アマチュア 相撲。 京都府相撲連盟

「伝統は変えられないけど、女子相撲の未来は変えられる」土俵に立つ女子たちの想い

アマチュア 相撲

「」を参照 大会の優勝者には、、、、日本相撲連盟会長杯、、選手権章、優勝メダルなどが授与されるとともに、日本相撲連盟からの称号が贈られる。 また、アマチュア横綱となった選手は、において15枚目格のの資格を取得できる。 なお2015年以降、アマチュア横綱の称号を得られずとも、個人戦で準々決勝(ベスト8)まで勝ち抜いた選手は、100枚目格のの資格を取得できる制度が制定された。 但し、いずれの資格も 該当する成績を修めた日から1年以内が期限とされる。 アマチュア横綱を得た主な大相撲力士 [ ]• 1983年度優勝の久嶋啓太(・出)…久嶋は初の高校生アマ横綱• 1990年度優勝の栗本剛(・出)• 1992年度優勝の尾曽武人(・中退)• 1996年度、1997年度優勝の田宮啓司(・日大出)• 1998年度優勝の加藤精彦(・日大出)• 2000年度優勝の内田水(・日大出)• 2001年度優勝の大西雅継(・出)• 2006年度優勝の市原孝行(・日大出)• 2012年度優勝の遠藤聖大(・日大出)• 2013年度優勝の川端翔伍(・日大出)• 2014年度優勝の大道久司(・出) 大会成績 [ ] 回(年) 優勝 準優勝 3位 3位 第1回() 影山信雄 坂元政美 福岡県 左官一郎 平聖一 兵庫県 第2回() 江熊仁 福岡県 影山信雄 福岡県 川島卯太郎 福田芳郎 第3回() 高須晃 井上孝 日比野満二 兵庫県 北条巌 第4回() 平聖一 兵庫県 山口敏之 高須晃 東京都 浅野初太郎 東京都 第5回() 平聖一 兵庫県 日比野満二 兵庫県 北条巌 東京都 中川源一 大阪府 第6回() 田畑外志雄 平聖一 兵庫県 坂元政美 福岡県 大森茂雄 兵庫県 第7回() 福田芳郎 大阪府 田畑外志雄 立命館大 浜野之 大森茂雄 兵庫県 第8回() 布目豊 東京都 大森茂雄 兵庫県 中尾三郎 東京都 坂元政美 福岡県 第9回() 平聖一 兵庫県 石黒馨 東京都 坂元政美 福岡県 高岡邦汎 明大 第10回() 平聖一 兵庫県 野見典展 高松卓司 荒木孝 大阪府 第11回() 大森茂雄 兵庫県 高見利彦 田中文三 東京都 今倉清保 福岡県 第12回() 布目豊 東京都 野見典展 和歌山県 臼井陽昌 拓大 田畑外志雄 立命館大 第13回() 布目豊 東京都 田畑外志雄 野見典展 和歌山県 横山之 兵庫県 第14回() 野見典展 和歌山県 成田一成 東京都 田中文三 東京都 秋山修 第15回() 野見典展 和歌山県 堀口圭一 横山之 兵庫県 成田一成 東京都 第16回() 野見典展 和歌山県 横山啓一 東農大 岩本春樹 第17回() 横山啓一 野見典展 和歌山県 臼井陽昌 村田甚之助 福岡県 第18回() 田中英寿 東京都 東農大 平野照 長崎県 高瀬武治 中大 第19回() 田中英寿 東京都 高見利彦 臼井陽昌 神奈川県 日大 第20回() 南野忠昭 和歌山県 田中英寿 東京都 上野一義 中大 第21回() 堀口圭一 東京都 福田耕治 中大 臼井陽昌 神奈川県 竹内晋作 東京都 第22回() 日大 田中英寿 東京都 平野照 東京都 第23回() 田中英寿 東京都 松下宏 福岡県 駒大 井手雅視 和歌山県 第24回() 中山国久 高知県 小笠原武則 武田登 青森県 東京都 第25回() 3年 福田耕治 兵庫県 武田登 青森県 高瀬武治 和歌山県 第26回() 長岡末弘 近大4年 田中英寿 東京都 武田登 青森県 中山国久 東京都 第27回() 小笠原武則 青森県 田中英寿 東京都 江橋弘一 福田耕治 兵庫県 第28回() 永岡栄一 宮崎県 東京都 田中英寿 東京都 冨田忠典 日大 第29回() 冨田忠典 安井和男 東農大 葛西二三彦 青森県 山崎幸一 近大 第30回() 同志社大3年 関沢俊文 和歌山県 東農大4年 平舘秀伸 東京都 第31回() 服部祐児 同志社大4年 平舘秀伸 東京都 冨田忠輝 和歌山県庁 山崎幸一 群馬県 第32回() 3年 江口末広 長谷川正勝 日大 安井和男 東京都 第33回() 久嶋啓太 日大1年 柳原清龍 日大 伊東勝人 近大 井上喜博 東京都 第34回() 竹川裕司 山梨県 平舘秀伸 東京都 安井和男 東京都 斎藤一雄 第35回() 安井和男 東京都 久嶋啓太 日大3年 柳原清龍 和歌山県庁 日大2年 第36回() 山崎直樹 日大3年 井上喜博 東京都 安井和男 東京都 高田亨司 第37回() 斎藤一雄 日体大 伊東勝人 大阪府 近大3年 山崎直樹 日大4年 第38回() 斎藤一雄 日体大 日大2年 林正人 近大4年 第39回() 中大2年 戸田歩 専大 日大 安井和男 東農大職 第40回() 伊東勝人 近大職 斎藤一雄 日体大職 小松勝彦 東農大 柳原清龍 和歌山県庁 第41回() 専大3年 禧久昭広 教 中大1年 斎藤一雄 日体大職 第42回() 禧久昭広 奄美高教 日大4年 同志社大4年 矢須直 和歌山県庁 第43回() 吉橋宏之 3年 同志社大4年 本田浩二 教 第44回() 禧久昭広 奄美高教 拓大4年 出島武春 中大4年 田宮啓司 日大1年 第45回() 田宮啓司 日大2年 日大3年 日大4年 明大4年 第46回() 田宮啓司 日大3年 小山内貴久 日大4年 明大2年 田中英一 教 第47回() 日大4年 東農大3年 五百崎剛 4年 工藤幸穂 青森県スポーツ振興 第48回() 小山内貴久 青森県スポーツ振興 松本司和 丸果石川中央青果 霜鳥典雄 東農大4年 加藤耕市 教 第49回() 日大2年 小山内貴久 青森県スポーツ振興 中大 小松勝彦 東京都 第50回() 近大4年 小山内貴久 青森県スポーツ振興 田中英一 鳥羽高教 専大4年 第51回() 日体大3年 日大1年 渋谷悟 中大3年 山上慈明 職 第52回() 加藤耕市 教 小笠原史男 青い森みらい創造財団 石前辰徳 日大4年 下田圭将 日大2年 第53回() 栂木崇行 日本通運 日大2年 東農大2年 3年 第54回() 吉田勝雄 日大4年 日大3年 加藤耕市 役所 下田圭将 日大4年 第55回() 市原孝行 日大3年 日大3年 増田龍二 近大4年 森下祐哉 東農大4年 第56回() 姫野孝 教 石前辰徳 鳥取県体育協会 坂本昭文 教 田中大陽 第57回() 松永六十四 教 姫野孝 宇佐産科高教 日大1年 日体大2年 第58回() 冨田元輝 日大4年 伊東良 タカノ 荒木関賢悟 東洋大職 田中大陽 摂津倉庫 第59回() 澁谷悟 日本通運 荒木関賢悟 東洋大職 山口雅弘 日大3年 明月院秀政 日体大4年 第60回() 松永六十四 猶興館高教 丹野圭功 秋田県体育協会 滝田真 日体大2年 中村優太 教 第61回() 日大4年 東農大3年 東洋大2年 日体大2年 第62回() 日大4年 工藤豪人 日大4年 トゥルボルト 日大1年 野口清之 猶興館高教 第63回() 東洋大4年 黒川宗一郎 アイシン軽金属 田中達也 教 宮下治也 拓大3年 第64回() 日大3年 黒川宗一郎 アイシン軽金属 近大4年 黒川宏次朗 拓大2年 第65回() 中大4年 深井拓斗 東洋大1年 黒川宗一郎 アイシン軽金属 荒木関賢悟 東洋大職 第66回() 西郷智博 鳥取県庁 三輪隼斗 糸魚川市体協職 日大4年 古川貴博 日大4年 第67回() 黒川宏次朗 拓大職 重松龍大 東洋大3年 西郷智博 鳥取県庁 沢田日出夫 和歌山県庁 第68回() 谷岡倖志郎 近大4年 イェルシン 日大3年 勝呂歩紀 拓大4年 由留部圭祐 西予市役所 テレビ中継 [ ] 決勝トーナメントがで生中継されている。 2006年はと日程が重複したため同日深夜(正確には翌日未明)に録画放送となった。 関連項目 [ ]•

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アマチュア相撲関連 団体及び大会: 相撲ー四季通販

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国内競技団体は日本相撲連盟。 国際競技団体(IF)は国際相撲連盟。 かつては、プロの相撲は、義務教育を終えたばかりで入門するものであり、上級の学校に進学した場合は、大相撲入りすることはほとんど考えられませんでした。 しかし、進学率の向上や実業団相撲の縮小化、学校でのクラブ活動・体育科目としての相撲普及率の減少による指導者としての進路の減少などの要因で、最近では、アマチュア相撲で一定の実績を上げた選手がプロ入りするなど、大相撲とのつながりが深くなっています。 しかし競技人口は柔道や剣道などに比べるとかなり少なく、トップレベルの選手と草相撲レベルの選手の競技人口が逆転しているという、逆ピラミッド型のいびつな構造となっているのが特徴です。 世界相撲選手権大会(Sumo World Championships)は、相撲の世界大会のことで、国際相撲連盟が主催している大会です。 男子は1992年から、女子は2001年から原則として毎年世界各地で開催されております。 2001年からは、男女とも同一会場で同時開催となっております。 個人戦と団体戦(国別対抗)があり、階級別で争われ、Light Weight(軽量級)、Middle Weight(中量級)、Heavy Weight(重量級)、Open(無差別級)の4階級に区分されております。 歴代の優勝者には、角界入りした選手も多く含まれております。 ここ大浜公園相撲場においても、2006年 第14回大会 に開催され、多くのアマチュア相撲ファンが魅了されました。 女子相撲 女子相撲は、1996年に誕生した女子が行うアマチュア相撲競技です。 相撲を世界のスポーツとするためにオリンピックの正式競技にすることを目標にしており財団法人日本相撲連盟が、オリンピック競技となるには女子での普及実績が重要なため、女子相撲の普及促進を目指すことになりました。 しかし女子が相撲を行うことに抵抗感がある人が日本には多いこともあり、これを「新相撲」と名づけ、相撲とは違う競技かの様に装い、1996年に連盟の加盟団体として日本新相撲連盟を発足させました。 1996年に大阪で第1回全国新相撲選手権大会が行われたのが日本における新相撲の全国大会の最初であり、以降第2回と第3回は1月に、それ以降は毎年9月に大阪府堺市で全国大会が開催されております。 また日本だけでなく世界にも広まってきており、特にヨーロッパが盛んで、1999年にはドイツで初めての国際大会が開催されました。 現在では毎年秋に世界女子相撲選手権大会が開催されております。

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紆余曲折はあるにせよ、の人気は時々の流れに乗って隆盛だ。 大相撲はそれぞれの時代に、人々を魅了する力士が登場して土俵を盛り上げてきた。 時々の人気力士を語るとき、それぞれの時代が浮かび上がるほど大相撲は日本の文化ともいえる存在である。 平成が終わり令和が始まっても、明治から大正、昭和で語られた力士たちの活躍と同じように力強く個性に溢れた強い力士たちの活躍がみられることになるだろう。 その人気は、外国人にも広がりを見せ、本場所の当日売りのチケットの半分以上は外国人観光客が手にしているという。 観光産業の一環としての大相撲に大きなインバウンドを期待する意見もある。 しかし、「相撲」とは、私達がテレビなどで目にするプロスポーツとしての「大相撲」だけではない。 大相撲とは別な豊穣な相撲の世界があることを知ってもらいたい。 相撲の歴史は実に古い、神代から競技として存在したというのは一般的だが、近代的な競技として確立したといわれるようになってからでも数百年の歴史を刻んでいる。 稽古場での鍛錬はその歴史を受け継いできたもので、一つ一つの稽古でも長い歴史の中で連綿と受け継がれてきたものだ。 ここでは、教育的側面を持つ「アマチュア相撲」と、文化的側面の強い地域の伝統的な「奉納相撲」について紹介する。 市区町村のスポーツ大会での相撲 まずは、「アマチュア相撲」。 多くのアマチュア相撲の競技会は、主に市区町村のスポーツ競技会で開催されることが多い。 幼少年から中高生、一般の部、壮年の部などのクラスで日ごろ鍛えた力と技を競い合う競技会になっている。 最近は女子選手の参加も増える傾向があり、選手の多様化が進んでいる。 東京都下では10余りの市区が中心で、それぞれの市区にある地域の相撲道場や相撲倶楽部で鳴らした愛好家たちが集まって大会を構成している。 中でも子どもたちの「」が盛んだ。 「わんぱく相撲」は小学生や幼稚園生の参加する競技会で、アマチュア相撲の団体である「日本相撲連盟」の各地の支部や、プロの団体である「大相撲協会」直営の支部などによって行われている。 「わんぱく相撲」を開催することで、地域の小学生への普及を図る。 また、成績優秀者の「日本相撲連盟」への加盟を促したり、大相撲の人材育成・発掘の場にでもある。 元横綱の貴乃花が「わんぱく相撲」の横綱だったことは知られている。 普段は土俵に縁のない子どもたちも、競技会に参加することで、テレビしか見ることのなかった土俵や廻し、相撲という競技に触れる機会になっている。 各地方のアマチュア相撲の牽引車たちが開催する「わんぱく相撲」は参加者3万人を維持している。 東京都府中市の子ども相撲 そんな中、東京の「」では幼稚園の活動の一環として相撲を取り入れている。 幼いうちから身体を動かすことを覚えることで運動能力の発達にも役立つのではと考えた幼稚園が近所の相撲道場に呼び掛けて交流が始まったという。 府中市民大会に出場する子どもたち 子どもたちは、それぞれ個性的な廻しを締めて土俵に。 この廻しは、母親や幼稚園の先生方がそれぞれ持ち寄った生地をもとに作った簡易的な廻しだ。 まだ幼い幼稚園生にとっては着けやすいこと、外しやすいことは子どもたちばかりでなく教員や親御さんにとってもありがたい存在だ。 子ども用の廻し 相撲を取り入れた当初は、幼稚園生向けの子ども用の廻しはなかったという。 そこで、服の古着の生地を使って廻しにしているうちに、いろいろと改良が進んだ。 木綿の古生地は柔らかく、廻しを掴むにも手に馴染みやすいため、初心者にありがちなただ押すだけの相撲ばかりではなく廻しをとろうとするという。 この廻しを通じて相撲への関心がより高まるというのだ。 子ども用の廻しは、取り扱うが楽 さらに東京都の大会としては7月に靖国神社のみたままつりにあわせて、東京都の選手権大会が行われる。 また9月には体重別の選手権が行われている。 これらの大会を目標に地域のスポーツ大会で実力を養うことになっている。 それぞれの愛好家たちの間で、競技会の情報が共有され、競技会を盛にしている。 これらの競技会に向けてそれぞれの道場や相撲倶楽部で日々の稽古に明け暮れているのだ。 府中市民大会の土俵 地域の奉納相撲 「大相撲」を中心に、前記の「アマチュア相撲」も含めて、「相撲」が現代のスポーツ競技として行われているのに対して、それぞれの地域に深く根差した文化として継続されているのが「奉納相撲」だ。 ここでは、首都圏に残るいくつかの「奉納相撲」の現状を伝えることで、スポーツとは異なる相撲の文化的な面を知ってもらいたい。 東京都府中市、大國魂神社・八朔相撲祭 首都圏近郊の奉納相撲の中でも長い歴史を誇っているのが、東京都府中市で催されるだ。 毎年夏の真っ盛り8月1日に開催されている。 由来は豊臣秀吉の北条征伐の後、関東への国替えが決まった徳川家康。 その江戸入府の折に立ち寄った大國魂神社で地元の農民が家康を歓迎するために催した奉納相撲が始まりといわれている。 大國魂神社八朔相撲大会(奉納相撲) 時は天正18年(1590)江戸城入城のときといわれている。 以来毎年、台風などの天災にあっても、江戸幕府崩壊のどさくさでも、関東大震災の後、第二次世界大戦の敗戦の年でさえも開催され続けてきたという。 天災に及んではの境内の建物の中で取り組みを行い、周辺の村々の五穀豊穣と天下泰平を祈った。 開催回数は1590年を第一回に西暦の計算がぴたり合うのが関係者の何よりの自慢なのだ。 相撲の盛んな府中市では周辺の相撲道場や相撲倶楽部で活躍する少年も多く、長じて大相撲に入門するものも多かった。 奉納相撲には周辺の企業から協賛が集まり、参加者に懸賞として分けられる。 一般の競技や団体戦も白熱するが、女子相撲も盛んで、相撲倶楽部で活躍するお母さんたちも一緒に土俵に上げって力と技を競っている。 土俵に上がるのが初めてで、廻しを持っていない人たちには廻しを貸し出すこともあり、厳しい競技の中にも和やかな部分も残されている。 さながらお祭りの一環として大人も子供も、家族全体で楽しめる相撲大会になっている。 奉納相撲という点では競技としての厳しさだけではなくみんなで楽しめる面を残している。 日本人が古くからどう相撲に親しんできたか偲ばせる相撲大会なのである。 埼玉県秩父市、千手観音信願相撲 埼玉県秩父市上田野にあるは行基作と伝わる千手観音が安置される古刹。 寺に住職はいないが、地域の住人たちによって守られ毎年8月16日に信願相撲が行われている。 由来は文政年間(1818年から)上田野村出身力士「」が千手観音に願掛けしたところ、たちまち番付を駆け上り前頭の中ほどにまでなったという。 このころは「国相撲の儀」というものがあって、幕の内力士は郷里に帰って出世披露をすることが習わしだった。 秩父市の奉納相撲、「千手観音信頼相撲」の土俵 この出世披露が隅ノ江津雲の信願をかなえたお礼の奉納相撲とされ、「」が始まったとされている。 観音堂の信願相撲には当時の隅ノ江津雲の所属部屋だった花籠部屋から辻相撲免許が与えられ、現在でも秩父市相撲連盟理事長として活躍する千手観音奉納相撲世話人長谷川公二さん宅に残されている。 ちなみに世話人職は代々世襲されている。 相撲「免許証」 身体健全、無病息災の信願のために集められた懸賞は運営費や参加力士に振る舞われる酒や飯に使われた。 清雲寺は相撲四八手の図 トップ画像の写真)や秩父郡周辺の力士番付などが残されており、どれほど盛んであったかを偲ばせている。 参加力士たちは酒や飯が飲み放題食べ放題で、地元で知られた力自慢から飲食目当ての素人、遠くから遠征してきた有力力士など思い思いの四股名を名乗って土俵に上がった。 当時は農閑期のこの時期、地元の名士として力を競った若者たちの晴れの舞台でもあったという。 活躍した力士たちにとっては将来の嫁探しの場でもあったという。 相撲が地域の文化や生活にも深く入り込んでいたことをしみじみと感じさせる言い伝えである。 このような辻相撲は秩父地方ばかりではなく、関東地方一円にたくさんあり、それぞれの相撲大会に巡業しながら参加して懸賞を稼いだりする猛者もいたという。 千手観音信頼相撲会場 「千手観音信願相撲」の最大の特徴は二番勝負であることだろう。 「信願相撲」とは、懸賞とともにだけに人々の願いをかなえるのが最大の目的なのだ。 勝負にこだわることなく多くの人々の願いをかなえる。 そのためには勝負は互に分け合うことが必要だという。 最初の一番は真剣勝負。 しかし、第二番は相手に勝ちを譲る。 これにより互いの願いをかなえ合うのが千手観音信願相撲の最大の特徴であろう。 千手観音信願相撲は「行司」職の世襲も行われている。 相撲を興行するだけでなく、それを裁く行司職も世襲されている。 どれほど地域から大事にされたか分かるだろう。 千葉県船橋市、船橋大神宮奉納相撲 千葉県船橋市にあるでは毎年10月20日に奉納相撲が開催されている。 船橋大神宮の奉納相撲は古くから船橋大神宮の「けんか相撲」といわれ激しい取り組みが周辺の相撲大会でも有名だったという。 船橋大神宮社屋 やはり江戸時代の始め幕府の大御所徳川家康に地元の人々が周辺の元気な漁師の子どもたちが相撲で競う様子を見せたという。 相撲好きだった家康はたいそうよろこんだという。 船橋大神宮の奉納相撲もこれを起源にしているという。 以来、江戸時代を通じて徳川家の恩恵の下、大変な賑わいを見せるようになった。 弓取り式 船橋の「けんか相撲」とまで言われるようになったのは勝負の激しさは当然として、元々漁師町なので気の荒い人が多かったという。 その気の荒さが勝負はもちろん、勝負の采配に見ている観客の方が納得できず、会場にひかれたござや筵ばかりか、石ころや泥まで投げ合う始末だった。 元々漁師町なので手持ちの手ぬぐいや半纏でござでもむしろでも石ころや泥さえうまくよけるので、会場は一層荒れた。 そんな活気にあふれた様子から、相撲の一番より観客の方がけんか腰だったためそんな言われ方をするようになった。 観客まで血気盛んな相撲大会であったため、一番を裁く行司は大相撲の部屋から派遣してもらい、観客があれないように厳正にさばいた。 それでもなかなか会場は収まらなかったようで、会場に4本の竹を切って立てかけ、会場がもめると開催側が竹をもって諫めに入ったというほどだった。 年に一度の奉納相撲はそれこそお祭りのようで、来場者にも赤飯と甘酒が食べ放題飲み放題だった。 そのため、参加者や観客ばかりではなく地元の人々も心待ちにしたお祭りのような相撲大会だったという。 赤飯と甘酒が振る舞われる けんか相撲の風情は現代でも引き継がれている。 できるだけ多くの参加者に懸賞をいきわたらせるための負け残り勝負や団体戦。 ほかにも飛びつきでの勝ち抜き戦もあって競技会の緊張を残しつつ、楽しめる相撲大会になっている。 さらに、地元の愛好家たちによる相撲甚句の披露。 競技終了後には弓取り式、土俵祭りなど、古くから伝わる相撲の伝統を色濃く残した次第も多い。 相撲甚句の披露 八幡講 奉納相撲の開催には神社仏閣とそれを支える地域の人たちのつながりが存在する。 そこには「お祭り」のように相撲を楽しんだ人々の姿が浮かび上がる。 まだ世の中に娯楽の少なかったころ、相撲がどれほど華やかでだれでも参加できる敷居の低い競技であったのか改めて感じることができた。 このような相撲の興行は地域の人々が団結して作り上げた「講」があったようだ。 これらの講は武門の神様として知られる八幡様からとって「八幡講」と呼ばれ、各地に存在していた。 江戸時代から明治、大正、昭和の初期、ラジオで大相撲放送が始まるころでもあちこちで行われていたという記録に出会うことができた。 地方の興行で名を馳せた力士たちはそれぞれの地域で名士としてまるで大相撲の親方のように若い力士を指導したり、興行を取り仕切ったり、時には才能のある若者を大相撲に勧めたりと地方の顔役として活躍していたという。 戦争を挟んで大相撲人気が定着するころ、テレビ中継で大相撲がみられるようになるころにはいつのまにか彼らは姿を消していった。 資料によるとこれらの八幡講は現在の市区町村以上の数存在していた。 八幡講がそれぞれに相撲を通じて、地域の活性と交流を担っていたのだろう。 船橋の大宮大神宮で昭和初期の八幡講の石碑を目にすることができた。 今はもう石碑に刻まれるだけになってしまった八幡講はいったい何に姿を変えたのだろう。 ただ消えてしまっただけではないはずだと私は思っている。 身近過ぎるからこそ忘れてしまうものに目を向けて 「相撲」は、国技といわれているプロの大相撲だけを指しているわけではない。 古より、私たちの生活に密着した身近な存在としての「相撲」があったし、今でもある。 それは競技というだけではなく、お祭り的な要素、地域交流や余暇の楽しみ、今の私たちには想像もできないような私たち先祖の日常に溶け込んだ、生活や文化の一端を担っていたような「相撲」。 「相撲」は日本人の生活様式そのものでもあったのではないか。 農耕を生業とする私たちの先祖にとって、土俵は実に身近なものだった。 田圃の土を踏み固め、稲の藁をつとにしてまとめ、組み上げれば草相撲の土俵は数時間の作業で出来上がる。 そして相撲を取り終えればそのまま取り壊し、すぐ元の田圃に戻す。 千手観音信願相撲や船橋大神宮の土俵は、今でも稲藁で作られている。 毎年の開催のために土俵を作り直している。 私(筆者)の故郷近くで、八幡講により相撲の興行が開催されていたという八幡神社に足を運んだ。 少子高齢化で子どもたちの歓声も減った小学校の隣の八幡神社にそれと思しき小高い広場があった。 15尺直径4. 55メートルの円を書けばそこはすぐに土俵になりそうな場所だった。 かつて相撲は、私たちには余りにも身近過ぎた。 「ありふれたもの」であったがゆえに、私たちの生活の変化とともに、いつの間にか遠い存在になってしまったことすら忘れてた。 そんな存在なのかもしれない。 こうした「いつのまにか忘れてしまった」ものは、相撲に限らず、私たちの周りにはいくらでもあるだろう。 そんなものをときに思い出すことは、人間にとって重要ではないか。 そう思いながら私は今日も土俵に向かう。 取材・執筆・撮影:腰塚雄壽(こしずか ゆうじ) 学習塾で国語を担当、主に中学受験を指導。 のち業界誌記者。 フリーとなって教育やサイエンスを中心に活躍中。 編著に『国立感染症研究所は安全か』(緑風出版)、『今そこに迫る地球寒冷化人類の危機』(KKベストセラーズ)など。 相撲だけでなく、野球、合気道、登山、ツーリングなどスポーツを通じた活動も進める。 相撲での実績は、「府中市民大会壮年の部:優勝」、「東京都大会壮年の部:3位入賞」、「香港上海倶楽部体重別選手権:中量級3位入賞、同団体戦:3位入賞」など。 【取材後記】 大相撲界に入門するための新弟子検査は、毎場所前に行われる。 大相撲界に入門するにはそれぞれの部屋に所属して、場所前に行われる新弟子検査に合格しなければいけない。 現在の新弟子検査は23歳未満で身長167㎝以上、体重は67㎏以上だ。 新弟子検査は本場所前に行われ、これに合格すれば前相撲を経て力士として番付に記載される。 2018年(平成30年)に大相撲の歴史に刻まれる大きな事件が起こった。 名古屋場所と九州場所の入門者数が「ゼロ」であったのだ。 記録から筆者が試算する限り、入門者「ゼロ」は過去にわずかに1回だけ。 一度は若手力士への暴行致死事件が明るみに出た直後の2007年(平成19)の7月場所直後だ。 2018(平成30)年を通してみても、大相撲界への入門者数は69人。 若花田、貴花田の人気で相撲人気が絶頂であったといわれた1992(平成4)年、93(平成5)年がそれぞれ223名、210名であったのに比べて3分の1以下だ。 入門者が減っているのだから、力士の数も減っている。 昭和の末から平成にかけての力士数を調べてみると、昭和の終わりころ700人台後半から800人台前半の力士数で前後していたものが、若貴人気の平成以降徐々に増加していく。 最も多い時期に900人台に上昇したが、その後徐々に減少傾向が生まれ、最も入門者数が少なかった2012(平成24)年以降、2014(平成26)年11月場所の618人まで減っていた。 この数は、最も力士数の多かった時期の3分の2である。 力士の数が減ることで、現在の大相撲界の力士の「質」が以前よりも落ちているのではないかと推測する向きもある。 本来、プロの「大相撲」と「その他の相撲」に区別する意味はない。 「アマチュア相撲」や「奉納相撲」などによって、子どもたちや各地域で相撲の裾野が浸透すればするほど、「大相撲」の活況につながるはずだ。 「相撲」は、私達の生活に連綿と根ざしてきた相撲文化がこれからも身近な存在であってほしい。 (腰塚雄壽 ) 編集:石原智 掲載:2019年4月.

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