大阪 府 コロナ ウイルス 感染 者 今日。 新型コロナウイルス【大阪府】感染者数の分布図マップ6月8日最新コロナマップ

国内感染1カ月半ぶりに100人超に、東京は54人 : 都道府県別の新型コロナウイルス感染者数(6月26日夜更新)

大阪 府 コロナ ウイルス 感染 者 今日

最新情報 府独自の基準に基づく自粛要請・解除及び対策の基本的な考え方について 令和2年5月5日、府独自の基準に基づく自粛要請・解除及び対策の基本的な考え方『大阪モデル』を作成しました。 詳しくはをご覧ください。 新型コロナウイルスに関連した患者の発生等について 新型コロナウイルスの発生状況や検査状況等については でご覧いただけます 新型コロナウイルス厚生労働省対策本部クラスター対策班より、なみはやリハビリテーション病院における新型コロナウイルス感染症院内発生に関する現地調査支援報告が示されました。 報道提供 をご覧ください。 また、受診についての相談にお応えするため、 「新型コロナ受診相談センター(帰国者・接触者相談センター)」 を府内各保健所内に設置しました。 ・ ・ 安静・療養の対象となる方へ ・ ・ 啓発関係 ・新型コロナウイルス感染症に関連する不当な差別、偏見、いじめ等の被害に遭われた方からの人権相談はで受け付けております。 ・大阪府では、新型コロナウイルス感染症に関する不安やストレスなど、こころの健康問題に関して相談窓口や対処法などの情報提供を行っています。 詳細はをご覧ください。 ・また、SNSによる相談窓口はをご覧ください。 ・ 【ネット上の情報について】 ネット上には、新型コロナウイルス関連肺炎に係る様々な情報が流れていますが、 中には事実と異なる情報もあります。 府民の皆様におかれましては、 厚生労働省や大阪府が発信する正確な情報に基づき、落ち着いて行動してください。 医療機関の皆様へ 【医療機関向け新型コロナ受診・検査相談センター】 「帰国者・接触者外来」への受診や検査依頼に関する相談に対応します。 【支援メニューについて】 新型コロナウイルス感染症患者の受入れに必要な体制整備に対する支援については、下記よりご確認ください。 ・ 【新型コロナウイルス感染症関連の通知】 ・ ・ 新型コロナウイルス感染症関連情報について 学校関係、イベントの中止及び中小企業・小規模事業者相談窓口等の情報については下記ページをご覧ください。 ・ 物資の寄付及び購入について ・ ・ 大阪府新型コロナウイルス対策本部 大阪府では、新型コロナウイルス対策の推進を図るため、令和2年1月24日に「大阪府新型コロナウイルス対策本部」を、令和2年3月12日に対策本部の下に「大阪府新型コロナウイルス対策本部専門家会議」を設置しました。 また、大阪府において新型コロナウイルス感染症の患者が増加した場合の「状況の進展に応じて段階的に講じていくべき施策のうち、サーベイランス、感染拡大防止策、医療提供体制」について協議することを目的として、令和2年4月1日に「大阪府新型コロナウイルス感染症対策協議会」を設置しました。 詳細はをご覧ください。 関連ページ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・府内政令中核市の新型コロナ関係ホームページ一覧 このページの作成所属.

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堺シグナル・市内の発生状況と検査人数 堺市

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1月に初めて新型コロナウイルス感染症の感染者が日本国内で確認されて以来、先陣を切って対策をとってきた大阪府。 6月1日に緊急事態宣言が全面解除されるいま、吉村洋文知事を陰で支えた立役者、健康医療部の藤井睦子部長の証言をもとに、大阪府の歩みを振りかえった。 「コロナ発生当初から、吉村知事と健康医療部は強い危機感が一致」 1月16日に国内で初めてコロナの陽性者が確認されると大阪は24日にいち早く「大阪府新型コロナウイルス対策本部」を設置し第1回の会議を実施した。 当時のことを藤井部長は、「最初のコロナの印象は、よくわからないウイルスが入ってきたというもの。 日本に入ってきてから知事自身、強い危機感や意識を持っていて、それは健康医療部と一致していた。 最初に対策本部会議を開きたいとおっしゃったのは知事。 このころから知事とは一貫して情報を共有し、意見交換し、対策を議論していた」と語る。 その後、29日に初めて府内でコロナ陽性者が確認されると、ひとりに対する行動歴を公開するなど、強い危機感を持った対策を講じてきた。 2月に入ってから大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」号での集団感染が確認され、さらに危機感は強くなる。 府では中国・武漢市や海外からの帰国者など、感染疑いのある人の外来受診の呼びかけやPCR検査体制と医療体制の強化に取り組み始めた。 このころの、検査受け入れ態勢も1日40件から2月後半には90件に強化しており、府内では2月27日に2人目、28日には1日で2人確認され、これ以降ぽつぽつと陽性者が現れ始める。 「ライブハウスでのクラスター発生。 学校休校、外出自粛要請へ」 この2人目の陽性者が、2月15日にライブハウスで発生したクラスター(集団感染)による感染であったことが判明すると、府は国のクラスター班と協力して新たな感染者がいないか追跡。 陽性者を隔離、治療するという「しらみつぶし」ともいえる地道な対策をとった。 この頃から、コロナが感染から発症まで約2週間の潜伏期間があり、その間もウイルス感染が広がることが分かってくる。 3月2日からは学校園の休校を決定。 中旬になると、健康医療部では感染経路不明の新規陽性者が、大阪府だけでなく隣接する兵庫県からも確認されていることに対し、「爆発的な感染拡大につながることを危険視した」という藤井部長。 すぐに吉村知事と情報共有し、兵庫と大阪の往来自粛の必要性を議論。 3月19日には、翌20日からの3連休中、兵庫県と大阪府の不要不急の行き来を自粛するよう呼び掛けた。 これが、府が府民に対して初めて外出自粛要請を出したときだ。 「最悪の事態を想定した先手の対応が医療崩壊を防ぐことに」 ライブハウスでのクラスターが落ち着いた矢先の3月末、接待を伴う飲食店でもクラスターが発生。 店舗側が名前の公表や顧客情報の公開を拒否したことから、このクラスター事案については、リンク(感染源)の追跡を十分におこなうことはできなくなった。 このころ連日、都心部を中心に陽性者が確認。 府でも4月に入ると新規陽性者は急増する。 1日の34人から始まり、緊急事態宣言が発令された7日の陽性者は53人に。 そこから、毎週おこなった自粛要請の効果もあり一度数が減るも、すぐに上昇し9日には92人と最高人数に。 その後、21日までは毎日40〜80人が確認された。 この間、健康医療部では、3月中ごろから医療崩壊を想定した対策を練っていた。 まず、重症者から軽症者、無症状者に応じて入院を選別する「大阪フォローアップセンター」を設置。 医療崩壊を防ぐ体制をとった。 そして、今後の感染拡大に応じた対応策を4段階でシュミレーション。 感染が拡大されるフェーズ1、医療崩壊寸前となるフェーズ2、医療崩壊に入ったフェーズ3、医療崩壊のフェーズ4に分け、各段階に応じて検査や医療、生活支援、府民生活、物資など、項目毎に解決する課題をリスト化し対応策を練った。 4月はじめをフェーズ1の後半からフェーズ2の移行期と判断した健康医療部。 医療崩壊を防ぐためにPCR検査体制の強化、患者の症状に合わせた医療提供など、急ピッチで対応し、空床がある病院に対して交渉し病床の確保などもおこなった。 なかでも無症状・軽症者を隔離するためにホテルを宿泊療養施設とする施策は、4月3日に事業者を募集し、7日には締め切り。 翌8日にはダイヤモンド・プリンセス号で経験を持つ自衛隊と打ち合わせをおこない、14日から運用開始という異例の速さとなった。 「走りながら決め、先手を打ったけれどうまくいかなかった」 医療崩壊という最悪な状況を予想し、宣言後はもっと陽性者が出ると試算していた健康医療部。 4月9日の92人という数字は最高値であるが、「試算よりは低い数値だった」という。 緊急事態宣言後2週間たった22日、新規陽性者が31人になり、大幅に減少を見せ始め、陽性者に対する医療体制が追い付くことになる。 そして、そのまま陽性者は急増することなく、医療崩壊を防ぐことに成功した。 この間のことを、「ひとつの局面が落ち着いたら、次の問題が起きた。 部局では次々変わる局面に全力で対応して『走りながら』決めていた期間。 先手、先手を打って準備していたのに、うまくいかなかったと思うことがたくさんあった。 それが4月だった」と振りかえった藤井部長。 「日々増え続ける陽性者に、何とか医療体制も追いつけた。 そのなかで、毎日どれだけたくさんの陽性者が出ても、決して諦めずに陽性者の状況を分析し把握した。 そして、深夜になっても必ず陽性者の内訳を報道発表資料として公開した」と話す。 このデータの蓄積が、「大阪モデル」の代名詞となる出口戦略、入口戦略の4つの指標を生み出すことになる。 「『府民にわかりやすく』と大阪モデルの誕生」 4月後半、対策本部会議でも医療崩壊を防げている状況が報告されるなか、当初5月6日までとされていた緊急事態宣言が、5月末まで延長されることになったことを受け、府は新たな局面を迎える。 5月2日の会見で吉村知事は、「日々、出血を伴う休業要請。 出口がないほどつらいものはない。 何を目指しているのか、どういう状況になれば要請を緩和していけるのか。 つまり、このウイルスと共存する道を模索していかなきゃいけない。 出口戦略を作って、それを府民のみなさんにわかりやすい形でお示ししたいと」と明言した。 「異例の指示に『不可能なことではない』」 世界でも、日本国内でも、前例のない指標を出すことに対し専門家たちは顔を見合わせて難色を示した。 しかしこのとき、藤井部長は「不可能なことではないと思った」という。 その理由を、「健康医療部では、府で感染者が発生した1月29日から、どれだけ陽性者が出ても、必ずデータをとり、分析をしていた。 そのなかで、この指示を出したから2週間後にこういう結果が出ているとか、いま思えば、あれが感染拡大のシグナルだったといいうのを把握していた」と説明。 さらに、「知事の指示は、毎日見つめている医療部のデータを府民のみなさんにわかりやすく共有できるようにするシンプルなもの」と、事も無げに話す。 とはいえ、「誰もが見てわかりやすい指標にするのは簡単なものではなかった。 GW中、健康医療部のみんなで2日間何時間も会議して指標を考えた」という。 そして、「5日の対策会議で発表して専門家の方たちに提示し、ご意見をいただいてそのまま通ったのがこの指標。 あくまで私たちのデータ蓄積に基づくもので科学的根拠がないのが欠点です」と打ち明けた。 このとき、提示されたのが「大阪モデル」と呼ばれる独自指標による判断基準。 これらの値が7日間続けて基準値以下を示した場合に、段階的な要請解除を始めることを決め、これが出口戦略に。 また逆に、すべてが基準値に達した場合には、府民への自粛要請が段階的に実施される「入口戦略」になる。 このとき、吉村知事は「府民が今、大阪がどういう状況なのか一目で分かるように緩和なら緑、注意は黄色、警戒は赤にして、どこかをライトアップ。 それを見れば一目で大阪がどういう状況かわかるようにしたい」と提案。 その後、通天閣や太陽の塔などに協力を仰ぎ、大阪のシンボルがライトアップされることで現在の状況がわかるようになった。 「大阪モデル」は、府が今どういう状況で、自分たちがどう行動したらいいのかを府民に示し、また休業要請がいつまで続くのか不透明ななかで、目標と道筋を作る救いに。 今後は、第2波が来たときに感染者が拡大する兆候を見極めるための指標にもなり、府民とコロナの状況を共有し、行動変容につながる大きな存在へとなっている。 「宣言解除の一番の理由は『府民の協力』」 5月に入ると、陽性者数よりも退院者数が多くなり、陽性者は確実に減っていった。 そして5月14日、「大阪モデル」による独自基準をクリア。 各施設では休業要請が「緩和」となり、通天閣や太陽の塔など各所が初めて緑色でライトアップされた。 藤井部長は「走り抜けた」1月から5月までの約半年間についてこう語る。 「大阪が初めて緑に点灯できたとき、大阪のみなさんが本当に協力してくださったからだと思った。 大変かといわれれば大変だった。 でも、コロナに関わっている人はみんな大変だったと思う。 健康医療部は一部業務を縮小した他部局から10人で25班、合計250人の応援が来てくれ、保健所や府内、府外、いろいろな方が全力で対応してくれた。 病院医療も、宿泊療養に協力してくださったホテルも、PCR検査に協力してくださった機関も、府からの大変なお願いに対応してくれた。 たくさんのみなさんが協力してくれたから第一波を乗り越えることができたと思う」 「大阪の陽性者が0に。 吉村知事と府職員たちの関係性」 大阪府では5月18日に3カ月ぶりに新規陽性者が0となり、その後も、再陽性があったもの新規感染者は1か0を推移。 6月1日から府内全域で要請が解除されることになった。 コロナ発生から今日までの吉村知事との関係性について藤井部長は、「知事とは『府民の命を守る』ことを第一に、一貫して意識を共有できた。 今どういうことが起こっていて、解決できているものもあれば、解決できないものもあるということ。 自身の発信力で自粛要請や医療物資、マスクやフェイスシールドなど提供の呼びかけを報道を通じておこなってくれた。 国に対しても、健康医療部の要望や意見をすぐに伝えてくれた。 医療部、府職員とは気持ちが一致させることができていた」と振りかえる。 「第2波が来るために備える。 そのスタートは切っている」 これまで健康医療部を含む府職員たちは毎日、深夜までコロナ対策に全力で対応してきた。 藤井部長は、「次々と局面が変わることに全力で対応している間、仕事がどうとかまったく考えなかった。 やっと減ってきたなと思い、そういえば深夜まで仕事してたなと・・・。 今、本当にこの1週間で思いました」と笑う。 今後については、「これで気を緩めることは決してない。 第2波、第3波が必ず来る。 次の波に向けて、検査体制や医療の確保など、私が責任をもって備えをする。 そのスタートは切っています」と頼もしい表情を見せた。 取材・文・写真/岡田由佳子.

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大阪コロナウイルス受け入れ病院どこ?感染症指定医療機関の一覧とベッド数・病床数

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1月に初めて新型コロナウイルス感染症の感染者が日本国内で確認されて以来、先陣を切って対策をとってきた大阪府。 6月1日に緊急事態宣言が全面解除されるいま、吉村洋文知事を陰で支えた立役者、健康医療部の藤井睦子部長の証言をもとに、大阪府の歩みを振りかえった。 「コロナ発生当初から、吉村知事と健康医療部は強い危機感が一致」 1月16日に国内で初めてコロナの陽性者が確認されると大阪は24日にいち早く「大阪府新型コロナウイルス対策本部」を設置し第1回の会議を実施した。 当時のことを藤井部長は、「最初のコロナの印象は、よくわからないウイルスが入ってきたというもの。 日本に入ってきてから知事自身、強い危機感や意識を持っていて、それは健康医療部と一致していた。 最初に対策本部会議を開きたいとおっしゃったのは知事。 このころから知事とは一貫して情報を共有し、意見交換し、対策を議論していた」と語る。 その後、29日に初めて府内でコロナ陽性者が確認されると、ひとりに対する行動歴を公開するなど、強い危機感を持った対策を講じてきた。 2月に入ってから大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」号での集団感染が確認され、さらに危機感は強くなる。 府では中国・武漢市や海外からの帰国者など、感染疑いのある人の外来受診の呼びかけやPCR検査体制と医療体制の強化に取り組み始めた。 このころの、検査受け入れ態勢も1日40件から2月後半には90件に強化しており、府内では2月27日に2人目、28日には1日で2人確認され、これ以降ぽつぽつと陽性者が現れ始める。 「ライブハウスでのクラスター発生。 学校休校、外出自粛要請へ」 この2人目の陽性者が、2月15日にライブハウスで発生したクラスター(集団感染)による感染であったことが判明すると、府は国のクラスター班と協力して新たな感染者がいないか追跡。 陽性者を隔離、治療するという「しらみつぶし」ともいえる地道な対策をとった。 この頃から、コロナが感染から発症まで約2週間の潜伏期間があり、その間もウイルス感染が広がることが分かってくる。 3月2日からは学校園の休校を決定。 中旬になると、健康医療部では感染経路不明の新規陽性者が、大阪府だけでなく隣接する兵庫県からも確認されていることに対し、「爆発的な感染拡大につながることを危険視した」という藤井部長。 すぐに吉村知事と情報共有し、兵庫と大阪の往来自粛の必要性を議論。 3月19日には、翌20日からの3連休中、兵庫県と大阪府の不要不急の行き来を自粛するよう呼び掛けた。 これが、府が府民に対して初めて外出自粛要請を出したときだ。 「最悪の事態を想定した先手の対応が医療崩壊を防ぐことに」 ライブハウスでのクラスターが落ち着いた矢先の3月末、接待を伴う飲食店でもクラスターが発生。 店舗側が名前の公表や顧客情報の公開を拒否したことから、このクラスター事案については、リンク(感染源)の追跡を十分におこなうことはできなくなった。 このころ連日、都心部を中心に陽性者が確認。 府でも4月に入ると新規陽性者は急増する。 1日の34人から始まり、緊急事態宣言が発令された7日の陽性者は53人に。 そこから、毎週おこなった自粛要請の効果もあり一度数が減るも、すぐに上昇し9日には92人と最高人数に。 その後、21日までは毎日40〜80人が確認された。 この間、健康医療部では、3月中ごろから医療崩壊を想定した対策を練っていた。 まず、重症者から軽症者、無症状者に応じて入院を選別する「大阪フォローアップセンター」を設置。 医療崩壊を防ぐ体制をとった。 そして、今後の感染拡大に応じた対応策を4段階でシュミレーション。 感染が拡大されるフェーズ1、医療崩壊寸前となるフェーズ2、医療崩壊に入ったフェーズ3、医療崩壊のフェーズ4に分け、各段階に応じて検査や医療、生活支援、府民生活、物資など、項目毎に解決する課題をリスト化し対応策を練った。 4月はじめをフェーズ1の後半からフェーズ2の移行期と判断した健康医療部。 医療崩壊を防ぐためにPCR検査体制の強化、患者の症状に合わせた医療提供など、急ピッチで対応し、空床がある病院に対して交渉し病床の確保などもおこなった。 なかでも無症状・軽症者を隔離するためにホテルを宿泊療養施設とする施策は、4月3日に事業者を募集し、7日には締め切り。 翌8日にはダイヤモンド・プリンセス号で経験を持つ自衛隊と打ち合わせをおこない、14日から運用開始という異例の速さとなった。 「走りながら決め、先手を打ったけれどうまくいかなかった」 医療崩壊という最悪な状況を予想し、宣言後はもっと陽性者が出ると試算していた健康医療部。 4月9日の92人という数字は最高値であるが、「試算よりは低い数値だった」という。 緊急事態宣言後2週間たった22日、新規陽性者が31人になり、大幅に減少を見せ始め、陽性者に対する医療体制が追い付くことになる。 そして、そのまま陽性者は急増することなく、医療崩壊を防ぐことに成功した。 この間のことを、「ひとつの局面が落ち着いたら、次の問題が起きた。 部局では次々変わる局面に全力で対応して『走りながら』決めていた期間。 先手、先手を打って準備していたのに、うまくいかなかったと思うことがたくさんあった。 それが4月だった」と振りかえった藤井部長。 「日々増え続ける陽性者に、何とか医療体制も追いつけた。 そのなかで、毎日どれだけたくさんの陽性者が出ても、決して諦めずに陽性者の状況を分析し把握した。 そして、深夜になっても必ず陽性者の内訳を報道発表資料として公開した」と話す。 このデータの蓄積が、「大阪モデル」の代名詞となる出口戦略、入口戦略の4つの指標を生み出すことになる。 「『府民にわかりやすく』と大阪モデルの誕生」 4月後半、対策本部会議でも医療崩壊を防げている状況が報告されるなか、当初5月6日までとされていた緊急事態宣言が、5月末まで延長されることになったことを受け、府は新たな局面を迎える。 5月2日の会見で吉村知事は、「日々、出血を伴う休業要請。 出口がないほどつらいものはない。 何を目指しているのか、どういう状況になれば要請を緩和していけるのか。 つまり、このウイルスと共存する道を模索していかなきゃいけない。 出口戦略を作って、それを府民のみなさんにわかりやすい形でお示ししたいと」と明言した。 「異例の指示に『不可能なことではない』」 世界でも、日本国内でも、前例のない指標を出すことに対し専門家たちは顔を見合わせて難色を示した。 しかしこのとき、藤井部長は「不可能なことではないと思った」という。 その理由を、「健康医療部では、府で感染者が発生した1月29日から、どれだけ陽性者が出ても、必ずデータをとり、分析をしていた。 そのなかで、この指示を出したから2週間後にこういう結果が出ているとか、いま思えば、あれが感染拡大のシグナルだったといいうのを把握していた」と説明。 さらに、「知事の指示は、毎日見つめている医療部のデータを府民のみなさんにわかりやすく共有できるようにするシンプルなもの」と、事も無げに話す。 とはいえ、「誰もが見てわかりやすい指標にするのは簡単なものではなかった。 GW中、健康医療部のみんなで2日間何時間も会議して指標を考えた」という。 そして、「5日の対策会議で発表して専門家の方たちに提示し、ご意見をいただいてそのまま通ったのがこの指標。 あくまで私たちのデータ蓄積に基づくもので科学的根拠がないのが欠点です」と打ち明けた。 このとき、提示されたのが「大阪モデル」と呼ばれる独自指標による判断基準。 これらの値が7日間続けて基準値以下を示した場合に、段階的な要請解除を始めることを決め、これが出口戦略に。 また逆に、すべてが基準値に達した場合には、府民への自粛要請が段階的に実施される「入口戦略」になる。 このとき、吉村知事は「府民が今、大阪がどういう状況なのか一目で分かるように緩和なら緑、注意は黄色、警戒は赤にして、どこかをライトアップ。 それを見れば一目で大阪がどういう状況かわかるようにしたい」と提案。 その後、通天閣や太陽の塔などに協力を仰ぎ、大阪のシンボルがライトアップされることで現在の状況がわかるようになった。 「大阪モデル」は、府が今どういう状況で、自分たちがどう行動したらいいのかを府民に示し、また休業要請がいつまで続くのか不透明ななかで、目標と道筋を作る救いに。 今後は、第2波が来たときに感染者が拡大する兆候を見極めるための指標にもなり、府民とコロナの状況を共有し、行動変容につながる大きな存在へとなっている。 「宣言解除の一番の理由は『府民の協力』」 5月に入ると、陽性者数よりも退院者数が多くなり、陽性者は確実に減っていった。 そして5月14日、「大阪モデル」による独自基準をクリア。 各施設では休業要請が「緩和」となり、通天閣や太陽の塔など各所が初めて緑色でライトアップされた。 藤井部長は「走り抜けた」1月から5月までの約半年間についてこう語る。 「大阪が初めて緑に点灯できたとき、大阪のみなさんが本当に協力してくださったからだと思った。 大変かといわれれば大変だった。 でも、コロナに関わっている人はみんな大変だったと思う。 健康医療部は一部業務を縮小した他部局から10人で25班、合計250人の応援が来てくれ、保健所や府内、府外、いろいろな方が全力で対応してくれた。 病院医療も、宿泊療養に協力してくださったホテルも、PCR検査に協力してくださった機関も、府からの大変なお願いに対応してくれた。 たくさんのみなさんが協力してくれたから第一波を乗り越えることができたと思う」 「大阪の陽性者が0に。 吉村知事と府職員たちの関係性」 大阪府では5月18日に3カ月ぶりに新規陽性者が0となり、その後も、再陽性があったもの新規感染者は1か0を推移。 6月1日から府内全域で要請が解除されることになった。 コロナ発生から今日までの吉村知事との関係性について藤井部長は、「知事とは『府民の命を守る』ことを第一に、一貫して意識を共有できた。 今どういうことが起こっていて、解決できているものもあれば、解決できないものもあるということ。 自身の発信力で自粛要請や医療物資、マスクやフェイスシールドなど提供の呼びかけを報道を通じておこなってくれた。 国に対しても、健康医療部の要望や意見をすぐに伝えてくれた。 医療部、府職員とは気持ちが一致させることができていた」と振りかえる。 「第2波が来るために備える。 そのスタートは切っている」 これまで健康医療部を含む府職員たちは毎日、深夜までコロナ対策に全力で対応してきた。 藤井部長は、「次々と局面が変わることに全力で対応している間、仕事がどうとかまったく考えなかった。 やっと減ってきたなと思い、そういえば深夜まで仕事してたなと・・・。 今、本当にこの1週間で思いました」と笑う。 今後については、「これで気を緩めることは決してない。 第2波、第3波が必ず来る。 次の波に向けて、検査体制や医療の確保など、私が責任をもって備えをする。 そのスタートは切っています」と頼もしい表情を見せた。 取材・文・写真/岡田由佳子.

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