鶴瓶死亡。 トップモデル...首の痛みで謎の急死|ザ!世界仰天ニュース|日本テレビ

鶴瓶・新野のぬかるみの世界

鶴瓶死亡

街の人への何気ないインタビュー映像をきっかけに、笑福亭鶴瓶とゲストがよもやま話を展開するトークバラエティ「チマタの噺」(毎週火曜深夜0時12分)。 3月31日(火)の放送は、4月24日(金)夜8時からスタートする 金曜8時のドラマ「 らせんの迷宮 ~DNA科学捜査~」(主演:田中圭)に出演する俳優の渡辺いっけいが登場。 4年ぐらい前に鶴瓶と遭遇したことがあるという渡辺いっけい。 当時、稽古終わりに芝居チームで飲んでいた渡辺が、同じ店に鶴瓶がいることに気づいて挨拶をし、一緒に飲んでいた芝居チームを紹介したところ、その芝居の初日に鶴瓶から大きなバームクーヘンが届いたという神対応エピソードでトークは始まった。 渡辺は、ちょうどその頃から赤ワインを飲むようになったといい、それまではほとんど「下戸」状態だったと告白。 たまたまワイン好きで知られる俳優の辰巳琢郎と一緒に、20種類ぐらいのワインをテイスティングするという内容の番組から出演オファーがあり、思いきって引き受けたことをキッカケに赤ワインの美味しさに目覚めた。 そこから一気にワイン通に変貌したらしい。 フランスの「カベルネ・ソーヴィニヨン」のようなガッツリした濃い赤ワインが好きだと話す渡辺に対し、「かべにる・そーぬりおん」「かべぬり・そー... と、今度注文するために覚えようとするが、なかなか発音できない鶴瓶(笑)。 「それまで酔っ払いが大嫌いで、店が閉店になっても"もう一杯だけ"と言う人のみっともなさを冷めた目で見てたのに、今、それを自分がやっているんですよ」「55歳すぎてこんなことになるなんて思いもしなかった」と自身の変化に驚きを隠せない。 そんな渡辺が気になるチマタは、忘れられない女性。 高校生当時、サブカルチャー雑誌の投稿で常連だった渡辺は、誌面で「オフ会」を呼びかけたことがあった。 すると20~30人が集まり、その中でもウワサになるほどのかわいい女子高生たちと仲良くなったそう。 やがて男女数人のグループで遊んでいるうちにその中のひとり、有名女子校に通っていた子に恋心を抱くように...。 「好きになっちゃったんで付き合ってくれないか?」と告白したところ、「私はそういう気はないんで」とアッサリフラれてしまった、と笑う。 40年前ということもあり、見つけられないかもしれないという不安がよぎるなか、VTRには意中の人が登場! 渡辺をフッたという経緯を聞いてみると... 「いやいやいやいや!」と全力で否定! 実は告白がうまく伝わっていなかったという事実が判明! 「フッた覚えもないし、付き合うチャンスはあった」と女性が意外な事実を語ります。 これには「マジか」とうなだれる渡辺でしたが、「たとえオッケーもらってたとしても、(同じ愛知県の中でも)豊川と名古屋ってめちゃめちゃ離れてるから、付き合うのは物理的に無理でしたね」と自分を納得させるモードに。 ここで鶴瓶から「なんのこっちゃ! なんでたそがれとんねん!」とツッコミが入るも、「役者として芽が出たのは30歳になってからだから、そんな待たせられなかったし... 」と渡辺が芝居口調で自分の世界に入ってしまう。 彼女を本当に忘れられなかった様子の渡辺は、名前をネットで検索したこともあったそうだ。 そんな意中の彼女からVTRで「誰かいい人紹介してください」とお願いされた渡辺は、「役者はなんの保証もないし安定してない」という理由(?)で「するわけないじゃないですか!」と断固拒否したのだった(笑)。 2人目の気になるチマタでは、高校の同級生が登場。 毎年20人ほど同級生が集まる会があり、渡辺も参加しているのだという。 同級生らは、芸歴37年を迎える渡辺が初めて主演を務める映画「いつくしみふかき」(4月17日より全国順次公開予定)をとても喜んでいると語り、各所で宣伝活動をしてくれていた。 これには鶴瓶も「いい~同級生やね」と感心しきり。 続いて、映画「いつくしみふかき」の共演者の話題に。 映画のチラシを一瞥して鶴瓶が真っ先に目がいったのは、女優のこいけけいこさん。 渡辺から、すでに亡くなっているという衝撃の事実が告げらる。 長野県生まれのこいけさんはがんを患い闘病していたにもかかわらず、どうしても長野を舞台とした作品に出演したいと撮影現場に来ていたそう。 その事実を渡辺も知らなかった。 こいけさんはついに映画の完成を待たずして他界。 先行ロードショーにはこいけさんの同級生も訪れるとのことで、渡辺は映画の中で生き続ける彼女にさまざまな感情があふれ出ると語る。 ほかにも、渡辺が差し入れのために購入した1箱1万円もするマカロンのオシャレすぎる秘密や、地方公務員という堅実な仕事をしていた渡辺の父親との関係、バーで耳に入ってきた常連客やマスターの人間味溢れる会話など、濃い内容でお届け! 現在この放送は、で期間限定配信中です。 次回はヒップホップグループのスチャダラパーが登場。 どうぞお楽しみに!.

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志村&鶴瓶のあぶない交遊録 2020年放送しない?!!理由は?

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トークは冒頭から新型コロナウイルスの話題で持ちきりに。 鶴瓶は政府の施策に対し「もっともっと前に、いろんな判断やってくれたら…早くやってくれたらよ、死なんでええ人もおったと思うねん。 早く判断せんで、コロコロ、コロコロ変わってきてるから」とコメント。 国政の判断にいら立ちを隠せずにいた。 鶴瓶は「マスクで問題やんか。 カビが生えたり、毛が(混入したり)…。 日本(の業者)に頼んだったらええやん」と力を込めた。 鶴瓶は手袋製造を営む知り合いにマスクを作ってもらい、出来上がりにも満足したという。 そんな背景もあり「マスクを日本で作るという考えはないのかゆうねん。 何億も使って…」と、政府の方針に対しため息をついた。 さらに鶴瓶は「コロナがたくさん出てるところに、なんでマスク(の製造)頼むねん」と持論を展開。 また「コロナには勝たれへんで。 勝負になんない」と、現状ではコロナに太刀打ちできないことを吐露。 44 引用元:.

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鶴瓶 ラジオが急きょ生放送、コロナ禍の中で「あかん人が分かりました」― スポニチ Sponichi Annex 芸能

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放送時間 [ ]• 毎週日曜日 23:00-0:00 1部 、0:30-3:00 2部。 0:00-0:30は「山本隆士のミュージックパイロット」を放送。 毎週日曜日深夜(月曜日未明)0:00-2:30頃(終了時刻は不定)。 概要 [ ] とがを務めた。 はで、二人からは「ガンさん」または「ガンちゃん」と呼ばれていた。 岩本ディレクターが鶴瓶のパーソナリティを活かした番組をと企画したもので、岩本は最初「若い息子と母親がうだうだしゃべる番組」として 、を母親役として想定し 、この旨を鶴瓶に伝えたところ、鶴瓶は「新野先生をパートナーにしてくれるなら」と言う条件で承諾、新野も快諾してスタートに至った。 番組タイトルは「ぬかるみは、はまり込んだら抜けられない」という意味があることが由来の一つとされている。 日曜深夜という時間帯故に、当初はが付かず、鶴瓶・新野のうだ話がなしで延々と放送された。 スポンサーがないことを逆手にとり、二人はいわゆる世間話をの域にまで高める。 は ぬかる民(ぬかるみん)と呼ばれた。 ぬかる民の中には、後のアナウンサーのも居り、上柳はニッポン放送入社後に本番組に電話出演したこともあった。 番組表では26時30分終了とあったが、その日の気分で番組が延長することも時々あり、『全国縦断ぬかるみ電話』を行った時には3時、4時にまで番組が延長することもあった。 は週に500通ほど届き、これを読むのに3日かかるほどだったという。 放送ではがき、封書を読む時に流すは鶴瓶の選曲によるもので、鶴瓶自身のレコードコレクションの中から選び、どうしても見つからない時はラジオ大阪のレコード室を利用していた。 「びめこ」(美しいおめこの事)、「ぶめこ」(ブサイクなおめこの事)。 関西ではを「おめこ」と呼ぶ事から、美人がいるように「おめこ」にも美しさがあるという議論が起こった。 美人でも「ぶめこ」な人とか、ブサイクでも「びめこ」な人がいる。 美人女優やブサイクなお笑い芸人を話題に、あの女優は、ぶめこっぽいとか・・・論議した。 「おじん」(男女の性別を問わず、寡黙な性格を持つ人。 )、「おばん」(同じく男女の性別を問わず、陽気な下町的な性格を持つ人。 )、「レンコン」(不特定多数の男性と経験のある女性のこと。 )、「べにもいるのよ」(儲けていても、結構出て行くお金が多いこと。 が語源者と言われている。 )など様々なを生みだし(この他はの節を参照)、放送で呼びかけて催されたツアー()には5000人以上が集まり、後に 新世界パニックと呼ばれる事件になった。 しかし新野は「パニックよー」などと喜んでいたふしもある。 番組内で新野が使っていた「ありぃの」「しいぃの」と言う口癖は、東京へ進出し始めていたのお笑いタレントらがの番組などで使い、全国ネットで放送され日本中で認知されるに至った。 「日曜深夜の時間帯を開拓した」という功績が評価され、1981年にを受賞している。 当番組終了後、1989年からまで、新野一人による同様のうだ話番組『』が同じくラジオ大阪で放送されていた。 番組終了から12年後の、インターネットにおいて「 鶴瓶・新野のぬかるみドットコム」と題して会員制で放送が復活されたが、新野の体調不良などの諸般の都合から5月で一時休止した。 千房 [ ] 鶴瓶は、にあるお好み焼き店の(ちぼう)のオーナー・と親しい。 過去のぬかるみの中でも、「お好み焼きを食べたい」と放送中に連呼した鶴瓶に応え、中井が実際にお好み焼きを焼き、当時にあったラジオ大阪へ持参したことがあった。 ラジオ大阪で別の番組をスポンサードしていた千房は、その後ぬかるみにも協賛するようになった。 当時危惧されていた打ち切りを防ぐなど、大きな功績を残した。 最初は、なるべくCMによってトークが途切れないように気遣って、トークの中に千房の話題を取り入れてもらうことでCM代わりとするよう依頼していた。 しかし最初の頃は、1か月、2カ月経っても千房の話題は聴こえて来なかったという。 当時だけで営業していた千房も、その後店舗網を拡大した。 放送当時から裏メニューとして存在している「ぬかるみ焼き」は、本来のメニュー「ミックス焼き」の廉価版。 鶴瓶が「ぬかるみ焼き食べたか? 」と話題を振ったところ、リスナーから「ぬかるみ焼き頼んでみたけど、あらへん」というような投書が来たことがきっかけで売り出されるようになった。 千房の協賛離脱、そしてぬかるみ終了後も、全ての店舗で提供されている。 主な企画 [ ] (出典: )• 全国縦断ぬかるみ電話• 第1回:1980年5月• 第2回:1982年12月• 第7回:1983年12月5日、応募総数1007通• 第8回:1984年5月20日、応募総数690通• 第9回:1984年12月2日、応募総数848通• 第10回:1985年6月2日、応募総数965通• 最終回:1989年6月• あの人は今 それまでに送られて来たはがきを一枚ずつ採り上げ、そのはがきの差出人の近況を電話で聞いていた。 ルーツを探る 当番組を知っている人に次々電話して行ったというコーナー。 最後の電話 当番組のエンディング近くの時間に、リスナーに電話してその日の番組の感想、リスナーの近況などを聞いていた。 当番組最後の企画。 主な出来事・事件など [ ] (出典: ) 1978年• と新野新が放送中に喧嘩 (4月9日第一回放送時。 この番組と番組本『つるべ・新野のぬかるみの世界』(31ページ)などにおいては『歌謡曲アダ花論争事件』と呼ばれている) 鶴瓶が懇意にしていた関係から甲斐を第1回放送のゲストに呼んだが、新野と甲斐が口論となり、怒声やモノが倒れる音などが生放送の電波を通して流れたという。 新野は、の話題が出た時に、甲斐は「そんなもん」というような言い方をしたように聞こえ、甲斐がひばりのことを侮辱したように捉えたということで反論、喧嘩になったということを話している。 第1回ティーチ・イン(11月)- OMCスタジオで行う 1979年• 放送打ち切りの危機を乗り越える(2月)• ボツハガキ供養 (6月)- OMCスタジオで、を呼んで行う• へ第一回ぬかるみツアー。 約50人ほど参加 (8月29日~8月30日)• 千房で「ぬかるみ焼き」始まる(8月)• はさびしいおんなみせ(11月) 「吉野家で一人でを食べている女の人って、哀しく見えると思いませんか」と言う投書が紹介されたことから論議が始まる。 大ホールで「おしゃべりコンサート」(12月)• ある女性が新野とともにエレベーターに乗っていたときしゃがみ込んで放尿したというが最後まで名前は出されなかった。 1980年• に乗る時に『』を歌ってタダで乗らせてもらったエピソードの真相など語る (2月10日)• 有名人だれが作ったおにぎりを食べられるか・食べられないか(4月) 鶴瓶と新野がある所でおにぎりを食べたところ、えづいたことから、このような話題が番組中で盛り上がって行った。 この時に二人が挙げた有名人 食べてもいい人 - 、、、、、 食べたくない人 - 、、、、、、、、 については、鶴瓶が「食べたくない」新野が「食べてもいい」で意見が分かれた。 「おじん」「おばん」談義が盛り上がる(4月。 おじん、おばんの意味はの節を参照) この時に鶴瓶と新野が典型的な例として挙げた有名人 おじん - 、、、、、、、、、、 おばん - 、、、、笑福亭松鶴、、、、、、、• 通天閣・新世界ツアー(5月10日) 「新世界に一度来てください」という女子高生からのはがきに誘われ、行われた企画。 しかし5000人という予想外の人数が集まり、とてもツアーどころではなくなったため、鶴瓶と新野はと共に前広場へ移動し、急遽集まったリスナーを前にしてのトークショーに変更された。 事件(5月) ビビアン・リーが『』に出ていたのか否かで揉める。 花一輪運動(7月頃にピークに) 番組スポンサーの千房の本店の場所がややわかりにくいとして、近くのに場所を訊きに行く人が増えているという話を聞き、「交番に花一輪でも持って行って、お巡りさんとのふれ合いのきっかけでもつかんでみたら」と放送したのがきっかけで始まる。 ネコスケ事件(7月) 「ぬかるみぬり絵」のプレゼント当選者の中に本名で「ネコスケ」という名前があったことで、二人が笑い転げ、しばらく二人の笑い声しか放送で聴こえてこなかった。 第2回ティーチ・イン(8月)- 「防衛問題」で盛り上がった。 ツアー (ツアー中、鶴瓶がで倒れた。 8月29日)• 号泣事件(9月)• 不憫発言 (11月30日) 日本全国でどこが不憫かという話題で、二人が出した答えが佐賀県だったことで、大きな波紋を呼んだ。 ぬかるみ映画大会(11月)- にて『』を観賞。 第3回ティーチ・イン(11月)- 前述の「佐賀不憫発言」などが話題になる。 1981年• 当番組初の番組本発売、サイン会パニックが起こる(2月) 1回目は、ので開催。 2000人が集まり「かつてのサイン会での売上冊数を上回るこの店の最高記録」だったとのこと。 2回目は、内の西日本書店で開催。 列が200~300mにも延び、線沿いにも列が出来たほどで、一時は商店街の中が通行不能になるほどまでになり、400人ほどでサイン会を打ち切った。 二人は書店の二階に避難して窓からで呼びかけ、2時間ほどでパニックは収束したと言う。 後日に紙上にて、鶴瓶、新野、当書店の三者連名でお詫び広告が掲載された。 なお、このサイン会をが取材に来ており、『』での放送もされた。 ぬかるみカレンダー1万部完売(3月)• 第18回ギャラクシー賞受賞(5月)• 、、各誌で当番組の特集記事掲載(6月)• ぬかるみ写真展(8月) にて開催。 鶴瓶、新野の二人の表情など、カメラマンの平塚正男が撮影した作品を約100点、3階の多目的広場に展示。 入場無料であったが、だけで7326人来場。 サイン会は急遽4階に移動して開催。 延べ2万人動員、再びパニックとなった。 合歓の郷ツアー (8月)• 1982年• トイレの水は手で掬うか、足で掬うか揉め、話題に(1月)• ゲスト入り(1月)• 新野の「ブスの十か条」(3月) 「私はブスですか」と写真入りの手紙が殺到、これに際して新野がブスである条件を10個挙げ、その内容に鶴瓶が笑い転げた。 2冊目の番組本発売(4月)• ラジオ大阪のラジオカー「ぬかるみ号」近畿地方一円を走る(12月)• 新野、を「レイソン」と読み間違う(12月)• 全国縦断電話訪問で、「メリークリスマス・フロム・」と書かれたはがき約30枚届く(12月) 1983年• 新野が風邪で早退し、鶴瓶の一人喋りに(1月)• 「おたくらなんですのん! 」という名言を残したラジオ大阪の川添郁子ディレクター死去(1月23日)- 新野が葬儀委員長を務めた。 「みっかんパニック」始まる(2月)• トイレ無断拝借ウンコそのまま事件(3月) 17歳の女子高生リスナーからの投書によって話題になる。 さんはぬかる民だった! (3月20日)• 第9回ティーチ・イン(4月3日)• 、ゲスト入り(5月15日) 鶴瓶とは、当時で放送されていたテレビ時代劇『』の共演者という関係。 第5回ぬかるみツアー()。 約200名参加(8月19日~8月20日)• が番組に突然現れる(11月23日) のミュージカルなどの話題で盛り上がった。 1984年• 鶴瓶、酔っ払ったままスタジオ入り(1月)• 第10回ティーチ・イン(3月18日)• の女子中継のため、当番組初の休止(8月5日)• 第11回ティーチ・イン(8月12日)• 第6回ぬかるみツアー(・がんねムーンビーチ)。 約100名参加(8月24日~8月25日)• 全国縦断電話訪問により、の同級生同士がで劇的再会(12月) 1985年• 当番組の放送作家・吉田清の「ふとん重い事件」(2月)• 第12回ティーチ・イン、ぬかるみ試験実施(約200名受験)。 「ほな言おか! 大会」となる(3月31日)• 一枚のタオルを家族みんなで使うか、などと言った「タオル談義」が番組中に盛り上がる(6月16日)• 関東ぬかる民大集会(7月26日)- 97名参加。 第7回ぬかるみツアー()。 約200名参加(8月8日~8月9日)• のが「祭りの名前が変だ」などと話題に。 新野が祭りのの真似をする(9月)• 「新野新、本名です。 、本物です。 」という新野作のコピーが大ウケ(11月)• ぬかるみの世界 '85オールナイトスペシャル(12月29日) から生放送。 、桂朝丸(現・)がゲスト。 第1部は「ぬかるみ的井戸端ばなし」など題されたトークショー、第2部はコンサートで行われ、第2部では新野作詞による『』の替え歌『雨の西梅田』、『ぬかるみの唄』のそれぞれの歌が発表された。 この後、リスナーから会場にて投書された「ウダ紙」の紹介、鶴瓶のの弾き語り(実は音に合わせて指を動かしていただけ)、新野の演奏(本当に演奏を行う)が披露された。 1986年• ゲスト入り。 デビューした当時の苦労話などを語る(3月23日)• 学校の校歌を新野が作詞、が作曲したことで学校校歌、が話題に上る。 その中で『漁船(りょうせん)』という唱歌の中に出て来る『れふ船(りょうせん)』という言葉を巡ってリスナーを巻き込みながらの論議が始まる(4月27日)• 「ぬかクラティッシュ」製作(7月1日) のぬかるみ版「ぬかクラ」としてを製作、ラジオ大阪前の他大国神社、、などで配布を行い、もらったリスナーから番組で電話を受け付けた。 第8回ぬかるみツアー(和歌山県)(8月26日~8月27日) 『ざぶた号』と名付けられたを利用、約200名参加。 200名の参加者をを使って名付けられた10のグループ(おじん教、おばん教、ビメコ教、ブメコ教、にちゃ手教、どびつこ教、おさせ教、雪女教、れんこん教、鬼畜教)に分け、それぞれの教の旗と教訓を作らせながら、親睦、ゲーム、レクリエーションに興じるという旅。 宿泊先は。 ぬかるみウルトラマラソン(8月) 当番組が縁で結婚した「ぬかるみ結婚」第1号の夫妻が~大阪間を走った。 鶴瓶の師匠、が亡くなったため、鶴瓶は番組を休み、新野一人だけで放送(9月) 1987年• 「ぬかるみ新聞」創刊(1月)• 当時から話題に上っていた「問題」のため、となった西川きよしが再びゲスト入りするも、うだ話のまま終わる(3月)• 『あの方』騒動(5月) ラジオ大阪局内の2階の階段踊り場の「今月の推薦曲」コーナーに掲示されてあったある演歌歌手のレコードジャケットの写真が話題になり、『あの方』騒動が始まる。 のから生放送(6月5日) 当日は「ぬかるみと森の妖精」と銘打ち、二人がどこに居るのかを告知せず放送、リスナーに二人の居場所を放送を聴きながら推測してたどり着いてもらうという企画だった。 なお先着20名には、当時話題になっていた「あの方」(上記)のレコードがもらえるという特典付きだった。 そしてリスナーが徐々にやって来て、放送拠点となっていた寺の32畳の大部屋に約170人が集まり、二人は居場所が無くなり立って放送せざるを得なくなった。 入場を打ち切った後も集まるリスナーは絶えず、警察も出動する騒ぎになった。 ぬかるみ同窓会行われる(11月)- 鶴瓶は学園祭出演のため不参加。 で行われたライブ『笑福亭鶴瓶の笑わすつもりはない』でゲストに呼ばれた新野、東京進出。 この際にに遭う(12月16日) 1988年• 10周年記念ツアー行われる。 新野が「行かない」とごねる(8月19日~8月20日)• 卒業後は九州産業大学へ)が当番組中でスターに(10月)• 鶴瓶担当の『』()がこの年で終了、この最終回の放送内で鶴瓶が当番組のことについても触れ「ぬかるみは(1989年)3月で辞めます」と発言。 しかし1989年4月改編での当番組の終了は無かった。 1989年• により、モーダホールで行われる予定だったイベント中止(1月)• 魔の館(新野の自宅)の改築が話題となる(5月)• へ最後のぬかるみツアー(8月)• 最終回放送(10月1日) '85オールナイトスペシャルで発表された歌『雨の西梅田』で放送開始。 既に局舎前には多くのリスナーが集まっており、決められた時間ごとに入れ替わりで放送を見学してもらうことになった。 リスナー作の『ぬかるみドラマ』最終回放送。 娘・鶴子(鶴瓶)が家を出ていくことになり、それを父・岩夫(岩本ディレクター)、母・新子(新野)が見送るという話。 最後の曲は美空ひばりの『』。 深夜2時36分終了。 あやち - 本来、では「手立て」「けじめ」などの意味だが、ぬかるみ語においては「漠然として、様々な要素を持つ」という状態のこと。 イー(キー)- イライラしている状態・様子のこと。 イッチャン不憫 - 仲間内の集まりの中で、その場に相応しくないような存在の人のこと。 いやごと - 嫌なこと。 当番組には「いやごとカルタ」などの作品を送ってきた「いやごと亭福笑」というリスナーが居た。 言わでもがな - 「言わずもがな」のぬかるみ的なの言い換え。 うだ - 取り留めのないような話のこと。 おさせ - さほど好きでもないような相手に、何となく同情のような形で体を許すような女性。 心優しく、一人ぼっちを嫌い、さみしがり屋が多い、とされる。 おじん - 男女の性別を問わず、寡黙な性格を持つ人。 おばん - 同じく男女の性別を問わず、陽気な下町的な性格を持つ人。 皮引きゃ身引く - ある人を好きになると、その人の家族など周りの人まで好きになってしまうという意味。 カンキツ類 - 勘のきつい、鋭い人。 鬼畜い - にソフトでユーモラスな感じを込めて使っていた言葉。 キャンキャラ - 狂ったようにやかましい様子。 口腹別子 - 口で言ってることと本音とが違う人のこと。 ざぶた - 座布団の上で動こうとしない猫のように、日常において、ルーズで腰の重いような、面倒くさがり屋な人のこと。 ザンザザーン - 何かが押し寄せるような様子を表現した言葉。 下(しも)つながり - 男女間に性的関係が有るような状態のこと。 同性間においての表現にも使われたこともある。 下の病気 - 下半身の、陰部の病気のこと。 三味線 - 言ったことを実行しないで終わること、ホラ吹き、という意味の柔らかなニュアンスの言葉。 せでもがな - 「しないでおくべき」という意味。 チャンチャチャン - 賑やかに騒ぐこと。 チョチョまう - 慌ててうろたえるような様子。 新野がラジオデビューとなった『』(ラジオ大阪)の時から既によく使っていた言葉でもある。 通りゃんせ - 男女間ののこと。 どびつこ - えげつない、しつこい人々のことを指す。 ニシキヘビの手 - 日焼けした上、ヘビのような模様が付いた腕のこと。 にちゃ手 - 興奮して汗がにじんだ手のこと。 ババける - 老けること、老朽化すること。 びめこ、ぶめこ - 美しい、不細工な女性器のこと。 女性器の大阪弁「おめこ」から。 べにもいるのよ - 儲けていても、結構出て行くお金が多いこと。 が語源者と言われている。 ほげた - 減らず口のこと。 みずもん - に従事する人のこと。 メー - のこと。 「メンス」のメーから。 メコ的 - 性的な話のこと。 やめてか - 本来の大阪弁「やめてんか」から「ん」を抜いて語意を和らげさせた言葉。 同様の言葉に「してか」など。 雪女 - のこと。 の男の場合は「雪男」。 ユニークい - ユニークな様子。 ランララン - 楽しげな様子。 レンコン - 不特定多数の男性と経験のある女性のこと。 穴の数は経験回数を意味する。 わがが - 自分本位な人、わがままな人のこと。 書籍 [ ]• 『つるべ・新野のぬかるみの世界』笑福亭鶴瓶・新野新編 1981年• 『つるべ・新野のぬかるみの世界part 2』笑福亭鶴瓶・新野新編 サンケイ出版 1982年• 『おもろうて、やがて哀しきポペコかな 鶴瓶・新野の「ぬかるみの世界」』笑福亭鶴瓶・新野新編 ワニの本 ベストセラーシリーズ 1986年• 『ぬかるみの世界 ありがとう、新野先生、鶴瓶さん』編 1989年 オープニング・エンディング曲 [ ]• 「カタヴェント」 Catavento - Dave Grusin アルバム「ONE OF A KIND」 UCCU-5147 の3曲目に収録。 1977年録音、4分6秒。 オープニングに長く喋ることもあったので、放送では繋いでループにして使っていた。 エンディング後はと等のが流された後、朝に再び放送が開始されるまで停波されていた。 当番組に於いては「チキチン」という通称でも知られていた。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 『ぬかる:みの世界 ありがとう、新野先生、鶴瓶さん』209ページ(「ぬかるみ用語の基礎知識」)など参照。 2019年8月3日. 2019年8月5日閲覧。 2019年2月5日. 2019年2月7日閲覧。 『つるべ・新野のぬかるみの世界』(1981年出版)29~30ページ• 『ぬかるみの世界 ありがとう、新野先生、鶴瓶さん』124ページなど参照。 『ぬかるみの世界 ありがとう、新野先生、鶴瓶さん』216ページ(「ぬかるみ用語の基礎知識」)など参照。 2019年9月27日. 2019年9月28日閲覧。 『おもろうて、やがて哀しきポペコかな 鶴瓶・新野の「ぬかるみの世界」』146ページ(「ぬかるみ語辞典」)など参照。 『ぬかるみの世界 ありがとう、新野先生、鶴瓶さん』211ページ(「ぬかるみ用語の基礎知識」)など参照。 30 - 32特集「つるべを学べ」より。 『ぬかるみの世界 ありがとう、新野先生、鶴瓶さん』216ページ(「ぬかるみ用語の基礎知識」)など参照。 2019年8月3日. 2019年8月5日閲覧。 『つるべ・新野のぬかるみの世界』(1981年出版)85ページ• 『つるべ・新野のぬかるみの世界』(1981年出版)78ページ• 『つるべ・新野のぬかるみの世界』(1981年出版)41ページ• 『つるべ・新野のぬかるみの世界part 2』(1981年出版)236~237ページ• 月刊ラジオパラダイス 1986年3月号 12-15ページ「ぬかるみの世界 1985オールナイトスペシャル特別ルポ」• 『ぬかるみin勝浦』だ」• 月刊ラジオパラダイス 1987年9月号 14ページ記事• 月刊ラジオパラダイス 1989年4月号 p. 『おもろうて、やがて哀しきポペコかな 鶴瓶・新野の「ぬかるみの世界」』144~147ページ「ぬかるみ語辞典」• 『つるべ・新野のぬかるみの世界』(1981年出版)81ページ• 別冊「DJ名鑑」(1987年刊)、「新野新」の項目より。 『ぬかるみの世界 ありがとう、新野先生、鶴瓶さん』215ページ(「ぬかるみ用語の基礎知識」)参照。

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