致の方針を示している。 方面については、西海岸路線において、3月に日本航空がロサンゼルス線を再開し 、や線も新規就航・運航再開した。 一方の東海岸路線はチャイナエアラインのニューヨーク線撤退以降途絶えており、これについて関西エアポートは「時間がかかるだろう」としながらも東海岸路線誘致の意向を示している。 路線においては、線や線、線が堅調である。 方面については、線や線の増便・新規就航がみられており、12月から通年運航での線 が就航している。 基本的に提携航空会社は北ウイング、 提携航空会社は南ウイングに発着する。 のちに、が関西国際空港を「北太平洋地区ハブ」と位置づけて当空港に専用ターミナルを作り、2016年は週134便(夏ダイヤ)・週133便(冬ダイヤ)が就航した。 フェデックスは便数が特に多く国際貨物便の3割以上(2016年冬ダイヤで時点)を占めている。 また、よりルフトハンザ・カーゴは、週2便で運航を再開している。 また、は2019年10月に、同社を事務局として、、、、、からなるコミュニティ「 」を設立しており、当空港が「Best Cargo Airpor」となることを目標に、それぞれのプロジェクトで参加企業を募った上で、将来に向けた貨物オペレーション を検討、実施して貨物取り扱いの高品質を狙っていく方針。 航空会社 目的地 、、、 (ST) (ST) 、、 、、 、、 、 (ST) 、 、 、 、 、 、 フランクフルト、 (東アジア)、、、、広州、、、、 (東南アジア)、、、、 (北米) 、、、、、、 (欧州) 、 、、、 、 表註 定期路線一覧 [ ] 国内線 [ ]• ():、、• :、、、、、、• ():、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、• :、、• :、、• :、、(季節運航)• :(季節運航)• :(季節運航)• :(季節運航)• : 貨物便 [ ]• 東アジア• :香港• 東南アジア• :シンガポール• :ジャカルタ• ヨーロッパ• :フランクフルト 運休・廃止路線 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2019年5月) 出典: 関西空港調査会エアポートハンドブック 1990年~2007年 [ ] 国内線 [ ]• :、、、、、、、、、、• :、、、• :、、、、• :、、、• : 空港へのアクセス [ ] と(JR西日本)が乗り入れているほか、高速道路と直結しており、やでのアクセス性が高く、関西各地や中国・四国とを結ぶ路線網も形成されている。 また、であることを活かして、も運航されている。 1日平均輸送人員(度)• 鉄道 66,980人(JR33,792人、南海33,189人)• リムジンバス 17,301人• 旅客船 936人 関西国際空港連絡橋。 (愛称:スカイゲートブリッジR) 空港島と対岸を結ぶ全長3. 75キロメートルの。 建設と開港後の管理はが行っていたが、2009年に道路部分が国有化された。 などの際には、風雨による速度制限や通行止めになることがある。 連絡橋の通行規制は、交通手段ごとに、関西国際空港オフィシャルサイトでに案内されている。 2005年から2008年の空港整備では、風対策として連絡橋の鉄道部分に防風柵が設置され、風速30メートル未満であれば列車の運行ができるようになった。 道路部分は6車線を有するが、1日平均通行台数(往復)は21,460台(2013年度) にとどまっており、構造令解説上の基準(48,000台/日)を大きく下回っている。 空港アクセスの評価と改善の動き 2009年に近畿で実施された調査では、アクセスにかかる費用や所要時間に対して「不便だと思う」と答えた人が7割を占めた。 空港までの所要時間 は、・から約50 - 65分 、から約50 - 60分 を要し、1時間以内にアクセスできる地域は大阪府南部と北部で、近畿2府4県の人口約2100万人のうち約400万人にとどまっている。 また、深夜時間帯や第2ターミナルへのアクセスも課題との指摘もある。 空港アクセスにかかる費用が割高 であるため、空港までの交通費の方がLCCの航空運賃よりも高くつくなどの意見もある。 こうした状況を改善するため、2009年に、連絡橋の道路部分が国有化され、通行料金が値下げされた。 しかし、年間約8億円のが減収となったは、2013年から空港連絡橋利用税の課税を開始。 値下げされた通行料金に税金が上乗せされることとなり、業界を中心に利用者の反発を招く結果となった。 また、2009年頃から、空港アクセス改善につながるの建設が活発に議論され、は2012年までになにわ筋線に関する検討会を6回開催した。 国などの関係機関は、なにわ筋線でからの所要時間を30分台程度にすることを目標としている。 は7月10日、より鉄道事業を許可された。 2031年度春開業予定。 鉄道 [ ] JR西日本の関空特急「」 南海電気鉄道とJR西日本の2社が5時台から23時台の間に運行しており、日中は概ね1時間あたり12本(南海6本・JR6本。 うち有料特急は南海「」が2本・JR「」が2本)発着している。 空港利用者の増加に伴い、利用者数低迷により一度臨時列車化されていた日中の「はるか」が再び定期列車化された。 駅舎は両社が共同しており、改札口は第1ターミナルビル2階およびエアロプラザ2階とペデストリアンデッキでつながっている。 JR西日本は特急はるかを、南海電鉄は特急ラピートを運行しており、はるかは・・へ、ラピートは・へのアクセスが可能である。 有料特急の「ラピート」や「はるか」は追加料金が必要なため、利用者から敬遠され振るっていないとの見方がある。 一方で、追加料金が不要で大阪駅にも停車するは、関西国際空港への主要なアクセス手段として人気を集めているとされている。 なお、2013年度の鉄道シェアは、JR55:南海45であり、ほぼ互角ながら若干JRの方が優勢であった。 一方で南海の空港急行も海外のなどを通して、へ安価でJRよりも早い交通手段としての認知度が高まっており、外国人観光客の利用者が急増している。 2017年1月、8月のダイヤ改正で、8両編成で運転される列車を増発、および夕方時間帯の空港急行を増発している。 2017年度は「ラピート」の利用者数が開港以来最多を記録したほか、JRとのシェアがJR51:南海49にまで縮まっている。 南海電気鉄道• JR西日本 リムジンバス・タクシー [ ] リムジンバス(関西空港交通)。 近隣一円へのリムジンバスが運行されており、第1ターミナルビル4階(国際線出発フロア)に到着し、1階(国際線到着階)より出発している。 第2ターミナルは、降り場・乗り場ともに1階にある。 を中心に各地へ26の系統が運行している。 LCCなどの深夜便に対応するため、などが運行する方面とを結ぶ便は、2015年7月1日より24時間運行されている。 関西国際空港からの高速バス、路線バスの行き先とのりば等の詳細情報は運行会社に関係なく 「」に記載されている。 タクシー乗り場は、両ターミナルビルとも1階にある。 ブームで旅客が増えた陰で、2016年頃よりこのタクシー乗場付近の一般車レーンではによって自家用自動車での無資格営業である が横行していたが、2017年10月31日には白タク業者4名が逮捕され 、同年11月6日にはによる現地での一斉摘発と指導・啓発 が行われるなど、改善・撲滅に向けた動きが実施されている。 リムジンバス• 南海バス• ・方面、方面(一部便が第2ターミナルまで乗り入れ)• ・・方面(深夜バス)• 関西空港交通• 神戸三宮・六甲アイランド方面• 西宮方面• 尼崎方面• 姫路・加古川方面• 京都駅八条口・京都市内・高速京田辺方面• 奈良方面• 近鉄学園前・学研都市方面• 大和八木方面• 高野山(奥の院前)方面• 岡山方面• 淡路・鳴門・徳島方面• 高松方面• - 周辺、・周辺方面• - 周辺方面• ちょい宅空港便 - 内及び内方面• 石川中央交通(過去) - ・周辺、内方面 自動車・レンタカー [ ] 駐車場 以下の駐車場がある。 駐車場名 形態 台数 内訳・備考 第1駐車場 立体 2,054台 身障者用47台 ゆずりあい駐車区画50台 二輪車用駐車場あり 第2駐車場 立体 2,047台 身障者用29台 第3駐車場 平面 444台 マイクロバス23台 第4駐車場 平面 416台 - 第5駐車場 平面 1,639台 身障者用23台 臨時駐車場 第2ターミナル横 平面 846台 - 展望ホール前駐車場 - 142台 身障者用3台 ・用 200V普通充電区画(P1) 200V 急速充電器が、第5駐車場(24時間)と展望ホール駐車場(8:00〜22:00)にそれぞれ1基ずつ設置されている。 充電にはチャデモチャージカード(月額有料制)が必要で、事前予約が可能。 別途駐車料金がかかる。 また200V 普通充電器が第1、第2駐車場にそれぞれ2基ずつ(共に5階、24・25番)計4台設置されており、駐車料金のみで利用できる(24時間・先着順)。 1階にレンタカー受付カウンターがある。 9月末から空港島内で車両の受け渡しができるようになった。 水素ステーション 国が進める「水素・燃料電池実証試験」(JHFCプロジェクト)の一環として、2007年5月7日から4年間、が近畿地方で初めて、フェリーターミナル付近にを設置し、実証実験が行われた。 2016年1月29日には、空港に設置するものとしては日本初の水素ステーションを二期島にオープンした。 高速船 [ ] 神戸-関空ベイ・シャトル。 空港島北側と東側はが管理するのに指定されている。 1期空港島北端にポートターミナルが、南東部にオイルタンカーバースがある。 開港当初はと(天保山)・・・・神戸K-CAT(現神戸インキュベーションオフィス)間をそれぞれ結ぶ航路が運行されていた が、いずれも廃止された。 大阪港・徳島港への航路は大阪港(天保山) - 徳島港航路の一部の便が寄港する形で、大阪 - 関空間のみの乗船もできた。 2018年現在は、2006年7月13日に運航を開始したとを結ぶ航路、および、からが洲本港への航路を開設。 関西空港と淡路島を結ぶ航路は撤退以来、10年ぶりに運航を再開した。 また、は、IR誘致を見据え、の開催地となると当空港を高速船で結ぶ方針を固めている。 定員100人強の100トン級の高速船数隻を新造し、片道45分で1日約20便運行して2000-3000人を運ぶ計画。 他の鉄道事業者に対しても参画を呼びかける。 訪日客らの利用を想定し、富裕層向けの広いシートなども用意する。 2021年春にも具体的な計画を正式決定する予定。 空港に降りた外国人旅行者が、船舶を通じて最初に近鉄に接することで、同社の鉄道利用をアピールする狙いがあるとみられる。 また、南海電気鉄道も同航路への就航を検討しており、両者は将来的に共同で事業を行うことを視野にしているものと思われる。 ポートターミナルと第1ターミナルビル・第2ターミナルビル間にはの路線が設けられており、アクセス船のダイヤに合わせて運行している。 :関西空港ポートターミナル - 神戸空港海上アクセスターミナル(1日16往復32便、所要31分) なお、1995年1月17日に発生したの救助活動においては、阪神間の陸上交通が寸断・混雑している箇所が多かったことから、泉州港から今津港・などへの海上交通が、人員・物資等輸送の上で多大な役割を果たした。 また、少なくない支援者が空港から船へ乗り継いで神戸へ向かうルートを利用した。 事件、事故、インシデント [ ] 航空機が直接かかわるトラブル [ ]• 8月、発行き70便()が断続的に煙警報が作動するために太平洋上から日本に引き返して関西空港に緊急着陸したところ、から" smoke"が出ていると告げられたため緊急脱出を行い、乗客9名が重軽傷を負う事態となった。 実際には火災は全く発生していなかったのであるが、臨場したが機首部から放出されている水蒸気が結露した霧状の水分について、「ノーズあたり、少し白煙みたいなのが見える」と日本語で管制に報告したところ、コックピットには、"smoke appears around nose"といった形の英語で伝えられ、この報告を聞いた機長が火災が発生していると断定して、緊急脱出を即決したものであった。 産経新聞はこれを「英会話の行き違いで脱出決意」と報じた。 、発関空行き2576便(ボーイング767-300型)が着陸許可を得て関西空港の滑走路24Lに着陸しようとしていたところ、同滑走路に「滑走路手前での待機」を指示されていた関空発行き36便(ボーイング767-300型)が誤進入した。 18時11分頃、JAL2576便は管制官の指示によりした。 エアカナダ機は管制指示とは異なる復唱を行い、そのまま滑走路に入っていた。 2008年に、発関空行き日本航空702便で、人の(訓練生)が、乗客が降りるのとは別のドアを誤って開け、脱出用が飛び出すトラブルがあったことが、に判明。 シューターを交換するため、同機の折り返しの行きが約1時間半に亘り遅延。 2008年、未明に第1滑走路の06Rエンド寄りでが剥がれるトラブルが発生し、補修のため同滑走路が2時間40分にわたり閉鎖された。 付近から剥がれたアスファルトと同じサイズのが発見された。 関西国際空港株式会社は工事ミスによりベニヤ板が滑走路に混入し、アスファルトの剥離につながったとみている。 2008年、未明に第1滑走路に航空機の片が散乱しているのが見つかり、同日午前1時34分から午前6時まで同滑走路を閉鎖、第2滑走路の夜間メンテナンス作業も中止し、第2滑走路による発着を行った。 この影響で計6便に最大10分の遅れが出た。 落下していたタイヤ片は、午前1時34分発のの()のタイヤの一部で、同機は約6時間半後に、目的地のに無事着陸した。 午後0時40分ごろ、関空発行き291便が管制の許可を得ずに滑走路に進入した。 これを受けて、同じ滑走路に降りる態勢だった発の927便がした。 国土交通省によると、エールフランス機が待機位置で止まりきれず滑走路に入ってしまったとみられる。 2009年午後8時20分頃(現地時間)、関空発行き653便()で、着陸直前に座席から出火し緊急着陸。 火はすぐに消し止められ、怪我人はなかった。 日航の調べでは機内からが発見されたものの、発火との因果関係は不明のままである。 2009年午前10時すぎ、発関空行きの1125便()が、関西空港に着陸の際、機体がバウンドしたため着陸復行しようとしたところ機体尾部を滑走路に接触し、尾部下面を損傷した。 けが人はなかった。 事故当時は、副操縦士がPF 主に機体を操縦する側 を担当していた。 2010年6月20日午前6時半頃、発関空行き622便()が、の南約10地点の上空でに巻き込まれた。 乗員のうち3人が腰などに軽傷を負い、関西空港着陸後にに搬送された。 2010年8月30日午後9時55分頃、成田国際空港発関空行きのカタール航空803便(ボーイング777)が、滑走路24L A滑走路 に視認進入しようとしたところ、誤って閉鎖中の滑走路24R B滑走路 に着陸しようとした。 その後管制塔の指摘により同機は着陸復行し、午後10時7分に着陸した。 操縦士の関空への夜間着陸の経験が不十分だったことと、24Rのおよびが点灯していたことで、二つの滑走路を誤認したことが原因と考えられる。 2011年10月12日午後9時35分、離陸待機中の関空発行き450便(ボーイング767-300型機)がA滑走路に誤進入し、着陸態勢に入っていた全日空8519便(ボーイング767-300型貨物機)が着陸を中止するトラブルが発生。 両機ともその後無事離着陸し、けが人はなかったが、一歩間違えば大惨事になるところであった。 管制官はハワイアン機に滑走路手前で待機するよう指示したが、同機の操縦士は滑走路上で待機するよう指示されたと誤解し進入を開始したものとみられる。 2011年11月28日午後1時47分頃、関空発行き516便(エアバスA330-200)が、管制官の許可を得ないまま離陸した。 当時、管制官は、同空港に着陸しようとしていたのと無線交信中で、同便の滑走路への進入に気付いた管制官は即座に停止するよう指示したが、同便はそのまま離陸した。 2013年9月10日、の取材ヘリコプター(型機)が、管制官から滑走路手前での待機を指示されていたにもかかわらず滑走路に誤進入し 、既に着陸態勢に入っていた全日空141便(型機)が管制官のの指示を受け、着陸をやり直した。 この事態により、全日空機の到着は14分遅延した。 はと認定した。 取材ヘリコプターは、へ向かうところだった。 ヘリコプターの機長は、エンジン始動時の不具合が起きたことに気を取られ、滑走路停止位置標識を越えて進入したものとみられる。 2014年8月18日、駐機場において作業員が給油車両の安全装置をかけずに給油し、ホースを接続したまま車両を動かしたため燃料漏れと機体の給油口破損の事故を起こし、給油中だったのエアバスA320機による往復2便が欠航となった。 後日、は安全装置をかけなかったという作業手順の省略とその常態化を問題視し、新関西国際空港会社を通じて給油会社に再発防止、従業員教育の徹底を指示した。 、関空発行の868便()が関西空港を離陸直後にの上空で胴体パネルを脱落させ、当該パネルはのを走行中のに直撃した。 負傷者は出なかったものの、は運輸安全委員会の定めるところの 重大インシデントと認定し、事故調査を実施している。 その後、国土交通省は日本国内であいついだ落下物案件の結果として、日本以外の航空会社にも 落下物報告を求める要請を行った。 詳細は「」を参照• 、発関西行き28便が到着時、本来誘導すべき国際線到着口ではなく国内線到着口に誘導するミスが発生、本便の乗客165名のうち13名が入国審査を受けずに入国するトラブルとなった。 本来国内線用として利用していた共用スポットが誤って国際線用に変更されており、チェック時その変更が見落とされたまま当日まで至ってしまったのが原因となった。 、発関空行15便()が、関空への着陸直前に、左右双方のエンジンが出力低下の状態になっていたことが、同年の新聞報道で判明。 負傷者はいなかったものの、はこのトラブルを事故につながりかねない重大インシデントに指定し、が事故調査官3名を同空港に派遣する事態となった。 その他の空港業務上のトラブル [ ]• 、中国・行きの日本航空便に搭乗する予定だった中国人男性が、ボーディングブリッジのドアを開け、職員用階段から駐機場に下りて制限区域に侵入した。 さらに、空港の警備体制の甘さを突き、そのまま空港警備をすり抜けて空港外に出た。 関西空港署員らも発見できず、男性はチェックゲートの外に出て、から電車で対岸まで渡った。 のちに、男性は違反の疑いで逮捕された。 ボーディングブリッジのドアは外側から施錠できたが、事件当時は、職員が出入りしやすいよう無施錠であった。 2011年10月15日、同空港で約13(末端価格にして約7億8,000万円相当)のを図ったとして、在住の女性が及び関西空港支署にされ、その後ににされた。 2011年現在、同空港開港以来最大のコカイン密輸量であるとされている。 2013年12月26日、関西空港の案内センターに対し、同空港を拠点とするの発着便を暗に示唆する形で、を仕掛けたとの内容の電話が入った。 はの容疑で捜査を行っている。 2017年1月17日、関西空港第2ターミナルで21時頃に、同空港発行Peach Aviation機の最終便の離陸直前に、搭乗した家族の女性が、乗客に書類を渡すよう、関空税関支所の職員に依頼。 その際、職員はを受けさせることなく、女性を出国審査場まで通過させていたことが明らかになった。 この影響で、同所は乗客全員の出国審査をやり直したため、この影響で同機の離陸は約2時間遅れることになった。 2018年3月13日、第1・第2ターミナルやエアロプラザなど空港施設全域において、が誤って流されるトラブルがあった。 設備機器の移動の際、電源が入ったまま作業を行ったのが原因で、関西エアポートは、再発防止に遵守していくとのコメントを発表している。 2018年8月31日、第2ターミナルのバスターミナルで、停車していた観光バスの後ろから運行のターミナル連絡バスが追突する事故があり、連絡バスに乗っていた乗客9人が負傷する事故があった。 運転手の健康状態には問題がなかったとされ、警察が捜査を進めている。 2019年7月26日、人工島内の浄化センターにおいて、汚水が消防用貯水池と雨水溝を経由して大阪湾に放流される違法行為が発覚した。 開港から25年間この状態が継続しており、関西エアポートは改善に向けたハード面・ソフト面での対応策を発表した。 2019年10月19日、同空港に到着した機から「のような飛行物体を見つけた」と管制塔に連絡が入った。 関西エアポートが安全確認をした結果、ドローンなどは発見されなかったが、同空港では同日20時45分頃から約40分間に亘り全滑走路で離着陸が制限された。 2019年11月7日、22時過ぎに同空港に着陸しようとした飛行機から「ドローンの光のようなものを見た」との通報が同空港に寄せられたため、同空港では滑走路を閉鎖し安全確認を実施。 約1時間後に閉鎖を一旦解除したが、その直後に地上の警備員から、再びドローンのような物体を見たとの通報が寄せられたため、再び滑走路を閉鎖。 捜索の結果ドローンは発見されず、8日午前0時過ぎに滑走路の閉鎖は解除された。 このトラブルの影響で同空港への到着便のうち8便が目的地をに変更し、1便が出発地のに引き返した。 また、出発・到着合わせて15便に最大約2時間の遅れが生じた。 10月19日及びこの日のトラブルを受けは「航空機の運航の安全に多大な影響を及ぼしかねない」として、警備体制を強化する方針を示した。 2019年12月29日、金融商品取引法違反で起訴され、海外渡航禁止などを条件に保釈中のの元会長のがプライベートジェット機でへ密出国する事件が発生した。 空港職員の不手際が原因で密出国を防ぐことができなかった。 日本国外からの評価 [ ] Airport of the Year 2009年、イギリスの調査会社による「Airport of the Year 2009」で世界第6位の空港に選ばれた。 2003年の同調査では関西国際空港は12位、2004年は9位、2005年は5位、2006年は4位、2007年は9位、2008年は6位と上位にあり、2004年から2009年は常にトップ10に入っていた。 の清潔さでは世界第1位も獲得していた。 空港の清潔さや、預けた荷物が短い待ち時間で受け取れること、出入国時の手続きがスムーズに行われること等が評価されての結果であったが、2010年にはランクを下げ、トップ10圏外となった。 その後2015年には、開港以来、荷物の紛失 ロストバゲージ がないことなどが評価され 、荷物の取り扱いを評価する「バゲッジデリバリー部門」で世界1位となったほか、LCCターミナルを評価する「ローコスト・ターミナル部門」でも世界1位となった。 Monuments of Millennium ASCE によって、20世紀の10大プロジェクト選ぶ「Monuments of Millennium」の「空港の設計・開発」部門に選定され、20世紀最高の空港プロジェクトと認められた。 海上を埋め立てられるなどが評価された結果である。 二期工事見学ホールには、学会から送られたプレートが展示されている。 エアカーゴワールド イギリスの航空貨物専門誌「エアカーゴワールド」の2007年度読者アンケートで、アジア・中近東地域の取扱量50万〜100万トン部門における最優秀貨物空港に2年連続で1位に選ばれた。 世界で最も奇妙な18の空港 2010年アメリカの記述専門誌「ポピュラーメカニクス」が選定した「世界で最も奇妙な18の空港」の一つに選ばれた。 やといった奇妙な立地や特徴的な構造をもつ空港も選ばれており、関西国際空港は海上の人工島の空港という立地が評価された。 周辺海域 [ ] 空港島の建設工事によって、周辺海域の魚類資源に影響が出ていた [ ]が、2004年7月から9月の期間において、一般公募により集まった調査員50組によるでの魚類資源実態調査を行った結果、・・などが、多いときは日に1,846匹、少ないときでも日に299匹釣れるなど、魚類資源が回復していることが判明した。 空港島の周囲は人工的に藻場が形成されており、また、大阪府では毎年稚魚の放流を行うことで、大阪湾全体の魚を増やす計画のため、空港島とその周囲500メートル圏内は「大阪府漁業調整規則」により魚釣りが禁止されている。 現在、当該水域は豊かな漁場となっており、密漁の摘発が年間10件程度起こっている他、先の調査目的による魚釣り一般開放でも、入れ食い状態だったという。 また、水質について、空港稼働で発生する汚水が開港以来四半世紀にわたって大阪湾に放流され続けていたことが2019年に発覚し、対応策が発表された(参照)。 マスコット [ ] 本空港には、に翼をつけて擬人化した「カンクン 」と、2005年にタツノコプロダクションとの共同プロジェクトで誕生した「スカイキッズ ブービィ」と言う2体のマスコットキャラクターが存在した。 関空会社・新関空が運営していた時代は主にカンクンがマスコットキャラクターを務めていたが、2018年3月30日に卒業。 翌3月31日以降は、大阪国際空港のマスコットキャラクターを務めていた「そらやん」が、関西空港をはじめとする関西エアポートグループの公式キャラクターに昇格した。 関西国際空港建設を描いた著作 [ ]• 佐藤章 『関西国際空港 生者のためのピラミッド』 1994年• 新井洋一 『巨大人工島の創造 関西国際空港』 彰国社 1995年 関西国際空港を舞台にした作品 [ ]• - の・。 原作小説中の「西日本国際空港」は関西国際空港がモデルである。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 評点の標高。 空港内の位置によって標高は異なり、新しく造られたB滑走路では高い所で9. 97 mの標高の場所(滑走路06L端付近)もある一方で、A滑走路の低い場所では1. 92 mの場所(滑走路06R端付近)もある。 航空機が進入しない場所ではさらに低い地点もあり、一期島の南西部にある燃料タンク場付近は0. 36 mである。 それに対し、関西国際空港株式会社では、2007年12月14日付朝日新聞記事などにあるように、高額な着陸料は航空会社の誘致の障害と認識しており、2005年などに着陸料の値下げを行っている。 2007年の3月期連結決算での98億円の最終黒字から、90億円の政府補給金を除いた値。 1998年度の発着回数は11万7789回• やの影響もあり、2003年の離着陸回数は過去最低の10万303回にとどまっている。 誘導路及び舗装路の路盤と舗装部分の厚さを従来の計画の約半分にした。 車両通路及び誘導路の立体交差部分の工法を簡略化した。 値段の安い汎用品を灯火などに取り入れた、など• 管制システムの工事も当初10月完了の予定だったが、滑走路の前倒し供用に伴って1か月早められた• 当初計画より1年期間が短縮された。 奇しくもこの日は24周年の開港記念日であった• 関空島周辺では過去に走錨事故が多発していたことから、は荒天時に関空島の岸から原則3マイル(約5. 5キロメートル)以上離れた場所に避難するようホームページに掲載(法的義務はない)するなど、注意を要する海域であった。 なお、日本航空は通常の第1ターミナルではなく第2ターミナルを利用しての発着となった。 世界初の海上空港はであるが、既存の島を造成・拡張して建設したものであり、世界で初めての完全人工島は、関西国際空港が初である。 2本目となるB滑走路が整備された2007年以降は、滑走路の保守点検で空港を閉鎖することなく完全な24時間運用が行われるようになった。 24時間運用開始はが先であるが、新千歳は深夜は貨物便のみの運用であった。 二期島の造成後も住所の表示(区域)の追加はなされず、既存の区域に編入されている。 日本で2本・2対の滑走路・ILSを有しているのは関西国際空港とのみである。 ただし、関西国際空港のILSのカテゴリーはIIであり、成田国際空港のものより精度は劣る。 また、日本において他にオープンパラレル滑走路を有する空港はと・であるが、前者はILSは滑走路の片側のみ整備であり、後者は民間機が主に利用する滑走路のうち1本のみが両側ILS整備である。 当初は、B滑走路供用に伴う管制システムの工事は2007年10月以降に完了する予定だったが、当該工事が同年8月中に完了する目処がついたため、前倒しされた。 管制関連の工事が完了していなかったため。 毎晩B滑走路が閉鎖されたため、その時間にA滑走路の閉鎖が重なると、空港全体が離着陸不可能になっていた• B滑走路は一部の着陸機用だが、A滑走路閉鎖中は離陸にも使用する• 貨物地区内にあるコンビニエンスストアも同様だが、保安区域内のため関係者専用の施設である。 護岸のかさ上げや消波ブロックの設置、電源施設の地下から地上への移動• 保安検査場通過前• 保安検査場通過後• 第2ターミナルの出国エリアにおいて、同様の整備が2016年実施済みである。 2018年度の利用者実績は約2300万人である。 2018年6月15日より• 現在の「第2ターミナルビル(国内線)」部分に相当する• 当初は「第3ターミナルビル」の名称であったが、着工後に名称を変更した。 2015年6月22日に着工• 2012年10月28日から国際線・国内線の双方で利用開始• 2017年3月1日から国際線で利用開始( - 日本経済新聞 2017年1月17日)• 2018年11月1日から国際線で利用開始( - 聯合ニュース 2018年6月18日。 FlyTeam 2018年10月19日付)• (徳島空港)は、が設置し、が運営する軍民共用空港のため、関西進入管制区には含まれない。 関西国際空港での貨物オペレーションの改善、デジタル化の導入、省力化のための新しい技術導入、労働環境の改善や貨物施設の大規模改修の検討などを行う• ただし、待ち時間・乗換時間などは含まない。 ・などを利用• ・リムジンバスなどを利用• 発着地によって共同運行会社も乗り入れている。 発着地、経由地、共同運行会社など路線の詳細はを参照。 レスクル・福岡タクシー、過去にはちょいバス交通も展開していた• かつては福井県内・内向けにも営業していたが、運営会社の経営破綻などで廃止された。 出典 [ ]• 国土交通省大阪航空局. 2018年4月28日閲覧。 沈下への取り組み. 2013年10月20日時点の [ ]よりアーカイブ。 2014年2月11日閲覧。 空港法第4条第3項• 谷川一巳『世界の「空港」物語』、2001年、113頁。 12 - 関西国際空港(2013年10月2日閲覧) [ ]• - [ ]• 6地理的、経済的又は社会的な観点からみて密接な関係を有する空港相互間の連携の確保に関する基本的な事項. 2018年6月15日閲覧。 国土交通省. 2017年4月24日閲覧。 2017年7月18日閲覧。 国際線発着調整事務局. 2013年10月19日閲覧。 首相官邸. 2017年4月24日閲覧。 国土交通省. 2017年4月24日閲覧。 47NEWS 共同通信. 2016年5月24日. 2017年12月1日閲覧。 航空局 2018年8月29日. 2018年10月2日閲覧。 関西エアポート 2019年. 2019年6月28日閲覧。 参考文献:「数字で見る航空2007」-航空振興財団()• 関西国際空港 KIX 2014年8月13日. 2014年8月16日閲覧。 関西国際空港 KIX 2014年8月15日. 2014年8月16日閲覧。 2013年1月24日 - - 衆議院(質問本文情報、1980年12月22日付、2013年10月2日閲覧)• 『巨大建設の世界3海上空港・沈下との闘い』NHK「テクノパワー」プロジェクト、NHK出版、1993年10月。 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食糧危機招くバッタの大群 飢餓人口の拡大にも直結する事態

関西国際空港 バッタ

概要 [ ] 蝗害を起こすバッタを 飛蝗、 トビバッタ、 (英語では「」)という。 また、飛蝗の群生行動を 飛蝗現象と呼ぶ。 飛蝗現象下にあるワタリバッタの群れがの飛行を妨げる場合すらある。 群生行動をしているバッタは、や畑作作物などに限らず、全ての(やなどの植物由来の製品にまで被害が及ぶ)を短時間のうちに食べ尽くしてしまう。 当然、被害地域の食糧生産はできなくなるため、住民の間に食糧不足やをもたらす事が多い。 また、大発生したバッタは大量の卵を産むため、数年連続して発生するのが特徴である。 を含む大抵の国では、の普及により過去のものとなっているが、諸国など国土が広大で組織的な駆虫が難しい地域では、現在も局地的に発生し大きな被害を出している。 日本での発生は稀なため、の「蝗」に誤って「」の訓があてられたが、などに生息するイナゴ類が蝗害を起こすことはない。 特徴 [ ] 蝗害(飛蝗現象)は上重要であるとともに生態学的にも興味深いため、多くの研究が積み重ねられている。 群生相 [ ] サバクトビバッタの幼虫。 高密度の集団中で世代交代を繰り返すと群生相の個体が生まれてくる。 (上)孤独相 (下)群生相 バッタは蝗害を起こす前に、普段の「孤独相」と呼ばれる体から「群生相」と呼ばれる移動に適した体に変化する。 これをと呼ぶ。 群生相の孤独相に対する外見上の特徴は、• 孤独相に比べて暗色になる。 翅が長くなる。 足が短くなる。 頭幅が大きくなる。 胸部の上が孤独相は膨らんでいるのに対し、群生相はへこんでいる。 (電子顕微鏡で見ると)触角の感覚子の数が減少している。 などが挙げられる。 行動上の特徴は、• 群生相の個体は互いに近づこうとする(孤独相の個体は互いに離れようとする。 ただし、孤独相のバッタも群れに入れると群生行動を共にする )。 産卵前期間が増加し、羽化後生存日数が減少し、産卵回数、産卵数が減少する。 孤独相の時には食べなかった植物まで食べるようになる。 などが挙げられる。 群生相、孤独相はそれぞれ生まれつきのものである。 ただし両親の遺伝子の組み合わせによるものではなく、親が暮らした集団の密度によるものであり、それも親がのような分泌液の刺激を受けたわけではなく、別の個体との接触が主な原因と言われている。 また、はっきりと2型に区別できるものではなく、程度の差がある。 集団生活をしている親からは、集団の密度が高いほど、より群生相が強い子が産まれる。 逆に集団密度が低くなると孤独相に近い子が生まれる。 この特徴は世代を超えて累積的に遺伝する。 相変異の原因物質は、の一種で、11種類のアミノ酸からなる[His 7]コラゾニン ()というである。 H コラゾニンだけで群生相になるかどうかはよく分かっていないが、少なくとも体色の黒化、前翅長、後脚腿筋、胸部の変化、触覚の感覚子の減少といった、外見上の変化があることが実験的に確かめられている。 ただし、行動上の影響についてはむしろ否定的な実験結果が出ており、相変異の原因についてまだ十分には解明されていない。 生態 [ ] 砂地に産卵するサバクトビバッタ バッタ科の雌は、を使って土や砂地の地下数センチメートルに産卵する。 背の高い草が密集している場所での産卵は苦手であり、近年北米で蝗害が減った原因のひとつは、が減少して草の背丈が伸びすぎたためとも言われている。 大量に産卵が行われるには草原や河原の砂地などが必要であり、蝗害は草原と耕作地が隣接しているような場所で発生しやすい。 また、群れを維持するためには大量の植物が必要であり、日本のように狭い土地では蝗害はほとんど発生しない。 一般に、これらの地帯でたまたま高気温、高降水量となった時に大発生する。 これは土地が湿って一時的な草場ができることで、バッタが集中的に発生して群生相が生まれるためである。 一方でによって河川の底だった砂地が草地となることも群生相が出現する要因となり、歴史上の中国などで見られる。 産卵は主に秋に行われ、卵は越冬して春に孵化する。 孵化直後は体が小さいので被害は少ない。 毎日体重と同じぐらいの量の草を食べるといわれている。 のロッキートビバッタの例では、5月にで孵化し、孵化直後は飛べないので歩いて周辺の草を食べつくし、6月始めに成虫となり、北や北西に飛び立っている。 向かう方位はさまざまであるが、方向は一定しており、追い風の時に移動し、向かい風の時には地面で休憩する様子が観察されている。 群れが次世代の群れを生むため、被害の年は連続することが多い。 一方で、何かのきっかけで群れが一度消滅すると、次に群生相が生まれるほど個体の密度が上がるまでは数十年と大発生が見られないこともある。 もっとも、バッタの大発生は周期的なものであり、連続して起こることはないとする文献もある。 大規模な移動を行うのは、一般的には食を求めてとする説が多いが、繁殖に関連する現象とする説もある。 あるいは、天敵からの逃避が目的とする説もある。 サバクトビバッタに関する研究によると、群生相の方が産卵数は少ないが、外敵に襲われにくいことから個体群増加(群の全重量増加)は速い。 群れの大きさ [ ] にを襲ったロッキートビバッタの群れの大きさは、幅160キロメートル、長さ500キロメートルである(この面積は日本の全面積の3分の1ほどである)。 平均高さ800メートル、場所によっては1600メートルであったと報告されている。 また、同じ場所では6時間以上にわたって観察された。 この群れが移動するため、被害面積はこれよりもはるかに大きくなる。 ただしこれは観察された最大級のサイズの群れであり、通常はここまで大きな群れになることはない。 群れの個体数に関して確からしい値としては、に写真を使ったサバクトビバッタの観察結果で、1立方メートル当たり17匹、個体数500億匹、重さ11万5000トンという値が報告されている。 サバクトビバッタは比較的大形のため、他のバッタではもっと密度が高い可能性がある。 ただし、近年であっても目視による観察ではかなり過剰に報告されることが多い。 種類 [ ] 蝗害を与えるバッタの種類としては、 ()のうち相変異をするものである。 被害が大きいことで有名なのは次の通りである。 北アフリカ全域〜インド・希にヨーロッパの主に砂漠地帯 Dociostaurus maroccanus アフリカ北西部からアジア Melanoplus spretus 20-35mm。 沿岸部を除く Nomadacris septemfasciata アフリカ東部 Locustana pardalina Brown Locust アフリカ南部 Nomadacris succincta ボンベイトビバッタ Bombay locust 西南〜東南アジア Anacridium属のバッタ Tree Locusts アフリカ、地中海沿岸、近東 蝗害の歴史と特色 [ ] 中国 [ ] 中国に被害を与えてきたトノサマバッタ 中国では、大規模な大雨や旱魃が起こると必ずといっていいほどの群生相が発生し、大規模な農被害を与えてきた。 そのため蝗害(蝗災)が天災の一つに数えられている。 そして、天災は皇帝の不徳によるものとされてきたため、各時代の政府はこの対策に取り組み、発生した天災の記録を残した。 そのためもあり、中国には蝗害の記録が非常に多い。 歴史 [ ] 古くはのにも蝗害の記録が見られる。 また、の詩篇『』にもバッタ駆除の様子が書かれている。 代になると記録が増え、(6年) を始めとして、、には20回以上もの蝗害の記録があり、の思想家 や官僚の も自書の中で蝗害について述べている。 頃から政府の取り組みについての記録も増え、にはのの時代に官庫を開いて窮民を救済した旨の記述がある。 代になって儒者から「祭礼を怠るから蝗害が起こるのだ」との意見が出たり(『』五行志三)、政治の要諦を説いた『』にはの皇帝が蝗を飲み込んで蝗害を止めたと言う伝説が書かれている。 に流域で発生した蝗害に対して、当時の宰相が対策を命じている。 記録も詳細になり、被害の様子や群れの移動の様子も書かれるようになった。 代になると本格的な対策が考えられるようになり、にはが晩に火を焚いて飛蝗を誘い込む方法を提案している。 代に書かれた『』には蝗害予防の方法が記されており、村(当時は社と記した)単位での管理や予防が共同体約定と言う形式で事実上義務化されていたことがわかる。 ただし蝗害は依然として重大な被害を与えており、元崩壊の原因のひとつになっている。 代になった、は著書『屯塩疏』の第3編を『除蝗疏』として対策を記し、後に『』に編入された。 代の、が『』を著している。 清代には記録も増えており、正史以外の書物にも記録が見られるようになる。 この清末のにはが『』を、同じ清代に『捕蝗要訣』と言う防除法を記した書物が作られている。 現代でも蝗害は無くなったわけではなく、夏にはを飛蝗が襲っており、1平方メートルあたり350-500匹、飛来面積は220万畝に上っている。 また、2020年にアフリカで発生したサバクトビバッタによる被害も中国まで到達している。 朝鮮 [ ] 『』に蝗害の記述を多く見ることが出来る。 「高句麗本紀 太祖大王」に「秋八月 國南蝗害穀、秋八月、東獵得白鹿、國南飛蝗害穀」。 「百済本紀 肖古王」に「四十六年秋八月、國南、蝗害、民饑」。 「新羅本紀第十 元聖王」に「秋七月 蝗害穀…(中略)…秋九月、國東蝗害穀。 …(中略)…五年秋七月、國西蝗害穀」。 これらの記述は日食、地震、冷害などと並んで記されており、当時の朝鮮でも蝗害が天変地異として扱われていた様子がわかる。 ヨーロッパ、地中海 [ ] 地中海から中東にかけて被害を与えているサバクトビバッタ のでは、モロッコトビバッタが猛威を揮っており、酷い所では16,000が被害を受け、と重なって深刻な飢餓を引き起こした。 (FAO)はができたからバッタ対策を開始し、5月頃の一掃作戦ではバッタの発生時期に合わせた幼虫の駆除に成功している。 南部のでは、サバクトビバッタの大発生の可能性が出てきた。 で大発生したバッタが南下し、国境付近で産卵したため、この2世代目が大被害を与える可能性が高くなっている。 そのため、国連中央緊急対応基金 ()は240万ドル、日本政府は200万ドルをイエメン政府に援助し、重機材や農薬、専門家雇用のために使われている。 、アラビア半島にが2度上陸し、恵みの雨で植物が増えたことから、にサバクトビバッタが大発生した。 で対策は後手に回り、サウジアラビア、オマーン、イラン、パキスタン、インドにまで被害は拡大。 後述する、2020年の東アフリカでのサバクトビバッタ大発生にも影響を与えた。 、のでバッタの大量発生が見られ、農作物に大きな被害が出た。 による駆除が行われたが、地域にはなどの金属を打ち鳴らしてバッタを追い払う風習が残されており、古くから大きな被害に悩まされてきたことが伺われる。 アフリカ [ ] ではにブガルラ、キルイ(Kiryi)、ルワザ(Rwaza)での蝗害が報告されており、以後も度々綿花などに被害を与えている。 - には約3,000kmものトノサマバッタ(ローカスト)の群れが西アフリカのを襲っており、その密度は1平方km当たり5,000万匹であった。 にはをも襲っている。 には付近の、、を襲ったサバクトビバッタの発生に対してFAOが援助を行い、日本政府も2004年度予算で供与限度額3. 3億円での無償資金援助を行っている ()。 一方、で発生したサバクトビバッタが北経由でを飛び越え、、にまで到達したことが報告されている。 にはでトノサマバッタが国土の半分以上に被害を与えた()。 には東アフリカで、2月2日はサバクトビバッタが大量発生して非常事態宣言するなどアフリカ東部で被害が拡大して食糧危機になる恐れが出てきた。 では過去70年で最悪の規模になり2400平方キロメートルの広範囲に及ぶ群れもいたという。 (FAO)報告によると、、ソマリア、ケニアで繁殖が続いており、ウガンダ北東部、南スーダン南東部、タンザニアでも小規模な飛蝗の発生を警告した。 北アメリカ [ ] 蝗害となっていたかどうかは不明だが、のベアトゥース山脈()のグラスホッパー氷河()には、に風に飛ばされてきたと見られるのおびただしい死骸が残されている。 にはを襲っており、地面に10センチ以上ものバッタが積もったことが記録されている。 にはをロッキートビバッタが襲っており、その数は当時の計算によると1,240億匹以上である(ただし、現在の研究では600億匹と見られる )。 には最悪の被害をもたらしている。 を最後に大規模な群れは観察されていない。 頃にロッキートビバッタ自体はしたと考えられている。 日本 [ ] 手稲山口バッタ塚 日本の古文献でも蝗害について報告されているが、そのほとんどがいわゆる飛蝗(バッタ科)によるものではなく、(イナゴ科)の他、などによるものと考えられている。 狭く平原の少ない日本の土地では、バッタ科(等)が数世代にわたって集団生活をする条件が整いにくいため、限られた地域でしか発生していない。 また、エントモフトラ属(ハエカビ属・)のを始めとしたの存在も、結果として蝗害を抑えていると考えられている。 トノサマバッタによる蝗害 [ ] 古文献から、などでトノサマバッタによる蝗害が発生したことが推察されている。 近代では、初期にで蝗害が発生したことが知られている。 (明治8年)、道東の沿岸をが直撃し、未曾有の大を引き起こした。 とが合流するあたりでは膨大な樹木が流失した結果、広い範囲でが露出し、ここにやなどの植物が生い茂るが出現した。 さらに、その後の数年間好天が続いたため、トノサマバッタの大繁殖に適した環境が整った。 (明治12年)からトノサマバッタ発生の兆し はあったが、本格的な大発生となったのは(明治13年)8月のことである。 このときは、発生したバッタの大群はを越え、を襲った。 蝗害はさらにを経てやへ至り、また別の群れはへ達した。 はバッタの群れにを撃ちこむなどして駆除に務めたが、者の家屋の紙まで食い尽くし、各地で壊滅的な被害をもたらした。 翌(明治14年)にも再び大発生し、この年はまでバッタが進出した。 当時の記録では、駆除のため捕獲した数だけで360億匹を超えたという。 しかし、まだ入植が始まっていなかったでは耕地が少なく、目立った被害は出なかった。 蝗害がを渡って本州へ波及することを懸念した中央政府 はトノサマバッタの発生源の調査を命じた。 14名の係官が派遣され、蝗害の被災地を辿ってバッタの群れがどこからやってきたのか現地調査を行った結果、冒頭に述べた十勝川流域の広大な草原に至った。 これが日本で三番目に広いの「発見」である。 この報告を耳にしたは十勝平野への入植を決め 、これが十勝内陸への初めての本格的な入植 となった。 蝗害はその後も続き、(明治16年)にはの側まで達した。 晩成社でもバッタの繁殖地の調査を行い 、十勝川上流ので大繁殖地を発見している。 ではも動員して繁殖地の駆除を行い 、1884年(明治17年)には延べ3万人のアイヌが動員された。 それでも蝗害は止まらず、では翌年の予算に180億匹のバッタ幼虫の駆除費用を計上するはめになった。 しかし、1884年(明治17年)9月の長雨によって多くのバッタが繁殖に失敗して死滅し、蝗害はようやく終息した。 しかし、以降もの初めまで断続的に観察された。 北海道の開拓地では、被災地への金銭的な補助の意味合いも兼ね、バッタの卵を買い取る制度があった。 のは、住民から買い集めたバッタの卵を砂地に埋めたところに建てられたものであるが、十勝地方にもバッタ塚が残されており、根絶を願った当時の住民の状況を今に伝えている。 (昭和46年) - (昭和49年)、のでもトノサマバッタ群生相による蝗害が発生している。 また、(昭和61年) - (昭和62年)にはのでも3,000万匹のトノサマバッタが発生している。 21世紀には、(平成19年)、オープン直前の2期空港島でトノサマバッタが大量発生し、蝗害発生の条件となる群生相と見られる個体も見つかっている。 環境農林水産研究所・食の安全研究部防除グループによると、には3,884万匹のトノサマバッタが確認された。 大発生の原因は、のいない孤立した島のためと考えられている。 関西国際空港側は、薬剤散布で防除(駆除)し、100万匹を割ったところで防除を打ち切った。 最終的に、エントモフトラ属のカビ感染により、トノサマバッタの大発生は終息した。 対策 [ ] 活動機関 [ ] 世界で発生するバッタ対策は FAO などが行っている。 イタリア・ローマにあるFAO本部 現在、蝗害が大きな問題となっているのはアフリカ中部・北部、アラビア半島、中近東、アフガニスタンなどである。 これらの地域で発生するバッタ対策は、にあるFAOの機関、サバクバッタ情報サービス Desert Locust Information Service, DLIS を中心に行われている。 DLISではに搭載されたの降水情報などを利用して、天候、環境、分布状況を日々モニターすることで、6週間先までのバッタの分布を予想している。 これらの予想は、1970年代から発行されている月刊の locust bulletins誌上で報告されている。 1990年代以降の情報はFAOの公式サイト[www. fao. FAOは蝗害が予想される国に対して情報と対策技術の教育を実施し、関係機関に資金援助を要請している。 日本政府も被害国に対して度々無償資金援助を行っている。 バッタの活動範囲は1,600万から3,000万平方キロメートルと非常に広く、多数の人員が必要となる。 アフリカではのように国立の研究所が設立された国もあるが、多くは発展途上国であったり内政が混乱している国であるため、政府がバッタの監視や対策をすることが非常に困難である。 方法 [ ] バッタ対策としては、小規模な発生が起こった次の世代の発生を防ぐことが重要である。 バッタが卵の時期には殺虫剤の効果が薄く、一方、成虫となって飛翔できるようになってからの駆除は困難なので、幼虫の内の駆除が必要である。 そのため、まずは産卵地データの収集から始まる。 幼虫の駆除に対して、FAOは機械的な除去、農薬を使っての除去の2つを併用して対策している。 例えばで2005年5月に行われた作戦では、21,000ヘクタールは機械で除去、81,000ヘクタールは合成を使っての化学的駆除を行っている。 FAOの8月の報告によると、バッタの発生時期と上手く重なったこともあってこの作戦は成功し、産卵が減ったために2006年には大幅に対策地域を減らすことに成功したという。 また、2006年からは昆虫に対する接触毒である diflubenzuron の併用も始めている。 では散布した殺虫剤による環境汚染度を測定するモデル生物としてを利用している。 メタリジウム菌に感染死したアカトビバッタ () 殺虫剤は広範囲に撒かれるため、人体や環境への影響も十分に考慮する必要がある。 これらへの影響を完全にゼロにすることは困難で、通常はバッタの被害と比較しての実施がなされる。 ただし、やなど、 WHO によりきわめて危険(クラス1a)、かなり危険(クラス1b)とされたもの は使用されない。 現在主に使われているのは、超低量散布 ()という技術である。 車両搭載された空中噴霧器を使ってバッタの移動予想地点に濃厚な殺虫剤が少量散布され、バッタが殺虫剤の付いた餌を食べたり上を歩いたりすることで死亡する。 この技術は各国の政府機関の要請を受けた東アフリカ移動性バッタ防除機構 Desert Locust Control Organisation for East Africa, DLCO-EA などによって実施される。 殺虫剤には前述したピレスロイド、ジフルベンズロンのほか、生物農薬であるの使用も検討されている。 ただしメタリジウム菌は即効性が期待できない。 トノサマバッタ以外による蝗害 [ ] 日本ではバッタ科のバッタによる蝗害がほとんど起こらなかったため、中国渡来の文献に書かれている「蝗害」を、昆虫による大規模な農被害全般を指す語だと誤解した。 日本の古文献に書かれている「蝗害」のほとんどは、(イナゴ科)、、によるものである。 被害の様相はバッタによる真の蝗害とは著しく異なるが、やはり真の蝗害の実体験に乏しい日本では、このウンカによる被害に対しても、蝗害の漢語が当てられることとなった。 今日ではウンカも群生相を示すことが知られているが 、被害は飛蝗に比べればはるかに小さい。 日本でできないやの被害が発生するのは、に沿った気流によって中国南部(東南アジア説もある)から移動してきて一時的に大発生するためである。 このトビイロウンカやセジロウンカは昭和前期には越冬していると考えられていたのであるが、1967年(昭和42年)に、岸本良一がジェット気流に乗って梅雨の時期に中国大陸から飛来するとする研究を発表し、1987年(昭和62年)に清野豁が飛来経路を解明した。 このため、現在では飛来型ウンカには飛来予報を発表するページが存在する。 古文献には、『』巻二元年(701年)八月辛酉の条に、を始めとする17ヶ国に蝗の被害があったと記されており、以後数年おきに害が報告されている。 よって夫々にす」と関東地方でも蝗害があったとする記述がある。 この後の『』巻22、812年(弘仁3年)の条にも、で蝗が発生し、稻五千束の税が免除されたとの記録があるが 、これはによる被害と見られる。 神話・伝説のレベルの話だが、807年(大同2年)に成立した『』には、大地主神(おおところぬしのかみ)が御年神(みとしのかみ)から蝗害防止の祭事を教わった話が載る。 桑原和男は『古語拾遺』804年(延暦23年)の条から銅鐸にある絵柄の一つは蝗害防止の祭事ではないかと仮説を立てている。 874年(貞観16年)にはで「其頭赤如丹。 背青黒。 腹斑駮。 大者一寸五分。 小者一寸」と描写される「蝗」に1日数が食害されており(『』)、これはイナゴの被害と見られている。 また、1017年(寛仁元年)には越前・摂津・近江など蝗害のため、蝗虫御祈諸社奉幣使を使わした記録がある(『』)。 年間、特に1732年(享保17年)前後に起きた蝗害が大きい。 防長両国の蝗害高は29万2740石余、では収穫は7割程落ち込んだとされ、伊予和気郡では3400人の死者が出たとされる。 なお、『』にはこの蝗害のために餓死した人間を96万9900人と書き記しており、46藩合計で236万石の所、収穫は62万8000余石足らずであったと言う。 またには1750年(寛延3年)、同1753年(宝暦3年)に蝗害発生による祈祷を行った記録が残っているほか、1749年(寛延2年)には冷害と蝗害により東北地方が大飢饉となり、肥前では1768年(明和5年)に蝗害が起きた記録が、1740年(元文5年)には伊勢国領で108村が蝗害のための減免を強訴した記録があり、1770年(明和7年)に関東各地で、1780年(安永9年)に出雲で蝗害の記録が、1819年(文政2年)11月には大里郡佐谷田村(現埼玉県)にて蝗害駆除の祈願が行われた旨がそれぞれの町史や市史、県史に見る事ができる。 の1826年(文政9年)の農業書である『除蝗録』はウンカについての記述と見られる。 なお、記録が多い筑紫国の蝗害は、1627年(寛永4年)から1868年(慶応4年)の間に33回も蝗害の記述がある。 蝗害を扱った作品 [ ]• 『』「」 - 「」の一つとして出てくる。 『』 - 作家の小説。 映画『』 - 1977年公開、「悪魔の象徴」として描かれる。 映画『』 - 1985年のアメリカ映画。 映画『』- 2001年のドイツ映画。 ケニアでの蝗害が物語で重要な役割を果たす。 『』- の小説。 続編となる『インガルス一家の物語3:プラム・クリークの土手で』で蝗害が物語の転機となる。 『』の原作。 『』- の小説。 東北を襲った蝗害をきっかけに東北6県が日本国から独立する。 『』- 漫画版で人工的に蝗害を起こし、敵対国をにする戦術が登場する。 『』 - 十勝地方における農業の歴史を語る時に、蝗害が度々引き合いに出される。 (蝗害に巻き込まれた経験のある筆者の祖母曰く、蝗害発生時には藁や紙や着ている着物まで植物性のものはなんでも食われた、とのこと。 『山猫の夏』 - の小説。 40億匹の蝗害を起死回生のゲリラ戦に利用する。 『彩雲国物語』 - 原作のライトノベル。 作中で起こる天変地異の一つとして蝗害が発生する。 『』 - の漫画。 蝗の大群で航空基地が覆われ、戦闘機の離陸に支障をきたす話がある。 『輝ける碧き空の下で』 - の小説。 ブラジルに入植した日系移民の農場で蝗害が発生した様子が描かれる。 『』 - の漫画。 主人公らが北海道東部を襲った蝗害で足止めされる他、集落が被害を受け出稼ぎに出るアイヌが登場する。 『』 - の漫画。 人間の蝗害に対する恐れが顕現して生まれたバッタの・蝗GUYが、主人公・虎杖悠仁と交戦する。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 農業情報研究所 WAPIC• 中筋房夫編『個体群動態と害虫駆除』、1989年、冬樹社、• 写真あり。 彭邦炯 、1983年、農業考古、1983年第2期• 中國哲學書電子化計劃• (ウィキソース中国語版)。 李純然• 《贞观政要》卷8《务农》、上海古籍出版社1978年版、第237頁。 『』(ウィキソース中国語版)。 陳芳生『捕蝗考』()• 人民報• 外務省• - 『』• AFP 2019年12月26日. 2020年2月26日閲覧。 武内進一編 PDF 2. 外務省• 京都新聞2020年2月5日朝刊• - FAO (英語)• Alexandra M. Wagner Winter 2008. 89 4 : 154—167. 『帯広市史(平成15年編)』、2003年、p123• ヌップクかわら版 、• 『新十勝史』p182,十勝毎日新聞社刊,1991• 『帯広市史(平成十五年編)』p123• 『音更町史』、1980年、p48• 『音更町史』、1980年、p51• 160• 弘前学園• 田中寛, 保田淑郎, 柴尾学、「」 『関西病虫害研究会報』 2015年 57巻 p. 1-9, :• 、(平成19年)• 著 バッタを倒しにアフリカへ 2017年• 『歴史地理学 37 近畿地方における享保17年の蝗害と取箇の分布』(池内長良)、中央公論社『日本の歴史17』、『』、『続日本王代一覧』 参考文献 [ ]• 著 『バッタを倒しにアフリカへ』 2017年• 、編著、『飛ぶ昆虫、飛ばない昆虫の謎』東海大学出版社 2004年• (中国語版) 倪根金、《历代蝗灾及治蝗述要》(《历史教学》1998年第6期)• (中国語版) 陆人骥、《中国历代蝗灾的初步研究——开明版〈二十五史〉中蝗灾记录的分析》(《农业考古》1986年第1期)• (中国語版) 袁林著、《西北灾荒史》(甘肃人民出版社、1994年) 外部リンク [ ]• (英語):2004年のアフリカ大陸西部〜北部の蝗害のビデオ• バッタに関する文献登録サイト(英語)• (英語)• 国際連合食糧農業機関の蝗害情報サイト (英語).

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中国に新型コロナ以上の被害!200兆匹バッタが日本に来る!?

関西国際空港 バッタ

アラビア半島・アフリカ・西アジアで「サバクトビバッタの大発生」という新たな危機が生じている。 おびただしいバッタが大地や空、田畑を埋め尽くし、農作物や牧草などすべてを食べ尽くす「蝗害(こうがい)」だ。 巨大な群れ(スワーム)は、東京ドーム386個分に1120億匹。 その密度は「4畳半に4万超」というすさまじさ。 2018年にアラビア半島南部に発生したサイクロン豪雨が引き金となり、イエメンとオマーンの国境辺りにバッタが大発生した。 翌年夏に、バッタの群れはサウジアラビアと紅海を超えてスワームを形成し、アフリカのエチオピアやソマリアに飛んだ。 あとには広大な草原が現れ、豊富な草を食べたバッタがどんどん増えた。 そして大発生が生じ、今年になってそのバッタのスワームが西はアフリカ内陸部へ、東はパキスタンとインド方面へと飛来し、拡散している。 写真=iStock. スワームの大きさは1806ヘクタール(18. 06平方キロメートル)を超えるという記録もある。 今回の大発生はこれに匹敵する規模だともいわれている。 この規模は東京ドーム384個分、渋谷区や目黒区ならすっぽり包まれる。 そこに1120億匹の黒いバッタが襲来する様子を想像してみてほしい。 平方メートルあたりに6202匹、4畳半だと4万を超えるバッタがうようよと群れる計算になる。 サバクトビバッタの大発生は、いまに始まったことでない。 大昔より、数年から数十年単位で大発生を繰り返している。 文字として残されたもっとも古い記録は紀元前1000年ころに編纂された旧約聖書「出エジプト記」までさかのぼる。 1931年にアメリカの小説家、パール・バックが書いた『大地』にもイナゴの大群が飛来して、またたく間に田畑を食い尽くしてしまう情景の描写がある。 これを専門用語で「孤独相」と呼ぶ。 豪雨があると、そのあと一面にバッタの繁殖にとって好適な草原ができる。 するとバッタは繁殖を繰り返し、密度が増す。 バッタ同士の体が互いに触れ合うほど高密度になり、幼虫のバッタ同士の脚や触角が触れ合うようになると、その刺激によって体色が黒色化するのだ。 「群生相」と呼ばれるバッタの出現だ。 群生相は、高密度になったバッタ集団が、いまいる場所には食べ物がないことを察知して生まれる。 食糧不足を回避して新天地を求めて生き残ろうとする、バッタの体内に潜む仕組みとして進化してきたものなのだ。 写真=iStock. 体の割合に比べて翅(はね)が長く、後ろ脚が短くなり、背中の筋肉は縮小する。 そして成虫となって、新たな穀倉地帯を求めてスワームとなり、大群で飛翔を開始する。 今年、公表された研究では、群生相の成虫は数こそ少ないが大きな卵を産むこともわかった。 不安定な環境では大きな卵から産まれる子のほうが生き残りやすいだろう。 生存戦略が大きく変わるのだ。 卵数と卵サイズの関係も同じである。 こういった変化を司っているのが体内ホルモンである。 群生相は、飛翔に適した体つきとなり、いまいる場所の草を食べ尽くすと、大群となって別の緑の場所を見つけて飛翔する。 群生相化したバッタでは、行動も変容する。 みなが同じ方向に向かって行進するようになるのだ。 「マーチング」と呼ばれるこの行動は、群れのなかでお互いに衝突して共食いしないために生じると考えられている。 このようにして、砂漠の各地に点在する草原で群生相化したバッタの集団が、緑のある新たな畑や草地に襲い掛かり、食べ尽くしては次の草原を目指し、ついには何億もの数となって、農地を次々と裸地にし、すでに新型コロナで貧困化した地域の食糧を根こそぎ奪っていくのだ。 だが、群生相の成虫が大群となって飛来するようになれば防除できなくなる。 バッタのアウトブレークを防ぐには、バッタの集合化の兆候をモニタリングするしかない。 群生相化しそうなバッタの集団を見つけて、幼虫の段階で農薬を散布するのが有効だ。 そのために、ローマに本部を置くFAO(国際連合食糧農業機関)には、バッタ対策チームが設置されている。 彼らは人工衛星によるGIS(地理情報システム)を使ってバッタの発生をモニタリングし、アフリカや中東アジアの国々と連携して初期防除に努めている。 写真=iStock. com/pawopa3336 予算システムという視点で考えると、バッタの防除対策には課題がある。 それは大発生が不規則なタイミングで繰り返し生じる点に集約される。 いざ大発生が始まると、各国や国際機関は莫大な予算を投入し、防除や研究が進む。 しかし発生が終わると、予算は削減されてしまう。 この繰り返しなのだと、バッタ研究者たちは指摘する。 筆者はわが国の南西諸島に侵入する害虫問題に携わっているが、侵入害虫の発生がない年でも警戒の手を緩めると侵入警戒システムの維持が困難になる。 火事のないときでも消防署が必要な理由と同じである。 の出現で暮らしを一変させられた僕たちは、この仕組みを十分に思い知ったはずだ。 感染症専門の病床と専門医の確保が、どれほど世界中で脆弱であったことか。 経済の維持は重要だが、人類の命を守る社会保障とのバランスをとることが持続的な社会システムにとってより大切である。 そして生物多様性の喪失にもつながるだろう。 大発生の裏には、世界各地で起こっている農地を確保するための森林伐採も関与する。 土壌流出による新たな草原の出現や、広大な面積に単一の作物を作付けするというモノカルチャー農業(単一作物大規模農業)の拡大も、バッタにとっては大発生を助長するのに好適な環境を人類が提供しているのだ。 FAOのサイトによると、2020年5月4日現在、サバクトビバッタは、西はケニア・エチオピア・ソマリア・エリトリア・スーダンまで、アラビア諸国ではイエメン・サウジアラビア・イラク・オマーン・UAEにその発生を拡散した。 そして春に繁殖したスワームは6月のあいだいくつもの波となって押し寄せるとFAOは予測する。 サバクトビバッタの群れが中国に向かっている、との一部報道もあったようだが、過去の大発生の記録とバッタ専門家の見解では、パキスタンの東にあるヒマラヤ山脈は越えられないといわれている。 日本では、河川敷の広大な河口草原にトノサマバッタが大発生する例が以前より知られている。 河口草原は、河川の開拓と治水の進歩によって消滅した。 しかし、1981年沖縄本島南部のイナゴ、1986年鹿児島県馬毛島、1995年と2007年に関西国際空港の草原でトノサマバッタの大発生が生じている。 これらの大発生はいずれも、天敵である糸状菌の感染によって終わった。 サバクトビバッタでも、「メタリジウム」という昆虫に感染する糸状菌を用いた防除も検討されているが、防除の中心は発生モニタリングと化学農薬の散布である。 アフリカ・中東・西アジアの穀倉地帯へのバッタの襲来が、コロナ禍で襲い掛かる世界的食糧危機にトドメを刺すかもしれない。 そして、カロリーベースで37%というとても低い食料自給率(平成30年度)の日本は、その影響を大きく受ける可能性が否定できないのである。 2020 Journal of Insect Physiology 122, 104020 4 伊藤ほか(1990)動物たちの生き残り戦略. NHKブックス. 4 May 2020. fao. html 6 Dunn 2017 Never Out of Season: How Having the Food We Want When We Want It Threatens Our Food Supply and Our Future. Little, Brown and Company. 青土社. 東海大学出版会 8 田中ほか(2015)関西国際空港の一期島と二期島におけるトノサマバッタの大発生と管理. 東海大学出版会. ---------- 宮竹 貴久(みやたけ・たかひさ) 岡山大学大学院環境生命科学研究科教授 1962年、大阪府生まれ。 理学博士(九州大学大学院理学研究院生物学科)。 ロンドン大学(UCL)生物学部客員研究員を経て現職。 Society for the Study of Evolution, Animal Behavior Society終身会員。 受賞歴に日本生態学会宮地賞、日本応用動物昆虫学会賞、日本動物行動学会日高賞など。 ---------- (岡山大学大学院環境生命科学研究科教授 宮竹 貴久) 外部サイト.

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