上野 マドンナ。 マドンナー(地図/上野/喫茶店)

TAKAHIRO(上野隆博)が彼女と結婚?ダンサーでマドンナと?

上野 マドンナ

01 さとう珠緒 1993年1月1日 篠山紀信のヌードモデル センセーショナルに登場 【初脱ぎ媒体】 珠緒「週刊ポスト」 1993年1月1・8日合併号 小学館 週刊ポスト1993年最初の号に登場(正月合併号なので発売は1992年末)。 当時19歳だった珠緒の登場はセンセーショナルで大きな反響を巻き起こした。 「新・激写」は篠山紀信氏による撮り下ろしグラビア。 5ヶ月前には()が起用されていたように新人ヌードモデルがデビューするには最も輝かしい場所と言えた。 彼女は読者の圧倒的な支持を集め、1ヶ月後の2月5日号、2月12日号と2号連続で登場。 次に彼女の姿が目撃されたのは1994年8月に行なわれた「95チャイニーズ・モンゴルスター・コンテスト」でのこと。 この時は佐藤珠緒の芸名でエントリー。 日中合作映画に主演できるという触れ込みの同参考会は、の鈴木美苗、88年組のが参加するなど歌手廃業を余儀なくされたアイドルの再出発の場と化していた。 佐藤珠緒は惜しくもグランプリを逃すものの演技賞を受賞。 そして翌1995年「超力戦隊オーレンジャー」のオーピンク役に抜擢された彼女、さとう珠緒として多くの人々に知られるようになる。 02 藍田美豊(少女隊) 1993年3月31日 2年前にソロシンガーとしデビューしたもの... 【初脱ぎ媒体】 「DOPE 媚薬」1993年3月31日発行 KKベストセラーズ 少女隊の中ではショートカットのボーイッシュな雰囲気で活躍したミホこと藍田美豊。 1989年のグループ解散後、名義でソロシンガーとして活動を続けたがヌード披露以上の話題とはならなかった。 カメラマンとのフォトセッションといったアート寄りの内容は単純に裸が見たい人にとっては少しガッカリするような内容だった。 とはいえ、見事に引き締まったウエストと若干修正が施されたヘアを楽しめる。 1994年に結婚引退。 再結成されたには子育て中ということで不参加だった。 04 大原麻琴( フロリダオレンジ娘) 1993年4月10日 ダンスで揺れていたバストが明らかに!! 【初脱ぎ媒体】 「BODY LANGUAGE」1993年4月10日発行 英知出版 1990年の映画「櫻の園」に出演していた演劇部員役の一人。 その名を知られるようになるのは1989年に放映されていたテレビ朝日「パオパオチャンネル」の火曜日レギュラーで、、咲浜小百合(89年組)と共にアシスタントを務めていた。 彼女たちは番組内で組まれたアイドル3人組「フロリダオレンジ娘」としてソコソコ体操を披露(CDのリリースはない)。 レオタード姿、水着姿で踊る彼女たちは特に大原の巨乳っぷりが評判を呼んでいた。 衣装の下で揺れていたおっぱいが明らかになった時の感動は忘れられない。 05 大貫かおり(おニャン子クラブ) 1993年4月21日 ほとんど活動歴のないおニャン子メンバー 【初脱ぎ媒体】 「MISTRESS」1993年4月21日発行 スコラ (写真は「ベッピン」1993年7月号のパブグラビアから) 「夕やけニャンニャン」合格後、1日だけ番組に登場した大貫かおり。 幻の会員番号37番だが、当時の面影がなかったことから一時は「替え玉説」も流れたほど。 番組からフェードアウト後の1987年、まだおニャン子クラブが存在している時期にホリエージェンシーに所属しバラエティ番組のアシスタントやCMモデルとして活動しているのも不可解だった。 なお、前述したも同様だが、おニャン子のメンバーの場合は写真集からのカットよりもバブグラビアを紹介した。 06 相楽ハル子 1993年5月1日 横チチしか見せなかったビー玉のお京 【初脱ぎ媒体】 相楽晴子「MOTHERS」1993年5月1日発行 スコラ アイドル時代の表記は相楽ハル子。 また、新人アイドルじゃないのに1987年ミスマガジングランプリに選ばれていた。 印象的なのは「オールナイトフジ」の司会をはじめとするのバラエティでの話術の巧さである。 グラビア展開の少なかった彼女が現在の芸名でリリースした初ヌード写真集がこちら。 乳首公開を公開したにもかかわらずサイドからのカットが中心。 正面のカットではおっぱいに墨汁(オイル? )が塗りたくられていたことを考えると微乳を隠した秘策だったと思われる。 07 吉見美津子(おニャン子クラブ) 1993年5月15日 B組1番のカワイコちゃん 【初脱ぎ媒体】 「feminine」1993年5月15日発行 英知出版 (写真は「ベッピン」1993年3月号のパブグラビアから) 1986年ミスセブンティーンとの合同企画でおニャン子クラブに加入し、中学生で構成されたB組の中で吉見美津子は栄えある1番をゲット。 高校入学とともに会員番号49番に昇格した。 初ヌード披露は番組終了から6年経ってのことだったが、まだ十分おニャン子のご威光が残っていた。 その後、今見美津子と改名し女優活動を続けたが、1994年のTBSドラマ「スチュワーデスの恋人」以外目立った活躍をすることはなかった。 08 杉本彩 1993年5月25日 キリン生ビール初代キャンペーンガール 【初脱ぎ媒体】 「ENFIN」1993年5月25日発行 風雅書房 もともとは関西の地方モデルだったが1987年東レ水着キャンペーンガールでデビュー。 翌1988年には歌手としてデビューを飾り同年のキリン生ビール初代キャンペーンガールにも選ばれている。 おっぱいの大きさは当時から評判でユサユサ揺らしながら登場した歌番組でのインパクトは大きかった。 ライブ活動では学園祭の女王とも呼ばれ「オールナイトフジ」「11PM」などの司会も務めた。 現在の変態痴女系タレントといえるような芸風になる契機となったのがこちらの初ヌード写真集。 やはりキャンギャルとして2冠に選ばれるなど素材は抜群でバストもヒップも張りまくり。 撮影当時24歳で脱いだ時期も良かった。 10 麻生真美子 (麻生久美子&キャプテン) 1993年6月25日 現在は田島みわという 自民党所属の政治家に 【初脱ぎ媒体】 麻生真宮子「FAKE」 1993年6月25日発行 スコラ (写真は「スコラ」 1993年5月27日号の パブグラビアから) 2013年参議院議員選挙の比例代表として立候補した田島みわという自民党の政治家が、暴力団組長の愛人だった過去を週刊文春にすっぱ抜かれ自民党が公認を取り消した一件があった。 田島みわの正体が麻生真美子だったのには心底驚いた。 麻生は1984年に「麻生真美子&キャプテン」としてデビューしたアイドル歌手。 キャプテンは松本伊代の後ろで踊っていたコーラス兼ダンサーの2人でメインはあくまで彼女。 まったく売れず「麻生久美子&キャプテン」名義では6枚のシングルを残した。 1987年以降は麻生がソロシンガーとして、キャプテンはBe-2と名前を変えて別々にレコードを発売。 90年代に入ると麻生の名を聞かなくなっていたが麻生真宮子に改名して初ヘアヌード写真集を発売。 こちらは写真集制作中を報じた貴重な初ヌードグラビア。 このカット自体は写真集で使われていないのでおそらくスコラの誌面用に撮り下ろされたものだろう。 Eカップの美巨乳を惜しげもなく披露した作品だが現在廃盤で今後DVD化されることはないはず。 11 中村通代 1993年7月1日 第8回ミスマガジン 準グランプリ 【初脱ぎ媒体】 「戯 Virgin Game」 1993年7月1日発行 ワニマガジン社 がグランプリだった1989年の第8回ミスマガジンで準グランプリを獲得。 モモコクラブ桃組出席番号3448番で、1988年「ロッテCMアイドルは君だ! 」では最終選考まで残った経験もあるがCDデビューすることもなく終わった中村通代。 1992年にはコスプレVシネマ「聖少女仮面マルガリータ」のヒロイン役に抜擢、翌年にはこちらのヌード写真集の発売となった。 12 真弓倫子 1993年7月31日 アイドルファンには 宮沢りえ以来の衝撃 【初脱ぎ媒体】 「RE-BIRTH」1993年7月31日発行 スコラ 1987年「毎度おさわがせします3」に出演、同年に15歳でアイドル歌手としてデビューした真弓倫子。 1989年までに5枚のシングルと1枚のアルバムをリリース、シンガーとしては地味ながら評価する人も多い。 これからの活躍が期待されたが1990年頃に引退。 再び姿を現すのはこちらヘアヌードでのことだった。 特にVシネマでの活躍は顕著で90年代までに膨大な数の作品に出演していた。 余計な肉一つないスリムな体に薄目のヘアがいやらしく、撮影当時まだ21歳の若さだったことにも驚きだ。 元アイドルの落ちぶれた感じは一切なく芸能界に落とし前を付けに来たという感じのカムバックであった。 13 川島なお美 1993年8月10日 80年代を代表する女子大生アイドル 【初脱ぎ媒体】 「WOMAN」1993年8月10日発行 ワニブックス 高校時代スクールメイツに所属し、1979年「シャンペンNo. 5」でアイドル歌手としてデビューした川島なお美。 80年代初期の女子大生ブームを盛り上げた文化放送のミスDJをはじめ、「アイアイ・ゲーム」アシスタント、「お笑いマンガ道場」レギュラーなどで人気を得た。 その後、女優としても活躍を続けた彼女だったが1989年「水戸黄門第・18部」ロケ中のバス転落事件で休業することになる。 忘れかけられようとしていた彼女を再び第一線に復帰させたのがこのヘアヌードだった。 その後の活躍は周知の通り。 14 内海和子(おニャン子クラブ) 1993年8月15日 オールナイターズ出身の女子大生おニャン子 【初脱ぎ媒体】 「PHOENIX」初版 1993年8月15日発行 スコラ (写真は「スコラ」1993年1月28日のパブグラビアから) ドラマ「レインボーマン」に子役として出演するなど70年代初頭から芸能活動を開始した内海和子。 大学生となった彼女は「オールナイトフジ」の第2期オールナイターズとして番組に登場、同時に「夕やけニャンニャン」では「アイドルを探せ」の第1回合格者としておニャン子クラブに加入。 奥田美香(月刊プレイボーイ1988年11月号で脱いだ会員番号1番)、、大貫かおり、吉見美津子、そして内海和子と裸になった元おニャン子はこれまで合計5人だが大物といえるのは彼女だけと言える。 当時は女優としても活動していたが趣味の自動車レースで知り合ったレーサーと結婚。 翌1994年に引退した。 15 夏目奈美(桜っ子クラブさくら組) 1993年8月15日 最初に脱いださくら組のメンバー 【初脱ぎ媒体】 「あいらんど」 1993年8月15日発行 英知出版 (写真は「すッぴん」1993年8月号のパブグラビアから) 夏目奈美はテレビ朝日「桜っ子クラブ」が生んだアイドルグループ、の元メンバー。 「桜っ子クラブ」の前身番組「アイドル共和国」で行なわれた第1回HOP! STEP! とびだせアイドル決戦大会の出場を契機にさくら組に加入。 ヌードを披露したのはメンバーで一番早かったが、ヘアヌードが一般的になっていたのにもかかわらずソフト路線だった。 こんがりトーストボディと日焼け跡が素晴らしく、長い脚に意外に大きめのお尻が見どころだ。 なお、同様のカットは写真集では目をつぶっており、ここでは目をつぶっていないバブグラビアからのカットを紹介した。 16 南粧子 1993年8月20日 1987年ゼネラル石油マスコットガール 【初脱ぎ媒体】 池田しょう子「ILLUSIONNER」1993年8月20日発行 ぶんか社 もともとは南粧子というモデルで1987年ゼネラル石油マスコットガールとしてデビュー。 その後は池田晶子と改名し女優に転身。 1991年に香港映画「プロジェクトイーグル」でジャッキー・チェンと共演し、翌1992年には映画「ありふれた愛に関する調査」で初ヌードを披露。 探偵役の奥田瑛二が憧れるお天気キャスターを演じ奥田との大胆な濡れ場を臆することなく挑んでいた。 それを追うかたちで発売されたのがこちらの初ヌード写真集。 白人を思わせるような釣り鐘型の乳房がたまらない。 池田晶子時代は将来を期待された若手女優だったが、写真集発売時は池田しょう子と改名。 同姓同名の有名作家がいるためなのだろう。 その後も何度も芸名を変更して現在の芸名は池田昌子に落ち着いている模様だ。 17 小沢なつき 1993年9月1日 帰ってきた失踪アイドル 【初脱ぎ媒体】 「早熟」1993年9月1日発行 ワニマガジン社 小沢なつきといえば本名の山下純子で出演していたテレビ東京「おはようスタジオ」のおはスタマヌカンのひとり。 1987年に歌手デビュー。 1988年には小高恵美、石田ひかりと共演したドラマ「花のあすか組! 」で一躍人気アイドルとなった。 ところが1989年、自らがヒロインを務めるドラマ「魔法少女ちゅうかなぱいぱい! 」の撮影中にマネージャーと失踪事件を起こし芸能界から永久追放となる。 その名前を再び耳にすることになったのがこちら。 この衝撃作はヘアヌードの代表作となるほどの大ヒットを記録した。 続いてVシネマで活躍するがいつしかフェードアウト。 2004年にはAV女優に転身して仰天させた。 18 板谷祐三子 (セイントフォー) 1993年10月1日 メガネを外して セクシーになった 【初脱ぎ媒体】 「Y」 1993年10月1日発行 ぶんか社 1984年にデビューしたセイントフォーの元メンバー。 グループの中では一番若く他のメンバーとは3歳ほどの年齢差があった。 在団期間は約2年間、グループの雲行きが悪くなると一足先に退団、「オールナイトフジ延長戦」などに出演していた。 再び彼女の名前がクローズアップされるのがセクシーアイドルとして。 セイントフォー時代はメガネをかけ目立たない存在だっただけに想像もしてなかった巨乳ぶりが衝撃的だった。 セミヌードの生殺し状態が数年続いた後に公開したのがこの初裸身。 期待通りのナイスバディでおまけにヘアヌード。 柔らかそうなおっぱいに大きめの乳輪がエロかった。 19 岡坂あすか 1993年10月20日 脚光を浴びたバイプレイヤー 【初脱ぎ媒体】 黒沢あすか「BIRTH」1993年10月20日発行 スコラ 小沢なつき、小高恵美、石田ひかりを輩出したドラマ「花のあすか組! 」(1988年)で脇を固めていたアイドル女優の岡坂あすか。 こちらをその勢いに乗って リリースされた初ヘアヌード写真集。 黒沢あすかと改名した直後のことだった。 主役を張るような美人というタイプではないが、バイプレイヤーとして渋い演技を披露。 通好みな人気を得ていた。 20 菅野ジュン 1993年10月25日 1987年旭化成水着 キャンペーンガール 【初脱ぎ媒体】 JUN「FASHION」 1993年10月25日発行 英知出版 菅野ジュンは1987年旭化成水着キャンペーンガールをはじめ80年代に活躍したモデル。 一世を風靡したハウスマヌカンのような刈り上げへアがトレードマークで歴代のキャンギャルの中でも異色の存在だった。 1988年にはJUNと名乗り、長谷川恒之、亀山尚平らと男女3人組のグループ「J・トリップス」を結成。 数枚のレコードを残したがまったくの不発に終わった。 旭化成CMのバックには本人の歌が流れていたのでもともと歌手志望だったのかも。 こちらの初ヌード写真集もJUN名義。 DJとは担当していたJ-WAVEのディスクジョッキーのことだが水着キャンペーンガールの経歴を推して煽ったほうが売れた気がする。 21 石原真理子 1993年10月31日 お騒がせの顛末 【初脱ぎ媒体】 石原真理絵「Marie! 」 1993年10月31日 発行 竹書房 1980年の映画「翔んだカップル」にヒロインに抜擢され芸能界入りした石原真理子。 彼女を有名にしたのは1983年に放映されたTBSドラマ「ふぞろいの林檎たち」で同年には歌手デビューを果たす。 80年代初頭の彼女は信じられないほどのオーラを放ち、太い眉毛にワンレングスという、若い女性たちがこぞって真似したファッションリーダー的な存在だった。 しかし、プッツン女優としての奇行、玉置浩二との不倫、失踪と騒がれたアメリカ生活の間に人気が急降下。 こちらは石原真理絵と改名し起死回生を狙った初ヘアヌード写真集からのカット。 モノクロという作風も相まってどこか物悲しさが漂い、全盛期の彼女を知る者としては落ちぶれた感が否めなかった。 現在は石原真理を名乗っている。 22 星野由妃 1993年11月25日 歴代アイドル歌手で屈指のナイスボディ 【初脱ぎ媒体】 上野正希子「figlia」1993年11月25日発行 スコラ アイドル歌手・星野由妃のデビューは1989年。 1992年までに8枚のシングルをリリースした。 ヒットは出なかったが数枚でクビといったアイドルが多かった中では恵まれていたほうだった。 歌手廃業後は芸名を本名の上野正希子に変更して裸稼業に転身。 潔い脱ぎっぷりと美巨乳が話題を呼んだ。 2冊のヘアヌード写真集をリリースし、Vシネマ数作品で裸身を披露した彼女、ソソりまくりのボディで新たなファンを獲得していた。 その後は上原正希子と改名。 近年までチョイ役中心ながらサスペンスや昼ドラマなどに出演していた。 23 坂上香織 1993年12月20日 19歳の若さで脱いだガミちゃん 【初脱ぎ媒体】 「FLOWERS」1993年12月20日発行 集英社 荻野目洋子のコンサート会場でスカウトされ芸能界入りした坂上香織は1988年にアイドル歌手としてデビュー。 ガミちゃんの愛称で親しまれ5枚のシングルをリリースしたが次第にフェードアウト、こちらの写真集でカムバックすることになった。 本作は週刊プレイボーイが全面的にバックアップした話題作。 残念ながらヘアは修正されていた。 すでに芸歴7年でまだ19歳だったことに驚きだ。 その後ヘアヌード写真集をリリースし、「藪の中」(1996年)「卍」(1998年)「Annother XX・マトリの女」(1998年)といった映画で脱ぎまくっていた。 再び彼女が表舞台に登場するのが2001年から放映された「ウルトラマンコスモス」のミズキ・シノブ役。 以後はサスペンスを中心に活動を続けた。 24 宮崎ますみ 1993年12月25日 1985年クラリオンガール 【初脱ぎ媒体】 「XX HOLY BODY」1993年12月25日発行 勁文社 1983年、映画「アイコ十六歳」のオーディションに合格してチョイ役出演。 1985年クラリオンガールとして公式デビューした宮崎ますみ。 当時、弱冠17歳。 同時に歌手デビュー。 また、女優として出演した映画「ビー・バップ・ハイスクール」シリーズでのツッパリ順子はハマり役だった。 イメチェンを図ったの1993年公開の主演映画「XX 美しき凶器」。 鮮烈なヌードシーンが話題となり同時にリリースされたのがこちらの初ヘアヌード写真集だった。 25 相沢なほこ 1993年12月25日 1991年大磯ロングビーチキャンペーンガール 【初脱ぎ媒体】 「-wish-」1993年12月25日発行 ワニブックス 本名の和賀尚子で80年代末にデビュー。 相沢なほこに改名すると1991年大磯ロングビーキャンペーンガールをはじめ水着姿の似合うモデルとして活躍。 人気が出たのはセクシー写真集やギリギリ姿を披露したビデオを出し始めてからのことだった。 一見大柄に見える彼女だが身長は160センチほど。 スタイルの良さが大きく見える原因だろう。 一番の人気アイテムは最後の写真集となったこの初ヌード写真集。 見えそうで見えない焦らし感が最高だ。 この作品、発売当時より市場から消えてからの方が人気が高く、多くの人が探し求めたようだ。 もう少し早く人気が出ていれば、もう数冊写真集を出してくれていたのでは…と想像すると残念。 後世に語り継ぎたい極上ボディである。

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【上野】喫茶 マドンナー

上野 マドンナ

スポンサーリンク 彼女と結婚? 世界的トップダンサーとして 世界中で日々活躍をしている TAKAHIROこと上野隆博さん。 ヒップホップ文化聖地と言われるニューヨークにて アポロシアター主催の全米放送コンテスト番組 「SHOW TIME AT THE APOLLO」では ソロダンサーとして何度も出場をし 9大会連続優勝。 この優勝記録というのは あの マイケルジャクソンさんも上回るもので たちまち世界中にその名を轟かせました。 またダンサーとしての実力の他にも 芸術的センスが高く評価されており 振付師や演出として クリエイター方面での活動も活発。 世界が認めるダンサーでありながら 振付師演出家としても その名は有名のようですね。 さてそんなトップダンサーである 上野隆博さんですが 彼女と結婚という噂があるようです。 世界が認める人物である 上野隆博さんの結婚というのは 世界規模の注目を浴びますよね。 しかし調べてみたところ なかなか 彼女と思われるような人物はでてこらず 結婚についてのこともわかりませんでした。 以前公式ブログのほうで ファンの方々からの質問に答えているということがありました。 その中の質問で、 Q. 今までのパフォーマンス中(マドンナツアーに限らず) 印象深かったお客さんの反応はどんなものでしたか? A. 彼女の誕生日の際、会場全ての人がハートの切り絵を20 ステージに掲げてくださった時です。 と答えているものがあります。 個人的にはこの彼女というのは 何度も仕事をしているマドンナさんのツアーで 誕生日の際に、 マドンナさんへ向けて ハートの切り絵が掲げられたのではないかな と思いますが 一部では、 上野隆博さんの彼女へ と捉えている人もいるようで 少し意味深な質問の答えとなっていました。 スポンサーリンク これだけ活躍をしているのならば 誰か特別な人がいてもおかしくないはずと思いつつも 世界中で活躍をしているだけあって 多忙なことは一目瞭然ですし 恋愛をしている暇はないのかなと思います。 また数々の華やかしい場面で活躍をしているだけあって たくさんの魅力的な女性にも出会ってきていると思うので 恋愛の理想なども高くなっていて なんだか 高嶺の華のようなイメージも ありますよね。 好きな女性のタイプについては 冬の桜の木にも笑顔を見せてくれる方 と語っています。 優しくて穏やかでいながらも 自分の心をしっかりと持っている女性に 憧れるという感じなのかなと思います。 最近では日本を中心に活動をしているというのと 住むのはやはり日本がいいといっているので そういった中で日本人女性と熱愛に発展するということも 今後は十分にありえるかもしれませんね。 スポンサーリンク ダンサーでマドンナと? 上野隆博さんといえば 世界で認められる実力の持ち主ということで 多くのトップアーティストのダンサーとして 活動をするほか 振付師としても人気がある人物ですよね。 そんな中で最も代表的な トップアーティストといえば マドンナさん。 SHOW TIME AT THE APOLLOに 出演し、優勝をしていけば 多くのトップアーティストの目に 止まるのも時間の問題で ストリートダンスを基軸にした パントマイム、コンテンポラリーを 融合した独特なダンスは マドンナさんの目に留まりました。 その結果、マドンナさんからは 「輝かしいダンサーであり、とても才能のある素晴らしい振付家」 という評価を受けていて 日本人としては唯一 マドンナさんのアルバムプロモーションでは 演出と振付を担当しています。 こういったこともあって 上野隆博さんといえば マドンナさんの振付師 ということで世界的にも そういったイメージが定着していますね。 またマドンナさんからの評価もあり より世界的には認められた存在となったといえるでしょう。 現在では 渋谷にダンススタジオをオープンさせており 他にも専門学校などではアドバイザーを務めています。 日本だけではなく世界でも注目される ダンサーということもあり 上野隆博さんのようになりたい 憧れている目標を掲げる 若きダンサーもたくさんいて 日夜努力に励んでいる様子。 今後もそういったダンサーの卵達の 憧れの的として 世界で活躍をいていってほしいなと思います!.

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母の味はここにある?「マドンナー」で定食を

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喫茶 マドンナー 東京都台東区上野6-16-4 上野駅は相変わらず人だらけ。 夕方になっても湿度が高く、ムシムシしていた。 クネクネと人を避けながら早足で、マドンナーには18:30着。 食事のメニュー写真がライトアップされている。 初めて見たとき、一瞬、中華料理店かと思った。 店内は1階、2階、地下と3フロア構成。 各階ごとに雰囲気が変わります。 まず1階はこんな感じ。 そして地下は赤いビロードの椅子とシャンデリアのゴージャスな空間です。 じっとりした淫靡さが魅力。 でも地下は一度利用したことがあるので、 今回はまだ見ぬ2階に行きたい。 オーナーらしき優しげな女性(マドンナー!)から、 「ゲーム機がありますが、大丈夫ですか?」と聞かれた。 ん?そんな確認は初めて。 純喫茶にゲーム。 普通にアリだと思うんですが。 なにかマズいことでも? そして、「今日はあと40分ほどで閉めますが大丈夫ですか?」とも聞かれた。 長居するつもりではなかったので問題はない。 階段の下で新聞を手にし、2階へ。 落ち着いた色調で、シック。 椅子の模様が豪奢で、壁には絵画。 掃除も行き届いてますし、レトロながら清潔な印象。 個人的には2階が一番好み。 スーツ姿のサラリーマンが一心不乱にゲームに興じていた。 どこに座ろうかな?他に客はなく、半ば貸し切り状態。 席は選びたい放題だった。 全席ゲーム機だった。 「ゲーム機あります」ではなく、「全席ゲーム機ですよ」、という意味だったのですね!!! 私は平気(むしろ嬉しい)ですが、たしかにダメな人もいるかも。 窓際の隅っこの観葉植物の陰に潜んだ。 花札ゲームでした。 たべものも、のみものも、いろいろ。 でも、入り口で見て決めておいたホッドドックセットにした かなり小ぶりでした。 美味しかったけど、オヤツ感覚。 上野駅前の純喫茶は大体混んでいるのだが、穴場なのか、私が居るときに限って、マドンナーはいつでも空いている。 この日も、サラリーマンと私だけでは持て余すほど広い。 白熱したゲーム操作音に混じって、半端に古い洋楽が流れていた。 どこかで聞いたことのある…。 えーと。 シェリル・クロウだ!(だからどうというわけではないが) 多分、『All I Wanna Do』 観葉植物の向こう側ではサラリーマンは止めどきを失ったのか、ゲームをやめる気配がない。 それどころかますますヒートアップしているように見えた。 完全に自分1人だと申し訳なくて寛げないんですが、遠くからエキサイトしたゲーム音に「まだまだ大丈夫」と甘えてしまいました。 40分はあっという間に経過。 「いつもは9時までなんですけど、今日は早くて申し訳ありません」と店員のお兄さんは丁寧に謝っていました。

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