伊坂幸太郎 クジラアタマの王様。 今読むべき、クジラアタマの王様~自分が戦う場所と、ウイルスという見えない敵のこと|繭|note

クジラアタマの王様の通販/伊坂 幸太郎

伊坂幸太郎 クジラアタマの王様

製菓会社の広報部員「岸」は、ヒット商品への異物混入事件が起きたため、謝罪会見の準備に追われていた。 そのさなか、会議室で眠りに落ちた彼は、何かと戦っているような夢をみる。 ある日、彼のもとに都議会議員の「池野内征爾」が〝夢の中で会った〟と近づいてくる。 続いて、世間で人気のダンスグループのメンバー「小沢ヒジリ」までが、〝同じ夢の中にいた〟と言い出して……。 それまで何の接点もなかった3人の日常が、〝夢〟を媒介に大きく動き始める。 ハシビロコウに導かれ、「岸」たちは二つの世界を救えるのか。 この小説で一番気になった登場人物がいるんですが……。 「部長」です。 めちゃくちゃ、脇役じゃないですか(笑)。 ああいう上司がいた経験があるんですか? 僕も会社員だったんですけど、社会人になってびっくりしたのは、本当に漫画に出てくるような嫌な人っているんだなあ、ということでして(笑)。 「本当に仕事サボる人いるんだ」とか、「仕事を他人に押し付けて、平気なんだ」とか。 そういうことが念頭にありました。 この本のテーマはそこにはないんですけどね。 あと、謝罪会見のスリリングさを書きたいというのはあって、言っちゃいけないことを「もうどうでもいい!」みたいにしゃべっちゃう、とかそういう展開を考えていたんですけど、その肉付け的なところは、過去の会社員時代の経験を参考にしているんですよね。 サラリーマンパートをどうしたら面白くできるかわからなくて。 参考書的に、池井戸潤さんの小説を読んだりして。 「七つの会議」とか。 前から池井戸さんの本、読んでたんですけど、だから今回は、新商品が売れた喜び、というのを小説の初っぱなにやっちゃったりしているんですよね(笑)。 あと、さっきも言ったように、会社員の部分は自分の会社員時代のことを思い出して、実際はあんなことはなかったですけど、いたら嫌だなとか、あと、仕事ができる人ほど仕事が増えていく法則とか、そういう、理不尽なことを思い出しながら書きました。 単純に「部長」との対比で書いていたんですけど。 真面目な人の希望の星、みたいな(笑)。 単純に、お子さんが微妙な年齢の時に、仕事をしているのは大変だなあ、とよく思うので。 お父さんもそうですけど、熱を出して呼び出しもあるじゃないですか。 だから、単純に子どものことをやりながら、会社でも苦労している人を出したかったんですよね。 売れた商品の担当者が、そういう子育ても仕事も頑張っている人だったら良いなあ、という思いからあんな感じに(笑)。 女の人の描き方がよく分からないので、というか男の人のこともよく分からないんですけど(笑)、だいたいこういう感じになってしまうんですよね。 ああ、ありましたね。 僕も阿部さんも自分たちの好きなものを詰め込んで小説を書いていたんですけど、急に、「女の人が読んでも面白いのかな?」ってオロオロしはじめちゃって(笑)。 そういうのは考え出すと、もうよく分からなくなっちゃいますね。 ここがしっかりリアルだから、この小説の「仕掛け」が生きているというか。 漫画部分はけっこうファンタジーだから、小説部分はリアルなもので押し通しているんですよ。 だから比較的、現実でも起きそうな、会社のこととか、猛獣とか、インフルエンザとかを描いています。 これは昔からやってみたかったことで。 アクションって小説で表現するのは難しいんですよ。 頑張って描写しただけ、になっちゃうというか。 「だったら映像にした方が早いじゃん」と思っちゃうんですよね。 カーチェイスなんかも、頑張って書くことはできるけど、映像があるならその方が迫力あるよねと。 だから昔から、小説の中に漫画が入ってきたらいいなと思っていて、でもそこに日本の漫画みたいなのが入るのも違うなと。 もっとシンプルで、図っぽいものがいいなと思ってたんですけど。 迫力が出すぎてしまって、小説とは違うものになっちゃいそうな気がするんですよ。 できれば、止まった絵で見せたい。 同じような絵が続くと、時間の流れが見えたりもしますし。 小説では難しいところを絵で表現してもらう。 今までは小説で頑張って書いていたんですけど、一回ぐらいはこういうズルをしてもいいのかな、と(笑)。 それで昼はサラリーマンの現実的な日常で、夜になると、僕は「モンスターハンター」ってゲームが好きだったから(笑)、そういうゲームの世界にいくっていう話を(編集者と)していて。 そこからどうするかが大変で。 ライトノベルでは、しばらくブームになっています。 これ、伊坂幸太郎の異世界転生もの、として受け止めてもらえますかね(笑)。 僕の場合「スイカに塩」じゃないですけど、一方を異世界にすると、もう一方はサラリーマンとか働いている人にしたくなっちゃうんですよね。 「剣と魔法の世界」と反対側にあるのは、「満員通勤電車の世界」というようなイメージで。 そしたら、ここかあ、と。 読者は異世界ものだと思って読んだら、いきなり製菓会社の話が来ますからね。 どういう層の読者に向かって書いているのか、自分でも分からないです(笑)。 「モダンタイムス」は漫画とコラボしていますし、「キャプテンサンダーボルト」では阿部和重さんと文体まで混交させていました。 今回はどういう位置づけなんでしょうか。 本当をいうと、コラボレーションにはあんまり興味がないんですよ。 矛盾してしまうようなんですけど、小説は一人のこぢんまりした世界だと思っているんですよ。 ただ、たまたま依頼が結構あったんですよね。 「SOSの猿」の五十嵐大介さんとか、ミュージシャンの斉藤和義さんとか。 自分の尊敬するアーティストだから、「それはぜひ!」と受ける感じで。 でも、実際にやっていることは、自分の小説を書くことだけ、なんですよ。 「ガソリン生活」で寺田克也さんに挿絵を描いてもらう、というのと同じで。 やってることは、一人で小説を書くだけ、という。 違うのが「キャプテンサンダーボルト」で、僕の中では唯一、あれだけなんですよ。 自信を持って誰かと小説を作った、二人でしかこの小説はできなかった!というのは。 本来は一人でしか作れないものを二人で完成させたということで、あれはすごいものができたと今も思っていますし、ほかの人たちが真似できるなら、やってみてほしい、とさえ思うというか。 「クジラアタマの王様」は、それとも別の立ち位置といいますか。 明らかに僕の小説に「入ってもらっている」ので、他のコラボレーションとも違うんですよね。 自分の小説をより良くするために、力を貸してもらった感じで。 絵を描いている川口澄子さんのことは担当の編集者が教えてくれて。 頼んだら、色んなアイデアを出してくれて、感激しました。 僕が書きたい世界を絵の担当として全部表現してくれて、ありがたかったです。 そうなんですよ。 ただ、「こうしたらわくわくする本になるのでは!」という思いだけで作ったんですけど、今になって、「ずるじゃないのかな。 自分で描いているわけじゃないし」と不安になってきたりして(笑)。 挿絵と何が違うのか自分なりに分析すると、挿絵は、小説に存在する物や出来事を絵にしているんですよね。 ワンシーンを再現している。 でも今回は、小説部分にはないところを描いていて、コミックはコミックで完結してるので、それは違うところですよね。 「ここに挿入しますけど、いいですか」と聞かれて「あ、いいですね!」という部分も(笑)。 もちろん最終的にはそれをみて「どうしましょうか」というので考えて決めたんですけど。 川口さんはこちらから何かを提案したら、100%、120%ぐらいの感じで「これはどうですか」と応えてくれて、とても心強かったです。 イラストは基本的にはファンタジー世界を描いているじゃないですか。 でも、あるパートだけ現実側の場面を表現しているんです。 それは川口さんのアイデアで。 「どこかで、絵と小説の役割を逆転させてみませんか」と言われて、面白いなあって。 だいたいこういう夢の話を書くと、「胡蝶の夢」と思われそうなので、もう、正々堂々と、「はい、胡蝶の夢です」と言える話にしちゃおうかな、と(笑)。 小説パートだけでも成立するんですけど、コミックパートがあると、より広がりますよね。 コミックパートがファンタジーじゃないですか。 その分、現実パートに、非現実的な要素がないんですよ。 僕の小説にはだいたい超能力とか、怖い悪者とか、国家的なシステムとか出てくるんですけど、今回は、出てこなくて。 だから敵の作り方が難しくて。 動物が脱走したとか、ウィルスとか、別に悪者ではないじゃないですか。 悪者がでてこないという意味では新鮮で、描いていて、結構、やりがいがあったというか、楽しかったです。 コミックがなかったら、たぶん、現実的なことだけでは書けなかったかもしれません。 そうそう。 「ガソリン生活」だって車の視点っていうギミックがあるから書けた。 そういう過剰なものがないと書けないんですよね。 近作の「フーガはユーガ」は、過酷な家庭に育った双子が入れ替わりながら不条理に立ち向かう小説でした。 まあ、ワンパターンなんですよ(笑)。 昔、井上ひさしさんが「チルドレン」のことを「この作品のテーマはなりすましだね」と言ってくれて、そんなつもりはなかったんですけど、そうも読めるんですよね。 たぶん、そういうのが好きなんです。 そういう振り幅はどう決めているんですか。 この作品は結構、エンターテインメントですよね。 最初からは決めていないです。 「フーガはユーガ」も最初はあの双子も仲良し家族の設定だったんですよね。 ただ、書きはじめると、「それでいいのかな?」とか悩んだり、いろんな要素が入ってきちゃって。 実は、僕は子どもが生まれた頃から、いい人が死ぬ小説は書かないようになったんですよね。 殺し屋とか悪いことした人は死んじゃうんですけど。 それ以外の、いい人は、まあ、いい人の定義も難しいですけれど、とにかく、ひどい目にあっても生きてはいるんですよ。 僕自身、自分や親しい人の死が本当に恐ろしいですし。 ただ、「フーガはユーガ」は、その恐ろしいことを、まあ、小説の中でだけですけど、乗り切れるような語り方をふっと思いついちゃったので、そういう方向で完成させたくなっちゃって、そのせいもあって少し暗い雰囲気の作品なんですよね。 だからあれは特例、という感じで、一方の「クジラアタマの王様」はいつも以上に明るい、というか、健全というか、NHKの子ども番組でもいけそうな(笑)。 そうなのかな、文体は僕は一つしかないのであんまり変えられないんですけど、あんまり悪い人が出てこないせいかなあ。 裏で動いている政治家は情報として出てくるだけだから、目に見えないし。 「善対悪対悪」という構図もそうですけど。 善も悪もなかなか判別できないですけど、本当に悪いのは誰なんだろう、その本当に悪い人をやっつけたい、みたいな思いがあるんですよね。 ただ、今回は動物のトラブルにしても、誰も悪くないから、結構めずらしいかな。 部長も、まあ憎めないじゃないですか。 マスコミや政治家も、いいのか悪いのかわからないですし。 たまにはこういう、健全なエンターテインメントもいいのかな、という気がします。 毒っ気がないというか。 頑張ってせいぜい、「部長」ですもん、毒が(笑)。 担当編集者が、向こうの世界はどうなんだ、ハシビロコウの狙いは何なんだって、すごく気にしてくれて。 僕は何も考えてないので(笑)。 ハシビロコウも、西洋とも東洋ともつかない鳥で、何となく選んでいたぐらいで。 世界観は最後の頃に決めたんです。 僕は構造とディテールがあればいいじゃんっていう気持ちが相変わらず強くって。 でも、やっぱり読者は納得感がほしいですもんね。 ああ、そうだったの、って。 例えば、お菓子を詰める段ボールの商品名と、中身の商品が違っていたというエピソードも作中に描かれています。 思い込みがあって、それに気づかない、という。 これにかぎらず、先入観を覆したいというか、そういう話ばかり小説で書いている気がします。 僕が先入観を持ってしまうからかなあ。 実際に、情報と感情のバランスというのはあって、同じようなことをしても、世間の反応が変わったりする。 どうなるかわからない。 そういうのは盛り込みたくなっちゃうんですよね。 「モダンタイムス」のころに、「インターネットに書いてあったら、嘘でも本当になっちゃのうでは?」という話を書いていて、思えばまだ当時はフェイクニュースとかそういう言葉もなかった気がするんですけど、そういうのが怖いし、興味があるんですよね。 本人が「俺はAなんだ!」と言っても、「ネットに書いてあるからBでしょ」とみんなが思うかもしれない、というのが怖くて。 僕はだいたい、何も分からないし、だいたいのことが怖いので(笑)。 ただ、インターネットを使う人たち、僕たちも、昔に比べて学んできているじゃないですか。 デマについてや情報の扱いについても、「これはまずいパターンだよね」とか「嘘かもしれないよね」とか、学習していたり。 昔、恐れていたほど、無法地帯ではないような気もしますし。 一方でネットの自由がなくなるという人もいて、難しいですよね。 ただまあ、すごく悲観する必要もないような気もしますよね。 と言いつつ、僕はまあ、怖いんですけど(笑)。

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『クジラアタマの王様』:伊坂幸太郎【感想】|未来を切り拓くのは、誰だ

伊坂幸太郎 クジラアタマの王様

「クジラアタマの王様」概要 製菓会社に寄せられた一本のクレーム電話。 広報部員・岸はその事後対応をすればよい…はずだった。 訪ねてきた男の存在によって、岸の日常は思いもよらない事態へと一気に加速していく。 不可思議な感覚、人々の集まる広場、巨獣、投げる矢、動かない鳥。 打ち勝つべき現実とは、いったい何か。 巧みな仕掛けと、エンターテインメントの王道を貫いたストーリーによって、伊坂幸太郎の小説が新たな魅力を放つ。 (より抜粋) 現実世界と夢の世界とが関連するパラレルワールド的内容で、ファンタジー感強めの作品です。 とはいえ、読み進めていくと「こんなことがホントに世の中に起こっているのでは?」と思えてしまうから不思議なものです。 伊坂さんが紡ぎだす心地よい文体と共感できるキャラクターが描かれているからこそ、そう感じられるのかなぁと思います。 夢の世界は漫画で表現 この作品の特徴的な点は、「現実世界」を文章で表現しているのに対し、「夢の世界」を漫画で表現している点です。 上記画像のように、夢の世界は漫画で描かれています。 しかも、セリフが一切出てきません。 「現実世界」は文章だけで表現しているのに対して、 「夢の世界」は画だけで表現しているのです。 想像力を切り替えながら読み進めていくことが求められる、非常に面白い実験的小説です。 後半から新型ウイルスに悩む社会が描かれる 作中の「現実世界」では、後半から新型ウイルスに悩まされる社会が描かれます。 【後半の概要】 海外で新型鳥インフルエンザが流行。 いつか日本にも感染者が現れるのでは?と恐れていたら、主人公の近くでついに感染者が出てしまう。 マスコミや近隣住民から犯罪者のように騒ぎ立てられる感染者たち。 主人公は彼らを守れるのか? この小説が発行されたのは2019年7月です。 コロナウイルスが問題になる約半年前に発表されていたのです。 作中に描かれている状況は、コロナウイルスで混乱する現代社会そのままを描いています。 ネット上で感染者を特定する熱が過熱。 様々なデマが横行。 感染者の自宅に群がるマスコミ• 不要不急の外出を求める行政府• 咳をしている人に対する冷たい視線• 騒動の中、海外旅行をした者に対するバッシング• 訪日外国人への差別• 日用品の買い占め などなど。 私がこの小説を読んだのは2020年4月なのですが、 「この小説ってたった今書かれたの?」と、何度も確認したくなりました。 それぐらい小説に書かれていることが、現代社会でもそっくりそのまま起こっていたのです。 人を動かすのは感情 作中のことが現実になったのはたまたまではなく、伊坂幸太郎さんの類まれなる洞察力の高さゆえのことかと思います。 作中で主人公はこのように言います。 人間を動かすのは、理屈や論理よりも、感情だ。 SNSの発達で感情が集合的に伝染しやすい状況になっている現代だからこそ、危機に瀕した時の社会の動きは予測しやすくなっているのかもしれません。 いづれにせよ、作者の洞察力の高さに驚愕した作品でした。 現代社会を客観視する上でおすすめの小説 結末は陰謀論的な内容になっているので、解決策は参考にはならないかもしれません。 むしろこの結末を真に受けた人が新たな敵を作り出してしまいそうな気がして怖くも感じます。 ただ、この作品を読めば、現在の社会的状況をメタ的に客観視することができます。 混乱している今だからこそ、この小説を読んで自分たちの行動を顧みても良いのかもしれません。 また、エンタメ小説としてももちろん非常に面白いので、ストレス解消のためにもお勧めできます。 伊坂幸太郎さんの小説を読んだ後に感じる「スカッと感」は今作でも健在です。 今作でカギを握るのは、ハシビロコウという大きな鳥です。 この情報だけでも面白そうじゃないですか?(笑) 物語には人を癒す効果があると思っています。 こんな時だからこそ、ぜひ小説を読んでみてはいかがでしょうか?.

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「伊坂幸太郎『クジラアタマの王様』サイン本」

伊坂幸太郎 クジラアタマの王様

タイトルの「クジラアタマの王様」は、主人公の案内役兼ラスボスである「ハシビロコウ」のラテン語の呼び名である。 製菓会社の広報担当・岸、人気アイドル・小沢、そして本作のキーマンともいうべき県議会議員・池野内。 岸の製菓会社の新商品を機縁にして、この3人が出会ってからこの奇妙な物語は始まる。 簡単に言えばパラレルワールドものなんだろう。 しかし、3人の単なる妄想という事も否定できない。 夢の中で巨大なモンスターと戦うなんて、そんなRPGみたいな展開、誰が信用するだろうか。 普通ならそう考える。 しかし、次々と起こる奇妙な事件の前に翻弄され、徐々に夢の、RPGの世界に深入りしていく3人。 彼らがモンスターに負ければ、現実世界でも良からぬ事件が起きてしまう。 虚構と現実の境目がますます分からなくなっていく。 序盤から出ていたハシビロコウをボスに、製菓会社が設置したがっていたビジョンが最後に役立つなど、伏線もきっちり回収している。 クライマックスの描写から考えて、やはりRPGの世界は3人の妄想だったと思った。 最後は夢ではなく、現実の自分の力で悪い奴を倒したんだから。 とにかく、小難しい事は考えずに頭をカラッポにして読んだ方が楽しめそう。 伊坂さんの作品はどれも好きで、いつも読ませていただいていますが、今回のは正直かなり残念な内容でした。 まず、ストーリーが1軸で、複数の世界が最後に繋がる爽快感は一切ありません。 夢の話も一辺倒で、特に捻りがないものを繰り返しています。 火事の話も、同じ話の繰り返しで、同じなら毎回そんな説明しなくて良いのにと、シンプルにくどかったです。 次に、個人的に気になってしまった表現が2つ。 1つ目は「〜のように」という意味で「〜よろしく」という言い回しが必要以上に多用されていること。 今までそんな表現してたっけ?という気持ちと、使われ方も心地よくは無く、途中からストレスで読み進められないレベルで気になってしまいました。 また後半から出てくる「パスカ」という表現も使われ方が異常で、意味的からして「スマホ」で良いのに、何故読者に馴染みのない言葉に置き換えるかも謎で、かつバカの1つ覚えのように高頻度で出て来て非常に気になりました。 10年以上前から伊坂さんの作品を読ませていただいている身としては、お勧めできる作品ではなかったです。

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